第二十一話「三人だけの秘密」
マリアナは黄金の部屋を見回した。どこを見ても美しい。黄金の壁、宝石を散りばめた天井、淡い光を放つ黄金の花。できることなら、あと何時間でも眺めていたかった。けれど。
「夜明けになれば、ここも砂の中へ沈むのですわよね」
「ああ」
ラドルフの返事で、一気に現実へ引き戻された。マリアナは頭上を見上げる。三人が落ちてきた場所はすでに閉じており、高い天井があるだけだ。
「どこから落ちてきたのでしょう」
「おそらく、この辺りだと思うけど」
ラドルフが頭上を指差すが、継ぎ目らしいものすら見えない。
「完全に閉じておりますね」
ララノヴァが携帯用の灯りを掲げる。
「上へ戻るのは難しそうです」
「困りましたわね」
「随分落ち着いているね」
「焦っても出口は現れませんもの」
「それはそうだけど」
マリアナは黄金の花を見る。
「もう少し見てから探しません?」
「探してから見よう」
「ラドルフ様までララノヴァみたいなことを」
「今回はララノヴァが正しいよ」
マリアナは素直に黄金の花から離れ、三人で部屋の周囲を調べ始めた。大きな部屋だった。壁際には黄金の柱が並び、その間には一枚ずつ異なる絵が描かれている。白い都、夜空、砂海、見たことのない森、巨大な湖、空へ向かって伸びるほど高い塔。出口を探しているはずなのに、マリアナの足は何度も止まった。
「……こちらも素敵ですわ」
「お嬢様」
「見ながら探しているわ」
「足が止まっております」
「目で探しておりますわ」
ラドルフが小さく笑う。
「まあ、壁を見る必要はあるからね」
「でしょう?」
三人はさらに奥へ進んだ。扉らしきものはない。窓もない。黄金の壁が途切れることなく続いている。
「本当に閉じた部屋なのかしら」
マリアナが呟く。
「だとしたら、どうやって造ったんだろうね」
「それも不思議ですわね」
「今は不思議がっている場合ではありません」
「はい」
しばらく調べても、出口は見つからなかった。ラドルフが最初にいた場所へ戻ろうとした、そのときだった。
「待ってください」
ララノヴァが立ち止まった。
「どうした?」
「灯りが」
手に持った小さな炎が、僅かに横へ傾いている。マリアナも気づいた。
「風?」
「ええ」
三人とも黙る。ここは完全に閉ざされた地下の部屋だ。それなのに、確かに炎が揺れている。
「向こうからだ」
ラドルフが壁際へ近づいた。黄金の柱と柱の間、そこには森を描いた大きな絵がある。近づいてみると、ほんの僅かに空気が流れていた。
「この辺りですわね」
マリアナも壁へ顔を近づける。
「お嬢様」
「何です?」
「近すぎます」
「風を探しておりますの」
「額が壁につきそうですよ」
マリアナが少し離れる。ラドルフは壁を調べていた。
「ここだけ、少し違う」
「何がですの?」
「音だよ」
軽く指で叩く。コン。隣を叩く。コツ。僅かだが違う。
「向こうに空間があるのかもしれない」
「では、扉?」
「たぶんね」
三人で壁を調べる。取っ手はない。窪みもない。ララノヴァが灯りを近づけた。
「こちらは?」
絵の中、森の中央に描かれた一輪の花だけが、僅かに壁から浮いていた。
「あら」
マリアナが触れる。
「待っ――」
ラドルフが止めるより早く、マリアナは花を押した。
カチッ。
三人が固まった。
「……押してしまいましたわ」
「見れば分かるよ」
ゴゴゴ……。
低い音とともに、目の前の壁がゆっくり横へ動き始めた。
「開きましたわ!」
「結果的にはよかったけど、次からは押す前に言ってくれ」
「努力いたします」
開いた壁の向こうには、狭い通路が続いていた。暗いけれど、確かに風が流れてくる。
「外へ続いている可能性は高そうですね」
「行こう」
ラドルフが先に入ろうとする。
「お待ちください」
「どうしたんだい?」
マリアナは黄金の部屋を振り返っていた。
「もう少しだけ」
「マリアナ」
「本当に少しだけですわ」
黄金の花、壁一面の絵、天井に散る無数の光。これで最後かもしれない。二度と、この場所へ来られないかもしれない。マリアナはゆっくりと部屋を見渡した。
「……忘れたくありませんわね」
「忘れないよ」
ラドルフが言う。
「こんな場所、忘れようとしても忘れられない」
「そうですけれど」
マリアナが足元へ目を落とした。
「あら?」
黄金の柱の根元に、小さなものが落ちている。
マリアナはしゃがみ込み、それを拾い上げた。
親指ほどの大きさの、青い結晶だった。
