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余命一年恋物語  作者: 榊 珠江
幕間

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真夏の夜の風邪

 岩女が睨んだ通り、俺は見事に風邪をひいてしまった。原因はルイと行ったキャンプで雨に打たれたのが原因だ。


 キャンプから帰ったあと、体調の異変に気づいたが、岩女はそんな俺を叱咤しながら無理やり買い物へと行かせられ、岩女に言われるがまま買い物をさせられた。


 買い物の行き先は薬局店。風邪をひいた時によく飲む漢方薬や、栄養ドリンクの他、スポーツドリンクやゼリー飲料などなど、風邪の時にお世話になる商品を買い漁り、俺は満を辞して寝込むことと相なった。


 キャンプの疲れもあったので、俺は買い出しから戻ったあと少し体を横にして休むつもりが、ぐっすり眠ってしまい、気づけば外は真っ暗になっていた。


 台所から懐かしい音が聞こえてくる。トントンと包丁とまな板が当たる音だ。こうして、ベッドで寝ながらこの音を聞くと、不思議と子供の頃に戻ったような心地になる。


 どうやら岩女が何か料理を作っているらしい。美味しそうな匂いが漂ってくる。体を起こそうかと思ったが、とてもだるく起きる気が失せてしまう。枕元にはスポーツ飲料と体温計が置かれていた。試しに熱を測ってみると、体温は三十八度を超えるかどうかという具合だ。風邪が確定した瞬間だった。


 ところが今の俺は仕事をしているわけでもなく、何か重要な用事があるわけでもないので、風邪をひいたとて焦ることは何もないのだが、ここまでしっかり風邪をひいて寝込むのは随分久々な気がする。社会人として働いていた時は風邪は引いたら負けとばかりに体調管理は徹底していたし、万が一風邪をひいても、風邪薬で全てを誤魔化し会社へ向かっていたものだった。


 今更ながら、ブラックな働き方をしていたと思う。どうしてあんな無理を自分に強いていたのだろうか。人間、風邪をひいたならこうして休むのが本来自然なのだ。病床にもかかわらず快適というのこれいかに。働き方は生き方に直結すると思い知らされる。


「おかゆできたけど、少し食べれそう?」


 岩女は台所で何をしていたかと思えば、まさかこんなものを作っていたとは。これでは押しかけ女房ではないか。だが、こんな時だ。ありがたいことは間違いない。間違いないが、岩女の見かけが岩なのが実に惜しい。でなければ俺は生身の人間を捨て置いてこの女神に惚れていただろうこと請け合いだ。この女神、神ゆえなのか俺のことは大抵お見通しなのだ。したがって、家事をこなすにしても、実に細やかで気が利くのだ。


「わざわざありがとうな。てっきり、酒の肴でも作っているのかと」


「それももちろん作ってあるわよ。ほら」


 きっちりベッド脇のサイドテーブルにはご丁寧に酒とおつまみが用意されていた。なるほど、手際が良い。


「今夜は長くなりそうだからね」


「積読でも溜まってるのか?」


「そんなところ」


 最近の岩女は図書館で借りた本を読み漁り、こうして夜になると静かに読み耽るのが日常となっていた。神様ゆえに眠る必要がないので、特段神様業が忙しくなければこうして余暇として読書を楽しむのだという。実に羨ましいご身分だ。


 だが、お陰様で俺は心細い夜を一人で過ごさなくて済む。なぜ人はこんな大人になってまで風邪を引くとこうも心細くなるのだろうか。岩女の作ったお粥は、そんな冷めざめとしていた俺の心をじんわりと温めてくれた。


 うまい。素直にそう感じた。黙々とお粥を食べる俺を見ると、岩女は酒を煽りながら読書に耽り始めた。どことなく得意げな顔をしているのが少々気に食わないが、うまいお粥に免じて見なかったことにしてやろう。


 岩女は俺が食事を終えるとまたテキパキと食器を片付け、薬を飲むよう俺に促す。まさしく看病をされているわけだが、俺は岩女が率先して動いてくれているのでついつい甘えっぱなしになり、すっかり子供の頃を思い出していた。子供の頃は、風邪を引くと両親が普段はさせない甘えを許してくれるのが妙に嬉しかった記憶がある。


 ふと頭を掠めたのは、元カノの記憶だ。元カノと付き合っている時も、一度風邪を引いて寝込んだことがあった。あの時は普通に社会人としてはたら気に出ていたから風邪を引いても会社に行っていたし、何より風邪をうつしては悪いので、風邪を引いている間は俺の家に来ないように厳しく言いつけていた。


