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第4章 眠り姫と亡者 その6

 突然、犬の吼え声が聞こえた。


 この声は、ゴローだ。


 視界を覆っていた手が離れる。目を開けると、ブラックタンのチビな犬が思いっきり黒い人影に向かって吠え掛かっていた。


 それから、そのそばにもう一人。


「セージ、しっかりしいや!」


 桂木天音だった。おせっかいで口が悪い、元同級生の幽霊だ。


「こいつらは『亡者』いうんや。負の感情に魅かれて、霊力を吸いに来よんのよ。霊力を吸い尽くされたら、あんたまで亡者になってしまうで」


 なんとなく気がついていた。


 この黒い影は、もともと僕と同じような幽霊だったんだ。


 死んで幽霊になった人間は、四十九日のうちに未練を清算すれば成仏できる。それがゴースト・ルールNo4だ。僕は、ずっと疑問に思っていた。


 じゃあ、清算できなかったらどうなるんだろう?


 きっとその答えが、こいつら亡者なんだ。


 四十九日すぎて成仏できなかった幽霊は、心残りをかかえたまま未来永劫にこの世界を彷徨い続ける。そのうちに人間だった頃の記憶をなくし、世の中への恨みつらみだけがその魂に刻まれて、ただひたすら道連れとなる弱い魂を捜し求める黒い影になる。


「やっぱりそうか……そうじゃないかと思った」


「何のんきなコト言うてんねん。こいつらを追い払うにはな、負の感情の反対、楽しいこと嬉しいことを思いだすんや。プラスの感情で心を一杯にしたら、こいつらは逃げていきよる」

「それは……無理だよ」


「なんでやねん」


「アマネちゃんだって言ってたじゃないか。僕は学年でウワサのイジメられっこ、光が丘中に何百人いる男子の中で一番のガッカリ君だって。僕には、いい思い出なんか一個もない。心を一杯にできることなんか、なんにもないんだよ」


 今僕の中にあるのは、僕をイジメてた連中への恨みだけだ。そして、それはどう考えたって消せるはずがない。つまり、僕は未練を清算することなんかできない。


 たぶん遅かれ早かれ、僕はこの黒い影の仲間になるしかないんだろう。


 桂木天音は顔をしかめた。


「ウチそんなこと言うてへん……こともないけど……なんや、自分そないなこと根にもっとったんかいな」


 僕は続けた。


「僕が自殺した理由さ、みんなを反省させたいみたいな綺麗事言っただろ。あれ、全部ウソなんだ。ホントはアイツらが憎くて、復讐したかった。でも、笑っちゃうよな。それすらも全然うまくいかないんて……もうサイテーだ。アマネちゃん、ごめん。たった二人の地縛霊同士助け合おうなんて言ったけど、僕は君のお荷物にしかならない。僕なんか、こいつらと一緒にいるほうがお似合いなんだ」


 ふと手を見ると、徐々にその色合いが薄い灰色に変わりつつあった。


 霊力が吸われて、僕も「亡者」になりつつあるんだろう。


「アホ言わんといて!」


 突然、大阪弁の怒鳴り声が響いた。


 びっくりして桂木天音の方を向くと、幽霊少女の目から涙があふれていた。


(なんで?)


 彼女は泣きながら、僕に近寄ってくる。


「セージはうちのお荷物なんかやない。いくらウチの口が悪いからって、言葉尻捕らえてヘンにすねるなんてヒキョーや」


 すると、僕にまとわりついていた亡者たちは新しい獲物にも手を伸ばしはじめた。


「こっちに来ちゃダメだ。アマネちゃんまで巻き添えになっちゃう」


 僕の声を無視して、彼女は全身を覆った黒い影の中から僕を引きずり出そうとした。亡者たちは「待ってました」といわんばかりに女子中学生の細い身体に絡みつく。


 たくさんの黒い腕に体中をなぶられながらも、彼女は僕から離れようとしなかった。彼女の白い腕が黒い影の中から僕の腕を探し当てる。


 桂木天音は僕の両手を握りしめて言った。


「ウチかてセージとそんなに変わらへん。生きてるときはちっとも楽しいことなんかなかった。ツレの一人もおらんから、昼休みは毎日屋上で読書やで。そんなんやから、死んで屋上の地縛霊になった時も、『なんや、また屋上かいな』ちゅうくらいなもんや。いい思い出なんか一個もない」


