第七話 カレンダーの赤と黒。それから緑
我が家は手狭なトレーラーハウスであるが、一際存在感を放つカレンダーが壁にかけられている。カレンダーのページを全てちぎり、四月から十二月までのカレンダーを横並びで壁にかけているのだ。
医者に告げられた余命通りなら、来年の四月前後までは生きているはずだ。まだ来年のカレンダーはあるわけもないし、とりあえず今年の年末までは壁にかけている。
赤と黒で日々を印をつけられていくこのカレンダーは、俺の残り時間を表すだけではなく、日々の充実度を視覚的に確認できる。
過ぎ去った日々は黒でバツ印をつけ、黒島さんと会った日は、過ごした時間の長さに関わらず赤い丸がついている。五月も下旬に差し掛かろうという頃には、ずいぶん赤い丸が増えていた。
だが、より充実感を感じるのは、やはりスマホのメッセージの数だろう。黒島さんは、まめに連絡をくれるし、こちらも迷惑にならないようにメッセージの送信には気を遣っている。
こちらは言ってみれば余生を過ごしている身だから、彼女の生活を掻き乱すことはしたくない。寄り添う形で彼女のそばにいるぐらいが今の俺にはちょうどいい。
「なぁ、ところで私と過ごした日も黒でバッテンつけてるのね。ちょっぴり寂しいかしら」
例によってまた突然現れて声をかけてくる岩女は背後でくねくねと艶かしく動いていた。若干の気持ち悪さを覚えつつも、岩女のセリフにはたと気づく。
どれだけ女に見えなくとも、恋愛の守備範囲から外れようとも、岩女はとの日々をバツ印で潰すのは、確かに違和感を覚えた。実際、特にやることもない、やりたいことも思い浮かばない毎日が鬱屈せず過ごせているのは、この岩女のおかげであることは間違いなかった。
「よし、じゃあお前がいた日にも丸をつけとくか。余った緑色でいい?」
「私は余り物か」
「福がありそうでいいじゃないか」
「小癪な、私は神だぞ」
目を見合わせ、二人して笑い声を上げた。今ではすっかり芸人のコンビよろしく、軽口を言い合う中だ。やっぱり、今の俺の生活は思ったほど寂しい生活ではなかったらしい。先月のカレンダーにも遡って緑色の丸をつけていくと、それがよく分かった。だが、やはり一度黒でバツ印をつけたところに上から緑の丸をつけると、どうやっても汚なく見えてしまう。
「なんか、汚くね?」
「それを言っちゃあお終いよ」
俺の余命カレンダーが、汚くもほんのり彩りを得たことに、俺はどこか目頭が熱くなる感覚を覚えていた。
さて、湿っぽいのはやめて、黒島さんとのデートを思い返して気持ちを明るくしていこう。
黒島さんとは、喫茶店行ったり、レストランに行ったりすることがほとんどだった。食事とおしゃべりを楽しみ、時間が許せば散歩をしたりと、なんだか若者らしからぬデートで内心呆れられるのではと不安だったが、黒島さんにとってはむしろそのほうが都合がよかったらしい。
すでに人見知りなのは知っているが、外見からも彼女はあまり女性らしいオシャレが苦手らしいことが男の俺でも見抜けてしうほどに、彼女は朴訥とした女の子だ。言い方は悪いが、地味で色気がない。この言葉に尽きる。
だからと言って、俺も人のことをとやかく言えた身ではないし、もちろん彼女に不満があるわけもない。むしろ、俺は素朴な人の方が好みだし、そういう意味では黒島さんはとても魅力的に映る。何より遊び慣れ、男慣れしてないからか、いちいちデート相手を値踏みをするかのように言動を見定めることがないのが、何より居心地が良かった。
そして、今日も黒島さんとのデートだ。彼女のリクエストで、少し地元から離れた大きめの美術館へ一緒に出かることになっている。支度を整えて玄関を出ようとすると、岩女から威勢のいい待ったがかかった。
「はい、服装チェック!」
岩女からの号令。デート前の身だしなみの確認も、恒例行事となりつつある。
「大丈夫か?変なとこないかな?」
毎度デートに行く時の服装には非常に悩む。黒島さんは気にしないと言ってくれているが、男たるもの、隣を歩いていて女性に恥をかかせる服装であってはならない。とはいえ、俺もファッションセンスは壊滅的で、無難な服しか着る勇気がない。昨今のファストファッションにおける当たり障りのないその辺でよく見かけるような目になれた安価な服に大変お世話になっている身の上だ。
「男は過度におしゃれするもんじゃないわよ。大事なのはとにかく清潔感。そして自然な着こなしよ。高価な服やアクセサリーで着飾ったところで、男の本質を女は簡単に見抜くものよ」
「勉強になるわー。でもさ、よくお前は女は男を見極める能力があるっていうけど、それならなんで世の中にはろくでもない男に引っかかる女が多勢いるんだ?」
「そういう子達は、ろくでもない男を求めているからよ。無意識にね。彼女たちはそれぞれが求める恋愛を体験させてくれる男をその時々に選んでいるに過ぎないのよ。恋愛をより楽しめる男と安心して子育てを一緒にできる男は属性が違うことだって無意識では分かってる。その上で、惚れた腫れたの感情の波を楽しんでるのよ。他人の不幸は蜜の味だけど、自分の不幸だって、存外甘いのよ。だから癖になる子もいる。それだけの話」
「それ、世の女性たちに言ったら炎上するな」
「人の世ではそうでしょうね。でも、あなたも“こっち側”に来れば分かると思うわ。体験は幸も不幸も尊いものだって。」
「そういうもんですか」
「そういうものよ。だから、楽しんでいってらっしゃい」
「分かったよママ」
「まだ言うか」
岩女に見送られ、車に乗り込み待ち合わせ場所へと向かう。今日は天気もいいし、五月晴れというやつだな。梅雨前のわずかな快適な季節は、出かけるにはもってこいだ。
「いや〜、五月晴れ五月晴れ。気持ちいわね〜」
「おい、待て貴様。なぜ車に乗っている」
岩女に見送られ、出発したはずだが、気づいたら助手席に乗って悠々窓を開け車窓の景色に魅入っている岩女がいた。
「てっきり今日はついてこないかと思ったけど・・・」
「話忘れたことがあってね。あなた絵描きのこと最近いい感じみたいだけど、そろそろもうワンステップ進ませてもいいんじゃない?まだ手も繋いでないでしょ」
「そういえば・・・そうだ」
「あんた誠実に付き合うのもいいけど、そういう肉体の交わりも大事よ?」
「神様、その言い方は誤解があるのでは?」
「かまやしないわよ。あんたは無理やり女を手篭めにするような男ではないのは分かってるけど、ある程度のところで関係を進ませないと、見切られるわよ?」
「へっ?黒島さんて、そういうの求めてる子なのか?」
「かぁ〜!!これだから鈍い男ってのはいやね。それじゃ、縁結びの神からの本日の課題!手を繋げ!とりあえず繋げ!今はそれだけでいいから!少しでもいいから関係を進ませなさい!」
「これまた唐突ですね」
「四の五の言うな。やれ」
「はい・・・」
手を繋ぐ、か。確かに、イチャイチャを目指しているのに手すら繋いでないのはおかしな話だ。女の子と手を繋ぐなんて、それすらもう数十年ぶりだというに、なんだか急に自信がなくなってきた。どうやって俺は手を繋いでいたんだ?元カノの時はどうだったか?
過去の記憶を遡るが、まるで霧がかかったように思い出せない。




