賭弓──火桶の温もり
薄曇りの空の下、庭に整えられた賭弓の場をぐるりと見渡す。
直道が右方後方で弓を持ち控えている。
ふとその視線が、私の方を向いた。
朝のやり取りが脳裏に蘇る。
「褒美……?」
「ああ、勝てば褒美がほしい。翌る日は休みだろう。今宵勝ち酒を共に飲みたい」
尊大なもの言いに苦笑する。
……勝つと既に決まっているかのようである。
「主も参加なさるそうだし、また飲まされたら叶わぬからな……宵の宴を早めに切り上げるか」
「是ということだな。やる気が出てきた」
嬉しそうにする直道を見て、私の顔も自然と綻んだ。
私の姿をじっと見ながら、直道が小さく呟く。
「梅が枝に 鳴きて移ろふ鶯の 羽白妙に 沫雪ぞ降る……」
——的申し(審判)の白衣が似合うな。鶯が淡雪を纏っているかのようだ。
なかなか風流な歌を詠むものだと思いながら、私は的申しの座へとついた。
◇
ヒュンッと鋭い音を立てて、左方の射手が的を射抜いた。的の端だが、見事な当たりだ。
的申しの扇がひらりと宙を舞う。
——雪鶯どころか、天女のごとき美しさだ。
目を奪われ、しばし見惚れていた。
己の名が呼ばれ、ぎりりと弓を構えたその時。
視界の端に身過ごせぬものが映り込んだ。
後ろの馴れ馴れしい男は誰だ。
(……肩を触るな!)
怒りで気が逸れ、放たれた矢はわずかに軌道を外し、的の端に刺さる。
(……負けたらどうしてくれる!)
先ほどの男をキッと睨み付けると、ようやく唯輔から離れていった。
ふん、と鼻を鳴らし、いなくなった空を睨み付けていると、いきなり主が視界に入る。
そういえば次の控は主であった。
主が「ヒッ!」と小動物のように怯えている。
驚かせてしまったか。
深く息を吐き、荒ぶる怒りを鎮める。
「……失礼した」
主が腰の引けた格好のまま弓を放つ。
——見事に外れた。
「直道!ずるいぞ!」
振り向いた主にそんな言いがかりをつけられていると、遠くで唯輔が扇の下でふっと目を細めるのが見えた。
負けて会えぬのも、ましてや主の負け酒に唯輔が付き合わされるのも、許し難い。
もう一度、深く呼吸をして、矢に集中する。
——今度は正中を射抜いた。
微かに安堵の息をもらしながら、私は密かに勝利を確信したのだった。
◇
雪がちらつきはじめ、本降りに変わり始めた。
「かきくらす軒端の空にかずみえてながめもあへずおつるしら雪……」
(暗くなった空に最初はちらほら降り始めた雪が、今は数えきれないほどに降っている)
「珍しく矢が逸れたな」
「肩……」
「……肩がどうかしたか」
「いや……なんでもない」
盛り上がる宴の隅で、直道と酒を酌み交わす。
気を立て直し次の矢を見事中に当てた主は、早々と宴から消えた。姉のところへ行ったのだろう。
酒を強引に勧められる心配もなくなり、穏やかに器をくゆらす。
「……静かに部屋で飲み直すか。直道」
「ああ。……ん?」
にわかに騒がしくなった方角に目をやると、掴み合いの騒ぎになっていた。
「止めに……入るか」
「放っておけばそのうち止まる。それより」
バタンと大きな音がなったと思ったら、悲鳴が聞こえ、几帳と戸が倒れていた。
ため息を吐き、周囲に指示を出す。
「誰か、膳の片付けを。直道、すまぬが戸を直してくれ。私は様子を見てくる」
「承知した」
◇
「怪我人が出たと」
「ああ……この雪だ。あの怪我では熱も出るだろう。夜通し番をして、朝になったら薬師に遣いをやろう。直道、今宵はすまぬが……」
(褒美が……!)
