第五話 喫茶店デート
席につき、早速注文する。俺はコーヒーを、黒島さんは紅茶を注文していた。メニューを見てみると、美味しそうなケーキもいくつかあるみたなので、こちらも二人分注文した。
黒島さんは人見知りで若干対人恐怖症があると言っていたが、視線の落ち着きのなさや指がもじもじと動いている様子からも、今もだいぶ緊張している様子が伺える。普通そんなだったら、いくらお礼のためとはいえ、わざわざこうして人に会いに来てくれたことが、なんだか嬉しく思った。
「あの・・・、この間は本当にありがとうございました」
黒島さんは丁寧にお礼を述べている。
「いえいえ、たまたま通りがかっただけですし、気にしないでください。それに、お陰様で俺は素敵な絵を見ることができましたからね。むしろラッキーでしたよ」
黒島さんは顔を赤くして、目を伏してしまった。
「ほんとに、あなたは私の絵を褒めてくれるんですね。嬉しいです」
そういう彼女の声にはどこか切実さが感じられた。前に会った時も、自分の絵は誰にも褒められないと言っていたが、にわかに信じがたい。
「黒島さんは、どこか絵画教室とか通われていますか?あるいは、美術系の学校に通っているとか」
「あー・・・。学校には通っていません。今のところ、趣味として絵を描いています」
「なるほど、どいうことは独学であれだけの絵を・・・。それはすごいですね」
彼女の目は笑っているが、どうにも眉は下がっているように見える。まずいことでも言ってしまったか。
「実は私、本当は絵の学校とか行きたかったんですけど、私の親はシングルマザーなので、高校卒業してからは自分で働きながら学費を貯めているところです。毎日、空いた時間で絵の練習をして、休みの日もなるべく人がいなさそうな場所を選んで絵を描いたりしながら、いつかもっと絵が上手くなれたらと、そう思いながら絵を描いています。だから、嬉しかったんです。私の絵を褒めてくれて・・・」
伏し目がちでたどたどしく話す彼女だったが、彼女なりに自分が嬉しかったことを伝えてくれたことに、俺もまた嬉しさを感じていた。いつ以来かわからない、人とのコミュニケーションで、俺の心はほくほくと温まっていた。
「そうでしたか、ご苦労なさってるんですね。でも、あなたの絵はきっと多くの人を魅了しますよ。できることがあったら手伝ってあげたいくらいです」
「それは、本当にありがたい申し出です」
黒島さんはぺこりと頭を下げた。少し、重みのある話をしてしまったので、話題を変えてみることにした。最近の若い女性がどんな話題を好むかなんてなにも予備知識はなかったが、とうの黒島さんも疎いということが会話の中で判明した。
そもそも、彼女は学費を捻出するために出来うる限りの節制生活を送っていた。喫茶店に来ただけではしゃいでしまうほど、彼女は同姓代がしているであろう遊びすらろくにしていなかった。そんな時間があれば絵の練習をして、画材を買い、学費を貯めていたのだ。
なんとも健気だ。世間話に始まり、黒島さんは自分がいかにして絵に感化され、絵の道を志したかを熱く熱弁している。「一枚の絵に衝撃を受けたんです」彼女の言葉は力強かった。
「子供の頃、美術館の招待券をもらったことがあって、お母さんに連れられて、美術館に行ったことがあったんです。写実的だったり、抽象的だったり、絵にはいろんな表現があって、まるで知らない世界を切り劣って額縁に嵌め込んだんじゃなかってくらいに、私は絵の世界に魅了されたんです」
俺は相槌を打ちながら、彼女の絵の原点についての話に耳を傾けている。何かを好きになるのに、本来は、言葉すらいらないのかもしれない。彼女は言った。「見た時に、思ったんです。絵を描きたいって。そう強く思ったんです」この言葉に、俺は深く感銘を覚えた。
それは羨望にも似ていたのかもしれない。何か一つのことを必死で追求するという体験は、俺の人生ではなかったことだから。今どき、お金だけあったところで、生活に不便を感じないだけで、満たされたり幸せを感じられるかといえば、どうやら違うらしいというのが、俺の率直な感想だ。
