図書館の白
スカベンジャー。死肉を食らうもの。ハイエナなどとも呼ばれるその職業は荒廃した世界を徘徊する怪しい連中というニュアンスも含まれている。
コロニー(シェルター)は大型の発電装置と循環システムによって隔離された小さな地球である。植物により大気は浄化され、炭素循環が一定に保たれている。総体として、生命が生きていけるだけの容量を持つ。とはいえ必要最低限というだけである。許容量を超過したら? もしシステムが壊れたら? 地上進出の備えは? よそのコロニーが攻めて来たら? これらの不安を解消するには物資がいる。物資は外の世界にしかない。誰かが取ってこなければならない。
需要があれば供給があるのが世界の常である。
人は外の世界へと武器を握って旅立ち物資を引き上げてくる連中を腕たちの雇われそして死肉を拾うものとしてスカベンジャーと呼ぶのだ。
コロニーの防衛戦力は少ない。戦闘用兵器も無いことも無いが、数が限られている。代用の効かない高度な電子機器を搭載したものもある。それを外に放り出して帰還を祈るのは愚かしい。そうなると必然的に数がいくらでもあり替えの効くHWが外に駆り出されるのだ。
アッシュはいつものようにエンジンをかけると、ガンカメラモニタとメインモニタの取っ手を握ってちょうどいい位置に持って来た。なぜ手動でモニタを移動させるのか。全て後付だからだ。本来は装甲自体無くて目視で外部を確認するのだから。
スカベンジャーには二種類ある。議会の命令を元に出動するもの、勝手に出動するもの。後者の場合、自分の命と財産のみを犠牲にするならば、好きにしていいことになっている。
アッシュはもとは議会に所属するスカベンジャーであったが、とある理由から辞表を提出した。辞職して以降稼ぎが悪くなってしまい結局フリーのスカベンジャーになった。メカニックとして卓越した腕があるでもなく、多少HWの扱いが上手い程度では、金にならないのだ、命を張るしかない。
己の生命線である防護服とマスクの機密を専用の端末で確認したアッシュは、ペダルへと足を乗せて、エアロックへと進み出た。レバーを引き操縦席の覆いを展開すると、壁際まで機体を小刻みに寄せて、身を乗り出しパネルを操作して外に出るための手続きを行った。
レバーを引く。下部板、上部板が閉まる。
何重にも施されたハッチが轟音を立てて開く。前に進むと後ろのハッチが閉じた。次のハッチ。次のハッチ。こうして最後のハッチにまで辿り付けば、風景が眼前を占領した。
小高い山の中腹に穿たれたハッチからのそのそと身を乗り出して、廃墟と化している街を見下ろす。汚れた雪が降っていた。ガイガーカウンターがかりかりと嫌な音を立て始める。
かつて美しかったろう街は核の威力によって壊れていた。ビルは倒壊して陸橋は落ち道はねじ曲がっている。動くものは無く汚れた雪がちらついていた。しかしアッシュには壊れてしまった文明の残滓は、奇妙な美しさを内包しているように感じられた。
「本か………本で豚一匹貰えるなら安いぜ。儲けもんってもんだ」
そう呟くと、操縦桿から手を離しメモを取り出して操縦席の壁にマグネットで張り付ける。内容は牧畜や医療に物語に多数に及ぶ本を取ってこいと言うもの。コロニー内にも娯楽はあるが欠乏しているといえる。本の類も数が限られており外部から持ってくることも少なくない。本と引き換えに豚がもらえるなら安いものだった。
豚を貰って肉と引き換えに肌用クリームでも買ってフローラにプレゼントしてやる意図もあった。
問題は本が灰になっていないかだが、それは神に祈るしかない。
両足のペダルを踏む。白い塗料でアッシュという名の描かれたHWががしゃこんがしゃこんと山の斜面にひかれた道路を歩いていく。ギアバーを操作して動作を切り替える。HWが屈むと脚部の底がせり上がった。ローラーでの移動に変更。
「……どうせ行くならあれこれサルベージした方が得だな」