愕然とする。しかも怪我をしたのは例の昼の男だと言うではないか。
苛立ちを募らせながら策を巡らす。
(面倒だ、連れてきて治療させればよい)
「……薬師だな。私が連れてくる」
「直道!?」
言うなり、唯輔の呼びかけを無視して部屋を飛び出した。
◇
「この雪の中、なんという無茶をするのだ」
「薬師にもそう言われた」
何故か清々しい晴れやかな表情の直道に無性に腹が立つ。
「褒美……」と手を広げて近づいてきた直道の身体が冷えすぎている。
「直道……其方、湯はもらわなかったのか」
「……拭い、着替えは済ませた。……急いでいたしな」
目を逸らす姿を見て、察する。
そんなに私の元に来たかったというのか。
呆れて……だが頬が熱くなり、咳払いで誤魔化す。
「疾く温もれ!病を得たらどうする」
火桶の側に背中を押し連れて行く。
棚より衣を幾つか取り、急ぎ戻ると、直道がすっかり肩を落として素直に火桶にあたっていた。
「唯輔」
「どうした?」
「背が温もらぬ」
「衣を掛けよう」
今持ってきた私の衣をかけてやった。
「助かる」
直道が指を擦りながらため息をつく。
「これではいつまでも温もらぬ。唯輔に近寄れぬ……」
先ほどあの雪の中、私のために薬師を連れてきてくれたのだ。すぐには温まるまい。……少しだけ、近くに寄るか。
「仕方ないな……これでよいか」
背に身体を近づけ、冷えた背中をゆっくりと手のひらで撫でてやる。
「ああ……温い」
直道が低く零す声が、すぐ背中から響く。
「唯輔」
「なんだ?」
「胸が温もらぬ」
「もう一枚衣を掛けるか」 と引こうとすると、するりと直道の腕がまわって引き止められる。
「これでは意味がない。……其方の温もりで温めてほしい。……腿も……温もらぬ」
腿とな。笑みが込み上げる。
(まったく、調子のいい男だ……だが、この熱にほだされている私も私か)
呆れつつも、眉尻を下げ乞うその存外可愛らしい様子に負け、私はついに——
「仕方ないな……これでよいか」
腿の上に座って直道を見上げた。
「ああ…………温い」
直道の腕に力がこもり、ぐっと引き寄せられる。
「なあ……背に触れてよいか。背の温もりを感じたい」
直道の手が背を伝う。
背のぬくみが大層心地よく……気がつけば直道の手はすっかり温もっていた。
「もう触っておるではないか」
笑いながら直道の首にゆっくりと手を添える。
「耳が冷えているぞ」
そっと耳たぶを喰むと、背を撫でていた直道の手が止まる。
「唇も冷たいな……」
興が乗って、触れるかどうかのささやかな口づけをした。
「もう一度、してくれ」
乞われるままに直道に深く口づけ、その身体を思い切り抱きしめると、力強い抱擁が返ってくる。
◇
抱きすくめる手に力をこめた。
この温もりを直で感じたい。
唯輔を見つめる瞳に熱が篭る。
「堕ちて雪鶯が移ろうてきたのだ……白雪を目の前に、眺めるだけでは飽き足らぬ」
手を握りしめ、その指を絡め取り……爪の先に唇を寄せる。
そのまま手のひら……手首……腕……肩……ゆっくりと口づけてゆく。
「淡雪に注がん……その爪で掻きくらせ」
離れがたい温もりに身を委ね、覆い被さりその腰をきつく掴んだ。
潤んだ瞳に唇を寄せ、誘うように開いた唇に深く口づける。
吐息が混ざり合ってゆく。
時折僅かに炭がはぜる音の他は何も聞こえない、静かな夜だった。
ムーンライトノベルズにて「賭弓──火桶の温もり」の別バージョンを公開しました。
作品名【『桜狩り』外伝・出会いの秋──和歌で解く二人の恋】、もしくは作者名【きびだんご】で検索してください。
第二話、エピソード名は「賭弓──火桶の温もりと雪鶯」です。レイティングおよび規約をご確認の上、お好みの湿度でお楽しみください。




