インターミッション 4.5
ローゼ・アイリス・バックス・スパイ
帝国統一歴709年1月某日 マリーエン軍令本部参謀部作戦室
珍しく・・・マリーエンの軍令本部参謀部にて執務中のノエルが、居並ぶ幕僚達に各方面への戦略指示を出していた。
どうしてこれが珍しいかと言うと、実のところ・・・ノエルは滅多に軍令本部に姿を現さない軍令長官として、既に星系軍界隈では有名であったからだ。
だから参謀部の幕僚達は、皆揃ってこう言うのだ・・・。
"シン・軍令長官"を捕まえるには・・・"コツと、カンと、テクニック"が必要なのだと・・・。
更には、軍令長官の居場所を突き止めるのが、幕僚としての最初の仕事なのだとの話さえもちらほらと・・・。
そんな"隠れキャラ"扱いされているノエルも、今日に限っては普通にそれっぽい作戦進捗状況の確認を参謀部幕僚に対して行っている。
ドラコ・プトレマイス方面の担当幕僚が報告する。
「予定通り"皇帝勅使"による両軍への停戦勧告は致しましたが、これも予想通り両軍から"ガン無視"されています。・・・本当にこれでよかったので?」
ノエルは少しだけ笑いながらもその疑問に応じる。
「いいんだ。マリーエンブルクは"そちらを気にしてますよ"と言う・・・まあ一種の"アリバイ作り"に過ぎないんだから・・・。無視されるで上等!本番は・・・これからさ」
次いでメロヴィング方面担当幕僚が報告する。
「メロヴィング領では、極秘で何やら開発を行っているのは間違いないのですが、その詳細については情報局のエージェントが総出で探っているにも関わらず、少しも明らかになりません」
ノエルは少し思案したのち、彼に対して指示を出す。
「・・・恐らく、前の"ペレリアンドの破滅"を踏まえた対抗策と言うのが妥当な線なんだろうけど、もしそうであれば・・・その方向性的には現在の技術を超える"ヒト"か"モノ"か"その両方"だろうな。・・・もう少し時間をかけて情報局に探らせよう」
最後にロタリンギア方面の担当幕僚が報告する。
「こちらは指示あった通り、旧ファルツ領に一番近いマリーエンブルク領との接続領域で大規模演習を実施中です。ただ相手も十分警戒して守りを固めていますので、それ以上の作戦行動はとれないと思います」
これにもノエルは少しも気に留める様子もなく返答する。
「それで全く構わないんだ。他の星系領は皆、マリーエンブルク星系軍がもはや軽々とは動けないことは百も承知なんだ。狙いは先方の注目をこちらに集める事・・・それで今は十分なのさ」
そしてノエルは、参謀部での情勢検討を一旦終了させて皆休憩をとることにする。
それぞれが休憩に向かう少し前、ノエルはマテウスにだけ軽く声をかけた。
「クローネンバーグ少佐、前に頼んでいた資料があったろう?後で休憩室まで届けてくれないか?」
・・・そしてマテウスがノエルの待つ休憩室に現れた時、そこにはヴァネッサも居て既に席についていた。
ノエルがマテウスに報告を促す。
「フロランスでは、ネウストリア伯爵と結託するロジェ軍令長官が、両者示し合わせてロレーヌ宮殿付近で混乱状況を作り出し、その騒ぎに乗じて現宮中伯家を排除する計画です。・・・ですが、その対処はテオ殿が上手く行うでしょう。エルフ組の秘密兵器もありますので心配は無用かと・・・」
ノエルがそれ以後に予想される、事態推移の誘導について指示を出す。
「先ずは、カール殿他宮中伯家の安全確保した上での逆襲になるな。反乱派の動きを利用してこちらは一気にそいつらを潰す!・・・だが肝心なことは、それらはあくまでもロタリンギアの手で成し遂げたように見せかけることだ。・・・多分自分たちで直接やる方が早いと思うけど、面倒でもその手順は省けないんだ。・・・その仕込みは?」
そのノエルの言葉を受けて、ヴァネッサが"仕込み"について報告する。
「ジョアンが作戦"ジャンダルム"を実行する予定です。あとはバルド達でしょうか・・・。いずれにしても我々が表に現れることはないでしょう」
ノエルとマテウスは、その計画案に納得して共に頷いた・・・。
