第2章 やっぱり、おまえは死んでいる その2
家の前で、僕はいったん立ち止まった。
そこから見る我が家に特に変わったところはない。
ただ、門の扉が開けっ放しだった。玄関のドアも開いている。うちは両親と兄貴の四人家族だ。この時間なら専業主婦の母親は家にいるはず。
「無用心だな、まったく」誰に言うともなくつぶやいた。
きっと母親は僕の顔を見て怒り出すだろう。なんだってこんな時間に帰ってきたんだ、学校をサボったのか、って具合に。
そしたらはっきりする。僕が死んでなんかいないって事が。
大きく深呼吸をすると、門の中へ一歩踏み込んだ。
すると突然、家の中から何か黒いものが飛び出してきた。その黒いものは一直線に僕の足下に近づくと腰の辺りにじゃれついてくる。
「ゴロー、そうだ、おまえがいたんだ」
ゴローはうちで飼っているミニチュアダックスだ。全身真っ黒で、眉の部分だけが茶色い。いわゆるブラックタンってやつだ。
激しくじゃれついてくるゴローの背中を、いつものようにグシグシと撫でてあげた。はっきりとした毛の感触が手に伝わってくる。
この手触りは、生きている動物の感触だ。ゴローは生きている。そして僕も。
安心したら力が抜けてきた。地面にしゃがみこんでゴローを抱きしめる。それから、あたりを見回して桂木天音の姿を探した。
「見てみろよ。ちゃんとゴローに触れてるだろ。やっぱり、僕は生きてるんじゃんかよ」
ところが、さっきまでウザいくらいに僕につきまとっていた彼女の姿は、どこにも見当たらなくなっていた。
「なんだよ。自分が不利になったらバックレかよ」
空に向かって叫んでみたが返事もない。
何もない空中を見上げながら思った。
(よく考えたら、あの子は幽霊なんだよな。結構可愛かったけど、お坊さんでも頼んで成仏できるようにお払いしてもらった方がいいのかな)
ゴローを抱き上げると、玄関の中に入った。
とてもじゃないけど、これから学校に戻る気にはなれない。なんとか母親をごまかして今日はこのままサボることにしよう。
どういう言い訳をしようか考えながら中の様子を伺う。
すると、居間のほうから変な声が聞こえてきた。
「うっ、うっ、うっ」
母親の声だ。
あわてて居間に向かった。
そこで見た光景に、僕は思わずゴローを抱える手を緩めてしまう。運動神経のいいミニチュアダックスは、器用にカーペットの上に着地してワンと吼えた。
居間にいたのは黒い和服を着た女性だった。彼女は、胸と同じくらいの大きな写真たてを抱えて泣き崩れている。見慣れない格好なんですぐにわからなかったけど、和服の女性は母親だった。
それだけじゃない。居間には白い棚のようなものが置かれている。その棚は色とりどりの造花で飾られていて、急ごしらえの祭壇であることがわかった。
母親の肩が小刻みに震える。
「……何で、何で死んじゃったの……」
普段の彼女から想像できないようなか細い声だった。
僕は震え続ける背中に駆け寄って叫んだ。
「僕はここにいる、死んでなんかいないよ!」
―――しかし、母は僕の叫び声にまったく反応を示さなかった。
それだけじゃない。
駆け寄って彼女の肩に乗せようとした僕の手は、見事に空を切っていた。
(……やっぱり……僕、ホントに……)
「これで納得したやろ?」
背後で、桂木天音の声がした。
振り返ると、彼女の身体が壁のハト時計と並ぶように宙に浮かんでいる。その声にも母親はやっぱり反応しなかった。
自分の体に半分以上重なった母親と宙に浮いた桂木天音を交互に眺めながら、僕はゆっくりとうなずいた。
もう認めざるをえなかった。
どうやら、僕はホントに死んでしまったらしい。
桂木は目をそらすと小さくため息をついた。
「死んでしもうたモンは、しゃーない思うねん。ウチなんか、この世には何の未練もないしな。けど、遺した家族を見るちゅうんは結構凹むんよ。せやから、ウチもできるだけ家には戻らんようにしてるし、下条くんが家に帰るいうのも反対やったん……自分、大丈夫なん?」
そう言って黙りこんでいる僕の顔を覗き込んでくる。どうやら彼女は、単にうるさく付きまとっていたわけじゃなく、僕のことをあれやこれやと心配してくれていたらしい。
大丈夫?
大丈夫だって?
「ハハハ、ハハ、大丈夫に決まってるじゃん」
僕は立ち上がって、自分に言い聞かせるように笑ってみせた。それでもまだ彼女は心配そうな表情をしている。
「そやけど、ビックリするやろ。ウチかて死んだってわかったときはごっつい動揺したし」
「そりゃ桂木さんはそうだったかもしれないけど、僕の場合は自殺なんだろ」
「うん、まあ、そうやけど」
「なら、ビックリすることもないじゃん。さっきだって死ぬ気満々だったし。むしろ、よく死んだって褒めてやりたいくらいだよ」
そうだ。
僕が死んだのには理由がある。
僕をいじめていた連中に反省してもらうためだ。僕は、僕の意志で死を選んだ。それは必要なことだったんだ。でも……
かたわらで泣き崩れる母親を見ると、チクリと胸が痛んだ。