第9話 天海、祠の記録を読む若君に戦慄する
家族会議での俺の決死の火消し――三下ムーブから数日が経った。
表向きは「竹千代様の御試み」ということで片がつき、俺の命を脅かす切腹フラグはひとまず遠のいたように見えた。
しかし、俺の胃痛の種である「水神扱い」の噂は、全く収まる気配を見せていなかった。
それどころか。
『大御所様も、国松様のお力を笑ってお認めになられた』
『竹千代様ご自身が、国松様のことを水神様と御呼びになられた』
『天海僧正様が直々に、榎戸村の祠を改めに行かれるそうだ』
噂は、あろうことか「徳川家公認」「幕府の高官が動いた」という、凄まじいまでの権威と公式感を帯びて、さらに変異・増殖を続けていたのだ。
(違う! 家康公は認めてないし、兄上のは冗談だし、天海様のはただの調査だろ! なんで『徳川家公認の水神様』みたいになってんだよ! 情報伝達がバグりすぎだ!)
朝から自室で一人頭を抱えていると、小栗半兵衛が、いつも以上に背筋を伸ばしてふすまの向こうに現れた。
「若君。天海様が、榎戸村の祠をご覧になりたいとのこと。若君にも、ぜひともご同行願いたいとのお申し入れにございます」
俺は少し考え込んだ。
天海僧正といえば、徳川家康の側近にして、江戸幕府の宗教・呪術的政策の要を担う大物だ。
彼のような本物の宗教専門家なら、俺がただの子供であり、神仏の化身などではないことを、すぐに見破ってくれるのではないか。
(そうだ! これはむしろ、誤解を解く最大のチャンスだ! 俺が神仏の声なんて全く聞いていないことを、専門家の目で証明してもらおう!)
俺は意気揚々と立ち上がった。
「よし。天海様なら、きっと分かってくれるはずだ」
……この時の俺は、まだ知らなかった。
中途半端な事実を「正直に」話すことが、江戸初期の宗教権威に対してどれほどの劇薬になるのかを。
*
榎戸村へ向かう道中。
俺と半兵衛、与平を含む数名の供回り、そして黒衣に身を包んだ天海僧正が、馬と籠を連ねてのんびりと進んでいた。
「国松様。民の間では、若君様が神仏の御声を聞かれ、水を呼ばれたのだと、もっぱらの噂になっておりますな」
天海は、皺の刻まれた顔に穏やかな笑みを浮かべ、世間話でもするかのように問いかけてきた。
(来た! 火消しチャンス!)
俺はここぞとばかりに、全力で否定にかかった。
「とんでもございませぬ、天海様! 神仏の声など、私には一切聞こえませぬ。御告げも、お姿を見たことも、ただの一度もございませぬ!」
俺の必死の否定に、天海の眼差しがほんの少しだけ柔らかくなったように見えた。
(よしよし、いい感じだ。これで『なーんだ、ただの子供の山勘か』と思ってくれれば……)
俺はさらに畳み掛けるように、事実を軽く見せるための言葉を足した。
「私に見えるのは、せいぜい地の下の水脈の場所くらいでして。へへへ」
その瞬間。
天海の動きが、ピタリと止まった。
すぐ後ろを歩いていた半兵衛が「ヒッ」と息を呑み、与平が「あちゃあ」という顔で目を伏せるのが見えた。
俺は慌てて補足した。
「あ、いえ! もちろん百発百中ではございませぬよ! 七割程度です。七割程度! 三割は普通に外しますから! 石の層にぶつかったり、濁り水だったり、深すぎてどうにもならなかったりしますし!」
天海は、無言のまま、薄く目を開いて俺を見つめていた。
(七割。……七割も、地の底を流れる水を見通すと申されるのか? それを、ただの『程度』と?)
天海の心の声が、顔の皺の隙間から漏れ出しているかのようだった。
「ですので、水神だなんてとんでもないのです! もし私が水神なら、十割全部当てますでしょう? でも私は七割です。失敗もたくさんございます。私はただの、少し水を探すのが上手いだけの子供にすぎません! へへへへ」
俺の渾身の三下ムーブ。
だが、天海の顔から笑顔が消えることはなかった。
むしろ、その笑みの奥底にある得体の知れない温度が、急激に下がっていくのを感じた。
(失敗を隠さず、己を神仏とは言わない。だが、地の底の水を七割も見抜くという。……それはかえって、生身の人の身でありながら、神仏の理に直接触れている証拠ではないのか?)
