第1話 悪役貴族への憧れ
王都では、悪役貴族が流行していた。
劇場では『氷の公爵、民を凍らす』が連日満員。酒場では強欲辺境伯を称える詩が朗読され、王立学院の生徒たちは、舞台の悪役が放つ台詞を競うように暗唱していた。
その熱狂の中心に、ひときわ熱心な二人がいた。
ルシアン・グラウスト。冷酷公爵家の跡取り。十七歳。彼の机には『悪の統治・第三章 恐怖の効率』という本が置かれ、余白には細かな計算式が書き込まれている。
カイル・ベルナード。強欲辺境伯家の跡取り。こちらも十七歳。鏡の前で高笑いの角度を研究し、納得がいかないと最初からやり直す男だった。
二人は王立学院の同級生で、互いを認めていなかった。
「貴様の悪は薄味だ、ベルナード。恐怖には計算が要る」
「お前の悪は冷めた茶だ、グラウスト。悪ってのは、もっと豪快に奪うもんだ」
「奪うだけなら盗賊で十分だ。支配とは、相手に自ら従うことを選ばせる技術だ」
「その理屈っぽさが薄味だって言ってんだよ!」
議論は三十分続き、結論は出なかった。最後に二人は、ほとんど同時に立ち上がった。
「いいだろう。どちらが真の悪役か、己の領地で証明してみせる!」
その夜、ルシアンは公爵邸の執務室で、領民の税を引き上げる書類にペンを置いた。
手が止まった。
帳簿の数字の向こうに、先週視察した村の老婆の顔が浮かんだ。「公爵様のおかげで冬を越せますじゃ」と笑っていた顔だ。
「……税を上げれば領民が痩せる。痩せれば働き手が減り、将来の徴税額も落ちる。これは悪ではない。ただの愚策だ」
彼は書類を脇へ退けた。領民を苦しめることに、合理性を見いだせなかったのである。
同じ夜、カイルは辺境伯領の市場で「強欲な領主の巡回」を決行していた。屋台から品を巻き上げ、民衆を震え上がらせる予定だった。
予定だった、のである。
目の前で子どもが転んだ。気づけばカイルは抱き起こし、膝の泥を払い、転んだ詫びに飴を十個買っていた。
「ち、違う! これは民心を掌握するための先行投資だ! 飴十個で忠誠心を買ったのだ!」
子どもは笑って走り去った。飴屋だけが深々と頭を下げた。
悪事ができない。二人は別々の場所で、同じ壁にぶつかっていた。
そして明け方、二人の頭に、同じ閃きがほぼ同時に浮かんだ。
自分が悪事を働く必要はない。相手を善人に仕立て上げればいい。
相手の領地に秘密裏に投資し、領民に愛される名君にしてしまう。そして最後に「すべて私の仕込みだ」と明かす。相手の功績は自分の策略の成果となり、相手の誇りは粉々だ。
善政を施すこと自体は、どうにも気が進まない悪事より、ずっと実行しやすい。しかも相手を辱めるための手段だと思えば、二人の良心も黙らせられる。
「天才か、私は」
「天才か、俺は」
離れた二つの屋敷で、二人は満足げに頷いた。どちらも、自分が相手より一歩先を行ったと信じていた。