ふむん、と喉を鳴らすと、操縦桿備え付けの安全装置を解除する。近接防御用の各種装備のスイッチ類を確かめておく。外の世界は危険が山盛りだ。仕事+αの価値を得るには、危険が伴う。
街中心部へと足を踏み入れる。図書館があった地点は数ブロック先。さほど離れていない。舗装された地面の上にビルが横倒しになったような、凹凸の激しい道。鉄骨が棘のように土から顔を覗かせ、焦げて錆びた赤い車が路上で腹を天に向けている。
鉄骨を横に躱して、コンクリートの山を登坂していく。ペダルを強めて前傾姿勢。HWのエンジンが唸り煙を一段と強く吐いた。ギアをファーストへ戻す。登り切った。ギアをセカンドへ。重みで前に勝手に歩いていくのを踏ん張りで制しながら、進んでいった。
肉片のこびり付いた骸骨を平べったい足が踏み砕く。
戦いの後。銃身の曲がったAKが骸骨のすぐ横に落ちていた。
レバーを引いてハッチを開放してベルトを外すと飛び降りた。AKを手に取り、弾倉を外す。弾が残っていた。部品取りにも使えるかもしれない。HWの腰に引っかけて、腰の双眼鏡を手に取ると徐々に見えてきた図書館を遠目に観察する。
ガラスは割れ崩れかかっていた。雨風の侵入を許しているとなれば本の劣化は早い。本が本として機能を果たせるかは怪しいが行ってみなければならなかった。
しゅーっ、しゅーっ、とガスマスクから吐息が漏れて、ちらつく雪と混じっていく。手袋から冷気が染み込んでかじかんでしまいそうだった。防護服であり防寒着であるコートを抱くようにすると、HWの操縦席に這い登る。
その時、どこからともなく雄叫びのような嬌声が響いてきた。
ぱっとマスクの奥で表情を厳しくするとレバーを引いてすぐさまハッチを閉鎖した。
「ストーカー!」
敵の名を叫ぶと、操縦桿を強く握った。
敵を検知する装置などない。メイン、左右腕部ガンカメラ、そして聴覚と視覚のみが頼りだった。
崩れかけたビル、あるいは普通のビルから、炭のように黒い人影が姿を現した。皮膚は爛れ変色して爪も髪も無く血走った眼球だけでこちらを睨みつける影のような者ら。数は優に二十を超えており一様に異様な殺気を放っていた。
――ギュオオオオン! ギュオオオオンッ!
パイプをコンクリートで擦るような耳障りな咆哮が周辺から響き渡りくわんくわんと反響して消えた。瞬時に黒い者ら――ストーカーたちは壁を猿のようにスルスルと降りていくと大地を全力疾走してアッシュの機体へと殺到していった。
対装甲車もしくは大物用の掃討に使用される大口径機関砲を使うわけにはいかない。腕備え付けの軽機関銃を、腕を振り回すようにしてばら撒く。
ストーカーの数匹が12.7mmの弾頭に咢を食い破られもんどりうって転倒、沈黙。その他は本能的に左右に展開し、あるいは背後から接近するも、両腕に仕掛けられた機関銃の餌食となっていく。
「やれるものかよ!」
十匹ほどを始末したアッシュは、息つく間もなく次の対処を迫られた。接近に成功したストーカーがハッチをこじ開けようと纏わりついてくる。メインモニタには黒い不気味な人の形をした化け物どもが群がっているのがありありと見えた。
メインカメラのスイッチを切り内部に収納するべく機器を操作した。
「こいつをここに入れて固定引き金をやっとく!」
手順を声に出して確かめる。
操縦席の壁に設けられた筒状の部分に同じく筒状のものをはめ込み蓋を閉める。両サイドに同じものを装填。引き金に指をかけ射撃。HWの頭部に該当する部位の両側から回転しながら小さい砲弾が上に飛ぶや、中身をばら撒く。鉄の玉が無数に空中で弾けるとストーカー共をズタズタに引き裂いた。
硝煙と血の香りだけが漂う。
静寂が周囲に満ちたころ、メインカメラを起動させ周囲を見回す。敵影無し。
「死んだか? よし。こいつが無かったら死んでたな」
