第二話 ガール・ミーツ――…… Ⅱ
それが目に入ったのは、単なる偶然だった。
「悪魔、あれ……」
『ほぅ……運が良いな。まさか、補給に出てる魔物に会えるとは』
一匹の狼が街中を歩いているのだが、誰も気にしていない。
余程霊感が強くない限り、魔物は見えないのだから当然だ。
この辺りは幽霊、悪霊に近い。
魔物と呼ぶが、根本的には同じものだからだ。
しかし、これは分かりやすい方だ。
この前の鳥形の魔物なんかは、人間が鳥を気にもしないのも当然なのでそもそも魔物だと気づきすらしなかった。
もっと犬っぽかったら、今回も見過ごしてただろう。
あるいは都会に野良犬なんて珍しいので、気づけただろうか。
『殺るのか?』
「ううん、後をつけるわ。潜伏先まで案内してもらう」
『冷静なことで』
「もしかしたら、後ろに高位の魔物が居るかもしれないし」
基本的に低位の魔物は高位の魔物から生まれる。
離れて活動することも多いが、高位の魔物の手先となって働くこともある。
『どうしてそう思う?』
「食事だったらその場でするでしょ?」
魔物の口には、器用にも袋に入れられ咥えられたコンビニの弁当があった。
ひったくりか、見えないのをいいことに万引きか――いずれにせよ当然盗品なのだが、魔物は魔物で上手く人間の作ったものを利用している。
「それにしてもあれ、普通の人が見たら弁当だけが中に浮いている様に見えるのよね?」
『まぁ、見えていたらそうだろうな』
「…………よくバレないわね」
明らかにおかしいだろう。
魔物自体は見えなくてもそれが運ぶものは――、
『魔物が持っている物体に対する目視くらいならばどうとでもなるが、監視カメラには写りそうだな。魔物には棲みにくい世界になったものだ』
――見えないようだ。
悪魔の口振り的に、何か認識を阻害するものが働いているのだろう。
しかし、魔物本体とは違いカメラや鏡には写ってしまうようだ。
そういうのを揉み消すのも、奴らMASDの仕事だ。
だが、このネットが猛威を振るう時代、何処まで誤魔化せるのか。
「遠くないうちに魔物の存在は公になりそうね」
『大半の人間は見ることも感じることもできないのだぞ、映像ひとつで誰が信じる?』
確かに、合成だと誰にも相手されないのがオチかも知れない。
「願望よ。公になって情報が出回るようになれば、モグリである私はやりやすくなるわ」
『そんなものか? ならお前がその……インターネット、とやらで真実を言いふらせば良いだろう』
悪魔がインターネットなんて現代的なものを言うと、少しおかしい。
が、そう言うと馬鹿にするなと怒り始めるので何も言わないでおく。
「私一人がネットで何を言っても、よっぽどの証拠がないと相手にされないわ。
ある程度証拠があったとしても、信じられてネットの外へ広まるまでそれなりに時間もかかるでしょうし、その前に奴らが国家権力を使って揉み消すでしょうね。
それに、そこまですれば奴らも必死になって、なりふり構わず私を消しに来る。
そこまでされたら逃げ切れる自信はないわよ」
そう、一時期それも考えたのだが、結局は断念したのだ。
私個人としては、魔物の存在や退魔師の存在を特段秘匿すべきだとは思わない。
そんなに大きな被害もなく退魔師で対処できてる以上、世界に混乱を与えるようなことはするべきでない――と言うのがMASDと政府上層部の見解らしいが……くそ食らえだ。
私は知っている。
ある一つの町が、魔物によって壊滅したことを。
それが、ただの大規模な災害として処理されたことを。
魔物の仕業だとすぐにわかった筈のその災害を、奴らがギリギリまで行くのを躊躇していたことを。
そして……一人だけ、生き残りがいるということを。
『ふむ……人間とはややこしいな』
「魔物と比べては人間が可哀想だわ。さて、着いたみたいね」
低位の魔物が入っていったのは、解体途中で放置されたビルだった。
ポルターガイストとして騒がれて退魔師に訪れられては困る魔物にはうってつけの隠れ家だろう。
『あぁ、そして……どうやら追跡はバレていたようだな』
悪魔の言う通り、追跡はバレていたようだ。
こっそりビルの一階部分に入ると、完全に戦闘態勢の陣形で、私を囲むように九匹の狼が待ち構えていた。
真ん中には狼男としか表現のしようのない魔物が、仁王立ちで立っている。
「素人の男だと聞いていたが、来たのは女の退魔師か」
「……何、命乞いでもするつもり?」
高位の魔物は交渉するだけの知識を持つが、自分の力にそれなりの自信があるのか、見つかったとわかった瞬間、葉を交わすまでもなく襲いかかって来るのが殆どだった。
わかりやすい奴らだ。
だが、今回はどうも違うらしい。
(少し、気を付けた方が良さそうね)
『(そうだな)』
口には出さず、悪魔と警戒を高めた。
更に伏兵まで居たのか、後ろからも狼が現れる。
流石狼と言ったところか、上手く連携されて退路を断たれたようだ。
(戦う用意、しといて)
『(俺の契約者はよく物を落とすからな。何時でも用意はしている)』
悪魔の能力はあまり使いたくないが、高位の魔物相手にはそうも言ってられない。
手下が伏兵合わせて十体、勝てるかどうかはギリギリのライン。
更に悪いことに今日は満月、狼系の魔物にとっては絶好の戦闘日和だ。
奇襲に失敗した以上、撤退も手か。
「MASDは我々と戦争をするつもりか?」
「戦争? どういうこと」
「奴らの命令では無いのか……成りたての退魔師か?」
どうやらこの狼男は、本当に話し合うつもりらしい。
(どう思う?)
