後編
そういった経緯でわたしの学院生活3年間は、学生らしいイベントをひとつも起こす事無く幕を閉じ、本日、卒業パーティーと相成った。
この国は他国とは一風異なり、王立学院の卒業パーティーが社交界デビューを兼ねる為、このパーティーは王宮で派手に開催される。
卒業生のみならず、その両親――つまりは高位貴族の当主とその妻である――が集い、更には国王及び国の重鎮たちも参加するのだ、が・・・重鎮たちの視線がざくざくと突き刺ささってくるのには辟易した。
何だ、わたしの恰好はどこかおかしいか? 今日のドレスもバージニア卿からの贈り物なのだが。濃い紫と黒という、最高に悪役令嬢らしいドレスではあるが、わたしの趣味という訳では無い。クレームならバージニア卿に告げてくれ。似合わん引っ込めという野次は受け付けん。
卒業生一同に対し国王による祝辞が述べられ、そうしてパーティーは始まった。
それと同時にあちらこちらでダンスへのお誘いが飛び交い、何故かわたしの元へも同学年の男子諸君が集って来たが、「本日は余り体調が思わしく無く・・・申し訳ありません」と一目散に壁の花へと転身したのは、流石のわたしも大イベントを目前に落ち着かなかったからである。 “病弱なご令嬢”というレッテルは思いのほか役に立つ。付けてくれた人に礼を言いたい。
言っておくが、決してダンスが不得手という訳では無い。あんなものは魔法を使えばちょちょいのちょいだ。
わたしの断罪イベントはパーティーの中盤に行われる。
ヒロインちゃんどころか、クラスメイトとすら事務的な言葉以外ほぼ交わしていないわたしが断罪される流れとなるかは不明だが、仮にゲームの強制力とやらが働き無理やりにでもその流れに持ち込まれるとすれば、あと1時間もしない内にそれは始まるのだ。
その時までは大人しく壁の花でいよう。どうせすぐに“本日の主役”という頭の悪いタスキを掛けられる事になるのだから。
そんなわたしの思惑は、無遠慮に近付いて来た無節操下半身男ことラーク卿によって台無しにされた。
よせ、フェロモンを垂れ流しながらこっちに来るな。お前を熱い目で見つめるご婦人方の方へ行け。ここはわたしの束の間の安息地だぞ。おい、勝手に手を取るな、手に口付けるな、ダンスの場に引っぱり出そうとするんじゃない!
どうしてもダンスなどしたく無かった――再度言うが不得手では無い――わたしは、彼の足を床へと固定する魔法をかけ、さらりとその場を脱出しようとしたが、掴まれた手を外すのに少々手間取り、その隙にラーク卿はわたしの耳元でこう囁いた。
「待て、褒め言葉だけ聞いていけ。センスが良いな、そのドレス。お前に良く似合ってる・・・今すぐ脱がせたくて堪んねえ」
ふむ、色魔の国ではそれが褒め言葉に相当するのか。勉強になった。しかし残念だが人間様とは相容れないようだ。一刻も早く色魔の国へ帰れ。誰も止めん。
それら全ての思いを「ごきげんよう」という一言にまとめ、外した手をぺいっと放ると、別の壁で花になり、粛々とその時を待った。
+++
「ミディア・ウィンストン! 私はお前との婚約を破棄する!」
王太子アルカディアがそう高らかに告げ、ああ、やはりわたしの断罪イベントが執り行われるのだと知った。
それと同時に、アルカディアがわたしの婚約者だったか、と思い出した。関わる事も無い上、破棄される婚約なのだからと何の興味も抱かなかったのだ。このイベントが勃発しなかったとしても、この後のウィンストン侯爵家断罪イベントはわたしが強制的に起こすのだし、そうなればどのみち婚約は立ち消える。興味を抱けという方が無理な話だろう。
アルカディアが婚約者という事は、ヒロインちゃんはアルカディアルートに突入したのか、もしくは逆ハーレムルートに突入したのか。
本来ならばヒロインちゃんがどのルートに突入するのか、悪役令嬢に転生した者のセオリーとして温かく見守ってやりたかったのだが、生憎と時間にゆとりが無かった。それだけが残念でならない。
声高に告げられた婚約破棄宣言に対し、わたしは迷うことなく応えた。
「承知致しました。ではわたしとアルカディア様との婚約関係はこれにて解消という事でございますわね。謹んでそのお申し出を受諾させていただきますわ」
アルカディアの宣言でざわめいていた広間の中が、わたしの答えによって水を打ったように静まり返った。
アルカディアはわたしを指差すポーズそのままに、ぽかんと固まっている。その周囲に集う幼馴染たちも同様だ。
本当にお前らは固まるのが好きだな。前世は琥珀に入った虫だったんじゃないのか? 今からでも遅くない、その姿に戻れ。たびたびフリーズするより最初から固まっていた方が鑑賞には適するだろう。容姿はそれなりに整っているんだ。さっさと封入されて王宮の玄関口にでも並べて飾ってもらえ。いや待て、街の広場に飾っておけば、観光客誘致の為の新たなる名物になるのではないか?
「ミディア嬢、その、思い留まるよう献言するなり理由を聞くなりだな・・・」
威厳に満ちた国王の声が、今はひたすら困惑に満ちている。折角の美声が台無しだ。
ちなみにわたしの腐った両親については、アルカディアから宣言が飛び出した瞬間に魔法で声を奪っておいた。あいつらはこのイベントの後、裁かれる時まで黙っておけば良い。
「わたしは侯爵家の人間、つまりは国に仕える身。仕える相手である王家の方より申し出されました事に、異を唱えられる筈もございません。理由を伺ったところで、王太子殿下のお気持ちは既に定まっておられるのでしょう。ならば、聞くだけ無駄でございますわね」
どうせこれは覆されないのだ。ならば早々に受け入れた方が話が早いではないか。
だがしかし、わたしの“イベントスキップ”という荒業は受け入れられなかったようだ。ゲームとして何らかの強制力が働いているのか。忌々しい。
「お前は、ここに居るルーシア嬢を虐げていた! そのように心根の貧しい女を未来の王妃に据える事など出来ない!」
そういえば、ヒロインちゃんはルーシアという名前だったか。可愛らしいな。
フリーズが解除されたアルカディアはノリノリだ。だというのに、何故か顔色が余り良くないようなのはどうした事か。嘘の罪状を述べる事に罪悪感が疼いているのだろうか? ならば言わなければ良いだろうに。
それどころか、集う幼馴染も、そしてヒロインちゃんことルーシアちゃんも一様に浮かない顔をしている。
「わたしがそちらのルーシア嬢を? お話の内容が見えませんわ。どういった事なのでしょうか?」
「とぼけるな!」
その後に展開されたのは、断罪イベントとは名ばかりの何ともお粗末なものであった。
アルカディアを筆頭に、宰相子息のゼファー、魔導士長子弟のリベラ、軍隊長子息のテンダーが次々とわたしの罪状を述べていくが、どう考えても冤罪としか言いようがないものばかりだ。
というか、うろ覚えの記憶からすると、どうもゲームの内容をなぞっているだけというお粗末さ加減に感じる。
おい、ちょっとは自分たちで考えろ。散々わたしに拒絶反応を示しておきながらこの体たらくか。落胆以外の感情が浮かばないな。
わたしはこんなものを警戒して生きてきたというのか?
