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エピローグ

【ルミエール王国:パラディソ島近くの海洋上】



 水平線まで続く青い海。

 空には雲一つなく、南国の太陽が容赦なく照りつけている。

 波は穏やかで、船はゆっくりと海面を滑っていた。時折、魚の群れが跳ね、海鳥たちが頭上を旋回していく。

 絵に描いたような平和な航路だ。

 ここも賊徒世界(ルミエール)の領ではあるが、王都からは遠く、ギャングの魔の手も届いていない。

 通信手段が発達していないこの国では、情報の伝達がひどく遅い。城下町が異世界からの侵略者――ギャングの一団によって壊滅させられたことを、この海周辺の住人は、誰も知らずにいた。


 *



「……変な奴ら、乗せちまった」



 周りに聞こえないよう声を潜め、船頭の男が呟いた。

 げんなりとした彼の声とは対照的な、はしゃいだ女の声が通る。



「いやー、さすがは南の国! 潮風が心地良いぜ!」



 黒スーツに赤いネクタイ――南国気分を楽しむ気などさらさら無い、暑苦しい姿の女が笑った。手でひさしを作り、楽しそうに海と空を眺めている。

 奇妙な風体だが、陽気なだけ女の方はマシである。

 問題なのは、もう一人の方だ。

 船尾には、黒い外套を纏った一人の男が座りこみ、じっと俯いていた。

 男の見た目は廃人と言っていい。

 俯き加減で、伸び放題の黒髪で表情が見えない。膝の上で組まれた両手は、何かに祈りを捧げているかのようだ。



「……マコ」



 男がつぶやく。彼は美しい海を見ない。空も見ない。船頭にも仲間と思しき女にも目を向けない。

 ただ、涙を貯めている。やがてそれが零れ落ち、頬を伝う。



「ごめんな、マコ。ごめんなぁ……」



 男がしゃくりあげる声が、海に響く。

 船頭は顔をしかめた。



「……いや、マコって誰だよ?」



 興味はない。男が発する陰気な空気に耐えかねて訊いただけだ。

 廃人と思しき男と、この女以外に乗客はいない。船頭は仕方なしに黒スーツの女に視線を向け、答えるよう促す。



「アタシも知らね。多分、奥さんか娘の名前じゃね?」


「あの御仁、アンタの友だちじゃないのか?」


「全然。アタシ、あいつの名前さえ知らないよ。『マコ』と『ごめん』の二語以外の語彙(ボキャブラリー)以外死んでるっぽくて、会話通じないし。繰り返すだけ。botと変わんねえ」


「ぼっと?」


「ああ、悪いな。異世界の人には通じねえか」


「何でそんな奴を連れてる?」


「仕事だよ。ウチの若様はこいつに期待してる……でも、なあ」



 女は煙草を取り出し、火をつけた。

 煙を燻らせながら、廃人の男に冷めた視線を向ける。



「……マコ」



 男の声は優しかった。

 愛する娘に呼びかけるシーンなら、微笑ましさを覚える声音だろう。

 だが、泣き顔の廃人が虚空に向けて発しているのだから、笑えない。



「流石に若様の見込み違いじゃねえのかね? アレは駄目だ……陰気が過ぎる」



 女が煙を輪に吐いた――その刹那、海面が盛り上がる。

 船体が急激に傾く。

 数十メートル先で海が渦を巻き、巨大な水柱が空へ伸びた。

 魚の群れが弾けるように飛び出し、海鳥たちが悲鳴を上げる。

 何かを察した船頭の顔から、血の気が引く。



「馬鹿な! この海域に奴は来ないはず……」



 水柱を突き破るように、巨大な顎が姿を現した。

 全長二十メートルはある海竜が咆哮し、船を丸ごと噛み砕かん勢いで飛び掛かった。



「……何あのUMA……面倒くさ」



 女は不機嫌そうな顔で、腰のホルスターから銃を抜く。

 しかし、すぐに手を止め、振り返る。

 ずっと俯いていた廃人が、静かな圧を放っていた。

 虚ろだった瞳が海竜に向く。ただ、視界には入っているものの、眼前に迫る海竜を気に留めている様子はない。

 彼はただ、海竜の背に、小さな白い海鳥を見ていた。



「……マコ」



 男が呟く。

 いつの間にか、海竜の首が消える。

 海竜にも、船頭にも、女にも斬撃は見えなかった。力なく倒れ込んだ巨体は海面に叩きつけられ、潮の瀑布が上空に巻き上がる。

 船頭の男が、頭を抱える。



「何だ? あの男は、何だってんだ!?」



 巻きあがった潮水が雨を降らす。

 火の消えた煙草に舌打ちし、女が言った。



「異世界からの、勇者様さ」


「勇者!? 噂で聞いたぞ! 王都の異世界召喚の儀……成功してたのか! じゃあ、アンタらはこの世界を救いに来た……」



 船頭は最後まで声を発することができなかった。

 彼の喉はいつの間にか引き裂かれており、血がドクドクと溢れ出ていた。

 女の手には、血に濡れたナイフが握られている。



「ごめんね、見られたからには口封じなんだ」



 崩れ落ちる船頭を、女は平然とした顔で見下ろした。



「奴はちゃーんと、世界を救う勇者様だよ。ただ、悪いな、ホント。アタシは所詮、一介のギャングに過ぎないのさ」




******




 そこはまさに、南国の楽園だった。

 海を見渡せる小丘に建てられた、白い石造りの屋敷――それが、若様の隠れ家だ。

 もとは貴族や富豪のリゾート地だったのだろう。磨き上げられた大理石の壁や床がきらきらと陽光を反射する。



「いいとこ住みやがる」



 異世界の勇者を背に連れ、女が笑った。

 二人は屋敷に備え付けのプールに足を踏み入れる。ターコイズブルーの水面に、光の網がゆらめいていた。ビーチパラソルの影で、長い後ろ髪を三つ編みにした少年が一人、サマーベッドに腰かけている。ブルーハワイのカクテルを片手に、暇そうに読書をしていた



