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双星の光継者  作者: 明谷有記
第2章 サーチスワード編
38/65

第10話 第二の王都

 読んでくださっていた方、申し訳ありません。

 年度末から本業に追われていました。やっと落ち着いてきたので懲りずに再開しますが、今後も更新はおそらく遅いと思います。

 翌朝、騎士団の馬車は廃墟の町リーコールを出発し、途中、サーガ街道沿いにある町に、幼い兄弟たちを無事送り届けた。

 町では、行方不明の子供たちを捜索しようと自警団が出動して大騒ぎになっていたが、すぐに鎮まった。

 子供たちの父親は泣きながら馬車の一行に礼を言い、何度も何度も頭を下げた。子供たちも、叱りもせずただ自分たちを抱きしめる父親に泣きながら謝った。

 そして。

「あの……お兄ちゃん」

 別れ際、アルファは兄弟たちに声を掛けられた。

「その……これからは、もう危ないことしないよ。ボクが弟を守るんだ」

「ボクたち、ちゃんとお父さんの言うことも聞くからね」

 子供たちは幼い顔を精一杯に引き締めてそう言うと、はにかむように笑った。

 一晩でどういう心境の変化があったのか、どうしてそれを自分に話してくれるのか、アルファにはよくわからなかった。けれど、すごく嬉しかった。

「そっか。頑張れよ」

 アルファは自然と笑顔になり、少し乱暴に兄弟の頭をでた。

「それじゃ、元気でな――」

 兄弟たちに別れを告げ、馬車は再び街道を東に向かって走り出した。

 

 

 昼過ぎ、アルファたち一行はついに、サーチスワードの町に到着した。

 町の外壁を、アルファは馬車の客室の側面についた窓から顔を突き出すようにして見ながら、圧倒されてしまった。灰色の市壁は遠くからでもはっきり見えるほど巨大だったが、間近で見ると本当に迫力があった。

 故郷の隣町ガフトンの市壁など、アルファの背丈のせいぜい二倍ほどの高さだったが、サーチスワードの壁の高さはそのさらに四倍ほどもある。

「わぁ、おっきい……」

 客室前面の小窓にかじりついて、エクルが感嘆の声をもらした。そしてあるものに気がついた。

「あ、壁の上にいっぱい人がいる!」

 確かに、壁の上に十数人の人間が並んでこちらを注視しているのが見えた。と言っても、見えるのは胸から上だけで、下は壁に隠れている。

「あぁ、見張りの騎士団員たちだよ。外壁は分厚いから、上端は見張りを配置できる回廊になっててね。いざ敵が襲ってきた時は、あそこから矢とか攻撃魔法を放って迎撃するんだ」

とルミナスが解説する。

 黒みがかった金属の扉によって閉ざされた門は、外壁の大きさからすると不釣合いなほど小さく、馬車一台分しか幅がない。アルファは少し意外に思ったが、すぐに合点がいった。門が狭いのは、侵入者を防ぐという守備上の都合なのだろう。