笑わせるなよ小僧ども。
「婚約破棄は慎んでお受けしますが、謂れのない罪状を受け入れる事は出来ませんわね。ひとつひとつ論破すべきでしょうか?」
わたしがすんなり婚約破棄を受け入れたのだから、難癖を付けなければよかったのだ。そのまま、破棄しました、じゃあ解散! にしておけばそれで済む話だったというのに。
寝た子を起こすような真似をするその頭の悪さに、失笑を禁じ得ない。
「その必要はありません。愚かな子供達の相手は、身内である私達が行いましょう」
割って入った涼やかな声に視線を送れば、バージニア卿、エコー様、ラーク卿、そしてパーティーには出席しない筈であったセーラム様までもが集っていた。
セーラム様に熱い視線が集中砲火だ。だから出席したくなかったと顔に書いてあるな。大人しく図書室に籠っていれば良いものを。
「我が愚息達が述べた行為は、ミディには行えません。それは私共が承知しております」
「父上! 何を仰るのですか! この女はっ」
「ミディを“この女”呼ばわりとは、ゼファーはいつの間にそんなにも度胸を付けたのでしょうね? ・・・叩き潰されたく無ければ黙っていなさい」
宰相様から一切の温度を感じさせない酷薄な眼差しを向けられ、幼馴染四人衆とルーシアちゃんは青ざめ黙り込んだ。といっても、ルーシアちゃんはまだ一度も言葉を発していなかったのだが。
そこからは保護者四人衆によるわたしの擁護タイムが始まった。
擁護と言うか、彼らはただただ真実を述べていっただけとも言えるが。
例えば、ある日わたしがルーシアちゃんを呼び出し難癖を付けたという内容に対し、それはいつの事かと尋ね、正確な日付を聞き出した後、「ああ、ミディアはその日、俺と一緒に軍事訓練に参加していたぞ」と返し。
ある日わたしがルーシアちゃんを池に突き落としたという内容に、「その日のミディは、私と共に国政会議に参加していましたが?」と返し。
ある日わたしがルーシアちゃんの私物を焼き捨てたという内容に、「その日はミディアを王宮の私室に招いていたな。楽しいひとときだった」と返し。
ある日わたしがルーシアちゃんを階段から突き落としたという内容に、「ミディは、その時、僕と、魔法防壁の修理を、していた」と返す。
一事が万事、こういった調子で話が進んだ。
・・・途中から、非常にいたたまれなくなったのだが・・・確かに彼らの言う事は事実であるが・・・徐々に、自分こそがミディアと一緒に居たと主張する会のようになっていった気が・・・いやいや気のせいだろう。そうに決まっている。
更には、「お前の頭に脳味噌は詰まって無えのか?」「証拠を捏造する事すらしていないとは・・・余りのお粗末さに失望の二文字しか浮かびませんね」「こんなものが次期国王か。国の行く末が案じられるな」「・・・この、へたれ」と各々が自分の身内に容赦なく辛辣な言葉を浴びせるに至り、幼馴染四人衆の顔色は紙のように白くなっていった。
学院在籍時の、優に半分以上の時間をわたしは学外で過ごしている。在籍していたと言うのも憚られるレベルだ。
そんなわたしにルーシアちゃんをいじめる事は物理的に不可能なのだ。そんな時間はどこにも無かった。労働基準監督署の出張を望む働き人のわたしの気持ちは、学生という身分を謳歌した彼らには分かるまい。
会場内の人間は、国の重鎮たちが発する言葉に耳を澄まし、そして目は擁護対象であるわたしに釘付けだ。
ほらみろ、これが“本日の主役”だ! 誰かとっととタスキを持って来い! 斜め掛けにしてやるわ!
「だからやめてって言ったのに・・・」
遠巻きにこちらを見つめるギャラリーたちには聞こえなかっただろうが、わたしの耳は確かにその呟きを拾った。距離的には保護者四人衆にも聞こえていただろう。
声の主であるルーシアちゃんは、諦めにも似た泣き笑いを浮かべている。やはりその顔色は良くない。
どういう事かと彼女を注視すれば、エコー様がそっと声をかけてきた。
「ミディ・・・どうして、今日は、魔法を、使って無い?」
この状況でそれを聞く意味は何なのだろう?
今は魔法とは関係の無い話をしていたと思うのだが・・・しかしそう問うてきたということは、何らかの関係があるのかもしれない。
「陛下の御前で断りなく魔法を行使するのは、不敬にあたるのではないかと思ったからですわ」
連座という事になった場合速やかに逃走すべく、魔力を己に集中させているからだとは言えず、咄嗟にそれらしい理由をでっち上げた。我ながら中々の頭の回転だ。後程しっかり自分を褒めよう。・・・生きていられれば、だが。
「魔導士長の、僕が、許可する。ルーシア嬢を、探ってみて。ミディになら、分かる、はず」
そう言われてしまえば、従う他無い。
どう探るのか、具体的な指示は無かったので、ルーシアちゃんという個体の全てを暴くつもりで魔力を伸ばす。
すまない、これをやるとスリーサイズまで分かってしまうんだ。本当にすまない。絶対に誰にも漏らさず墓まで持って行くから許してくれ、と心の中で謝罪を済ませ、伸ばした魔力を彼女に触れさせた。
そうして分かったのは、ああ、これは、誰も悪く無いパターンだ、という事。
先程のルーシアちゃんの呟きは紛れもなく本心に聞こえた。という事は、この事態は彼女が望んで引き起こしたものでは無い。
「ルーシア嬢、貴女は、意図してそこに居るのでは無いのね?」
「ミディア様・・・わたし、わたしっ、ずっと流れを変えようとっ・・・ミディア様が何もなさらないから、いけると思ったんです! でも、どうしてかこんな事に・・・」
わたしの確認に対し得られた答えは、とても興味を惹かれるものだった。
ルーシアちゃん、転生者だな。うん、確実に。
ここでこれ以上話す訳にはいかないが・・・だったら友人になれたかもしれないのにという後悔の念が渦巻くのは止めようも無い。
仕事仕事で呼び出されてばかりだったせいでみすみす好機を逃していたという事か。くそっ、これは誰に当たれば良いんだ。ラーク卿の股間を蹴り飛ばしたところで、この鬱憤は晴れそうに無い。
「エコー様、これは、わたしが処理させていただいても宜しいのですか?」
「一人で、出来る?」
「一人ではありませんわ。ルーシア嬢の力を借りますもの」
「・・・わたしの、力?」
「ええ。この状況を打破するには、貴女の魔力が必要なの。でもそれと引き換えに、貴女の総魔力量は今の半分程度に落ち込んでしまうわ。それでも手伝ってくださる?」
「はい・・・はいっ! 魔力が全部無くなったって構いません! わたしはどうしたら良いですか?!」
ルーシアちゃんが期待に満ちたキラキラした目で見つめてきて、なけなしの罪悪感が疼いた。
本当はわたしの魔力を使えばルーシアちゃんの総魔力量を減らさずにやれるのだが・・・しかしわたしはここから先が本番なのだ。悪いが、わたしの総魔力量を減らす訳にはいかない。それにこれはルーシアちゃん自身の為にやる事なのだ。きっと許してくれるさ! ・・・だがこの事も墓場まで持って行こう。
ルーシアちゃんに全魔力を解放させ、伸ばしたわたしの魔力でその半量を選り分け、それを使って複雑な模様を編んでいく。
複雑とはいえ、時間にして1分もかからない程度だ。こういう事にはエコー様の補佐という仕事で慣れた。
びっしり隙間無く編み込んだルーシアちゃんの魔力を、そのままルーシアちゃんに覆い被せる。ピッタリと肌に沿わせ、一分の隙も無いように。
