16◆Bradley
ブラッドはこの町にまだ馴染んでおらず、土地勘がない。だから、ルーシャを追うにも途中で人に訊ねながらになった。
買い物を無事に済ませたなら、引き返してきて途中で出くわしそうなものだが、未だに会わない。やっぱり、ブラッドと顔を合わせたくなくて逃げているのではないかという気がしてきた。
――この仕事、誰かに代わってもらうべきだろうか。
今からでも女騎士を派遣してもらえたら、ルーシャにはその方がいい気がする。
ブラッドとはいたくないのだから、ルーシャもその提案には乗るだろう。
日が沈んでいく中でそんなことを考えながら走っていると、甲高い悲鳴が聞こえた。
「っ!」
姿は見えないけれど、あれはルーシャの叫び声だったように思えた。
自分を鼓舞するように一度心臓を叩き、声がした方へ急ぐ。通りに面した公園があった。そこから声が聞こえた。
「ルーシャっ?」
ブラッドは声を上げたが、返事は返らない。
公園の奥へと踏み入った時、黒っぽい茂みと一体化して見えたほど暗い塊がいた。暗がりでそれに気づいたのは、影のように黒尽くめな誰かが抱えているルーシャの白い顔が浮かんで見えたからだ。
青白いルーシャの顔。まぶたは閉じられていて、ぴくりとも動かない。
意識のないルーシャを、黒い影が抱き起しているのだ。
真っ黒なローブを着て、肌はどこも露出していない。これが暗殺者なのか。
そして、ルーシャは――。
自分の指先が冷たく、凍ってしまったように痺れる。心臓がドッドッと狂ったように打った。
「お前――っ!」
ブラッドは剣を引き抜き、問答無用で黒い影に斬りつけた。黒い影は間一髪でそれを躱したが、ローブの一部が裂けた。
黒い影がルーシャから急に手を離したため、ルーシャは放り出されて頭を打った。ただ、その衝撃で目を覚ました。
「いった……」
ぼやきながら頭をさすり、上体を起こす。
ブラッドは心底ほっとしたが、まだ気をゆるめることはできなかった。黒い影をルーシャから引き離し、間合いを詰めようとするが、黒い影は術を使った。
公園の砂が、突風でも吹いたかのように巻き上げられ、ブラッドの周囲に渦巻いた。
「くそっ!」
精霊魔術を使うのならば、貴族の端くれだ。
リスター公爵の後釜を狙う何者かと考えて間違いないのだろう。
ブラッドの剣は市販品とは違い、魔術に耐性がある。少々の術ならば切り裂けるが、自分が突破するのがやっとだった。
砂嵐から脱出すると、黒い影は見当たらなかった。ルーシャはへたり込んだままだ。
敵はルーシャを殺すのではなく、攫いたかったらしい。邪魔が入り、今回は諦めたということだろうか。
なんだっていい。無事でいてくれたなら。
ブラッドは剣を仕舞い、ルーシャに駆け寄って地面に膝を突く。顔を見たら言ってやろうと思ったことが死ぬほどあった。
なのに、無事な顔を見たら何も言えなくなった。
ルーシャはブラッドの顔を見るなり目にいっぱいの涙を溜めて、ひと言もないままポロポロと泣き始めた。
下を向いたら、涙が地面の土に落ちて染みを作った。雨粒みたいだった。
「ごめんねぇ……」
ルーシャのつぶやきは消え入りそうに小さい。
ひくっ、としゃくり上げる。
その謝罪が何に対するものなのか問いかける前に、ブラッドはルーシャの頭を引き寄せて胸に当てた。
「無事でよかったけど、二度とこんなことはするな」
すると、ルーシャが身じろぎした。うなずいたのだろう。
まだ震えている。多少気が強いとはいえ、それでもただの女の子だから、怖くて当然だ。
詳しい話を聞こうとしたけれど、やめた。もう少し落ち着いてからの方がいいかもしれない。
「帰ろう」
うん、とルーシャが答える。転がっているバスケットを拾い、ルーシャは目を擦りながらブラッドの横に立つ。
数歩歩くと、ルーシャは空いた方の手でブラッドの服の裾をつかんだ。
「どうした?」
なるべくそっと問いかけると、ルーシャは赤くなった目でブラッドを見上げた。
「なんでもないけど……」
ルーシャのこんなにも不安そうな顔は初めて見たかもしれない。誰かにつかまっていないと夜道が怖いらしい。
間一髪でも助けることができたからか、ブラッドを頼りに思ってくれているのが伝わる。
心細そうにしているルーシャを護りたいと思った。任務だからとか、そういう理由からではなく。
もう、長所と短所とを言える程度には知り合ってしまったのだ。
この仕事を誰かに代わってもらって、ブラッドはそれで日常に戻れる気がしなかった。ルーシャが無事に生きていける環境に移るまで、ブラッドも心安らぐことはない。気になって駄目だ。
「あの、あれに関してはブラッドは少しも悪くないってわかってて、その、あたしが恥ずかしいのをごまかすのに嫌な態度を取っちゃっただけなの。本当にごめんなさい」
誠実な謝罪をくれたルーシャ。
悪いと思ってもなかなかこんなふうに非を認めるのは難しい。
それをブラッドのためにしてくれた気持ちを嬉しく思う。
「いいよ、わかってるから」
それだけ言うと、ルーシャはほっとした様子で表情をゆるめた。
暗い道を二人、並んで歩いた。
今まで、こんなにも距離が近づいたことはなかった。