 門の右側の壁は半円状に大きく突き出している。つまりは門の右脇に円形の塔が建っているのだが、塔も市壁の一部として同化された造りになっている。

 円塔は市壁よりもさらに高く、塔の上方には鐘が吊るされており、その傍らにまた人の姿が見える。

「魔物が襲ってきたら鳴らすんだな」

「そんなの決まってるだろう」

 アルファの呟きに、ルミナスの返事は素っ気ない。それでいてルミナスは相変わらずエクルには優しく、

「あの塔に上ってから外壁の上に出られるようになってるんだよ。あと、あの塔は団員たちの詰所にもなってるんだ」

と、丁寧に教えてやる。

「ちなみに、ここ以外にあと六つ門があるんだけど、塔を含めて全部同じ構造になってるよ」

「へーっ、七つも門があるんだ。さすが大都市!」

「ほんとはもっと多いほうが他の町との行き来には便利なんだけど、増やすとその分警備が大変になるからね」

 門の前には、騎士団の制服の上に金属の胸当てを付け、長槍を携えた番人たちが十名ほど並んでいる。

 アルファたちの乗った馬車が近づくと、番人たちはそれを騎士団の馬車と視認して、御者台のカーターとマーシャルに挨拶した。

「お疲れ様です。しばしお待ちを」

 彼らが四人掛かりで門扉を押すと、金属製の重厚な扉が、きしんだ音を立てて左右に開かれた。

 馬車は門の中へと進んでいく。カーターが操縦しながら客室のルミナスに尋ねた。

「まっすぐ騎士団本部に向かってよろしいでしょうか?」

「かまわない」

とルミナス。

「オレたち領主に会いに行くんじゃなかったか?」

 団員たちに聴こえないように小声でアルファが訊くと、ルミナスは面倒くさそうな顔をして答えた。

「領主の邸宅は騎士団本部の隣にあるんだ」

 なるほど、そういうことか。

 門をくぐりながら、アルファは石壁の厚さを見てまた驚かされた。ガフトンの市壁の厚みが、アルファの肩から伸ばした指先までぐらいなのに対し、こちらはその五、六倍はある。サーチスワードの市壁は間違いなく、これまで見たどんな町の壁よりも堅牢だ。

 そして、門を抜けた先には――舗装された広い道が伸びており、その両脇に隙間なく露店が並び、人々が群がっていた。

「お土産にサーチスワード名物『馬サブレー』はいかがですかー!」

「さぁさぁ皆さん、こちらにご注目! 今パスト地方の若者に大人気の新商品だよ!」

「安いよ安いよー! この籠に山盛りのじゃがいもがたったの十リルだ!」

「ちょいとそこのお嬢さん! この首飾りなんかどうだい? 美人だからオマケしとくよー」

 そこかしこから口上が飛び、客たちとの駆け引きが繰り広げられ、凄まじい喧騒だ。

 アルファはまたしても圧倒されてしまった。比べてばかりでガフトンの町には悪いが、アルファが月一度通っていた市場より、はるかに規模が大きい。

 大通りに並んだ店は道の彼方まで続いている。道は騎士団の大型馬車が三台並走しても余裕だろうくらい幅があるが、買い物客たちは、この広い道の両脇から真ん中にまでも溢れかえっている。子供から老人まで、中には旅装の者も多く見受けられた。アルファたちを乗せた騎士団の馬車が近づくと、人々は慌てて端に寄って道を譲ってくれるのだが、とにかく店も人もものすごい数だ。この一帯だけで、故郷ソーラの村の総人口を軽く越えていそうに見える。

「うわぁ……すごい人だね」

「すごいな……」

 呆然と呟くエクルに、アルファもその一言しか答えられなかった。少し大げさだが、どこか別の世界に放り込まれてしまったかのような感覚さえある。

 やがて、馬車は橋を渡った。重厚感のある石造りの大きな橋で、大通りの一部を成している。下には、アルファが見たことがないほど幅広の川が流れていた。ソーラの村を流れる川など、軽く助走をつけたら飛び越えられる程度だが、この川は優にその十倍は幅があるだろう。たっぷりの水が緩やかに流れていて、アルファが本の中でしか見たことのなかった乗り物も走っていた。

「おおっ! 船だ!」

「ほんとだ! 初めて見たっ」

 ついはしゃいでしまったアルファとエクルに、後ろの席のミルズがくすりと笑って言う。

「船って言っても、河川の船だから小型ですけどね」

「ちなみに、この川はワーズ川と言う名前ですが、数時間も下れば海に出られますよ」

と、これはタナーの解説。

「海!?」

アルファはまたしても声を上げてしまった。

「すっげぇ。見てみたい!」

「私も見たい!」

 山育ちのアルファたちにとっては、海なんてやはり本の中でしか知らない未知のものだ。大きな川を見ただけでもこんなに興奮するのだから、世の果てまでも繋がっているという海は、どんなにすごいだろう。

「あ、でも……いつかは……」

 急に神妙な顔つきになってエクルが呟いた。その曖昧過ぎる言葉の意味が、アルファには理解できた。

「ああ。いつかは……」

 光継者ならばいつかは、望まなくとも海に出て行かざるを得なくなるのだ。

 人類の敵である魔族の長、魔神ヴェルゼブルは、ソーラレアの地にいる。アルファたちの今いるルナリル王国は実は島国で、ソーラレアは隣国と言っても海を隔てているのだ。ヴェルゼブルと戦うためには、必ず海を越えなければならない。