なんだかとても、黒島さんが眩しく見えてしまった。それにしても、彼女は本当に絵が好きなんだろう。話に花が咲いて、すっかり聞き役に徹してしまっている。
「はああぁあ、すいません!つい、絵の話で盛り上がってしまって!退屈ではありませんでしたか?」
「そんなことありませんよ。絵が好きなんだなぁって、とても微笑ましいです」
彼女は、顔を赤らめながら紅茶を一口飲み、一息つく。
「私も、こんなに人と楽しく話すのは久しぶりです。こんな性格なので、誰かと上手に話しをするなんて、とてもとても・・・」
「そうは見えませんでしたが?」
「それは・・・多分、あなただからだと思います。なんだかとても話しやす人だなって、この前会った時にも思いました」
「お〜、そうなんですね。まぁ、人畜無害系ですからね。おまけに、背景に溶け込むくらい存在感無いので」
「そっ、そんなことありませんよ!」
黒島さんにしては大きな声が出たようで、彼女は恥ずかしそうにしている。一方この俺も、自虐で言った冗談を真っ向から否定してくれた黒島さんに、どことなく気恥ずかしさを感じてしまった。
「自分でも、なんだか不思議だったんです。あなたとだったら、自然と話せることができたのが。今日、お会いしたいと思ったのも・・・実は・・・また会いたいと・・・思って・・・」
正直に言おう。今俺は、黒島さんにときめいている。髪を仕切に直し、視線は泳ぎまくり、落ち着きのない彼女が、俺と会いたかったと恥ずかしそうに、だがしっかりと思いを伝えてくれていることに対して、俺は確信した。
「俺も黒島さんと会えて嬉しいですよ。また、会いたいですね」
その言葉に彼女は恥ずかしがりつつも、とても嬉しそうな表情を見たことで、このときめきはさらに高まり、なんとも言えない高揚感に包まれた。
お茶とケーキを楽しんだ俺たちは喫茶店を後にした。もちろん、また会う約束を取り付けて。スマホのカレンダーに入ったデートの予定に、久しぶりににんまりとしてしまう。
「順調そうね」
「だー!また突然現れるな!びっくりするだろがい!」
「仕方ないでしょ。私はもともと不可視の存在。慣れなさい」
「まったく・・・。んで、見てたんだろう?黒島さんは、俺に脈があると思うか?」
「縁を結べた時点で脈自体はあるに決まってるでしょ。前にも言ったけど、肝心なのはその縁をいかに育むか。でも、今日はよかったんじゃない?あの子、楽しそうにしてたじゃない」
「そうか、それならよかった」
「・・・。相手が自分に靡いているか、じゃなくて相手が楽しめてることを重視してる感じ?」
「そりゃそうだろう。聞いてただろ?あの子苦労人だぜ。せっかくこうして時間使ってきてくれたなら、楽しんでもらいたいと思うのが人情だろう」
「あなた、なんでそこまで気が回るのに彼女できなかったのよ・・・」
「知らねえって。それこそ、縁がなかったんだろうさ」
「確かに、本来縁は必要な時に自然と結ばれるものだしね。人生を通して見るならば、孤独でいる時間も必要なもの。あなたにとって、最適な縁が今こうしてやって来たのかもしれないわね」
「おかしなことを言う。縁を結んだのはお前だろ?」
「確かに、縁を結んだのは私だ。けれど、やたらめったらむべる物でもないのよ。ちゃんとあなたとご縁の兆しがないと、結びようがないんだから」
「ふ〜ん・・・。人生そう思い通りにはいかないってことか」
「そういうこと」
「今日も作戦会議するか?」
「作戦会議より、まずは恋愛再デビューを祝したい。お前も付き合ってくれよ」
「あら、嬉しいこと言ってくれっるじゃない」
この縁結びの神様のサポートもあって、俺はひとまず女性との数十年ぶりのデートを楽しみ、次に繋げることもできた。まずは、色褪せた日常から一歩踏み出した自分を、労いたくなったのだ。