「約束の品、連れて来たぜ、第八皇子(ハロルド)



 三つ編みの少年――ハロルド・カーヴァンクルが二人に目を向け、サイドテーブルにグラスを置いた。



「ありがとー、マリア。遠いディアボロス王国までご苦労だったね」



 ねぎらいの言葉を受け、マリアが笑った。



「若の頼みとあれば、この程度はな。しかし、若を疑うわけじゃないが……こいつ流石に足りてなくない?」



 マリアが廃人の男を親指で指す。彼は今もなお、虚空を眺めて「マコ」と呼んでいる。

 ハロルドは特に引いた様子もなく、楽しそうに勇者を観察していた。



「確かにちょっと病気だね。でも、実力は確かだよ。疑わしいなら、確かめてみる?」


「確かめるって、どうやって?」


「鑑定スキル。ステータスオープン」



 ハロルドが唱えると、宙に光の枠が浮かび、文字列が浮かび上がった。

 マリアが物珍しそうな顔で覗き込む。



━━━━━━━━━━━━━━━━━━

ユウジ・タカハシ

━━━━━━━━━━━━━━━━━━


レベル:87


HP:1 / 148

MP:126 / 126


筋力:142

耐久:137

敏捷:131

器用:118

知力:94

精神:0

幸運:12


━━━━━━━━━━━━━━━━━━

スキル

━━━━━━━━━━━━━━━━━━


聖剣術 Lv.10

神速剣 Lv.10

身体強化 Lv.10

勇者の一撃 Lv.10


━━━━━━━━━━━━━━━━━━

加護

━━━━━━━━━━━━━━━━━━


戦神アレス

光神ルクス

生命神ユグドラ


━━━━━━━━━━━━━━━━━━

状態異常

━━━━━━━━━━━━━━━━━━


精神崩壊

━━━━━━━━━━━━━━━━━━



「HP1じゃねえか」


「それっぽいよね」


「それっぽかったら困るだろ」


「だってこの人、希望を喪った生ける屍って感じじゃん」


「わかんねえ。筋力142とか敏捷131とかは、高いのか低いのか……」


「超高いよ。召喚で呼ばれる勇者って、ランダムじゃなくて、女神の加護とかユニークスキルの恩恵を受けやすい人間が選出されるんだ。この世界なら神にもなれる潜在能力(ポテンシャル)を秘めてる。まあそうした溢れんばかりの才能たちも、開幕五秒で八分の七死んだけどね」



 マリアは目を廃人の男に向ける。

 ――八王国が召喚した八人の勇者たち。

 ――内七人は、異世界からの侵略者の手にかかり、爆速で死んだらしい。

 ――ただ一人、ディアボロス王国が召喚した、この勇者を除いて。



「可能性は分かったけどさ。計画(、、)に使えるレベルまで成長できるか? 壊れてるし」


「壊れてるくらいが、僕らにとって丁度いいよ」


「何それ? どういう意味?」



 不審そうに聞くマリアに、ハロルドは含みのある笑みを返した。



「ねえマリア、一番壊れた世界はどれだと思う?」


「ん? 何の質問?」


「八王国がつないだ異世界たち。ゾンビ映画の世界、サメ映画の世界、ヒーロー映画の世界、災害映画の世界、ホラー映画の世界……いろいろあるけど、一番壊れた世界は、どれだと思う?」


「一番ヤバいのが誰かってこと? さあ、わかんね。サメか月あたりじゃね? 少なくとも、私らギャングじゃなかろうよ」


「過小評価だよ、マリア。君たちは良い線行ってる。人間が人間を滅ぼした世界……君たちギャング映画の世界は、二番目に狂ってた」


「ふーん、じゃあ一番やばいのはどの異世界?」


「八の異世界はどれも、一番じゃない」



 ハロルドは楽しさを押さえきれない様子で、宙に浮かぶステータス画面を撫でた。やがて口の中を爆発させたように、笑い声を上げる。



「経験値にレベルアップにステータス、チートスキルに女神の加護……そして何より、異世界召喚! 不思議だよ! こんな概念が平然と存在するヤバさに、どうして誰も気づかない! パワーバランスなんてぶっ壊れのグッチャグチャ! 八の世界からの侵略者なんてどうでもいいでしょ! あんな奴ら、所詮はスパイス程度に追加された混沌に過ぎない! 世界の混ざり(、、、)を、誰が作ったと思ってる!?」


 ハロルドがすっと静かになり、両手を広げた。

 ただ無邪気に――それでいて不気味に笑う。



「奴らに思い知らせてやる。一番にイカれてるのは、僕らの世界(、、、、、)さ」



挿絵(By みてみん)



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