 きっとまだ、ずっと先のことだろう。

 ……先のことであってほしい。

 その『いつか』が来るのが怖い気がするが、今からそんなことを考えても仕方ない。今は自分の力をつけて、できることをしていくしかないのだ。

 橋を渡ると、サーチスワードの町はまた違った姿を見せた。

 通り沿いに商店が並んでいるが、どれも大きく高雅な構えで、扱っている品物も、服にしろ食品にしろ高級そうなものばかりだ。人通りは、町の入り口側よりは少ないが充分賑わっており、洗練された身なりの人々が多い。露店の通りは活気が溢れ過ぎて雑然としていたのに対し、こちらの地域には上品な雰囲気が漂っている。

 再び馬車の窓から町の様子に見入り、エクルが言う。

「さすが『第二の王都』……」

 アルファも同感だった。人口も警備の厳重さも町並みの豊かさも、他の町とは比較にならない。

 ルミナスはほうけた顔をしたエクルに微笑み、また説明する。

「この辺りは町の中心部なんだ。それと、路地に入ると貴族たちの家が並んでるよ」

 貴族。

 ソーラの村では馴染なじみのない言葉だ。

 ソーラレア族には、貴族なんてものは存在しない。ソーラレア族の先祖は皆、一律に奴隷だったからだ。

 遠い昔、先祖たちは故国ソーラレアからルナリルに連行された時点で、故国での身分に関係なく、ルナリルの奴隷以外の何ものでもなくなってしまったのだ。

 ソーラレア族は、奴隷制度がなくなって解放された後には皆が平民とされ、ソーラレア族だけが住む村を築いた。だから今もソーラレア族は身分というものにうとい。ソーラレア族において聖職者は尊敬される存在ではあるが、決して特権階級ではないし、聖職者が貴くその他は卑しいなどという思想もない。

 ルナリルにおける貴族は高貴な身分とされ、国や地方での要職に就くことをはじめ、職を得るのに有利で高給のため、概して平民より裕福であるという。

 もっともルナリルの貴族も、昔ほどの特権は失われているらしい。

 例えば、かつて貴族は税の多くを免除されたが、現代においては平民と同様納税の義務がある。

 逆に平民の権利は向上し、平民も努力と実力によって高い地位に上ることが可能となった。

 かつては貴族は貴族同士、平民は平民同士しか結婚を許されなかったが、今では貴族と平民の結婚も認められていることからしても、貴族と平民の差は縮まったと言えるだろう。

 ところで、これから会いに行くサーチスワード領主というのは、やはり貴族である。

 ルナリル王国は九つの地域に分かれていて、王都を含む地域『中央』はルナリル国王の直轄領だが、他の八つの地方は、それぞれ王に封じられた領主が世襲で治めている。

 領主は領地内の道路や水場など諸々の設備を整え、領民を魔族などの外敵から保護する義務を負う代わりに、徴税権や裁判権等を持つ。

 だが、『領地』とか『領主』という用語には、若干の語弊があるだろう。

 現代の領主たちは、『行政区域』の『長官』とでも呼んだほうが適切かもしれない。

 アルファは学校で習った知識を思い起こした。

 遠い昔、八人の領主たちはそれぞれ、領内において国王も干渉できない絶対的な権力を持っていたのだが、その中に、国王の力をしのぐ者が現れてしまった。

 『中央』の西に位置するクラウド地方の領主、レインズ=コーズ=クラウドだ。

 この大馬鹿野郎――とアルファは思っている――は、忠誠を誓ったはずのルナリル国王から軍事権を含むあらゆる権限を奪い、ソーラレア王国に侵略戦争を仕掛けた。

 ソーラレアとルナリルが長年にわたって泥沼の戦争を繰り広げた後、大国ランダイドが二国間の調停に乗り出したことにより、レインズは自決、ルナリル王国は降伏した。

 レインズの一族は貴族の身分を剥奪され、レインズの領地には、王の信頼厚い臣下が新たな領主として据えられた。

 その他の領主は続投を認められたものの、中央政府はレインズのような領主の暴走を防止するため、王の権限を強化した。領主たちから領地の大部分を没収し、貴族や商人などに売却したり、価値の低い土地は貧しい平民たちにも分配して、多くの民に土地の所有を許可した。

