舞台の後で
――ざわめきからはもう、遠のいている。
ヒューバートの合図で夜会会場からとんずらしたオリヴィアたちは、誰かに捕まる前にとフィンの部屋に駆け込んだ。四人を護衛するのは、あらかじめランスが手配していた騎士たち。皆、フィンの傀儡政治に不安を抱いており、ランスの呼びかけに応じた者たちだった。
「さあ、ここから忙しくなりますよ」
淑女であるオリヴィアとパオラがソファに並んで座り、その向かいの席にフィンが腰を下ろす。騎士として唯一立ったままのヒューバートが、やけにテンション高く言った。
「今頃、ランス様が会場に向かわれているでしょう。本当は俺も、ランス様による後悔処刑に立ち会いたいのですけれどね、フィン殿下の護衛に付けと命じられましたので」
「兄上ならば、うまくやってくださるだろう」
フィンの言葉に、オリヴィアも頷いてみせた。
「ランス様は、わたくしたちが帰還するまでの間に陛下も説き伏せたのですって?」
「そうそう。こう言うのもアレですけど、陛下もランス様のカリスマには相当難儀していたようですからね。執務室に乗り込んだときには、ランス様は既に同胞を集めて作戦も練った後。ランス様にこんこんと説き伏せられ、陛下も早々に折れてしまったのだとか」
「元々そういう人だったからな、あの人は」
フィンは素っ気なく言う。彼は国王から父親らしいことを何一つ与えられていないので、「あの人」と何の感情も抱いていないのだろう。
ランスの側近たちが茶を淹れ、四人が疲れた体を休めているうちにランスがやってきた。ヒューバートの読みよりもずっと早い。
「お早いですね、ランス様。もしや、もう片が付いたのですか?」
「ああ。同志たちの協力もあり、現状に不満を抱いていた者たちも奮起してくれたものでな。さくさく進んだ」
そう言って、ランス王子はフィンの隣に座る。別のソファに座ってもらいたかったのだが、王子本人が「ここがいい」と主張したのだ。
ランスとフィンはやはり兄弟だけあり、顔立ちがそっくりだ。ランスの方が四つほど年上で身長も高めだが、魔王討伐の旅でフィンはぐっと逞しくなったので、体格ではフィンの方がやや勝っているようだ。
「王太子位の移行は、簡単だった。当の本人の宣言に加え、私の復位を望む声が大きかったからな。就任時の書類にも、『王太子位の移行には本人の宣言と、一定数以上の賛同者が必要』などとあった。傀儡政治をよしとしない者の方が多かったのだから、決議は一瞬だった」
「なるほど。……私たちの婚約や、オリヴィアの今後については?」
「事前に聖堂からの協力は仰いでいたので、彼らが全面的に協力してくれた。聖堂関係者からしても、パオラがフィンと婚約するというのはめでたいことだったのでな。もちろん、これを機に聖堂側の力が強くなりすぎることのないように念は推している。……フィンたちには自由に過ごさせてやりたいというのが本音ではある。だが魔王討伐後に神の力は消えたとはいえ、おまえが勇者であることには変わりない」
「……もちろんです」
フィンとパオラは頷く。二人の今後についても旅の間にしっかり話をしていたし、その結果をランスに伝えている。
「すまないな。今後、おまえたちには王城に留まってもらい、私の補佐を任せたい。おまえは政治などには明るくないと言うが、魔族を討伐した剣の腕前など私にはとうてい及ばぬ才能もふんだんに持っている。それを、今後も役立ててほしい」
「……もちろんです。私はパオラがいてくれるなら十分ですし、私を受け入れてくれた兄上の手助けができるなら、それで」
「ありがとうございます、殿下」
フィンもパオラも、「救国の英雄」と「聖女」としての役目から完全に降りられるとは思っていない。たとえいち国民として生きようとしても、二人の名誉を傷付けようとする者や、利用しようと企む者だって出てくるだろう。
それくらいならば――二人で生きられるのならば、この力を国のために使いたい。
ランスは全面的に二人の未来をサポートしてくれるのだから、次期国王の補佐といえど比較的自由に過ごすことができる。離宮育ちのフィンとしても平民出のパオラとしても、それくらいの対応がありがたかった。
ランスはゆっくり頷いた後、オリヴィアへと視線を動かす。
「オリヴィア・ウォーターズ公爵令嬢」
「はい」
「あなたの曾祖父は確かに、当時の国王の信頼を裏切ることをしでかした。だが、あなたの祖父も父も汚名をそそぐために努力してきたことを、知っている。それでも公爵家を許そうとしなかったのは――ウォーターズ家の再興を望まぬ者たちの存在があったから。父上も、かつては宰相を輩出した優秀な魔道の大家が勢力を盛り返すことを恐れていた――情けない話だな」
ランスの言葉に、オリヴィアは目を伏せる。
(……ウォーターズ家の汚名がなかなか晴れなかったのは、外部の圧力や国王陛下の個人的な判断があったからだったのね)
もし、フィンが目覚めることなく物事が進んでいたら、ウォーターズ家は没落の一途をたどっていただろう。
フィンが即位してオリヴィアが王妃となっても、ウォーターズ家は軽んじられていただろう。
もしヒューバートがランスの命令を遂行してフィンを暗殺し、ランスが繰り上げ状態で即位しても、今のように傀儡主義勢力を駆逐するには至っていなかっただろう。となると、ランスが即位しても治世は難航するだろうし、婚約者を失ったオリヴィアは宙ぶらりん状態になり――場合によっては、始末されていたかもしれない。
「あなたには、フィンと共に魔王を討伐したという偉業がある。よってその功績をたたえて今後私はウォーターズ家を重用し、あなたの弟が家督を継ぐことを援助しよう。もちろん、あなたにとって最良の結婚ができるように支援も惜しまない」
ランスが提示したのは、オリヴィアにとっては十分なことだった。
オリヴィアだって、幸せな結婚に憧れている。魔王討伐の大魔法使いとして名を馳せるのも悪くはないが、両者望まぬ婚約から解放された今、幸福な花嫁にだってなりたい。
それに、実家の再興も保証してもらえた。両親も弟も助かるのだから、家族を人質に取られていたオリヴィアは、苦しみから解放されたのだ。
(わたくしは、ほしかったものを手に入れられた)
オリヴィアはふふっと笑い、ソファに座った姿勢でお辞儀をする。
「はい。わたくしもいつか、幸せな結婚を望んでおります。素敵な殿方がいらっしゃったら紹介してくださいませ」
「そうだな。ああ、ちなみにそこにいるヒューバートも悪くない物件だと思うぞ」
「あ、それはお断りします」
「えっ」
勇者の仲間であり、「大魔女」と讃えられた公爵令嬢オリヴィア・ウォーターズ。
彼女は当時の第二王子と婚約破棄したものの、ランス王から重用されたウォーターズ公爵家の名に加え、魔法の才能と美貌を兼ね揃えており、求婚者が後を絶たなかった。彼女はそんな求婚者たちを、笑顔であしらっていたという。
そんな彼女もとうとうある男性と結婚したという。
あの大魔女を口説き落としたのはいったいどのような強者だったのか――それはまた別の話である。
これにて完結です
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