ルーシアちゃんの処理が終わった所で、幼馴染四人衆の目も覚まさせてやる。別に彼らは寝ていた訳では無いが、精神的な話だ。
手っ取り早く魔法で水をぶっかけてやったが、これはルーシアちゃんのように可愛い女の子でない彼らが悪いのだ。わたしをみて固まる男共に丁寧にしてやるつもりは毛頭無い。悔しかったら可愛い女子になって出直せ。
頭から浴びせられた冷たい水により、彼らの目はことごとく覚めたようだ。四人ともが、自分の行動を信じられず呆然としている。
彼らの呟きを拾ってみたところ、どうやらルーシアちゃんがいじめられていたというのは事実のようだが、だとすればそれは許せんな。いずれルーシアちゃんと話せる機会があれば、根掘り葉掘り聞き出して相手を潰してやろう。わたしは可愛い子の味方だ。
特に、同郷の可能性が高いルーシアちゃんには優しくしてあげたいとさっきからソワソワしっ放しだ。おい、うざいとか言うな。思っても言うな。へこむだろう。
そんな彼らの様子を目の当たりにし、そろそろ説明して貰えると助かると言う国王に、ルーシアちゃんの特殊な性質について語った。
エコー様も理解していたが、彼が説明すると時間が掛かり過ぎるのだ。それ故に国王もわたしを指名して説明させたのであろう。
ルーシアちゃんは、非常に稀な“常時開放型魔法”をその身に宿していた。具体的には“魅了”の魔法だ。
だがこれは非常に微力な魔法でもあった為、周囲の誰もが気付かなかった。
では何故、幼馴染四人衆がこの魔法に絡め取られたのか? それこそがゲームの強制力というものだったのだろう―――という事を口にした所で、わたしとルーシアちゃん以外の誰にも理解出来ない事は分かっていたので、単に波長が合ってしまったのだろう、という事にしておいた。
「彼らが何故全てをわたしの仕業と見なし責め立てたのかは・・・潜在意識の中で、わたしならばそういった事をしてもおかしくないと思っていたのか・・・」
「ち、違う!」
「そんな事、思っていなかった!」
「誤解なんだ!」
「信じてくれミディア!」
口々に言い募る幼馴染四人衆に、だったらつまりはこういう事だろう、と別の理由を提示してやる。
「・・・という事のようですので、つまりは彼らは、きっと心の底からわたしを忌み嫌っていたのでしょう」
「「「なっ?!」」」
「幼い頃からの知人とはいえ、親しい仲だとはとても申せぬ間柄ですので」
わたしの言葉に愕然と立ち尽くす四人衆だが、何を驚く事がある? これこそがお前らの真実だろう? あれだけわたしを前にフリーズしておいて、嫌っていないなどという綺麗事を言い出したりはしないな?
「先程、ルーシア嬢の魔力を使用し、彼女の開放型魔法を封じる紋を刻みました。今後は定期的にそれを点検していただければ宜しいかと存じますわ」
そう締め括り、更に先程の彼らの茶番劇は誰も悪くないのだという点もはっきりと伝えた。例え嫌われていようとも、ゲームの力に流された彼らを責める気にはなれない。
謝罪も礼も要らない、ただただ不思議な出来事だったと流してくれればそれで良いのだ。根掘り葉掘り聞かれてはこちらも困る。転生云々という話を披露するつもりは無い。
それでも、ずぶ濡れ幼馴染四人衆とルーシアちゃんはわたしへと謝罪をくれ、国王からも礼の言葉を言われた。
全てが丸く収まり、これでお終い・・・なんて、そんな訳は無い。
「ミディア嬢、先程息子のアルカディアが宣言した事であるが・・・」
「婚約破棄の件でございますか? あれは宜しいのです。そのままにしておいてくださいませ」
「ま、待ってくれミディア! あれは私の本心では・・・」
珍しくわたしに向かって大きな声で自己主張をしようとしたアルカディアを片手で制し、国王へと向き直ったわたしは、さてここからが肝心だ、と心中で活を入れた。ドレスを着た背中にじわりと汗が滲んでいるのが分かるが、臆する訳にはいかない。
ここから始まり、そして終わるのだ。
自身の身を守った上で、完膚なきまでに終わらせてやろうではないか。
「この場をお借りして、ある人物の罪を白日の下に晒させていただきたく存じます。国王陛下に措かれましては、この申し出を受け入れていただけますでしょうか?」
本来ならこれは、幼馴染四人衆からその親たちに伝わり起こるイベントだ。
しかし、彼らが勘付く筈であった腐父の不正の欠片は、とうの昔にベヴェルが回収している。それだけでは無く、全ての証拠がわたしの下に集まっている。
ゲーム上起こるべきイベントに否やの声が上がる筈も無く、そのまま我が侯爵家の断罪イベントへと突入した。
+++
ウィンストン侯爵とその夫人をギャラリーの最前列へと呼び寄せ、そうしてひとつひとつ証拠を挙げていく。居並ぶ人々にもはっきり見えるよう、無駄に広く真っ白な広間の壁に魔法で大写しにしてやった。プロジェクターの要領だ。心配するな、この程度の事に大した魔力は使わない。
わたしが一言発するたびに十言以上の喚き声が返ってくるが、それはお前らの醜悪さを際立たせるだけの悪手だ。本当に、何故こんなのが侯爵などという位にあるのか・・・ああ、先祖から継いだだけか。先祖もさぞかしあの世で嘆いている事だろう。
不必要に厳しい領地の税率、国に収めるべき税収の横領、違法な薬物の栽培から製造、国内のみならず国外への販売とそのルート、そして近年手を伸ばし始めた人身売買の片隅。
叩けば埃が出る? 違う、埃の塊だ。こいつには埃しか無かった。部屋の隅にいつの間にか溜まってしまう埃より性質が悪い。良い所がひとつも無い人間というのも稀少種だろうな。
何故こんなものが現在まで放置されていたのか。これもまたゲーム上の強制力なのか、それとも薬で従わせている部下たちが一人残らず優秀過ぎたせいか。
自分は関係無いとみっともなく喚き散らす侯爵夫人へ、お前も同罪だと突き付ける。その金で愛人を囲い、貢ぎ、美食にまみれ、高価な宝飾品を買い漁る事の、どこが罪で無いと言うのか。
部下への強制的な違法薬物投与については、ベヴェルを証人として召喚した。躊躇う気持ちもあったが、彼自身がそう望んでくれたので実行するに至った。
紛れも無い証人な上、始末した筈の彼が登場すれば侯爵の動揺は計り知れないだろうと見込んでの事だったが、まさかここまではまるとは。
「お前はっ・・・何故生きている?! 確かに始末した筈だ!」
ああ、本当に、まさか自らそれを口に出すとは思ってもみなかった。
これまでこいつの悪事が露呈しなかったのは、やはり部下たちが優秀だったからのようだ。こいつの部下たちは個別面談の上、性質の矯正可能な人間を選って王家で再教育すると良いのではないか。きっと優秀な間諜になるだろう。後で言上してみようか。
「誰のおかげでここまで生きてこられたと思っているんだ!」
ベヴェルを睨みそう吐き捨てているが、自分が葬ろうとした者に対しよく言えたものだ。その面の皮の厚さは人間の域を超えているな。ならばもう人間を―――いや、生きる事をやめてしまえ。お前に吸引される酸素が哀れだ。
「俺を切り捨てたのは貴方だ。そうして死にかけていた俺を救って下さったのは、ミディアお嬢様に他なりません。俺が今こうして生きていられるのは、全てお嬢様のおかげです」
「イジット! この裏切者めがあっ!!」