 領主たちの私有地は、邸宅周辺の極一部でしかなくなった。領主たちは元の『領地』での施政権を認められたが、改めて国王に忠誠を誓わされ、中央からの干渉が強化された。

 領主の力というのは、戦前に比べ大きく引き下げられたのだ。

 つまり――『領地』、『領主』という名称を伝統的に使い続けてはいるが、実質的には、『行政区域』とその『長官』、というわけだ。

 だが、やはり領主の地位を軽んずることはできない。

 戦後ルナリルでは、平民との平準化を図るべく、伯爵以下の貴族たちには爵位付きの呼称を用いることを禁じたが、領主は今も侯爵こうしゃくを名乗ることが許され、ルナリルにおいて王族に準ずる身分にある。

 まして、第二の王都に君臨する領主、サーチスワード侯爵は、その中でも特に強い力を持っているのだ。

 これからその未知の人種である侯爵に会うのだと思うと、アルファはどうしても気が張ってしまう。

 なんの、こっちは光継者だ!

 ――とも思うが、光継者としての働きは、まだ何もしていない。胸を張ることができる立場ではないだろう。

 そうこう考えているうちに、前方に高いへいが見えてきた。

 これまた馬車一台しか通れそうにない小さな門の前に、門番たちが十数人立っている。これまで走ってきた大通りは、その閉ざされた門へと続いている。

 石造りの塀は、先ほど見た町の外壁ほどではないがそれでも頑強そうで、かなりの面積を取り囲んでいると見える。市壁の中にまた小さな市壁があるようなものだ。

 それに何か、霊力を感じるのだが……

「着いたよ。ここが町の中心、サーチスワード領主の邸宅と、騎士団本部だよ」

と、ルミナス。

「へぇー……すごく厳重だね」

 エクルはまた感心しつつ、ルミナスに質問した。

「もしかしてここ、防御の魔法も掛けられてる?」

「さすがエクル。よくわかったね。騎士団の法術士たちが交代で結界を張ってる。サーチスワード最後の砦だから、特に守りを固めてあるんだよ」

 門番たちに通されて、馬車は塀の中へと進んだ。

 中にも馬車一台分の幅の舗装された道が続いている。

 その両側は庭園になっており、青々とした芝と木々、花壇の白、赤、黄、色取り取りの花々が、見事に調和している。

 広く美しい庭園の中を真っすぐに伸びる道は、一つの建物の入り口へと続いていた。

 鮮やかな青の屋根を頂く塔をいくつも有した、白亜の殿堂。そのたたずまいは壮麗で格式高く、御伽おとぎ話の『王様のお城』さながらである。

 言うまでもなく、それはアルファがこれまで見たことがある中で、最も大きく絢爛けんらんな建築物だった。

「これがサーチスワード邸」

 ルミナスはエクルに短く説明し、団員たちに告げた。

「私はまずネカル様にお会いする。君たちは先に本部に戻るように」

「了解しました」

「お疲れ様でした」

 それから、

「じゃあ、僕たちはここで」

とルミナスが馬車から降りたので、アルファとエクルもそれに続いた。

 カーターたちの馬車は、領主の館に続く道から右側に分岐した道へと去っていった。

 その先には、遠く灰色の建物が見えた。手前に庭園の木が並んでいるため全貌は見えないが、そちらもかなりの大きさがありそうだった。

 それを指差しながら、

「あっちが騎士団の建物だよ」

とルミナス。

「じゃ早速、領主様の所に案内するから」

「う、うん……」

 怖々した様子で頷くエクル。エクルもやはり、緊張しているらしい。

 アルファは自分のそれは顔に出すまいと思いながら、館の入り口に向かうルミナスの後をエクルと共に追った。

 扉の前には、左右に一人ずつ番人が立っていた。彼らはルミナスに気がつくと、

「これはルミナス様……!」

「お帰りなさいませ!」

敬礼し、扉を開けてくれた。

 中に入ると、そこは吹き抜けの明るく広い空間だった。正面には、馬を駆り剣をかざした甲冑の騎士の原寸大の彫像や、竜と戦う勇敢な騎士たちを描いた、両手幅以上もある巨大な絵画などが飾られていた。芸術なんてものはアルファにはよくわからないが、とにかく立派なことは間違いなかった。