 喋りながら、幽霊少女は均整の取れた顔をゆがませる。彼女の霊力も、僕と同じように亡者たちに吸い取られているはずだ。


「……アマネちゃん……逃げて……」


 思いっきり彼女を突き放そうとしたけれど、僕の腕にはもうそれだけの力は残っていない。力なく伸ばした両腕を、桂木天音は離そうとしなかった。


「そやけどな、あのとき、ものごっつう嬉しかったん。セージ言うてくれたやんか。屋上でヒマやて文句たれとるウチに向かって、『つきあって死んでやろうか』って。ホンマ、人が死ぬ言うてるのを喜ぶなんてウチもそこまで堕ちてしもうたかって真剣に悩んだわ。でも、しゃーないやん。心から嬉しかったやもん。あんときのことを思い出したら、ウチのうっすい胸なんか、一杯でも二杯でもすぐ満タンになるちゅうの!」


 彼女の叫びが、今にも消えそうな僕の意識をつなぐ。辛うじて保たれた視界の中で、僕は不思議な光景を目の当たりにした。


 黒い影に体中を覆いつくされた桂木天音の胸が、微かに光りはじめる。


 その光は徐々に彼女の中に広がり、やがて金色の光の束になってあたりにあふれ出した。


 彼女から放たれた金色の光で、夕暮れの河川敷がまるで昼間のように明るくなる。


「そやから亡者と一緒がいいなんて言わんといて。ウチと一緒に、学校に帰ろう」


 金色の光に貫かれると、僕の胸は鈍い痛みを放った。


 痛いけれど、どういうわけか、イヤじゃない。


 むしろ、心地よい痛さだった。


 しかし、亡者たちは金色の光を浴びるのがツライらしい。悲鳴のような叫び声をあげて、次々と僕ら二人の体から離れていく。


 あっという間に、辺りから黒い人影はいなくなっていた。


 亡者から解き放たれて崩れ落ちそうな僕を、アマネちゃんがしっかりと抱きとめてくれた。


「この光どうしたの? キミ、もしかして本当に天使?」


 光り輝くアマネちゃんの胸の中で、僕は息も絶え絶えに尋ねた。


「んなんあるわけないやろ。これはいわゆるオーラってヤツや。ええ気持ちの時は、きれいなオーラが出るし、悪い気持ちの時は気味の悪いオーラが出る。セージかて、ちょっと練習すれば出せるようになるで」


「……アマネちゃん」


「亡者は、このきれいなオーラが苦手やねん。そやからセージは亡者とちゃう。こっち側や」


 桂木天音は、そう言うと涙目のまま微笑んだ。


「前にウチら幽霊のこと、ラップの端っこにくっついてるセロハンテープや言うたやろ。確かに救いようのない例えやけどな。ウチら一生懸命くっついてるやん。そやから、一緒にがんばろ。最後まで、しぶとくくっついとったらええやん」


 彼女と繋いだ僕の両手に金色の光が移り、灰色だった腕が肌色を取り戻していく。


 桂木天音が、いや、他の誰でもいい、誰かが僕のために泣いてくれるなんて思ってもみなかった。ましてや、危険を顧みず僕を助けてくれる人がいるなんて……


(僕は、亡者にならなくてもいいんだろうか?)


 桂木天音の放つ金色の光に包まれながら思った。


 あいつらは、人間としての意志のかけらもない文字通りの化け物だった。


 ただ、憎み、ねたみ、悔やむ気持ちの集合体だ。


 さっき自分は亡者と一緒にいるのがふさわしいなんて言ったけど、いくら死んだ後だからってあんな化け物の仲間になるなんて考えただけでも背筋が寒くなる。


 そんな風に思えるのは、この温かな光のおかげかもしれない。


(よかった。僕はまだ、僕でいられるんだ……)


 ホッとすると同時に、意識がまた遠くなるのを感じた。


 この感じには覚えがある。


 きっと霊力切れで、学校の駐車場に戻るんだろう。たぶん僕の霊力はとっくに底をついていたけど、亡者につかまれていたせいで戻るに戻れなかったんだ。


 一刻も早く駐車場に戻った方がいい。


 でも僕は、重くなっていく瞼を開けていようと精一杯目に力を込めた。


 桂木天音の姿を一瞬でも長く見ていたい。


 目の前で光り輝く彼女の姿はそのくらい、もうこの世のものとは思えないほど、美しかったんだ。

                             四十九日まであと四十三日


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