『(わからぬが、成りたてと言うことにして情報を集めるのが良いだろうな)』
(わかった)
確かに相手が話してくれるというのなら、それに越したことはない。
「……ええ、そうなのよ。魔物と退魔師は敵対しているものだと思っていたのだけど?」
「敵対しているのは確かだ。だが、お互いの利益が合えば条約を結ぶこともある。例えば……俺達が退魔師と敵対せず、むやみに人を殺さない代わりに――街を一つ、生け贄にしたり、な」
「生け……贄?」
「この街、エスニシティーは俺達魔族の物、と言う事だ。分かったらすぐに出ていくがいい」
狼男が前に出る。
私の頭は、真っ白になっていた。
「街一つが、生け贄……」
燃える町、お腹を食いちぎられた人間、助けを呼ぶ声、なかなか来ない助け、出ることの出来ない結界――。
『(敵の嘘、罠かもしれん。相手も陣形を整えているし、今回は話に納得した振りをして一旦引いた方が良い)』
「MASDが魔物と手を組んで……そんな……」
やはりあれは、仕組まれた――。
『(おい? 弥す……――弥珠朱!)』
「それとも……こいつ達と遊んでいくか、可愛いお嬢ちゃん?」
「あっ……」
いつの間にか私の後ろに回り込んでいた狼男が、私の腰の辺りを抱き寄せた。
ゾワワッと鳥肌が立ち、それで逆に正気に返った。
ビルに響く犬系特有のハッハッと言う呼吸音が、お尻に当たる硬い感触が、とてつもなく気持ち悪い。
「そろそろ繁殖期も終わるからな」
そうか、狼の繁殖期は確か冬だ。
狼男も、その配下の狼も、魔物であれそれは変わらないらしい――なんて、考えている場合じゃない。
どうにか逃げ出せないかと、隙を伺う。
最終的には実力行使しか無いが、出来ればそれはしたくない。
次に襲う時、対策を練られてたら厄介だからだ。
なるべく穏便に帰りたい。
「退魔師が彷徨いているなら、今のうちに増やしておかないと……ん?」
すると、握り拳程の石が何処からとも無く飛んできて、狼男の頭にコッと直撃した。
基本的に魔物は――明確に壁として作られたものを通り抜ける事はできないが――銃弾だろうと矢だろうと石礫だろうと物に当たることはない。
銀の銃弾であるだとか、十字架や聖水であるとか、色々例外もあるが……今回は私に触れていたから物質に干渉されたのだろう。
大したダメージにもなっていないが、隙は生まれた。
見えないように狼男の後ろ、背中側へ無言で手を伸ばす。
抱きしめ返すようで気持ち悪いが、背に腹は代えられないと言う奴だ。
瞬き程の時間で、悪魔が音もなく影から出した剣を受け取った。
「そ、その女の子から離れろ化け物!!」
震える程勇ましい声と共に現れたのは、石を二つ両手に持った状態で、さっき私が入った入り口から飛び出してきた少年だった。
「成る程、こっちが報告にあった素人の少年か……。見られては仕方ないな、殺れ――」
狼男が出した命令によって、少年の近くに居た二匹の狼が向きを変え、低く唸り声を上げながら少年へとゆっくりと向かっていく。
包囲網が崩れた、これで逃げる事ができる。
(逃げるわよ)
『(いいのか?)』
(一般人を見捨てれないわ)
短く作戦を練る。
狼の速度に人間の足では勝てないだろう。
隙を突いて、タクシーなりなんなり、車に乗せるしか無い。
最悪、人通りの多いところへ出ると言う事もできるが、この街が生け贄だと言う以上効果が無い可能性もある。
もし被害が出たら……と思うと、その作戦は取れない。
「ハァッ!」
背中側から思いっきり狼男に剣を振りぬく。
結果の確認すらせずに、少年の方へと走った。
追い抜きざまに一匹を切りつけ、もう一匹を蹴飛ばし、剣を自分の影へ投げ込む。
『やれやれ、酷い扱いだ』
悪魔が何やら文句を言っているが、構う暇はない。
ついでにとばかりに悪魔が煙幕のでる花火を投げたのだから、剣を投げ込んでも問題はなかったのだろう。
「えっ……」
呆けている少年の手を取る。
後ろで狼男が「追え!」と喚いているのが聞こえたが、気にせず夜の街へ走り出した。
一段落