激高の余りか、ベヴェルへ掴みかかろうとする侯爵を魔法で拘束し、ゆっくりそちらへと歩み寄る。
見苦しい。
悪足掻きとも呼べないレベルの、その浅ましい行動に虫唾が走る。
こんなものとは今や口を利く事すら厭わしいが、だがこれだけは言わねばならん。
「わたしのベヴェルを間違った名で呼ぶな。非常に不快だ。絞め殺すぞ」
一言一句、聞き取りやすいよう間近で告げつつ、拘束する力をぎりぎりと強めれば、侯爵はヒュッと息を呑んだ。顔色が青いのか赤いのかよく分からない事になっている。どこかで見覚えが・・・ああ、リトマス試験紙か。
苛立ち過ぎてベヴェルが自分のものであるかのような言い方になってしまったが、当のベヴェルは一瞬驚いたように目を見張った後、何故か片手で顔を覆い下を向いてしまった。
隙間からちらりと覗く顔が赤く染まっているように見えるが・・・怒っているのだろうか? 現在進行形で彼がわたしの部下であるというのは事実なのだが、気に障ったのならば後程謝罪しよう。
「貴様、貴様は、父に向かって何という仕打ちを・・・っ! 生み育ててやった恩を、よくもこのような仇で返したものだ・・・!」
「お前に育てられた覚えは無い。物心ついて以来一度も言葉を交わさず、近年では姿を見かける事すら無かったお前に、どうわたしを育てられたと言うんだ? どの口が寝言をほざいている? そしてそうだな、生みの恩とやらに関しては―――」
侯爵の口から絞り出された罵りの言葉に、白い目を向け淡々と告げる。
「―――お前らのような下劣な輩から生まれ落ちたという事実は、生涯消せないわたしの汚点だ」
その言葉で、わたしの中に親というものに対する情が一片も無いという事を明確に理解したのか、侯爵は土気色の顔で口を噤んだ。処罰が下されるその時まで、そのまま沈黙を保つと良い。それが、お前が最後に出来る最善の行動だ。
しかし、やってしまったな。白熱する余り令嬢らしい言葉遣いが剥がれ落ちてしまった。公衆の面前で何という失態。だからわたしに令嬢は向かないんだ。
「申し訳ございません。つい我を忘れてしまいました」
取り繕ってはみたものの、国王のみならず宰相様たち四人衆も目を丸くしていた。これまで素は見せないようにしてきたからな。幼馴染四人衆に至っては失神寸前のようだ。あいつらは修業が足りん。失神して許されるのは可憐な乙女だけだと心得ろ。
その可憐な乙女代表であるルーシアちゃんは、目を輝かせてこちらを見ている。ああ、完全に楽しんでいるな。そうだな、ゲームよりスリリングな展開だもんな。わたしもその立ち位置だったらきっと楽しく見物しただろうから、文句は言わないさ。
だが、そろそろ幕引きだ。
「以上がウィンストン侯爵家の罪でございます。断罪につきましては陛下のご判断にお任せいたしたく存じますが、叶うならば、充分に重い罰を与えてくださいます事を希っております」
全ての証拠を提示し終え、わたしは跪き頭を垂れた。
背後では諦めも悪く侯爵夫人が喚いているようだったが、顔を上げる事すらせず、さっと魔法を飛ばしその声を奪う。
わたしはもう、あれらの低劣な有り様を視界に入れたくなかったのだ。4歳の頃に目覚めなければ、わたしもあれらと同列に成り果てていたのだと思うとゾッとする。
この世界に転生した事にさしたる喜びは無いが、前世の記憶を残してくれた事には感謝しよう。それが無ければわたしはとうに終わっていた。
長い沈黙の末、国王が出した結論は、ウィンストン侯爵とその夫人、両名の斬首であった。
集う貴族たちのどこからも異論の声が上がらないところをみると、誰もが順当な罰だと思っているのだろう。そう、まさしく順当だ。
ここまでは。
さあ、わたしはどうなる。
最悪な結末ならばゲーム通りの連座で処刑だが、現在までのわたしの功績を認めてもらえるのならば、爵位の剥奪及び国外への追放程度で済む可能性もある。その場合は小躍りしながら国を出よう。既に住んでみたい国のリストアップは済ませてある。定住せずあちこちの国を放浪するのも良いかもしれない。
いや、出来れば出て行く前にルーシアちゃんと個人的に話す時間をもらいたいが。あわよくば友人になってもらいたいと思っているが。
どんな結論でも甘んじて受け入れよう・・・などという殊勝な考えは持ち合わせていない。残念ながら。
連座による処刑を決定付ける言葉が国王の口から飛び出た瞬間、この大広間から消え失せる準備は出来ている。発動の呪文さえ必要無い。ただ願うだけで、この場から逃げ出せる。その時の為に倒れては起きてを繰り返し、ひたすらに魔力を上げてきたのだ。“おきあがりこぼし”の異名は伊達じゃない。
・・・自分で付けた上に、特に誰にも知らせていない異名だが。未来永劫、口にする事の無い異名だとも思うが。いや、いつかルーシアちゃんには言ってみたいな。きっと笑ってくれるだろう。
「ウィンストン侯爵家長子、ミディアについての処置であるが」
きた。
ついに。
この時が。
「本来ならば、連座による処刑というのが妥当であるが」
・・・そうか、やはりそうなるのか。
ではわたしは、即刻この場から―――
「しかしながら」
―――いや、どうやら続きがあるようだ。
「彼女はこれまで国の為に尽力してきた。その功績は多岐に渡る。国政然り、国防然り、国軍力の底上げ然り。そしてたった今、国に巣食った悪辣な膿を絞り出してみせた。それらを考慮するに、連座という仕打ちは彼女には重すぎると考える」
きた。
きた!
キターーーーーー!!
Yes! 処刑回避! 成し遂げた! わたしはやったぞ!!
祝いだ! 酒を持って来い! 案ずるなわたしは成人済みだ!
「さりとて何ら罰を与えぬでは他の者に示しがつかぬ。よって、ウィンストン侯爵家は取り潰し、ミディアは平民へとその身分を下げる事とする。異論のある者は居るか」
そんなものは無いに決まっているではないか! 平民になっても構わないどころか平民になりたくて仕方が無いぞわたしは! これで重いドレスからも長い髪からも解放されるのだ! 言葉遣いだって構わなくて良くなる! こんなにも喜ばしい事は無いだろう! しかも国外追放も無いとは、これでルーシアちゃんと仲良くなれるかもしれないという希望の光が見えたぞ!
だがそんなわたしの喜びに気付かぬ人々により、続々と水が差される事となった。
「兄上、いえ陛下。失礼ながら異を唱えさせていただく。ミディアのこれまでの功績に対し、貴族としての地位を完全に剥奪するのは過ぎた罰だと考えるが、いかがなものか」
「魔法防壁を、あそこまで、強固なものに出来たのは、ミディの力があった、からです。僕たち魔導士だけでは、あれ程のものは、造り上げられません、でした。今後も、彼女の力が、必要になる事が、ある、と思います」
「うちの軍力が跳ね上がったのだって、ミディアが仮想敵として軍を揉んでくれたからだ。あんだけの魔力を持った人間を市井に野放しにするのは、どう考えたって賛同出来ませんな」
「ミディは魔力だけでなく、その蓄えた知識も素晴らしい。今までも国政に携わる上で、その知力は充分に披露しているかと思われます。ここはウィンストン侯爵家のお取り潰しでは無く、爵位を下げる辺りが妥当かと」
順番にセーラム様、エコー様、ラーク卿、バージニア卿、揃いも揃って余計な事を! 黙ってろ! 魔法で口を縫い付けるぞ!
