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最終幕 竹生島再宴

寿永2年(1183年) 六月 近江 竹生島


 全てはここから始まったのかもしれない。

 知章はふと思うことがある。

 あの時、経正殿と共にここの来なかったらどうなっていたのだろう?

 そう思うことがある。

 その時は、二人ともこの地に立っておらず倶利伽羅峠で屍をさらしていたかもしれない。

 安宅合戦の後、越前・近江と落ち延びた平家軍は落ち武者狩りや逃亡などで三万まで討ち減らされながらもここまでやってきた。

 倶利伽羅峠を中心とする一連の合戦で平家は棟梁を討ち取られるという大敗北を喫し、東海や近畿の勢力に動揺と策謀が走っていた。

 後白河法王は平家に見切りをつけて何かを策謀しだし、比叡山や奈良の僧兵共は反平家の旗幟を鮮明にしだしていた。

 東海の武士達は鎌倉の源頼朝の方に雪崩をうってよしみを通じているという話もあり、朝廷を動かす藤原官僚群は平家の指示に従わなくなっている。

 六波羅の平家街では、福原への疎開も始まっているという。

 京都は守るに適した場所ではあるが、東と南からの同時攻撃には耐えられないので清盛が作りし都、 福原まで落ち延びて体制を立て直そうというのだ。

 京都を捨てる。

 それは、もはや平家が政権を維持できないことを露呈していた。

 けれども兵はまだ残っている。

 西国の兵もかき集めればまだ戦える。

 知章は対岸を見つめる。

 夜の灯りは二ヶ月前に比べて少ないが生死を共にし平家に忠誠を尽くす侍達の灯り。

 知章は灯りに背を向けて古びた社に向けて歩き出す。

 始まりがあるのなら、終わりがなければならない。

 その終わりもやはり、この社から。

 居るのは知章を含めて三人だけ。

 経正とこの社の神様だけ。

 二人とも公達装飾で、神様も捧げられた唐物の絹を纏いし姫君姿で。

 違うとすれば、唐物の絹を赤々と染めた射抜かれた血の痕のみ。


「長かったと思うこともあるが、わずか二ヶ月ほどの出来事なのだな」


 ゆっくりかみ締めるように経正が呟く。


「そろそろ、話していただけませんか?

 貴方は何者なのです?」


 それは確信に満ちた言葉。

 胡蝶は人ではない。

 でも、神でもない。


「それを聞いてどうするのです?」


 胡蝶の言葉は神々しく聞こえるが、今ならば分かる。

 それは拒絶であり、失う事を恐れる怯えだと。


「貴方は人に近すぎる。

 泣きもするし、笑いもする、人を祟りもすれば人を愛しもする。

 元は、人ではなかったのか?」


 経正は淡々と自分の考えを伝える。

 だとしたら、彼女が現れたのは恨みを晴らすだけではない。

 それを理由に知章に会いに行きたかったのだ。

 たった一夜の宴を忘れられずに。

 忘れられた己の為に流した涙の暖かさが忘れられずに。

 呪いを作りて悠久の束縛を振りほどくほどに。


「だから、それを聞いてどうするのですか?

 神でもないかもしれない。

 けれどももう人でもないのですよ。私は。

 物の怪でも構いませぬ。

 それでよろしいではありませぬか」


 この敗走は胡蝶にとってとても楽しかったのだろう。

 祟れらる怖さ、祭られる喜び、戦における人のありとあらゆる汚さ醜さ。

 その全てを知章と共に味わえたのだから。

 だから、これはあの宴の続き。

 そして、その宴はようやくその幕をおろすということ。


「いや、胡蝶は人だよ」


 知章の言葉に固まる胡蝶。

 始まりがあるならば終わりは当然やってくる。

 祟りをなした物の怪は神として祭られ封じられる。

 それはこの世の理。

 その終わりを知章は受け入れない。


「たとえ黄金の髪で狐耳で尻尾が生えて刀傷や矢傷が効かなくて、強大な式使いでも、胡蝶は人だよ」


 胡蝶の顔が歪む。

 泣きそうになるのを拳を握って必死に我慢する。

 本当にいやならば知章と経正を島から追い出してしまえばいい。

 それができぬ所にこの神になりそこねた物の怪の愚かさがある。


「だからどうしてそういう事をいうのです!

 知章様への情も既に果たしました!

 私は斎藤実盛様のおかげで呪いからも開放されました!

 もう私は、平家に何の縁も……」


「ところが、平家にはある」


 打って変わってにやけた顔で話す経正の言葉に口を封じられる胡蝶。

 それを見計らって知章がその言葉を唱えた。


「胡蝶。

 貴方を、私の……妻にしたいんだ!

