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暴君忠長に転生したので、兄上のために日本列島をメンテします 〜SFチートのはずが、田んぼと水路と寺社ノードの保守係なんですが〜  作者: パラレル・ゲーマー
第六部・早く訪れた太平の世編

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第70話 水神様、永冷石の氷室箱を披露する

 江戸城、御異物改方の一室。


 俺は、机の前に積み上げられた書類の山を前に、完全に虚無の目をしていた。


『公家文書御用・江戸交代滞在制度案』


『公儀祐筆見習い・育成制度案』


『公儀提出文書・様式統一規定案』


『寺院および町方における読み書き教育支援案』


『武家諸法度・禁中並公家中諸法度文言修正案』


『京・畿内整備支援要望整理案』


「……文官不足を解決するための書類を、書くための文官が足りないという。この地獄のような堂々巡りに、私はいつまで付き合えばいいんでしょうか……」


『行政国家の誕生期って、だいたいそういうものよ』


「知りたくなかった!」


 俺が現実逃避のために白目を剥いていると、半兵衛が、いつもとは違う別の台帳を抱えて部屋に入ってきた。


「若君。お待ちかねの品が、整いましたぞ」


 半兵衛が恭しく差し出したその台帳の表題は、『永冷石(えいれいせき)増殖試験・極秘経過覚』だった。


 俺の死んでいた目に、一瞬だけ光が戻る。


「……よし。今日はこっちの仕事を優先する。もう書類の束は見たくない。石だ。石は喋らない。石は生意気な反論をしない。石は朝廷みたいに面倒な文言修正を求めてこない!」


『でも、石は新しい管理規定を増やすわよ?』


「やめてください!」


 *


 かつて、天海僧正が寺社の奥深くから持ち込んできた奇跡の石、『永熱石』と『永冷石』。


 あの時は、魔法使い系の異星文明由来の危険な熱操作アーティファクトだと判明し、俺は表向き「公儀の蔵で厳重に封蔵する」として、手を出していないように見せかけていた。


 だが実際には、神仏ノードが安定し、江戸港湾や大坂ノードなどの余剰エネルギーに余裕が出てきてから……俺は極秘裏に、ごく小規模な『永冷石の増殖・加工試験』を続けていたのだ。


 なお、『永熱石』の方は、火災リスクが尋常ではないため、今回は完全に後回しにしている。


「永熱石は怖い。扱いを間違えれば、江戸の町が一瞬で大火事になる。だから、まずは永冷石だ」


 冷やす方であれば、食、薬、氷、看病、流通、そして熱に弱い文物の保護と、泰平の世における実用性が圧倒的に高いからだ。


 *


 御異物改方の、厳重に警固された地下の作業場。


 そこには、俺の指示で集められた腕利きの石工、木工、漆職人。そして半兵衛と、天海経由で口の堅い僧侶数名、厳選された役人だけが集まっていた。


 作業場の中央に置かれているのは。


 神仏ノードのエネルギーを操作し、元の永冷石の性質を焼き付けることに成功した『青みがかった花崗岩の薄板』。


 そして、それを貼り付けるための分厚い木枠、断熱層となる藁と布と漆。


 試験用の水皿、魚、薬草、瓜、肉、竹筒に入れた水。


 俺は、集まった職人たちに、設計の意図を説明した。


「最初は、永冷石の塊をそのまま増やして、諸大名に配ることも考えた。……でも、それは絶対に駄目だ」


「なぜでございましょう」


 石工の親方が首を傾げる。


「石そのものを神仏のお力で増やせるのであれば、それを配る方が早うございませぬか」


「拳大の永冷石をそのまま貸し出すと、簡単に盗まれるからです」


 俺は、人間の欲望を前提に語った。


「隠しやすい。持ち運びやすい。裏で売り払いやすい。武家や悪徳商人が血眼になって取り合う。……最悪、欠片でも効果があると考えて、勝手に砕いて使おうとする馬鹿が出ます」


「だから」


 俺は、組みかけの分厚い木箱を指差した。


「石そのものではなく、こうして『箱に組み込んだ状態』にして貸し出すんです」


 奇物単体ではなく、用途を『冷蔵庫』として完全に固定した、重くて運びにくい器具として貸与する。これが、俺の実務的な工夫だった。


『アーティファクトの持つ強力な機能を、安全なプロダクト(製品)の中に閉じ込めるわけね』


(言い方は現代っぽいけど、要するにそうです)