 元カノは「彼氏の看病をするのが夢」などと妙な夢を語って、看病をさせなかった俺に腹を立てていたが、病気を映したくないこちらの気持ちも察してほしいところだ。もちろん俺だって彼女に看病されたい気持ちがなかったといえば嘘になる。だが、全ては過ぎ去った過去の話だ。


 瞼が重くなる。意識が遠のく。体は重く気だるいが、眠気に誘われ、俺はそのまま目を閉じた。


 真っ暗な世界。その真っ暗な世界の中に、光と共に懐かしい我が家の光景が映し出された。これは、子供の頃に俺が住んでいた家の台所。両親なき今、実家を畳んだ今は跡形もない風景。


 父は新聞を読み、母は台所で料理をしている。暖かい湯気が立ち上り、包丁の音が小気味よく台所に響く。俺は子供の頃、この暖かい光景を何度となく目にしていた。


 その光景がどんどんと遠ざかり、暗闇に吸い込まれるように遠のいていく。父を、母を呼ぶが、二人は俺の声に気づかない。ついには懐かしい団欒の景色は闇に包まれ、代わりに映し出されてのは、誰もいない伽藍堂の我が家だ。ただ一つ、仏壇だけが部屋の中心に怯え立ち、両親の位牌と遺影を線香の香りが彩っている。


 俺には親類縁者も、兄弟もいない。まさしく、天涯孤独だ。そして俺は命を次の世代に繋ぐこともできず孤独に死に往く運命だ。


 頭の中が暗闇に溶けていき、世界が歪んで見えていく。抗うこともできず、言い知れぬ恐怖に体が硬直し深い闇に沈んでいく。自分の荒い吐息や鼓動の音だけが真っ暗な世界に広がり満たされた瞬間、俺は悪夢から目が覚め、天井には毎夜見る見慣れた天井が見えた。


「そうか、俺は死ぬんよな。誰かに見送られることもなく、いきた証も残せずに・・・」


 すでに覚悟は決めていたはずだ。受け入れてもいたはずだ。だが、己の死を否応なく自覚すると、途端に心が砕けてしまう。


「いやだ・・・死にたくない」


 体が重い、声が出ない。なのに、俺は譫言のように力無く泣き叫んだ。


「死にたくない・・・!死にたくないよ!」


 まるで子供のように声をあげ、泣いてしまった。泣いたところで、親兄弟はいないのだ。鳴き声を聞きつけ、様子を見にきてくれる人は誰もいない。声をかけ心配してくれる人も誰もいない。わかっている。わかっているが、叫ばずにはいられなかった。


 すっと、俺の手を握り、頭をそっと撫でる感触がした。


「どうしたの?随分具合が悪そうね。悪い夢でも見たの?」


 ゴツゴツとした大きな手、顔の筋肉で目元が窪みかつ暗くて目が見えない顔。岩女だ。岩女が、俺の顔を覗き込んでいた。


「・・・あれ?いたのか、女神」


「随分、汗かいてるわね。待ってなさい。今タオルで拭くから」


 そう言うと岩女はサイドテーブルに置かれていたタオルで俺の汗を拭き取ってくれた。どうやら、岩女は俺を寝ずに看病してくれたいたらしい。


「ごめん、迷惑をかけて」


「そんなことないでしょ。風邪を引いた時は心細くなるからね。それに、あなた体調悪くなくても時々夜泣いてたでしょ」


「気づいてたのか?」


「神様にはお見通しよ」


「そうか・・・。俺は、自分の死をすっかり受け止めた気になっていたけど、結局この通りだ。情けないなぁ・・・」


「そんなことないわよ」


「なぁ、女神様」


「なぁに?」


「女神がこうして俺と一緒にいてご縁を結んでもらえるのも奇跡みたいなものだろ?ならさ、この病気も治せたりできないのかな?」


「残念ながら、それはできない。人の生き死には私ではどうすることもできないし、大神様もどうする気もないわ。これは宿命のようなものなのよ。ごめんなさい」


「そうか、そううまくはいかないよなぁ・・・」


 淡い希望が砕かれた瞬間だった。だが、俺は神を恨もうとは思わない。俺が余命を告げられ、縁結びの神社でした阿呆極まるお願いを聞き入れ、こうして女神まで派遣してくれている時点で望外な配慮といえる。


 なにより、俺は今この状況に死ぬほど救われているのは間違いない。弱っている時にそばに誰かがいてくれるだけでどれだけ心強いか。岩女はしれっと俺を看病しているが、女神だからと言うには、あまりに慈悲深い。岩女には感謝しかない。

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