 それでは駄目なのか!!」


 やけくそ気味に叫ぶ知章の告白に胡蝶が赤くなる。

 既に頬に涙がこぼれているのにとれをぬぐおうともしない。


「え、だって、そんな……」


「魅了の式でもいい!

 呪いだって構わない!

 胡蝶を愛してしまったんだ。

 神の胡蝶じゃなくて、人の胡蝶を。ね」


 落ち着いたらしく、知章の言葉の最後の口調はだんだん小さくなっている。

 知章も顔が真っ赤で下をうつむいているあたり安宅合戦より勇気のいる仕事だったのかもしれない。


「というわけだ。

 仮にも落ちぶれたとはいえ平家も貴族の一員。

 正妻に迎えるためにも君の身分を知りたい。

 前に舞いも立ち振る舞いも君は都に居たか都に居たものが近くに居たのだろう。

 祭られたのではなく、封じられたのだろう。君は。贄として。」


 耐え切れずに笑いながら経正が続ける。

 胡蝶も赤くなりながらもぼそぼそと呟く。


「わかりませぬ。

 長き時をこの島にて過ごし、己の過去すら忘れてしまいました。

 わが身がどのような前世だったのか、どのような因果でこの地封じられたのかもはや知る者もいないのでしょう」


 ああそうかと経正は納得する。

 だから、胡蝶は神に成りたかったのだと。

 神となれば、祭られるのならば、それは知章にも相応しい女となろう。

 一夜の宴を夢にさらに悠久の時を過ごす為のこれは彼女のわがまま。

 経正の顔を見て感づいた胡蝶が自虐的な笑みを浮かべる。


「お願いします。このまま、お引き取りください」


 泣きながら、震える声で、迷子が親を探すかのような声で胡蝶が二人に別れを告げる。

 だが、胡蝶の言葉に異議を申したのは二人ではなかった。


「知章殿。

 女性一人落とせぬようで、東国勢を相手にできますか!」

「左様。

 女性には押しの一つで押し通すまで。戦と一緒ですぞ!」


 いつの間にか着いた小船から鎧姿で現れるは畠山重能と小山田有重の二人。

 いや、もう一人乗っていた武者が郎党に命じて知章に鎧を着させる。


「どうぞ。知章様。

 東国では姫君を妻に娶る時にはそのまま奪い去るそうです」


 それを命じたのは平景清。

 突然の乱入者に胡蝶が怒り声をあげようとして対岸の無数の灯りに呆然とする。


「対岸を良く見られよ。胡蝶殿。

 平家三万、貴方と知章殿の恋の行方を心配しておる」


 係り火に映る限り郎党・将兵ともに竹生島を見つめている。

 将兵だけではない、対岸に残った平家一門の視線を胡蝶はいやでも感じざるを得ない。


「さて、締めはやはり知章にしてもらおう。

 実は、胡蝶殿に黙っていた事がある。

 都で公家の真似事をする前は、我ら平家も武士だったのだ」


 にやにや笑いながら経正が話す。

 つまりは……


「最初から……」


 ぽつりと胡蝶が呟く。

 そして体が震えて顔が真っ赤になる。

 それは悲しみではない。怒りだ。

 照れ隠しとも言う。


「馬鹿です!みんな馬鹿です!

 倶利伽羅峠で負けて平家は都を捨てないといけないのですよ!

 滅びてもしりませんよ!」


 胡蝶の悲鳴などもう誰も気にしない。

 そして、公達武者姿に着替えた知章が胡蝶にとどめを刺した、


「来い!胡蝶!!」


 ただ一言だけ叫び、胡蝶を抱きかかえる。

 それで、決まった。


「馬鹿です。大馬鹿です。

 いつかきっと平家を滅ぼしてあげますからね」


 泣きながら胡蝶はそのまま知章に抱きつく。

 それは恋が叶った姫君にしか見えない。


「ああ。胡蝶に滅ぼされるためにも、源氏なんかに滅ぼされてたまるか!!」


 知章の叫びに合わせて平家三万の歓声が聞こえる。

 誰もが笑っている。

 まるで戦に勝ったかのように。

 物語として最高の終わり方をして。

 またまだ困難は多いのだけどそれを語るは次の物語。


ここまで読んでいただきありがとうございました。

源平妖恋譚これにておしまいでございます。

源平合戦そのものはまだ続くのですが、二人の恋物語はこれにて。

では、またどこかで。

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