アッシュはほっと溜息を吐くと操縦席の壁を愛おしそうに叩いた。ストーカーは驚異的な走破性と腕力を誇るが、HWや装甲車などに有効打を放てない非力な存在でもある。とはいえ生身だったら首を脊髄ごと引っこ抜かれて全身を食われていただろう。
敵の襲撃に備えてSマインを装填し直すと、操縦桿を握り直し進んでいく。
程なくして図書館に到着した。
「入れたりは……しねーか。しょうがねぇ」
アッシュはHWを図書館の入口に横付けして入れないかを探ったが諦めて首を振った。エンジンを切る。メモとキーをポケットに入れるとレバーを引いて飛び降りた。HWに括り付けられたバックから散弾銃と拳銃を取る。散弾銃は手に。拳銃は腰に。外部スイッチでハッチを閉鎖、散弾銃を構えて扉へとジリジリ近寄っていく。
「くっ? 歪んでるのか。めんどくせ」
ノブを捻って開けようとしたがうんともすんとも言わない。扉が歪んでいるらしい。ため息を吐くと散弾銃を胸に抱えるようにして、腰の回転を込めた前蹴りを放つ。めりめりと悲鳴を上げて扉は倒れた。
「お邪魔する!」
すかさず銃身を起こすと、図書館内へと潜入する。エントランスに群れていた三匹のストーカーを目視するや否や散弾をブチ込む。有無を言わさず連射して接近さえ許さずに撃破してしまった。
ポシェットからショットシェルを銃に込めてハンドグリップを操作。ポンプアクション。小気味いい装填音。耳に楽しく威圧効果を持つ戦場音楽。
穴だらけになったストーカーは死にきれず痙攣していたが、頭部をブーツで殴打されてようやく動きを止めて廃墟と同じものに成り下がった。
アッシュは外に目線を移し、それからストーカー三匹の死骸を見遣ると、僅かに顔を俯き胸と額で十字を切り祈りの言葉を口にした。
「さて、と。本を探すっと」
ポケットにねじ込んでいたメモを手袋という障害で扱いにくく感じながらも手元に引き寄せて中身を再確認。内容を頭に叩き込む。メモを納めると埃と砂だらけのエントランスから奥に進んでいく。
本棚を障害物として、散弾銃を抱えるようにして構え、向こう側を窺いながら進みつつも、落ちている本を目で確かめる。一階部分は虫食いと経年劣化が顕著に見られ無事な本は一冊たりとも無い。
「この調子だと回収はできないかもしれない。困った。燃料代くらい稼がないと商売あがったりだ」
煤を被り黒一色となり記録媒体としての役割を放棄している一冊を足で突く。
HWとて無尽蔵の核融合炉を搭載しているのではないのだ、稼働した以上は燃料代がかかる。回収できなければ懐が核の冬となるだけだ。神に仕える一信者と言えど霧を食って生活はできない。働き糧を得なければ、生きていけない。
何気なく本棚に手をかけて横に押しやることで推力を得ると前に進む。いつでも発砲できるように引き金に琴線を張っておくのを忘れずに。
一階の奥まで到達した。ブーツで本を踏みしめ、横倒しになった本棚に腰かける。
収穫は聖書。絵本。
次は二階だ。一階がゴミ箱なら、二階はきっとゴミ袋に違いないのだが、目で見てみなければわからぬ。
腰の拳銃に触れると、散弾銃の銃把にしっとり手を馴染ませて階段を探そうと、壁から外れて床に転がっていた案内板のもとで屈む。
すぐそば、もしくは真上から断続的な発射音。弾が金属に着弾して弾かれる音。跳弾。安っぽい銃の音。自動小銃と拳銃の撃ち合い。瞬時に判別すると気持ちを切り替え思考を戦闘で染め上げていく。階段のあるべき方角へと息を殺して中腰で歩いていくと、階段の始まりへとやってきた。
「先客? いいスカベンジャーならいいが」
アッシュの表情は厳しい。マスクですっぽり覆われているが。
スカベンジャーは死肉を食らうもの。即ち誰かを殺して装備品をはぎ取る非道なものもいる。遭遇したのならば反撃しなくては命が危ないだろう。
階段の壁に背中をつけて散弾銃を上向きに構えつつ、コンクリートの破片を避けて足を運ぶ。階段が終わった。二階も予想に違わず本棚が倒れていたが、天井が崩落しているなどは無く、比較的保存状態は良好に感じられた。