天海の心の声が、今度は俺の肌を粟立たせた。
(あれ? 天海様、なんか目がめっちゃ怖くなってない? 俺、何かまずいこと言ったか!?)
*
榎戸村に到着すると、村の空気は先日とは見違えるほど明るくなっていた。
水が出た井戸の周りには、源七の職人衆によって立派な木枠と囲いが作られている。
村の田の一部にもすでに水が回り始めており、枯れかけていた稲がかすかに緑を取り戻していた。
「若君様!!」
俺たちの姿を見るなり、村の代表である弥助をはじめとする村人たちが、一斉に地面に平伏した。
「顔を上げよ、弥助。拝むな。私はただ、通りがかりの通行の邪魔になるだけの若君だ」
俺は必死に威厳と謙虚さをアピールする。
「そのようなこと……! 若君様のおかげで、村の田が、そして我らの命が息を吹き返しておりまする!」
弥助が感涙にむせびながら答えるのを、俺は即座に遮った。
「違う。それは源七たちの腕と、お前たちの労と、竹千代兄上の御試みがあってこそだ。私を拝むのは筋違いだぞ」
天海は、少し後ろからそのやり取りを静かに観察していた。
(手柄を己に集めず、兄と現場の者に散らしておられる。これは、己を神に祭り上げさせないための浅知恵か。……あるいは、神仏に近き者ほど、自然と己を空にするものだということか)
天海のその解釈のせいで、俺の火消しがまたしても逆効果のガソリンになっていることなど、俺は知る由もなかった。
*
俺たちは、村の外れにある「水守りの祠」へと向かった。
先日来た時よりも、祠の周囲は綺麗に整えられていた。
苔が払われ、小さな榊と野花が供えられ、新しい竹の器に井戸水がなみなみと注がれて置かれている。
村人たちがひっきりなしに手を合わせたのだろう、祠の前の地面の土が固く踏みしめられており、古びていた鈴縄も新しい麻の縄で修繕されていた。
天海は祠の前に座り、静かに数珠を揉んで手を合わせた。
俺もその後ろに控えながら、視界の端に現れたAR表示に目を向けた。
『水守り系信仰ノード、微弱再起動中』
『朝拝ログ:弥助、七日連続』
『供水ログ:井戸水、一杯』
『鈴縄補修ログ:村人二名』
『現地信仰安定度:上昇』
『推奨:継続行為への肯定的応答』
(おっ、システムログが出たな)
俺は内心で感心した。
(弥助のやつ、井戸が出てから七日連続で、毎朝欠かさず拝みに来てるのか。真面目だなあ。供水ログってことは、あの器の水も弥助が……。鈴縄を直したのも村人なんだな。みんな偉いじゃん)
そして、最後の一文。
(推奨:継続行為への肯定的応答……つまり、これだけ頑張ってるんだから、ちゃんと褒めてやれってことだな?)
現代のマネジメント知識としても、努力に対する適切なフィードバックはモチベーション維持に不可欠だ。
俺はシステムの指示に従うことにした。
「弥助」
俺が声をかけると、弥助がビクッと肩を震わせて平伏した。
「はっ」
「毎朝、新しい井戸の水を一杯、この水守り様に供えているそうだな」
「……え?」
「七日、一日も欠かさず続けているのは、実に立派なことだ。その鈴縄も、村の者と二人で綺麗に直したのだろう。お前たちのその誠意、水守り様もきっと喜んでおられるぞ」
その瞬間。
弥助が、完全に石化したように固まった。
読経を終えようとしていた天海の背中も、ピクリと硬直した。
半兵衛の筆が宙で止まり、与平が「あっ……」と顔をしかめて天を仰ぐ。
(……あれ?)
