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無銘のジモン  作者: 山本田38ページ
記録にない目覚め
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第七話 残り火

夜が、明けていく。


空の端が白み始めても、村は、まだ煙っていた。燃え尽きた家。倒れた柱。あちこちで、誰かが、誰かの名を呼んでいる。


ジモンは、広場に座り込んだまま、それを聞いていた。


崩れ落ちた黒い巨体が、すぐ傍にある。家三つ分の、亡骸。横一文字の線は、もう何の光も灯さない。ただの、冷えた鉄の山だ。


「ジモンさん!」


声が、した。


ミラだった。斜面の下から、転がるように駆けてくる。煤で、顔が汚れている。だが、無事だった。


「ジモンさん、生きて——」言いかけて、ミラは、ジモンの姿に息を呑んだ。「……血。すごい、血。動かないで、今、誰か——」


「平気だ」ジモンは言った。実際、痛みは引き始めていた。驚くほど、速く。だが、それを口にはしなかった。「それより、ナギは」


「無事。怪我した人を運んでる」ミラは、ジモンの傍に膝をついた。それから、崩れた巨体を見上げ、ジモンの手の剣を見た。「……それ、竜戦士様の。ジモンさんが、青目様を……止めたの?」


「この剣のおかげさ」ジモンは答えた。


---


「その剣を」


低い声が、した。


瓦礫の中から、ファフニールが身を起こしていた。片膝をつき、崩れた壁に手をついて。鱗の覗く首筋に、血が伝っている。だが、金色の眼は、はっきりとジモンを見ていた。


ジモンは、立ち上がった。よろめきながら、ファフニールの前まで歩く。そして、剣を両手で差し出した。


「返す。あんたのだろう」


ファフニールは、すぐには、受け取らなかった。


「……お前は」と、言った。「それが何か、承知の上で、握ったのか」


「いや。こいつはすごい剣だな。助かった」ジモンは、答えた。「あっ。そうだ、勝手に借りたな。すまんかったな」慌てて付け加えた。


ファフニールの眼が、細くなる。嘘を探すように。だが、ジモンの顔には、嘘がなかった。本当に、わかっていない。それが——わかってしまった。


「……そうか」ファフニールは、剣を受け取った。「千年、この剣を振るってきた。だが、先ほど、お前が引き出したものを、私は知らぬ。あれは、私の知るこの剣では、なかった」


剣を、鞘に納める。その手が、わずかに止まった。


「応えたのは、私にではない。お前に、だ」低い声だった。「千年、振るってきた剣に、私の知らぬ力が、あった。それを引き出したのが——よりにもよって、お前とは」


畏れとも、好奇とも、つかなかった。


ファフニールは、ゆっくりと立ち上がった。ジモンを見下ろす。金色の竜眼が、ジモンの姿を、なぞる。だが、その輪郭は、どうしても、像を結ばない。霧を、掴むようだった。村人を捕らえろと命じた、あの時の眼とは、違っていた。


「縄は、もう打つまい」と、言った。「お前が何者かは、わからぬ。私の眼にも、映らぬ。だが——村を救ったのは、お前だ。それは、この眼で、見た」


「……ありがとよ」ジモンは、頭の後ろを掻いた。「正直、助かるよ。もう一度、縛られるのは、勘弁してほしかった」


ファフニールは、答えなかった。


ただ、その金色の眼の奥には、まだ、解けきらない何かが、残っていた。


---


その時。


ジモンの胸の奥で、棘が、また疼いた。


視界の隅。崩れた塀の陰を、人影が一つ、走り抜けようとしている。旅装の、男。森で、ゴルドと会っていた、あの男たちの一人だ。


考えるより先に、体が動いた。


痛む足が、地を蹴る。男が振り返った時には、もう、ジモンはその背後にいた。腕を捻り上げ、地面に組み伏せる。


「——っ、放せ! 何だ、貴様——!」


男が、喚いた。だが、ジモンの、腕は、外れなかった。


「悪いが」ジモンは、男を押さえたまま、言った。「あんた、見覚えがある」


男の顔が、強張った。


ジモンは、男を引きずって、ファフニールの前まで運んだ。


「こいつらだ。以前、森で、何かこそこそやっているのを、見た」


ファフニールは、組み伏せられた男を見下ろした。その腰の、装具。隠した刃物の、形。古びた白っぽい面の欠片が、懐から覗いている。それらを一瞥して——金色の眼が、すっと冷えた。