「ふむ・・・我が国の重鎮たちが揃ってそう言うのならば」
「お待ちくださいませ! わたしはお取り潰しに否やはございません!」
国王が考え直す素振りを見せたので、慌てて割って入った。
いかん、これはこれで処刑案件かもしれん。国王の言葉を遮るなんて、してはいけないことだろう。だがしかし、構っている暇は無かったのだ。寛大な心で許してくれると信じているぞ、国王。
「わたしはウィンストンの名にすら嫌悪を抱いております。この家名がこの国に残る事は、この国の恥を目に見える形で残すという事に他なりません。ここは潔くウィンストン家を消し去るのが最善でございましょう。わたしは今後、ただのミディアとして生きてゆく事に何の不服もありません。本来ならば連座で処刑のこの身、命を永らえただけ身に余るご温情だと心得てございます」
「ミディ、貴女は、そこまでこの国の事を想って・・・」
「ったく・・・いい女に育ったもんだ」
二種類の異なる感動を噛みしめているバージニア卿とラーク卿には悪いが、わたしの発言は全て自分の為のものであり、自分の事しか考えていないものである。
脱・ドレス! ウェルカム短髪! これが今のわたしの目標だ。その為なら黒を白と言いくるめてみせよう。パンダの黒い部分と白い部分を、口先だけで入れ替えてみせようではないか。入れ替えたところで何らメリットは感じられないが。
貴族でなくなるという事は、貴族である幼馴染四人衆との交流も断たれるという事だが、元々交流と呼べる程のものも無かったので気にもならない。むしろあの凝固反応を見なくて済むというのは、はっきり言って利点でしかない。
その保護者たちに関しては・・・まぁ一抹の寂しさはあると言えばある。それなりに構ってくれたからな。しかし彼らに呼び出されるのが日常化し過ぎ、そのせいで友人が出来無いという現状はちょっとな・・・このままボッチ、ではなく孤高街道まっしぐらなのは遠慮したいところだ。
ルーシアちゃんとお話したいなぁ。
「ミディの気持ちは良く分かりました。でしたら、私の所にお嫁に来なさい。貴女が私に嫁げば、ウィンストンの名は絶えます。それで良いですね?」
・・・おっと幻聴か?
「おいこら待て腹黒宰相! ミディア、だったら俺の所に来い。俺の姓を名乗って、心身ともに俺のものになれ」
ああそうか、疲れているんだな、わたしは。
「ミディア、そいつらでは無く、私の手の中に居ろ。身分などどうとでもしてやる。それとも王家に名を連ねたいか? お前がそう言うなら吝かでないが」
そうだな、4歳で覚醒してそのまま14年間突っ走ってきたから、きっと14年分の疲れが溜まっているのだろう。
「全員、ミディとは、歳が離れ過ぎ・・・ミディ、僕のお嫁さんに、なる? 君の隣に、立つ権利が、僕は欲しい」
よし、平民になったら真っ先に自分にリフレッシュ休暇をくれてやろう。それが良い。女子特有の“自分へのご褒美”を発動させる権利はわたしにだってあるだろう。
「貴女が平民になろうと、俺はどこまでも付き従います・・・いえ、ぜひ俺にお嬢様を養わせてください。貴女の為に生きる事こそ俺の喜びなのですから」
ああ、その前に髪を切ろう。この不可思議な髪色も変えよう。そうして新たな自分の出発にしようじゃないか。
「ミディア嬢・・・ミディア嬢! 聞こえているか? 彼らの話がその耳に届いているかね? 何故遠くを見つめている? わしの声が聞こえているか?」
聞こえん。何も聞こえん。
わたしの心は輝かしい未来で一杯だ。他所事に貸し出してやるスペースなどどこにも無い程に満員御礼だ。
故に耳は塞ぐし目は希望に満ちた明日しか見ないし幻聴などに構っているゆとりは毛ほども無い! それぐらい見て分からんのか! この節穴が!
呼びかける国王に内心で八つ当たりを含んだ罵声を浴びせ、そのお陰で幾何かスッキリしたので、落ち着き払って国王へと顔を向けた。
「申し訳ございません。少々疲れてしまったようです。このままでは取り繕っているものが剥がれ落ちてしまう危険性がございますので、この場を辞する許可をいただけませんでしょうか? ありがとうございます。では、失礼させていただきます」
「いやいや待て待て! わしは未だ何の許可も与えておらぬが?!」
チッ、気付かれたか。押し切れるかと思ったのだが。
「あら、重ね重ね失礼を。どうにも逸る気持ちを押さえ切れなかったもので。未熟者でお恥ずかしい限りですわ」
「ははは、その調子ならば疲れなど大したものでは無さそうだな? ではこのまま続けるとしよう」
国王め。『逃がさんぞ』と目で語るな。そんなにも人の不幸が楽しいのか。
・・・楽しいのだろうな。娯楽の少ない世界だ。自分に害のない他人のごちゃごちゃなど格好の餌食だろう。どうせならわたしも捕食者側でありたかった。
「それで、彼らをどうするつもりかね?」
どうするもこうするも無い。
一体これがどういう状況なのか、わたしの理解が追いついていないのだ。従って何の打開策も見えてこない。彼らの発言の意図が分からず戸惑う一方だ。誰か噛み砕いて説明してくれないか。
・・・というか国王、笑いが漏れているぞ。一国の王がニヤニヤした笑いを漏らすな! 威厳が裸足で逃げ出すわ!
「ふはは、ミディア嬢は混乱しているようだ。全員、今一度はっきりと告げた方が良いのではないか?」
貴様! 煽ってどうする!
何故だ。お前の国の重鎮や弟が意味不明な事を口走っているんだぞ。それも国の高位貴族たちの集う場で。
止めてやれ、今ならまだ間に合うから是非とも止めてくれお願いだ!
そんなわたしの心中での懇願も虚しく、再度、謎の主張大会が始まる事となった。
おいこれは何の茶番だ! せめて解説を用意しろ! 解説のホニャララさんを大至急わたしの横にスタンバイさせるんだ! 急げ!