俺は、取り返しのつかないミスを犯したことに、数秒遅れて気がついた。
弥助が毎朝暗いうちに一人で祠に水を供えていることも、鈴縄を直したことも、彼は誰にも言っていなかったのだ。
もちろん、俺の耳に報告が入っているはずもない。
弥助が、全身をガタガタと震わせながら、ゆっくりと顔を上げた。
「な、なぜ……なぜ、若君様が、私が誰にも言わずにおこなったことを……ご存じなのでございますか……?」
俺は、冷や汗を滝のように流しながら、必死に言い訳を探した。
「あ、いや! これは、その……祠の記録に出ていたんだ!」
全員が、水を打ったように静まり返った。
俺はさらにドツボにはまっていく。
「いや、記録というか、履歴というか……あの、ノードのログ……いや、違うな。ええと、祠に残っている、祈りの痕跡のようなものが、見えたというか……!」
天海の顔から、完全に血の気が引いていた。
(祠に残る、祈りの痕跡を見る……。神仏に捧げられた行為を、人の身でありながら知る。そして、神仏に代わってその行為を褒め、慰撫する。……声を聞くなどというものよりも、なお深い。これは、完全に神仏の代弁者そのものではないか……!)
天海の心の声が、もはや物理的な圧となって俺を押しつぶしにかかってくる。
「違いますよ!? 天海様!」
俺は天海に向かって必死に手を振った。
「私は神仏の声を聞いたわけではありません! ただ、システム的な記録のようなものがチラッと見えただけです! 会話はしてません! だから、全然大丈夫です!」
「……大丈夫、とは」
「神仏会話ではないので、セーフです!」
(会話ではない。だが、神仏の側に蓄えられた記憶を読んでいる。……それは、人間が触れてよい領域なのか?)
天海は、無表情のまま、俺を見据えていた。
「あれ? 天海様? 顔色がひどく悪いですよ?」
「……いえ。拙僧の、長年の認識というものを、少々改めねばならぬかと思っておりました」
「誤解です! 絶対それ、やばい方向に誤解してます!」
「拙僧は、まだ何も申し上げておりませぬが」
「顔が! 顔が全部言ってますから!」
*
天海は、努めて冷静さを装いながら、一つだけ質問を投げかけてきた。
「……国松様。その、祠に残る記録というものは、国松様のお目には、どのように見えておるのでございますか」
俺は迷った。
ここで適当な嘘をつけば、後で矛盾を突かれて面倒なことになる。
かといって、正直に言えばさらに天海の警戒を強めることになる。
だが、宗教の専門家に対して嘘をつき通せる自信もない。
俺は、半ばヤケクソで正直に答えることにした。
「青白い文字のようなものです。時々、水の筋や、地面の下の様子も、薄く光って見えます。……ですが、全部ではありません! 精度も低いです! 水脈は七割程度ですし、祠の記録も、断片的な単語が羅列されるだけです!」
俺の言葉を聞き、天海は心中でさらに深く、重く戦慄していた。
(青白い文字。水の筋。地の下。祠の記録。……断片的とはいえ、それらが見える。これは、神仏そのものではない。だが、人と神仏の、まさに境目に立つ者だ。……危険だ)
天海の顔色がさらに蒼白になるのを見て、俺は慌てて付け足した。
「あの、本当に大した能力じゃありませんからね!? しかも、私はまだ六歳ですし、背も低いですし! 水深を測るために泥に入るだけで、腰が痛くなるくらい貧弱なんです!」
(この恐るべき神異を持ちながら、己をあくまで小さく語る。しかも、泥にまみれて民の労苦を直に知ろうとする。……危うい。民が生き仏として祭り上げる条件が、あまりにも揃いすぎている)
天海は、もはや口に出すことすら恐ろしいというように、黙って首を振った。
(駄目だ……。俺が何を言っても、全部天海様の脳内でプラス補正されて、より高度な宗教的ヤバさに変換されてる……!)
俺は心の中で、白旗を揚げた。
*
天海は再び祠に向き直り、静かに読経を始めた。
重厚で、腹の底に響くような天台宗の経の声。
その声が響き渡ると、祠の前の空気が、わずかに引き締まったように感じられた。
同時に、俺の視界のAR表示が更新された。
『外部宗教専門家による儀礼入力を確認』
『信仰ノード安定化率、微増』
『系統照合:天台・密教系儀礼』
『互換性:部分一致』
『推奨:儀礼継続』
「おお……」
俺は思わず、感心した声を出してしまった。
「天海様の読経、ちゃんと互換性があるのか……」
読経がピタリと止まり、天海が信じられないという顔でこちらを振り返った。
「……互換、とは。聞き慣れぬ言葉にございますな」
(しまった!)