 職人たちの手で、箱は三層構造に組み上げられていく。


 外側は、堅牢で分厚い木箱。


 中間は、藁、布、空気層、漆を重ねて、外の熱を完全に遮断する断熱層。


 そして内側に、永冷石化した花崗岩の薄板を隙間なく貼り付ける。


「部屋ごと冷たい蔵を作るんじゃない。持ち運びできる『小さな氷室』を箱にするんです」


 半兵衛が、その様子を見ながら、興奮したように筆を構えた。


『水神様、御手ずから小さき氷室を生み給う──』


「半兵衛! 神話にするな! 『永冷石板貼付・木箱試作記録』でいい!」


「地味すぎませぬか!?」


「地味でいいんだよ!」


 *


 完成した箱を使って、厳密な性能試験が始まった。


【試験一:水が凍るか】


 薄い陶器の皿に水を張り、氷室箱へ入れて蓋を閉める。


 一刻ほどでは、まだ水は冷たいだけだった。しかし、一晩そのまま置いておくと……翌朝、皿の水にはしっかりと『薄い氷』が張っていた。


 職人たちが、信じられないものを見るようにどよめいた。


「氷室も、冬の寒さもなしに……」


「ただの木箱の中で、氷が張ったぞ……!」


 俺は冷静に分析した。


「薄い水なら氷になる。ただし、大量の水を凍らせるほどの絶対的な冷却力はない。氷を作るなら、薄い皿か小さな器に分ける必要がありますね」


 半兵衛が、真面目な顔で帳面に記録する。


『水量多き器、凍結遅し。薄皿、凍結早し』


「そう、それ大事」


【試験二:魚の保存】


 朝に用意した生の魚を、普通の木箱と、永冷石の氷室箱の二つに分ける。


 翌日。普通の箱に入れた魚は、すでに生臭い匂いが出始めていた。しかし、氷室箱の魚は、明らかに状態が良く、匂いもほとんどない。


「完全に腐らないわけじゃない。でも、傷む速さは劇的に遅くできます」


 俺は、ここで最大の注意点を職人たちに叩き込んだ。


「いいですか。絶対に過信させないでください。『冷えているから大丈夫』で何日も放置したら駄目です。冷やしても、いつかは腐るものは腐ります」


【試験三:薬種と医療】


 熱に弱く、夏場に駄目になりやすい薬草や膏薬(こうやく)を保存する。


 立ち会っていた医僧が、感極まったように声を上げた。


「夏場、貴重な薬種が傷むのを防げるやもしれませぬ。……それに、ひどい熱を出した病人に、この箱で冷やした布や水を当ててやれれば……!」


「医療用途は、最も優先度が高いですね」


【試験四:(うり)の試食】


 氷室箱で一晩冷やした瓜を切り分け、全員で試食する。


 一口食べた職人が、言葉を失った。


「……甘い」


「ただの瓜が、まるで別物の菓子のように美味いではないか……」


「冷やし瓜の破壊力は、やっぱり強いな……」


『これ、大名たちに出したら、一発で目の色が変わるわね』


「贅沢品としてだけ重宝されて広まるのは嫌なんですけど……でも、分かりやすい『実演』には最高に向いてるんだよなあ」


【試験五:冷やしすぎ問題】


 一部の薬草や、水分の多い果物は、箱の中で冷えすぎて逆に傷んでしまった。


「ほら来た。やっぱり万能じゃない」


 俺は、冷気の直接当たる場所とそうでない場所の温度差を確認した。


「冷やせば全部良くなるわけじゃない。入れる場所も大事だ。……これは、貸し出す時に絶対に『使い方の手引き』が必要になるぞ」


「では、手引きの中に『冷やしてよい物』と『冷やしすぎてはならぬ物』の項を明確に作りまする」


 半兵衛が、淀みなく提案する。


「最高。半兵衛、もう完全に品質管理担当の顔になってる」


 *


 便利さの確認だけでなく、俺は実務官として、この氷室箱がもたらす『リスクの整理』を行った。


【利点】


 夏場の魚・肉の傷みを遅らせる。薬種の長期保存。病人の熱冷まし。旅や長距離輸送中の食材保存。献上品の鮮度保持。氷・冷水・冷やし瓜などの贅沢の提供。……将来的には、商人への貸与による流通の劇的な改善。古典籍や顔料、(にかわ)など、熱に弱い文物保護への応用。


【危険と懸念】


 箱ごと、あるいは石板のみの盗難。無断の分解による破損。他家への又貸し。裏での売買。偽物の横行。冷えを過信したことによる食中毒。冷やしすぎによる薬や食材の損傷。「水神の秘宝」としての過剰な神格化。商人が独占して、氷や冷たい品の値を吊り上げる利権化。……毒物や、危険物の保存にも使える。戦時には、兵糧の保存にも使える。