宝石のようにも見える。けれど、綺麗に磨かれたものではない。少し歪な形をした透明な結晶で、その内部には細い黄金の筋が幾重にも走っていた。
灯りへかざす。
「……綺麗」
青い結晶の中で、黄金だけが淡く光った。
周囲を見ると、同じような結晶がいくつか床へ落ちている。
赤、緑、透明に近いもの。色も形もそれぞれ違うが、どれも内部には黄金の筋が残っていた。壁や天井を飾っているものが、長い年月の間に外れたらしい。
「一つだけ、いただいてもよろしいでしょうか」
ラドルフが床の結晶を見る。
「落ちているものなら……まあ、一つくらいならいいんじゃないかな」
「では、ラドルフ様も」
「私も?」
「ララノヴァもですわ」
「私までですか?」
「三人で見つけた場所ですもの。一人一つです」
三人は、それぞれ小さな結晶を一つだけ選んだ。
マリアナは青。
ラドルフは緑。
ララノヴァは透き通ったもの。
どれも手のひらに収まるほど小さい。けれど灯りへかざせば、結晶の中を走る黄金が静かに輝いた。
「これなら、見るたびに思い出せますわね」
「この部屋を?」
「ええ」
マリアナは青い結晶を大切そうに握った。
「砂の下に、こんなに綺麗な場所があったことを」
*
通路は狭かった。ラドルフが先頭、その後ろをマリアナ、最後にララノヴァが続く。壁は黄金ではなく、普通の白い石へ変わっている。緩やかな上り坂だった。
「上へ向かっておりますわね」
「ああ。このまま地上へ出られればいいけど」
しばらく進む。やがて通路は階段へ変わった。一段、また一段。上へ、上へ。空気が少しずつ冷たくなる。
「外が近いのでしょうか」
「風も強くなっている」
希望が見えた。しかし、階段の先には大きな石の壁があった。
「……行き止まりですわ」
「そう簡単にはいかないね」
三人で調べる。今度の壁には、中央に大きな円形の窪みがあった。ラドルフが手を掛ける。
「動きそうだ」
力を込める。ゴッ。僅かに回った。
「重いな」
「私も」
マリアナが隣へ並ぶ。
「ララノヴァもお願いできます?」
「もちろんです」
三人で円形の石へ手を掛けた。
「せーの」
マリアナの掛け声で力を込める。
ゴゴゴゴ……。
石が少しずつ回る。
「もう少しですわ!」
最後に大きな音がして、石が止まった。次の瞬間、正面の壁に一本の隙間ができた。冷たい夜風が吹き込む。
「開いた!」
三人で壁を押す。ゆっくりと外側へ動いた。そして、夜空が見えた。
「出られましたわ!」
マリアナが外へ出る。そこは、小さな建物の中だった。使われていない倉庫のような場所。扉を開けると、見覚えのある白い街並みが広がっていた。
「ラグナシアですわ」
「ああ」
まだ街は沈んでいない。三人とも息を吐いた。
その直後。
ゴォン――。
遠くで鐘が鳴った。
「……」
続いて二度目。
ゴォン――。
そして三度目。
ゴォン――。
「戻る時間です」
ララノヴァが言った。
「ええ」
マリアナは答えた。建物を出る前に、三人は後ろを振り返る。先ほど開けたはずの石壁は、すでに元の位置へ戻り始めていた。
ゴゴゴ……。
隙間が消え、最後にはただの白い壁になった。
「……入口も分からなくなりましたわね」
「外から見つけるのは難しいだろうね」
マリアナはポケットの中へ手を入れた。青い結晶が指先に触れる。
「ラドルフ様」
「うん?」
「このお部屋のこと」
「ああ」
「誰にも言わない方がよろしいと思います」
「私もそう思います」
ララノヴァが静かに言った。
ラドルフもすぐに頷く。
「私もそう思っていた」
「黄金だらけでしたものね」
「知られれば、次の年には探し回る人間が大勢出るでしょう」
ララノヴァの言葉に、マリアナは黄金の部屋を思い出した。あの美しい場所へ、金を剥がすために大勢の人間が押し寄せる。想像したくなかった。
「では」
マリアナは二人を見る。
「三人だけの秘密ですわね」
「ああ」
「はい」
マリアナは嬉しそうに笑った。黄金の部屋も、青い結晶も、そこへ落ちたことさえ。三人だけが知っている。
「なんだか、少し嬉しいですわ」
「地下へ落ちたことが?」
「違います」
マリアナは笑う。
「三人だけの秘密ができたことです」
ラドルフが一瞬だけ黙った。それから、同じように笑った。
「それなら、私も嬉しいかな」
「でしょう?」
「ですが、まずは戻りましょう」
ララノヴァが二人を促す。
「街が沈みます」
「そうでしたわ!」
三人は慌てて走り出した。夜明け前のラグナシアを、白い門へ向かって。マリアナのポケットの中では、小さな青い結晶が走るたびに揺れていた。