それから少し後 ロレーヌ宮殿カール宮中伯の私室
親衛隊に所属する保安局少佐が、一名の人物をカール宮中伯の待つ私室に案内する。
「モンタギュー中佐をお連れしました。武器等の携行は一切ありません」
宮中伯の私室は、マホガニー造り壁一面に精巧な細工が凝らされた装飾で飾られており、流石趣味人としても有名なカール宮中伯のセンスの良さが見て取れる一際豪華な部屋であった。
案内役の保安局少佐が退出し、モンタギュー中佐ことテオは宮中伯カール・ドゥ・ロレーヌの前に跪き丁重に挨拶を述べた。
「・・・宮中伯殿下には、ご機嫌麗しく・・・」
その挨拶を途中で遮るかの如く、カールはモンタギューに話しかける。
「其方・・・。声は確かにモンタギューであるが、その仮面の下は別人だな・・・。そもそもモンタギューは猪武者で、先ほど見せてくれたような洗練された事態の収拾など出来はせぬ。・・・其方はいったい何者だ?」
どうやら、カールは宮殿前広場での出来事を粗方承知しているようだ。
テオは跪き俯いたままカールに返答する。
「恐れながら・・・今は名を明かすことは出来ません。どうか失礼をお許しください。ただ・・・私共は殿下に敵対する者ではない、とだけはお誓いします」
カールはその返答を予期していたかの様に頷いた。
「・・・なるほど。今は尋ねても詮無きこととな。・・・して、其方からの提案とは?」
テオはカールに進言する。
「オーギュスト・ドゥ・ネウストリア伯爵とペレアス・ドゥ・ロジェ軍令長官、両名に対する大逆罪での拘束命令を・・・」
カールは力なく寂しげに笑う。
「ネウストリア伯はもとより、ペレアスの裏切りも承知していた・・・。あの両名は密かに時間を掛けてこのロタリンギアを内部から食い荒らし、我がそうと気づいた時には・・・もう既に多くの貴族達があやつらに組していた。結局エレギオン戦役での敗戦とは、あやつらが行動を起こす口実に過ぎなかったのだ・・・。今や保安局で我に忠誠を誓うのは、もうこの宮殿の親衛隊しかおらぬ。・・・大逆罪であやつらの拘束命令を出そうとも、いったい誰がそれを実行できる?」
それでもテオはカールを力づけるよう言葉を継ぐ。
「・・・必ずしも、そうとは限りません。大切なのは・・・殿下がご自身の意思を明確にする事なのです。されば・・・必ずやその意を受けて行動する者たちがいます。そしてそれに続く者たちも・・・」
・・・その会話の後にテオは部屋を退出し、暫くしてカール宮中伯は親衛隊の隊長を私室に呼び寄せた。
そして先に自ら書き上げた″ネウストリア伯爵とロジェ軍令長官およびその一派に対する大逆罪に基づく拘禁命令書″の写しを手渡した。
親衛隊隊長がその命令書と宮中伯を茫然と交互に見つめ、・・・及び腰気味に尋ねる。
「殿下・・・。今現在・・・またもや群衆が再び多数現れて、既にこの宮殿に迫りつつあります。今更この命令を実行しようとしても・・・」
「そうだな。あやつらはこの好機を逃すはずはないだろう。しかし・・・少なくともモンタギューは一緒に行動してくれるそうだ。そしてそれに続く者たちも・・・。いずれにしても、我らはこの危機を乗り越えねばならん。・・・ピピン!」
部屋の隠し扉の奥から、ペレグリン(ピピン)伯太子が現れた。
カールは伯太子に確認する。
「ピピン。お前は最初からこの場のやり取りをずっと聞いていたな?・・・モンタギューが何を準備しているか知らんが、無力な我らは今はそれを信じるしかないのだ。・・・しかしもし、それが達成されたなら、・・・次こそお前がこのロタリンギア領を立て直す番だ!確と心せよ!」
ピピンは父である宮中伯の前にさっと跪く。
「はい!父上・・・いえ宮中伯殿下!必ずや私の手で!」
親衛隊隊長が去り・・・ピピンはカールと二人っきりになると、再びカールに尋ねる。
「・・・それにしても、彼はいったいどこの誰なんでしょう?どうやって・・・どうしてここにいるのか・・・」
カールはさして気にも留めず、うわの空で返事をする。