 扉の内側にも、騎士団の制服を着た団員たちが二人おり、同様にルミナスに敬礼した。彼らはルミナスの後ろにいるアルファとエクルを見ながら、少々(いぶか)しげな表情をした。

「そちらの方々は……?」

「ネカル様の客人だ。応接室に――いや、こちらからネカル様の所に出向く。今どちらに?」

「執務室にいらっしゃるはずです」

「わかった」

 団員たちに背を向けて歩き出したルミナスを、アルファは再びエクルと追う。

 歩きながらルミナスが小さな声で言った。

「僕はネカル様に手紙で『光継者を案内する』って知らせたけど――たぶんネカル様はその話を他の人間にはしてないと思う」

 と。

「キャーーーッ!!」

 若い女たちの声が上がった。

 突然のことにアルファは驚いたが、それは明らかに、危機や恐怖による悲鳴ではなく、歓声だった。

 二十人もの少女たちが、四方からこちらに殺到してきた。揃いの服装――紺色の上衣とスカートの上に、ひだ飾りの付いた白いエプロンを身につけた娘たちは、あっという間にルミナスを取り囲み、甲高い声を発した。

「ルミナス様ぁー! お帰りなさーいっ」

「もうっ、今までどこに行ってらしたんですか? わたしたち『ルミナス親衛隊』一同、どんなに淋しかったことか!」

「ずっとお待ちしてたんですよー」

「久し振りにお会いしたルミナス様はますますステキ……!」

 彼女たちはおそらくここの使用人で、衣装から推察するにメイドとかいうやつなのだろうが、仕事はそっちのけなのか、すごい熱狂ぶりだ。

「なんか……すごいね……」

 エクルは呆気に取られている。ルミナスはアミットの町でも大歓迎されていたが、本拠地ではさらに人気らしい。この町に着いてから、アルファはいろいろと驚嘆すべき珍しいものを見てきたけれど、この群像もその一つに数えていいかもしれない。

 ルミナスは娘たちに、

「いやー、まいったなー」

と、例の全くまいっているように見えない笑顔を振りまいている。団員たちに向ける、冷たいほどに真剣な表情とは落差があり過ぎて、まるで別人だ。

 ……どの姿が本当のルミナスなのか。アルファは彼に初めて会った時からその疑問を抱いていた。数日共に過ごして、彼の素顔らしきものが垣間見えることもあった気がするが、残念ながらまだ解明できそうにない。

「ルミナス様、お戻りになったばかりでお疲れでしょう? ご一緒にお茶でもいかがですか」

「そうですよルミナス様! 休まれないと。おいしいお茶をれて差し上げますから」

「ちょっと抜け駆けしないでよ! お茶ならアタシが――」

「みんなごめんね。僕はこれからネカル様に報告があるから」

 娘たちの誘いを、ルミナスは意外とあっさり断り、その場を去った。

「ああっ、ルミナス様……」

 娘たちの嘆息を背後から聴きながら、アルファとエクルはルミナスについて歩き、階段を上り始めた。

 上りながら、アルファは階段の手摺てすりやその支柱一本一本に施された細やかな彫刻に感心した。館に入ってまず正面にあった美術品に目を奪われたが、改めて見ると、床材や壁材にしても長い歳月に耐えうる上等なものだ。領主の邸宅だから当然かもしれないが、内装も外観に劣らず立派である。

 一行は二階を素通りして三階まで上がった。赤絨毯の敷かれた回廊が伸びており、両側にいくつもの扉が見える。おそらく他の階も同様だろう。外観からも充分想像できたことだが、相当の部屋数がありそうだ。