「私の所にお嫁に来なさい。そうすれば、ずっと傍に居られますよ」
柔らかな微笑みで、これは決定事項だとでもいうかのように告げる宰相のバージニア卿、御年43歳。
「これだけ焦らされた女は初めてだ。もうお前以外欲しいと思わん。早く俺のものになれ」
滴る男の色気を隠しもせず、煮詰めた情欲を全身から垂れ流している軍隊長のラーク卿、御年36歳。
「存分に可愛がって、どろどろに甘やかしてやる。だから一生私の手の中に居ろ」
艶めかしい美貌に蕩けるような笑みを乗せ、甘く囁く王弟のセーラム様、御年39歳。
「君の傍は、居心地が、良い。だから、君の隣に、立つ権利が、欲しい」
縋るように、けれどその目の中に強い意志を宿しこちらを見つめてくる魔導士長のエコー様、御年30歳。
「貴女の為に生きることこそ俺の喜びです。生涯お側に控え、貴女に救われたこの命を貴女の為に捧げ尽くしましょう」
真摯に、けれど明確な熱を込めて生涯を誓うベヴェル、御年38歳。
何故こうなった。
どこからこんな流れになったんだ。
軽い眩暈を感じ、わたしはそっと目を閉じた。
そうして、ミディア・ウィンストンとしての今生が、鮮やかな走馬灯のように脳裏を駆け抜け―――いかん、動揺の余りループさせるところだった。
閉じた世界で生きるなど御免だし、最初からやり直しなど冗談では無い。ストレスで全身の毛が抜けた上に血尿も出そうだ。勘弁してくれ。
「さあミディ、こちらへ来て、私の手を取りなさい」
手を差し伸ばすバージニア卿のその微笑みを見て、これははっきり言わねばなるまい、と腹を据えた。
「わたし、小父様の事は実のお父様のようにお慕いしておりますの」
はっきりキッパリ、お前は父親代わりだよと伝えたわたしは来世では勇者になれるのではなかろうか。己の勇気を称し讃え、子々孫々に至るまで語り継ぎたい。
「けれどミディは、『大きくなったら小父様と結婚する』と言っていましたよね。何度も」
更に微笑むバージニア卿の、しかし眼鏡の奥の瞳はちらりとも笑っていない事に気付いてしまった。怖い。リアルホラーだ。
しかし、ここで引き下がってはならないと頭の中に警鐘が鳴り響いている。甲子園球場も真っ青の響きっぷりだ。
「小父様ったら。あれは幼子が『お父様のお嫁さんになる』と言うのと同じ意味合いですわ」
「しかし私はミディの父親ではありません。ですから、」
「それでも! わたしにとって小父様はお父様のような存在なのです・・・本当の父親がああでしたから、尚更」
尚も言い募る宰相様の言葉にかぶせ、悲痛な叫びを漏らし目を伏せるわたしの演技力は今期の主演女優賞ものだ。会場中の同情票が集まったのを肌で感じる。
いいぞ、そのまま全力でわたしを哀れんでおけ。そして嫁云々はどんぶらこっこと流してしまえ。下流で誰かが拾ってくれるだろう。
しかし残念ながら、知の化身と謳われる宰相様はわたしなどより一歩も二歩も上手だった。
「『ずっと傍に居る』と言ってくれたではありませんか」
っ、小父様、その目は反則。
そんな捨てられた仔犬のような目で見られては、逆に絆されてしまうではないか。傍に寄り添い、『わたしが居るから』と何度でも言いたくなってしまう。
「妻の死後、憔悴していた私を励まし癒してくれたのは、他ならぬミディです。ですから、今度は私が貴女を支えたい。そう思うのはおかしな事なのでしょうか?」
・・・はっ、いかんいかん、騙されるなミディア!
あれは愛娘を嫁に出したくないとゴネる父親の策略に満ちた目だ。
その中に一部、娘に向けるべきではないどろりと渦巻く欲望のようなものが見え隠れしているように感じるのは、きっとわたしの過剰過ぎる自意識の成せる技であろう。そうに違いない。そうだと言ってくれ。
「ほら、ミディ? 私の求婚にイエスの返事はどうしました? ずっと傍に居てくれるのでしょう?」
駄目だ回答の選択肢がイエスしか用意されていない。
間違えようのない一択を突き付けてくる彼の慈愛に満ちた微笑に、何故か非常に恐怖心をそそられたわたしはそろそろ眼科へ行くべきなのだろうか?
「傍に居るだけなら嫁じゃなくていいだろ。養子として引き取れよ。なあ、宰相様よぉ」
「駄目に決まっているでしょう。娘として引き取っては、いずれ嫁いで行ってしまいます。私は一生ミディを離したくない。生涯私の傍に居て欲しいのです」
「父性愛と男女の情愛を混同した奴は始末に負えねえな。おいミディア、こんな奴より俺にしとけ。俺ならお前を女として全身で愛してやる」
天では無く下半身無節操男から助けが入ったかと思いきや、救助などでは無く別角度からの攻撃開始だった。その辺り、彼は生粋の軍人だと感じる。
しかし愛してくれなくて結構だ。特に“全身”という単語は余計なオプション過ぎて全力でお断りしたい。
「ラーク卿、揶揄わないでくださいませ。貴方程の御方なら、どのような女性でもより取り見取りでしょう」
「おいおい、言っとくが俺は、お前を口説き始めてから一人も抱いてねえぞ」
「そのお言葉を信ずる事の出来る女性は、この国には居ないと思いますわ」
まとわりつく熱っぽい視線ごと、微笑と共に切って捨ててやる。言外に含めた、“お前の求愛には何の重みも無いんだよ”という軽蔑の念もきっと伝わっているだろう。
隠し子が何人居るのか分からないような男の口から出る『愛』という単語は、きっとオブラートよりもペラペラに薄く軽いものに違いない。そしてそれは、些細な衝撃で破れたり溶け消えたりするのだ。
何より、下半身で物事を考えるような男が女断ちなどという修行僧のような行為を行える筈が無かろう。修行僧ですら耐えられているのかどうか定かでは無いというのに。
「お前な、俺がこの4年間、どんな思いで禁欲生活を自分に強いてきたと思ってんだ。他の女を触った手でお前に触れる訳が無えだろ。俺はお前だけが欲しくて欲しくてしょうがねえんだよ」
なぁミディア、と熱くわたしの名を呼んだラーク卿は、そのままずんずんとこちらへ近寄って―――待て、いいから待てそこで止まれ、来るなやめろ公衆の面前で抱き締めようとするなギャーーーーーッ!!
「くっくっ・・・っとにお前は良い反応するなぁ。あー、今すぐ押し倒してえ」
「やはり揶揄っていらっしゃるのですね。悪質過ぎますわよ?」
寸でのところで彼を魔法で固め身を躱す事に成功したが、発動が遅れた為、手首を掴まれた状態で固定してしまった。くそ、部分的に解除を―――。
「お前、気付いてるか? 毎度さらっと躱して平然としてるように見せかけて、耳だけは真っ赤だ。そういう所がもう可愛くて可愛くて、気付いたら俺がお前の所に堕ちちまった。なぁ、責任取ってくれるよな?」
平静を装い受け流したにもかかわらず、己の意図せぬ内に耳が変色しているとの情報を得たが、そんな事よりもまさか、まさか隠し子多数疑惑の無責任男から責任取れ発言をかまされるとは!
わたしとお前は責任問題が発生するようないかがわしい関係では無い! 大体堕ちたとは何だ! そのような落とし物、承っておらんわ!
「ミディ、手」
「あ、おいこら魔導士長、何引っぺがしてくれてんだ! せっかくミディアと繋がってたっつうのに!」
「ミディが穢れる。ミディ、この人の言う事は、聞いたら、駄目。こっちにおいで」
いちいち卑猥な表現をするラーク卿の手からわたしを救い出してくれたエコー様に、ようやくまともな救助が来たか、という安堵も束の間、結局はエコー様もわたしに攻撃を仕掛ける気に満ち満ちていたのだと思い知らされる事となる。
「ねえミディ、彼らじゃなく、僕のお嫁さんに、なって?」
懇願するような目で覗き込まれ、思わず返す言葉に詰まった。
エコー様の、年齢より遥かに若く見える童顔と、その消極的な物腰が相まって、わたしの中にひと欠片だけ存在したらしい母性本能とやらがくすぐられてしまうのだ。早急にこの余計な機能を摘出しなくてはならん。天才外科医をここへ連行しろ。今すぐにだ。
「罪人の娘であるわたしがエコー様の元へ嫁ぐなど、許される事では無いでしょう」
うむ、我ながら良い言い訳だな。
実際のところこれは事実だ。エコー様だけで無く、他のどの貴族の元へも嫁げまい。例え望んでくれる酔狂な人が居たとしても、その家族だけでなく親族一同がこぞって反対するだろう。貴族にとって、罪人の血を混ぜるなど許せる事では無いのだから。
「ミディは、僕が、嫌い?」
「いいえまさか、そんな筈はございません」
「じゃあ、好き?」
くっ、コミュニケーション能力の低さとあどけない童顔に騙された。案外と策士ではないか。そんな二択で迫られては、返せる答えは限られてしまう。先程のバージニア卿の一択と同程度の空恐ろしさを感じるぞ。これが年齢による経験値の差というものか。
「・・・好きか嫌いかで尋ねられれば、好きですとお答えする他ございませんが、ですがそれはあくまで」
「僕も、ミディが、好き。君の傍だと、僕は、自然体でいられる。ミディが、好き。大好き、だ」
わたしの言葉を遮り、細切れながらも己の想いを懸命に伝えるその様に、ほう、こいつも成長したものだ、と上から目線の感慨を抱いてしまったが、わたしは一体どこの老師だ? 数千年の歴史はわたしの中に継承されていない筈だが。
しかし次いでエコー様が、「さっきの、消毒、する」と先程ラーク卿に掴まれたわたしの手を持ち上げ、ちゅ、と唇で触れるに至って、わたしの中の老師云々は銀河の彼方にふっ飛び星となった。さらば老師、安らかに眠れ。
って、ちょ、ま、な、はあああああ?!