「・・・いくら考えても詮なきことだ。しかしそうだな・・・こんな誰の得にもならない厄介ごとに首を突っ込みそうな御仁は、あの・・・いつだって奇想天外で、まるでその行動が読めない″元平民”皇帝陛下ぐらいなもんだろうよ・・・」
そしてその同じ頃 現ロタリンギア領旧ファルツ家の主星ノヴァ・ブレーヌ 荒鷲の宮殿
今日もオーギュスト・ドゥ・ネウストリア伯爵は、いつもの様にワイングラスを片手に陪臣と談笑している。
千年ほど昔、当時のロタリンギア宮中伯と旧ファルツ領の領有をめぐり争った結果敗れたネウストリア伯の先祖は、″選帝侯″を手放す代わりに旧ファルツ家の主星ノヴァ・ブレーヌと、ファルツ家に代々伝わる荒鷲宮殿の所有が宮中伯から特別に認められた。
星系領主による星系支配制度の例外とも言えるこの措置は、彼の"ファルツ継承戦争"後まだ収まりのつかない旧ファルツ家に繋がる貴族達への融和策として実施されたのではあるが、結果的にはこの主星ノヴァ・ブレーヌと荒鷲の宮殿は、旧ファルツ家に繋がる貴族たちによる終わりなき分離独立運動の根源地となっていた。
その中心人物であるオーギュストは、ワイングラスを片時も手放したことがない熱烈なワイン愛好家であった。
ネウストリア家の紋章である″ブドウ蔦蔓にグラス″と、オーギュスト自身の度外れたワインへの執着振りにより、彼は陰では″酒神″と呼ばれている。
その酒神が周りに侍る陪臣たちに問いかける。
「そろそろ・・・ペレアスの奴が後を引き継ぐ頃ではないか?現地の情報はどうなっている?」
星系軍連絡担当の陪臣が返答を行う。
「当初の予定通り、宮殿への突入は開始されるとだけ。・・・流石にこの距離ですので、詳細は後から届く報告を待たねば判然としません」
オーギュストは、その返答に不本意ながらも同意しつつ零す。
「我が派に属する貴族たちは皆、他領との境界領域と首都星系周辺宙域に全て出払っているからな・・・。ノヴァ・ブレーヌとこの宮殿に残る部隊数が些か心細いが、これも已むをえまい・・・。何しろこの数時間で、千年来となる・・・我らの悲願であったファルツ領の独立が成し遂げられるのだからな・・・」
作戦担当の陪臣がオーギュストに追従する。
「ここまで来れば、もはや邪魔は入りますまい。ロジェ大将が"こと"を成し遂げれば、我らは境界領域に派遣中の艦隊で直ちにロタリンギアとの母星系接続領域を封鎖し、全星系に対して"ファルツ公爵領復活"を宣言するのみですから・・・」
オーギュストは満足そうに頷き、手にしたワイングラスを掲げる。
「ようやく・・およそ千年の時を経て、我らは再びファルツ家の栄光を取り戻すのだ!・・・少し早いが・・・諸君とこの寿ぎを分かち合おう」
居並ぶ陪臣が声を揃える。
「ファルツ公爵領の復活を祈念して!オーギュスト"公爵"殿下に・・・万歳!万歳!万歳!」
オーギュストはワインの美味と多幸感に包まれつつ、一気にグラスのワインを飲み干した。
さて・・・多分それらと大きくは違わない頃 某星系の某所
変人は、親展で正確に最短時間で届いた通信を読みながら溜息を吐く・・・。
「どうして・・・私がここにいる事がわかったんでしょうね?さては・・・私が少し前に行った"差し出口"に対する"仕返し"ですかね?・・・"逃がしはしませんよ"とか?」
変人は通信を読み進める。
「ふむふむ・・・"ジャンダルム"ですか・・・。あんな短い時間で良くもそんな仕掛けが出来たもんですね。いやはや・・・やはり彼女は侮れませんね」
変人は考える。
「しかし・・・まあ、私も"やられっぱなし"と言うのは趣味ではありませんので、少しだけ複雑化と言う"試練"を追加してもよろしいのでは?と・・・」
変人は一人頷く。
「・・・そう、これはあなたの能力を更に引き上げる課題なのですよ。これくらい乗り越えられなければ、私もあなたを認めるわけにはいかないのですから・・・」
変人はそのような思考自体が、世が世であれば"ぱわはら"等に該当するとは思いもよらず、嬉々として"彼女とのゲーム"に没頭するのであった。