「いや、その……! この祠の古い力と、天海様のお経は、相性が悪くないようです、という意味でして!」
天海は、深く、深く沈黙した。
(祠が、拙僧の儀礼を受け入れた。そして国松様は、それを見た。……つまり、この御方は、神仏と儀礼の『相性』すら、数字のようなもので見極めておられるのか……!)
「……国松様。拙僧の経は、この祠に届いておりますか」
天海の掠れた声の問いに、俺はもう、見えたままを答えるしかなかった。
「はい。完全ではありませんが、届いているようです。安定化率が、少し上がりましたので」
天海は、完全に戦慄した。
俺は冷や汗をぬぐいながら、引きつった笑いを浮かべた。
「……あっ、今のも、まずかったですよね?」
後ろで、半兵衛が黙って筆を震わせ、与平が遠くの空を見つめていた。
*
だが、さすがは天下の天海僧正だった。
彼は即座に自身の動揺を押し殺し、現場を整えるために動いた。
俺をそのまま「神仏の代弁者」として村人たちに持ち上げさせるのは、政治的にも宗教的にも危険すぎる。
彼は村人たちを前に、厳かな、しかし強い声で言い渡した。
「榎戸村の者たちよ、よく聞くがよい。水守り様は、お前たちが水を粗末にせず、井戸を守り、祠を美しく整えたことを、何より喜ばれておる」
「ははっ……!」
「されど、若君様を神仏そのものとして直接拝むのは、恐れ多いことである。お前たちが感謝すべきは、この試みを許された竹千代様と徳川の御威光、そして、汗を流した職人と村の者たち、最後に水守り様の御加護である。それを決して忘れるな」
(天海様! ありがとうございます! 助かった!)
俺は内心で天海に手を合わせた。
これで、村人たちの過剰な信仰も少しは落ち着くはずだ。
しかし、村人たちの受け止め方は、俺の期待とは微妙に、いや、決定的にズレていた。
(おお……。天海僧正様ご自身が、国松様が水守り様の御心を伝えたことをお認めになられた。……ただ、若君様を直接神として拝むのは不敬に当たるゆえ、心の中でのみ生神様としてお慕いし、表向きは徳川様と水守り様に感謝せよということだな!)
弥助たちは、さらに深く、より洗練された信仰心をその目に宿して、深く額をすりつけた。
(駄目だ! 天海様が火消ししてくれたせいで、逆に『公式な信仰の形』として整備されちゃったじゃないか!)
俺の絶望は、さらに深くなる一方だった。
*
帰路。
俺は、天海と馬を並べながら、必死の懇願を続けていた。
「天海様。私は、神仏ではありません。それだけは、どうか、どうか大御所様にもお伝えください!」
天海は、穏やかな顔で前を向いたまま答えた。
「承知しております。国松様は、神仏そのものではございませぬ」
「分かっていただけましたか!」
俺がパッと顔を明るくした瞬間、天海は静かに言葉を続けた。
「されど……神仏と民の、間に立つ御方であることは、もはや否定しきれませぬな」
「……分かってない!」
俺は鞍の上で崩れ落ちそうになった。
「いえ、分かっておりますとも」
天海は、俺の方を見ずに微かな笑みを浮かべた。
「ゆえに、拙僧は国松様のことを、軽々しく水神とも、生き仏とも申しませぬ」
「ありがとうございます! その言葉だけが救いです!」
「……呼ばずとも、民はそう見るでしょうが」
「助けてください!」
天海は、初めて俺の方を向き、慈愛に満ちた、しかし底知れぬ深さを持った瞳で微笑んだ。
「ならば国松様、今後もこれまで通り、職人と百姓と竹千代様の名を、ご自身よりも前に出し続けなされ。……神仏に近き者ほど、己を空にし、周囲を立てるもの。それが結果として、国松様ご自身をお守りする道にもなりましょう」
「……そのアドバイスの言い方も、だいぶ神仏側に寄ってますよね!?」
「お気になさらず」
「気にします!!」
*
その夜。