「本当、だ。耳、真っ赤。可愛い・・・」
とろりと潤んだ目で笑っているが、おいよせ追撃とは卑怯だ! 日頃の消極的なお前はどこに行った?! わたしの耳が赤かろうがどうだって良いだろう! 赤カビの生えた餃子だとでも思っておけ!
「無垢な顔をして油断ならん小僧だ。私のミディアに、手とはいえ口付けるとは」
「小僧では、ありません、し、ミディは、貴方のものでは、ありま、せん」
「その幼気な顔のどこが小僧で無いと? 初心な振りをしてミディアを惑わすのはやめてもらおうか。さあミディア、こちらへ来い」
今度はセーラム様がわたしの手をホールドし、まるでエスコートするかのように優雅に回収されたが、既にこれが救助活動だなどという夢を見るのはやめている。いつまでも夢見る少女でいたかったのだが。無念だ。
「ミディア、他の誰でも無く私を選べ。お前には私のような、酸いも甘いも噛み分けた大人の男が相応しい」
「自宅警備員であられるセーラム様が、どのようにして酸いや甘いを噛み分けてこられたと言うのか・・・ふふっ、何とも不思議なお話ですわね?」
引きこもりが何を言っているんだと鼻で嗤ってみせれば、セーラム様本人でなく周囲のギャラリーからヒッと息を呑む音が聞こえた。
そうだな、どう聞いても不敬だものな。しかし案ずるな。セーラム様はこの程度の暴言で怒るような狭量な人では無いし、逆に何故か喜ぶという実に理解不能な性質の持ち主だ。
「相変わらずミディアは私に媚びないな・・・だがそこが良い。私にそんな嘲りを込めた目を向ける者など他にいない。その目で見られるたび、胸が甘く締め付けられる」
うっとりと目を細め喜んでいるところに水を差すようだが、そんなに締められたいのならばわたしのコルセットを貸してやろうか? 胃の中身が全て逃げ出しそうなあの締め付け感は、さぞかしお前を満足させることだろう。
「私に色目を使ったりしないお前が、私は愛おしくて堪らない。私の手の中で甘やかされぐずぐずに溶かされてしまえ。そして私の事しか考えられなくなれ。それ以上は何も望まん」
いや、逆に聞きたいが、それ以上に何を望むというのだ?
しょっぱなの願望のハードルが高すぎるわ! この戯けが!
「セーラム様はわたしを縛り付けたいとお考えなのでしょうか? でしたら、それは不可能だと申させていただきますわ。何があろうとも、わたしは思考の自由を放棄したりはいたしませんもの」
「ならばどうすればお前は私の手中に収まる? 閉じ込め囲ってしまえば良いのか? ・・・そうか、それも良いな。誰にも邪魔されぬ部屋の中、二人ゆるゆると日々を過ごすか」
何だその自宅警備員増員計画は! ろくでも無い事を考えるな!
ほら見ろ、つい先刻まで、ついにお前が他人に興味を持ったかと微笑ましげにこちらを見守っていたお前の兄と義姉が、今では引き攣った顔でこちらを見ているぞ。二人に増えた引きこもりを養う未来が明瞭に脳裏に浮かんでしまったのだろうな。可哀想に。
蕩けるような艶笑を振舞い、わたしの頬をするりと撫でたその手は、籠ってばかりで日光に当たらないせいか極端に白い。不健康な男だ。閉鎖的な生き方をしているせいで、思考回路まで不健康になっている辺りが救えないな。
まずは外へ出ろ。日に当たれ。話はそれからだ。
「お嬢様のお顔に気安く触れないでいただけますか」
「ミディアの部下か。王族に対する口の利き方を知らないようだな。引っ込んでいろ」
「俺に命令出来るのはミディアお嬢様だけです。名ばかりの王弟殿下に何を言われても、従う気はござません」
さすがはわたしの部下。ナイスフォローだ、と言いたいが、今のは確実に不敬に当たると思うぞ。特に『名ばかりの王弟殿下』はまずかろう。そういう事は思っていても黙っておけ。
「お嬢様、彼らの事など忘れ、俺と共に参りましょう。どこへ行こうと、お嬢様に不自由などさせないと約束致します」
恭しくわたしの手を取るベヴェルにふとした疑問が生じ、それをそのまま口に出した事を、わたしは随分と先まで後悔する事になる。
「ひとつ聞くが、仮にわたしがどこぞの男へと嫁いだ場合、お前はどうするつもりだ」
「何を仰いますか」
ベヴェルは、この上なく晴れ晴れと笑った。
「他所の男などにお嬢様を渡す訳がございませんでしょう? 貴女は俺だけのお嬢様なのですから」
そうなっても付き従います、という返答を予測していたというのに、その遥か上を行く答えだったな。天晴だ。
というかお前、そんなにも晴れやかな笑顔が作れたのだな。常に背負っていた影のようなものはどこへ行った?
「・・・ウィンストン侯爵が断罪され、お前の心の澱が取り払われたのか」
ベヴェルの顔をじっくりと見つめそう結論付けると、彼は「そうではありません」と笑みを深めた。
「先程のお嬢様のお言葉で、俺の苦悶が消えたのです。いつかお嬢様が他人のものになってしまうのではないかと、常に恐れておりました。ですが貴女は、『わたしのベヴェル』と、そう仰って下さいました。あの瞬間の肌が粟立つ程の歓喜を、貴女に教えて差し上げたい」
誤解だ。
あれは『わたしの部下ベヴェル』が正しいのだ。部下という言葉がすっぽ抜けただけであって、決してお前をわたしの所有物だと主張したかった訳では無い。そんな意図はどこにも無かったと弁明させてくれ。
そもそもあの発言で主張したかったのは”お前の名を違えて呼ぶな”という事であって、そんな部分に着目するお前は確実にズレているぞ。
「貴女に仕える身で貴女を望むのは分不相応な事だと、貴女の為に働けるだけで充分なのだと己に言い聞かせてきました。しかし、貴女のお言葉で俺の箍が外れたのです。もう我慢するつもりはございませんし、貴女が誰かのものになるのを指をくわえて見ているつもりもありません」
ふむ、良く分かった。お前の吹っ切れぶりがわたしの失言から引き起こされたものだという事が、ようく分かったとも。今後はその場の感情で口を滑らせるような真似はせぬと今ここで誓おうではないか。
だから全て忘れろ!
わたしの考え足らずな発言など彼方へ追いやれ! 今なら星となった老師が彼方に居るだろうから、その辺りに一緒に放っておけ!