 すたすたと回廊を歩いていたルミナスが、やがて一つの扉の前で立ち止まった。

 四人の騎士団員が警備する、大きな扉だ。どうやらここが、サーチスワード領主の執務室らしい。

 扉の前に立つ団員たちは、ルミナスに無言で敬礼した。声を発さないのは、中にいる領主の仕事を邪魔しないためだろうか。

 ルミナスは一番端に立つ団員に近づき、耳打ちした。ルミナスが何を言ったのかアルファには全く聴こえなかったが、その団員は顔色を変えた。

「しかしルミナス様……! そんなこと――」

 あくまでも声をひそめているが、その響きにも表情にも、ルミナスへの非難が表れている。他の団員たちも、不安そうな顔でルミナスとその団員を見る。

「心配ない。責任は私が負う」

 ルミナスが小声ながら強く断言すると、耳打ちされた団員は沈黙したが、表情はやはりひどく困惑したままだ。

「どうしたんだ?」

「何でもない」

 ルミナスはアルファの質問を受け流し、

「ネカル様に取り次いでくれ」

と別の団員に命じた。

閣下かっか、ルミナス様がお戻りです」

 その団員が扉を叩いて告げると、中から返答があった。

「通せ」

 団員たちが両開きの扉を外側に引くと、執務室の内部が見えた。

 正面に、光沢のある焦茶こげちゃ色の大きな机と、背もたれ付きの黒い革張りの椅子が置かれ、その背後には、天井に届くほど高い書棚が壁を埋め尽くすように並んでいる。家具がなければ走り回れそうなほど広い床には一面、複雑な紋様の豪奢ごうしゃな絨毯が敷かれている。

 ルミナスは部屋の中に進み、斜め左側を向いて一礼した。

「閣下。ただいま戻りました」

 アルファはその先を見た。入り口の扉から左斜め前方、壁を覆う書棚と書棚の間に、大きな出窓があり、その前に一人の男が立っていた。

 銀糸の刺繍が入った上質の紫のマントに身を包んだ、四十代半ばと見られる男だ。これが、サーチスワード領主、ネカル=ティーズ=サーチスワード侯爵か。

 短い金色の髪を、後ろに流して整えてある。青い瞳は切れ長で、口元を豊かなひげが覆っている。かなり整った顔立ちであり、気品も滲み出ている――が、一つ残念な点があった。

 男としては背が低いのだ。エクルと同じくらいか、あるいは若干下かもしれない。

 もう少し身長があれば、身につけた上物や蓄えた髭がもっと映え、威厳が増すのだろうけれど。『もったいない』という印象がぬぐえない。

 領主と見られるその男が口を開いた。

「ご苦労だったな、ルミナス。もっともお前は、スプライガでの任務を放棄したようだが」

 口調は平坦だがとげがある。そして、物憂げな表情で、斜めの視線をルミナスに向けているのを見ると、ルミナスをとがめているというより、呆れているかのようだ。

 何だかおかしい、とアルファは思った。

 領主は手紙で、ルミナスが光継者を連れてくることを知らされているはずだ。任務を行わなかったのはそのためだと、わかっているのではないのか。

「ええ、いろいろとありましたので」

 ルミナスは軽く答え、アルファとエクルを振り返った。ルミナスの目と顔の動きにうながされ、アルファたちが執務室の中に入ると、ルミナスは団員たちに扉を外から閉めさせた。

「閣下、お手紙でお知らせした通りです」

 閉ざされた部屋の中で、ルミナスは改まった声遣いで述べた。

一応(、、)光継者()()()()()()方々をお連れしました」

 何だその自信なさそうな紹介はっ!?

 アルファは思わずルミナスをどつきかけたが、場をわきまえてこらえた。

「……あなた方が、かの光継者であられると?」

 ネカルが尋ねる。丁寧だが、感情の伴っていない声だ。そして彼がアルファとエクルに注ぐ視線は、冷ややかにさえ見える。

 嫌な感じを受けながらも、アルファは挨拶した。

「はい。アルファ=リライトと申します」

 礼儀作法は両親から一通り習っているが、日頃あまり使う機会がなかった。ぼろが出ないよう、発言は必要最小限に控えようと思う。

 エクルもアルファにならい、慌てて礼をする。

「は、初めまして。エクレシア=オルウェイスと申します」

 ネカルは先ほどと同じ調子で、もう一つ訊いてきた。

「あなた方は、ソーラの村の出身だそうですね」

「え? はい、そうですが……」

 アルファは答えたが、質問の意図がわからなかった。初対面なら、出身地を話題に会話を広げようとするのはよくあることだろうが、そうではなかったのだ。何だったのかよくわからないまま、領主は話を次に移した。

「光継者だとおっしゃるならば、見せていただけますかな?」

「え?」

「もちろん、光継者の力――『聖なる光』を、です」


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