江戸城の奥深くで、天海は家康に事の顛末を報告していた。
「……どうであった。国松は本当に、神仏の声を聞いておるのか」
家康の問いに、天海は静かに首を振った。
「国松様は、神仏の声は聞こえぬと仰せでした」
「ほう。では、あれはただの山勘で、噂は全て外れか」
「……いえ」
家康が、訝しげに目を細めた。
「声ではなく……御痕跡を、見ておられるのやもしれませぬ」
「御痕跡?」
天海は、昼間に見た光景を淡々と語った。
地の下の水脈が七割見えること。
祠に供えられた水や、誰にも言わぬ朝拝を見抜いたこと。
自分の読経が祠に届いたことを見たこと。
そして、本人が必死に自分は神仏ではないと否定していること。
家康は、長い間沈黙した。
「国松様は、神仏そのものではございませぬ」
天海は、自らの結論を口にした。
「されど、神仏と民の間に立つ御方にございます。水を見、祈りの痕跡を読み、神仏に代わって民を慰撫なされる。……これを生き仏と呼べば、あの御方は全力で否定なさるでしょうが」
「……であろうな」
「ゆえに、公式にはそう呼ばぬ方がよろしいかと。呼ばずとも、民はそう見るでしょうが」
家康は、ふっと息を吐いて笑った。
「厄介な孫よ」
「はっ」
天海もまた、微かに目を伏せた。
「ただし、決して粗末に扱うべきではございませぬ。祀り上げすぎれば、天下の危うき火種となる。されど、力で押さえつければ、さらに危うい。……あの力は、竹千代様の御世を助ける、水と田の守り手として、徳川の内側に置き、上手く手綱を握るべきかと」
「そなたも、同じ結論か」
「はい」
「ならば、そのように整えよ」
家康の方針が、完全に固まった瞬間だった。
国松を消すのではない。
神にするのでもない。
竹千代の側に置き、徳川の秩序の中で、ひたすらに水と田を見させる。
それが、最も安全で、最も徳川の利となる道だと。
*
翌朝。
俺は、半兵衛からの報告を聞いて、とりあえずは胸を撫で下ろしていた。
「若君。天海様が、榎戸村の祠を幕府の手で丁重に整えるよう命じられたそうにございます。また、村の者たちには、若君様を直接神として祀るのではなく、水守り様と、竹千代様の御試みへの感謝を忘れるな、と強く言い渡されたとか」
「よし……! 天海様、ちゃんと約束通り火消ししてくれたんだな」
俺が安堵の息を吐くと、半兵衛は言葉を続けた。
「はい。ただ、村人たちは『国松様は、水守り様の御心をお伝えくださる、尊き御使いであらせられる』と、以前にも増して手を合わせておりまして」
「……火が消えてないじゃないか!」
「いえ、以前のような無秩序な騒ぎではなく、より整った、静かで深い火にございます」
「火に『整う』も何もあるか!! 燃えてる時点でアウトだろ!」
俺が頭を抱えたその時、視界の端に無機質な文字が浮かんだ。
『水守り系信仰ノード:安定化』
『儀礼継続推奨』
『地域信仰ルート、徳川管理下へ移行中』
『備考:管理者候補への信頼値、上昇』
「やめろ……信頼値を上げるな。俺は管理者候補になんてなりたいわけじゃないんだ……!」
だが、俺の悲痛な叫びを無視して、文字は静かに空中に消えていった。
誤解は消えなかった。
ただ、天海という江戸時代最高峰の宗教専門家の手によって、より丁寧に、より安全に、そしてより「厄介で強固な形」へと、俺の信仰は整えられてしまっただけだった。
「……もしかして」
俺は遠い目をしながら、ポツリとこぼした。
「……火消しって、燃やし方を整えることじゃないよな?」
誰からの返事もない。
ただ、江戸の初夏の風だけが、俺の虚しい問いを連れ去っていくだけだった。
最後までお付き合いいただき感謝します。
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