「ですので、今後二度と、どこぞの男の元へ嫁ぐなどと仰らないで下さい。最悪の場合、貴女のその美しい瞳に他の男が写らぬよう、抉り出してしまいたい衝動を抑えきれなくなりますので」
わたしの下まぶたをつつつ、となぞるその指の持ち主は、目に狂おしいまでの光を宿していた。
・・・あっはっはっはっは。
ここここここわいわああああああ!!
目玉の摘出など断じてお断りだ!
わたしはどこでお前の病みスイッチを押した?! それとも以前から病んでいたのか?! それを発露させてみるチャンスを窺っていたとでも?! そんなもん永久に隠し通せ! 金輪際日の目を見させるな! お前の猟奇的な思考など知りたくも無かったわ!
ここここれは直ちに軌道修正せねば! 希望に満ちた明日どころか、物理的に何も見えなくなってしまう!
「不要な衝動は捨てろ。わたしは誰の元に嫁ぐ気も無い。ただお前の意思を確認しただけだ」
「ならばミディアお嬢様、今ここで新たな誓いを受け取って下さい―――病める時も健やかなる時も、死が二人を分かつまで、生涯貴女様に添い、この命を捧げる事を誓います」
跪き、熱情の籠った眼差しでこちらを見上げ誓われたが、何が『ならば』なのかが全く分からない。どこにも新たに誓う流れなど無かったのではないか? 誓いの押し売りは感心せんぞ。
・・・死が二人を分かつまで? これは、何だったか・・・何か嫌な記憶に直結しているような、そんな・・・。
「お待ちなさい! 何を勝手に婚姻の宣誓を行っているのです?!」
「ざっけんなよテメェ! ミディアがうっかり『はい』とか言っちまったら終わりじゃねえか!」
「ミディ、返事、しちゃ駄目!」
「慌てるな。司祭が居ないこの場で誓ったところで正式に認められはせん」
「あれ程ミディに執心している男がそこを考えていないと思いますか?! 『あのとき確かに誓ってくれたではありませんか』などとミディを丸め込み、正式に書面にサインをさせ、司祭の前で新たに誓わせる未来が私には明確に見えます!」
こここここんいん?! 根因?! 違う?! 知ってるわ!
婚姻だと?! 何を考えているんだ! 部下としての主従の誓いでは無かったのか?! どこから婚姻などというものが降ってきた?! 頭が沸いているのか?! 春だからか?! 残念、今は秋だ!
「ミディア、だったら俺と誓え!」
「させません。ミディ、私と誓いなさい」
「駄目。僕と、誓って、ミディ」
「私と誓え。ミディア、迷う事など無い」
「お嬢様、有象無象の言葉などに耳を貸してはなりません。どうぞ俺の誓いを受け取って下さい。そうして二人、どこまでも歩んで行きましょう」
男どもが寄って集ってわたしを責め立てるのだが、これはどう処理したら良いのだ。お手上げなのだが。
おい国王、お前のせいだぞ何とかしろ。
ぎり、と唇を噛み殺意を込めて睨み付ければ、即座に明後日の方向を向かれ、苛立ちがつのる一方だ。あの野郎・・・在位中はお前の抱える水虫という病が完治しないよう祈っておいてやるからな。覚悟しておけ。
「何て完璧な布陣・・・素晴らしいわ、さすがミディア様」
シャラシャラと鳴る鈴の音のような、そんな愛らしい声がぽつりとわたしを褒めたのが聞こえたが・・・待てルーシアちゃん、何がどう完璧なんだ。褒めてくれなくて結構だ。わたしには素晴らしいと思える要素が見つけられない。
ルーシアちゃん? 「これは究極の逆ハーレムだわ」だと?
成程、これは逆ハーレムだったのか。
・・・・・・詰んだ。
頭が冴え、権力を山ほど備えた見目まで良い男ども相手に、一体どう戦えというんだ。追い詰められ囲い込まれる未来しか見えない。
現状で権力という武器を備えていないのがベヴェルだが、あいつはあいつでハチ公以上の忠犬ぶりを誇る男だ。戦いようが無いという点に措いては他と変わらん。むしろ固執する地位というものが無い分、どこまでもわたしに付き従う未来がまざまざと見えるようではないか。
自分史上最大の窮地。
この嵐のような恐怖を前にしては、先程の侯爵夫妻の断罪など前座だったと断言出来る。わたしの14年かけた仕込みが前座・・・地の底まで落ち込みそうだ。泣いてなんかいないと言いたいところだが、心の中では血の涙を流している。
いや、落ち込んでいる場合では無い。
これはまずい。
こいつらの息子ならばどうにかする手段を持ち得ているのではないか、と幼馴染四人衆に目を向ければ、彼らは一様に床にへたり込み「反則だ・・・」「敵いっこない・・・」「父上・・・卑怯です・・・」等とぶつぶつ言っている。
うむ、全ての呟きに同感だ。イイネ!ボタンを寄こせ。押しまくってやる。
だがやはりお前らが何の役にも立たんという事がはっきりと分かった。いつか一発で良い、ビンタさせてくれ。サンドバッグ的な意味でわたしの役に立て。
せめてこの慄きを誰かに伝えたいと、今度はルーシアちゃんに視線を送れば『ファイト!』と口パクで言われたが、これは励まされたのか見捨てられたのかどっちだ。励まされたとみなして友情イベントを開始させてくれないか。そして友情エンドで終わらせてくれ。頼む。今なら無料で土下座を付けるぞ。
今後の人生が終了してしまうかもしれないという最上級のピンチが、わたしの前に五人の男という姿となって燦然と立ち塞がっている。
しかもその立ち塞がる男どもが全員おっさんとはどういう事だ?!
一番若くて30歳ではないか!
いや30歳はお兄さんだという主張も理解出来るし平常時ならばその主張を快く受け入れもする上、これが女性ならば余裕でお姉さんと呼ばせていただくが、しかしわたしは18だぞ?!
輝く未来に心躍らせる18の娘に群がるのが、下は30から上は43までってどうなっているんだ?!
わたしはいつの間に“オヤジキラー”の称号を得た?! ちょっとステータス欄を確認させてくれ! ・・・そんな機能どこにも無いわ!
余りの展開に脳の機能が低下する中、流石にそんなわたしを哀れんだのか国王が場を取り成し、わたしにしばらく時間を与えるよう諭しているのが薄ぼんやりと聞こえてきた。
更には、現在宙ぶらりんであるわたしの身柄をこの中の誰かに任せてしまえば、わたしがそれに逆らえず流される危険性も考慮してくれたようで、身の振り方が決まるまではウィンストン邸に滞在する事を許可された。
感謝の念を述べれば、「どのみち、すぐに誰かしらに捕まるであろうからな」と半笑いで言われ、水虫悪化しろ! と念じたが、その結果を見たいとは露ほども思わない。うつされたら困る。
ぐだぐだになってしまったパーティーはその後、早々に――とはいえこの時点でかなりの時間が経過していた訳であるが、パーティーとしては体裁を成していなかったので早々と言わせてもらおう――お開きとなり、誰も彼もが今日の出来事に興奮して帰路へと就いた。
わたしの一世一代の人生を賭けた真剣勝負が、後半のぐだぐだのせいでこの見世物扱い・・・もう泣いても良いだろうか。
紆余曲折を経てしまったが、こうしてわたしは、連座による処刑というバッドエンドを見事回避してみせた。
しかしその晩、全速力で国から逃げ出した。
以上で完結となります。
ブックマーク、評価、そして読んでくださった皆々様方に感謝を。
ありがとうございました。