銃声はもう聞こえない。撃つものが死に絶えたのだろうか? それとも、撃つ必要がなくなったのか。
アッシュはじりじりと階段から出ると、壁際の柱の陰に滑り込むと、ポケットから艶を殺した手鏡を取り出し柱の向こう側を窺った。ひっくり返った机、本の山、本棚の残骸が目線を遮り誰がいるのかを確かめられない。
「糞ッ垂れ! 糞が!」
「うおおっ!?」
突如、本棚をよじ登り、本棚から本棚に飛び移るという身軽な移動を披露しつつガスマスク姿が現れた。肩の部分には穴。出血していた。そしてその手には自動小銃。
不審な男は毒づきながらアッシュに向けて発砲した。
耳の横を何か熱いものが通過した。心臓が高鳴った。
「死ねぇ!」
「馬鹿撃つな戦う理由がないだろ!」
なんとか説得せんと怒鳴るも、不審な男も逆に怒鳴り返してきた。
「俺を見たなら死ねぇ!」
「キマってんのか!?」
「やかましいくたばりやがれ!」
咄嗟に身を屈め応戦する。柱に隠れて散弾銃だけを出して狙いもつけずに撃ちまくる。敵の銃声が止んだ。弾を込める時間を与えてなるものかと拳銃を抜くと、狙いもつけずに撃ちまくって制圧射撃とすれば、思い切って柱から飛び出して別の扉へと移る。その時、つい今しがたいた柱目掛けて手りゅう弾が投擲された。手りゅう弾は投げたその瞬間には既に一秒を消化している。二秒あるか、無いか。柱の強度を信じて身を隠す。爆発。図書館の本が舞い、砕けたページが核生成物のように空中を彩る。人体を容易く破壊する威力を有する破片が四散して耳障りな叫びをあげた。
「このぉ! 神の御許へ行け!」
やっこさんを仕留めなければ殺される。死を覚悟で柱から半身を出すと、不審なガスマスクの胴体目掛けて発砲。散弾が空中で弾けると自動小銃を握る指を挫く。
「ぐああっ!? 糞おおおっ………奴にやられこんなガキにもやられるだと……!」
ガスマスクは呪いの言葉を吐きながら蹲ると散弾銃の銃把を肩に宛がい物陰から身を出すアッシュを睨んだ。
「……せめて安らかに」
だが次の瞬間ガスマスクもろとも散弾が粉々にした。頭蓋が破れ脳髄がソースのように垂れる。形さえ留めない白と黒が脳から繋がる紐から離れて床に滴った。真っ赤な血液が噴水のように真上にあがるも数秒とかからず沈静化する。支えを失った肉体はその場に倒れ込むと奇妙なオブジェと化した。地獄行か天国行かは最後の審判にゆだねることにした。
「奴、か……誰かいるんだろうな」
アッシュは警戒を怠らず本棚へと身を潜めると十字を切り神に許しを請い祈りを捧げた。
散弾銃に弾を込めてハンドグリップを操作。拳銃の弾倉を抜くと、予備を差し込む。
ガスマスクの位置を直して本棚を避けて血の跡を追う。不審なガスマスクの男がやってきた方角に何があるのかという興味である。
点々と続く血の痕跡を追尾していけば司書室のような場所へと到着した。扉は破られており壁には弾痕が刻まれていた。扉という空洞から射撃されたとすれば身を晒せば銃撃される恐れがある。壁抜き射撃の危険性を承知で司書室の壁に息を殺し忍び込むと、壁に耳を当てて音を窺う。
「…………おい!」
アッシュは無音なことを聴覚で知ると、次に大声を上げてみた。
「俺はアッシュ。アッシュ=セーガン。いきなり鉛弾を撃ちこむつもりはない。話をしたい」
無音。静寂。その空白の中に微かに銃を弄る音を見抜く。銃から弾倉を抜いた音。次の弾倉を差し込む気配がない。武器が無いのだろうか。
扉があった場所に接近して手鏡で内部を窺う。白いものが倒れている。廃墟に白いものというと白ペンキしか思い浮かばず首を捻る。その白は蠢いていた。
思い切って中身を覗き込んで見たアッシュは腰を抜かしそうになった。
白い髪の毛に白いワンピースを着込んだ何者かが壁に寄り掛かった姿勢で肢体を投げ出していたのだから。
その者の不自然に青い瞳がかっと見開かれると言葉を発した。
「交渉…………?」
疑問形だった。