「……ブルズアイか」


男の肩が、跳ねた。図星、だった。


「あんたの、知り合いか?」ジモンは、聞いた。


「神に、仇なす、者たちだ」ファフニールは、短く、答えた。


男は、何も、語らなかった。


組み伏せられても、口を固く結んだまま。名も、仲間のことも、漏らさない。そう、躾けられた者の目だった。


捨てられても、なお黙る。ジモンには、それがかえって、不気味に思えた。


「なあ」ジモンは、ファフニールに、聞いた。崩れた黒い巨体を、見上げながら。「青目様を暴れさせたのも——あいつらか」


「間違いなかろう」ファフニールは、答えた。「奴らブルズアイは、我が神に対抗するために、古い遺物を掘り起こして、邪なことに利用しているようだ。」


ジモンは、黙って、黒い亡骸を見た。


「神の御業を盗み、世の理を、ひっくり返そうとする者たち」ファフニールの声に、苦いものが混じった。「神託を受けた、私にとっては——相容れぬ敵だ」


---


ゴルドは、村の外れで見つかった。


工作員たちと一緒に、逃げようとして、置いていかれたのだ。震えながら、藪に隠れているところを、村の男たちに引きずり出された。


すべてが、露見した。聖域への、手引き。余所者への、内通。金で、村を危うくしたこと。


村長は、言葉を失っていた。


口の上手いゴルドを、重んじ。守り神に疑いを漏らした、ナギ父娘を、遠ざけてきた。その判断の、すべてが——崩れた巨体の前で、無残に裏返っていた。


「お……俺は、何にも知らねえよ。ただ、ちょっと手伝えば、金をくれるって言うから……」ゴルドは、声を震わせた。


「馬鹿者が……」村長は、呻いた。


ナギは、何も、言わなかった。


ただ、怪我人に肩を貸し、黙々と働いていた。勝ち誇りも、しなかった。その背中を、村長は、ただ見ていることしか、できなかった。


ミラが、ジモンの隣に来た。


「……あたしたち、ずっと、余所者扱いだったの」ぽつりと言った。崩れた村を見ながら。「父さんが、青目様を変だって言うたびに。皆、いやな顔、して」


「そうか」


「でも、父さんは、正しかった」ミラは、ジモンを見上げた。煤だらけの顔で、少しだけ笑った。


ジモンは、何と言えばいいか、わからなかった。


---


森を抜ける、男が一人。


白い仮面の男だった。


血の一滴も、浴びていない。足音も立てない。先史文明の仮面が、その気配をことごとく消している。竜の戦士の感覚すら欺いた、隠密の技だ。


ゾルムスは、足を止めず、思考だけを巡らせていた。


作戦は、失敗した。番人の奪取は、ならなかった。下位の駒は、捨ててきた。組織は、結果しか見ない。自分の評価は、落ちるだろう。


だが、それは、些事だ。


問題は——あの、男だった。


無数の戦場を、見てきた。強者も、化け物も。だが、あんなものは、初めてだった。番人を、止めた。それも、SS級の上位形態を。たった一人で。


しかも。


仮面の奥で、眼が細くなる。


あの男に、気配がなかった。マナの揺らぎも、恩寵の波長も。何も。気配を消す達人であるこの自分が——存在そのものを、捉えられなかった。消されていたのでは、ない。最初から、そこに何もないかのようだった。


「……神の、使徒か」


低く、呟いた。


それしか、説明がつかなかった。神々が、この辺境の企てを嗅ぎつけ、刺客を送り込んだ。番人を止め、自分たちを潰すために。特殊なスキルを持つ人間か——あるいは、人の姿をした使徒。


「失態だな。さて、こんな非常識なことをどう報告したものか…」


呟いて、男は薄く笑った。失敗した隊長の、世迷い言。そう片付けられるに、決まっている。あの男の底知れなさを、肌で知ったのは、この自分、ただ一人。


ならば、それで、いい。


「いずれ、また」


仮面の男は、森の闇へ溶けた。


神々の知らぬ、男の影が。この世でただ一つ、反神の徒の記憶にだけ——刻まれた。


---


陽が、昇った。


煙の向こうから、白い光が差し込んで、崩れた村を照らした。失ったものは、多い。だが、村は残った。人も、半分以上は生きている。


ジモンは、それを見ていた。


勝った、のだろうか。よく、わからなかった。守り神を、壊した。村の、半分も。仮面の男は、逃した。何かが終わって、何かが始まった気がする。だが、その「何か」が何なのかは、相変わらず、わからないままだ。


わかったのは、ひとつ、だけ。


自分は、普通の人間ではない。剣を握れば、千年の戦士の知らぬ力が出る。体は、自分の意志より先に動く。あの光は——あれは、剣ではなく、自分の中から出た。


——俺は、何なんだ。


問いは、村に来たあの日より、ずっと大きく、ずっと重くなって、胸に残っていた。


肩に、ムニンが止まった。


『これから、どうする。』


ジモンは、少し、考えた。


「辺境都市、ラスリン」やがて、言った。「ここらで、一番の都市らしい。行ってみる。……何か、わかるかもしれん」


幾日か前の夜。寝床で、決めたことがあった。大きな街へ出て、力をつけ、世界を知り、自分が何者なのかを、確かめる。


その漠然とした決意に。今、初めて、行き先がついた。


ムニンは、何も、言わなかった。


ただ、繊維の羽が、朝日を受けて、金色に光った。


ジモンは、崩れた黒い巨体を、最後に一度、見上げた。


百年、村を守ってきた——と、誰もが信じてきた守り神。その正体も。なぜ、それが暴れたのかも。なぜ、自分がそれを止められたのかも。何ひとつ、本当のことは、村人に伝わらないまま、終わるのだろう。


伝わるのは、ただ、「守り神様が、お怒りになり、また、お鎮まりになった」という、それだけ。


崇める者には、崇める者の、物語がある。


ジモンは、そっと息を吐いた。


立ち直っていく村の、その朝の光の中で。


世界が、自分に隠していることの大きさだけが——静かに、輪郭を現し始めていた。


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