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近頃は物騒なので番犬を飼います(書籍版は「わたしの番犬は過保護です。」に改題:〈上〉〈下〉発売中)  作者: 五十鈴 りく
本編

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17/46

17◇Lucia

 正直に言って、まさかあんな目に遭うとは思わなかった。

 ブラッドのことを雇ったレーンは大げさだと、ルーシャは甘く見ていたのだ。


 それが、ストーカーは本当に存在した。

 不覚にもルーシャはストーカーの目の前で気を失ってしまったのだ。あそこでブラッドが来てくれなかったらと思うとゾッとする。

 あの時の引きずり込まれた力、黒い影、思い出すだけで震えてしまう。


 ブラッドと一緒に帰って、家の戸締りをしてからルーシャはやっと息がつけた。


「今日は疲れただろ。夕食は簡単でいいし、俺も手伝うから」


 勝手な行動をもっと怒られると思ったのに、ブラッドは優しかった。それが嬉しい。


「ううん、何かしていた方が気が紛れるから」

「それならいいけど」


 料理をしながらバスケットの中を確かめると、買ったフルーツが一部潰れていた。悲しいが、これは煮込んでソースにしよう。生地に混ぜてもいいかもしれない。


 夕食を終えた後、ブラッドが風呂に入っている間に片づけを済ませる。

 そして、ルーシャも風呂に入ろうとしたのだが――。


「ねえ、ブラッド」


 ブラッドの部屋の扉を叩く。濡れた髪のままで出てきた。


「なんだ?」

「お風呂に行きたいの」

「うん」

「急いで入るから、近くにいて。お願い!」


 昨日までは全然平気だったのに、今日は外の暗闇の中に一秒だって一人でいたくない。


「わかったけど……」


 けど、なんだろう。なんでもいい。


「ありがとう。呼んだら来てね」

「…………」


 何か言いたげだった。もう眠いから寝かせてほしいとか言われたら泣くしかない。




 ルーシャは風呂場まで送ってもらうと、宣告通り大急ぎで体を洗った。

 いつもなら風呂掃除まで済ませてから出てくるのだが、今日はもういい。明日やる。風呂桶の水だけ抜いておいた。


 夏なので汗を吸いやすいコットンの袖なしネグリジェを着る。髪も濡れたままだが、風邪はひかないだろう。

 戸をうっすらと開け、ブラッドを呼んだ。


「ブラッド、上がったよっ」


 カンテラを手に持ったブラッドが家の前にいて、ルーシャはほっとして風呂の戸を開いた。


「ありがと!」


 感謝の気持ちを込めて笑顔で礼を言ったのに、ブラッドはフッと素っ気なく顔をそむけた。


「ほら、早く家に入れ」

「うん! あ、そうだ、ハーブティー淹れようか?」


 気が昂って眠れない気がするから、何かリラックスできるものがほしかった。しかし、ブラッドはうなずかなかった。


「早く寝ろ」

「うぅ、ちょっと話し相手になってよ」


 家の中に入り、戸締りをした途端にブラッドはため息をついた。


「昨日はパンツ拾われて騒いでたくせに、今日はそんな恰好でも全然気にしないんだな」


 ――パンツのことは言わないでほしい。

 そんな恰好というけれど、寝間着なのはお互い様だ。


「そりゃあ、私だってちゃんと弁えてるわよ。他の男の人の前だったらしないし」

「俺はいいのか」

「うん。だって女性に興味ないでしょ? だから本当は下着くらいで騒ぐことなかったんだけど」


 これを言ったら、ブラッドが愕然としたように見えた。だからルーシャは慌ててしまった。


「あ、別にそういうのがいけないとか思ってないから! ブラッドはブラッドだし、その――」

「誰がそんなこと言った? レーンか?」


 これは秘密だったのかもしれない。当人にしてみたら陰で言われるのは嫌だったようだ。


「ごめん、私、誰にも言わないから」

「…………」


 ブラッドは何かを言いかけて、やめた。

 やっとの思いで飲み込んだというふうに見えた。とても繊細な問題なのでそれも仕方がないのだろう。


「お茶、淹れるね」


 誰しも触れられたくない部分があって当然だ。気遣いが足らなかった。

 ルーシャはブラッドの背中をポン、と叩き、キッチンに入って湯を沸かし始める。就寝前なので優しいカモミールにしよう。ルーシャは戸棚の上の方にある乾燥カモミールが入った瓶を取ろうと椅子を置いた。


 ブラッドがそれに気づく。


「取ろうか?」


 そう言ってくれたけれど、椅子に乗ればすぐに取れる。


「もう取れたよ」


 椅子の上で瓶を手に振り返ろうとした時、外でギャーッという不気味な声がしてルーシャは自分でも驚くくらい取り乱してしまった。あんなのは、野良猫の喧嘩だ。夜間によくある。わかっていても、今日は心構えがなかった。


 怖い目に遭ったせいで物音に過敏になっている。身を竦ませた途端、バランスを崩して椅子から落ちた。


「ひゃっ!」


 けれど、椅子から落ちたルーシャと、ルーシャが放り投げた瓶と、ブラッドはどちらもキャッチしたのだった。素早いなぁと感心してしまった。


 耳元でほっと息をついた音が聞こえた。ブラッドもびっくりしただろう。

 背中越しに速まっている心音が伝わり、ぬくもりを感じる。こんなに密着していても不快感はない。むしろ、心地よいとさえ思えたから不思議だ。


「ありがとう。ブラッドがいてくれてよかった」


 最初はあんなにも本物の犬がよかったと思ったのに、今ではブラッドでよかった。現金かもしれないけれど、本当にそう思う。


 心は正直なもので、助けてもらったことによってルーシャの中でブラッドという存在が格上げされたのだ。それは素直に笑いかけられるほどには。


 けれどそれはルーシャの言い分であり、ブラッドは違ったのだろう。ルーシャを離すと怒ったような口調で言った。


「今日はもう寝ろ」

「えっと、お茶は……」

「明日にすればいいだろ」

「えーっ」

「俺は寝る」


 さっさと行ってしまった。

 起きているとまた何かやらかすと思うのだろうか。今日は特別で、いつもは違うのに。

 仕方がない。今日はもう大人しくしていよう。


 ――何故か、ブラッドのぬくもりを分けてもらったら、ずっとついて回っていた恐ろしさが和らいでいた。


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