「……便利すぎる」


 俺は、自分で書き出したリストを見て戦慄した。


「便利すぎるからこそ、絶対に厳重に管理しないと駄目だ」


『始めて見た時は、あんたこれ見て「現代の冷蔵庫の劣化版」とか言ってたくせに。ずいぶん評価が変わったじゃない』


「現代基準なら不便な劣化版でも、江戸時代の基準でいえば、流通と医療を根底から変える『戦略物資』なんですよ……!」


『ちゃんと歴史の理不尽さを学んだじゃない』


「大御所様に、死ぬほど怒られましたからね!」


 *


 数日後。江戸城の奥深い座敷。


 家康、秀忠、竹千代、本多正純、天海、そして記録係の半兵衛の前で。


 俺は、完成した『永冷石氷室箱』を披露した。


 俺が分厚い木の蓋を開けると、箱の中から、薄く白い冷気がスッと漏れ出した。


 竹千代が、スッと手を近づけ、その冷たさに目を細めた。


「……箱の中だけ、真冬のようだ」


 秀忠が、中に入れてあった皿の氷を見て、驚きに声を上げる。


「まさか……。氷室からわざわざ運び出した氷ではないのだな」


「はい。普通の水を薄い器に入れて、この永冷石箱の中へ一晩置いたものです」


「永冷石を、増やしたか」


 家康の目が、鋭く光る。


「正確には、あの危険な永冷石そのものを大量に作ったわけではありません」


 俺は、加工の仕組みを説明した。


「元の永冷石の性質を、似た花崗岩に薄く『焼き付け』ました。さらにそれを板にして、箱の内側へ強固に貼っています。……石そのものを配るのではなく、使い道を『箱』に限定した形です」


 竹千代が、俺の意図を即座に理解した。


「なるほど。盗まれても、石の塊そのものより圧倒的に扱いにくい。無理に分解して板を剥がそうとすれば、壊れて冷気を失う。用途も『箱の中を冷やすこと』だけに制限される」


「はい。完全に防げるわけではありませんが、悪用されるリスクは大幅に下がります」


 家康が、腹の底から楽しそうに笑った。


「はっはっは! 国松。お前は、理外の奇跡の代物を、実に泥臭く『使い勝手の良い道具』へと落とし込むのう!」


「それ、褒めてます?」


「褒めておるわ!」


「まこと、冷たき龍神の箱にございますな」


 天海が、どこか神聖なものを見る目で呟いた。


「だから、そういう神話っぽい言い方はやめてください!」


 横で半兵衛の筆が、ものすごい速度で走り始める。


「半兵衛も書くな!!」


 *


 家康は、この氷室箱を、ただ江戸城の奥で便利に使う気はなかった。


「……これは。諸大名へ見せるべきじゃな」


「やっぱり、そうなりますよね……」


「隠しておけば、ただの徳川の秘宝で終わる。だが、諸国に見せれば。公儀は奇物をただ恐れて封じるだけではない。増やし、加工し、天下のために使える形にできるのだと、圧倒的な力を見せつけることができる」


 家康の言葉は、完全に政治的パフォーマンスのそれだった。


「それに」


 秀忠が続ける。


「各大名の手元にも、古き寺宝、家宝、奇石、怪しき器具が、まだまだ眠っているやもしれませぬ」


「公儀へ届ければ、ただ理不尽に取り上げられるだけではない。こうして『使える形』にして返ってくる、あるいは貸与される。……そう思わせる必要がある」


 竹千代が、奇物回収の動機づけを語る。


「つまり、この永冷石箱は、全国奇物回収キャンペーンの『目玉商品』ですか」


「その通りじゃ」


「言い方を、もう少し武家っぽく威厳のある感じに……」


「天下のために、あまねく奇物を集めるための『極上の餌』じゃ」


「さらに悪くなった!」


 *


 諸大名へ見せる前に、俺は徹夜で『貸与規定』を作り上げた。


『永冷石氷室箱・公儀貸与覚』


 ・永冷石氷室箱の所有権は、完全に公儀にある。諸大名には「貸与」するのみである。


 ・永冷石板の取り外し、無断の分解、削り取りを固く禁ずる。


 ・他家への又貸し、売買、質入れ、隠匿を禁ずる。


 ・破損、紛失時は、いかなる理由であれ即日公儀へ報告すること。無断で修理せず、公儀へ返送せよ。


 ・医療、薬種、救荒、献上品、食材保存など、公益用途を優先すること。贅沢用途は禁じないが、過度な奢侈(しゃし)は禁止。


 ・偽物を作った者、偽の永冷石箱を売った者は厳罰に処す。


 ・商人への貸与は、当面の間は禁止。将来、公儀の許可制で検討する。


 ・貸与先には、必ず『保管責任者』を置くこと。


 ・使用用途を必ず帳面に記録し、月ごと、または季節ごとに『使用報告書』を公儀へ提出すること。


「……これ、冷蔵箱の便利な説明書じゃなくて、完全に『危険物の貸与規定』ですよね」


「当然だ。神仏の理外にある奇物なのだから」


 俺のぼやきを、竹千代が一刀両断する。


「……万が一、失くした場合はどうなりますか?」


 俺が秀忠に尋ねると、将軍は冷たく言い放った。


「ただの紛失で済ませてはならぬ。隠した、売った、分解したとみなし、大名としての『かなり重い処分』を下す」


「よい。公儀の預けた奇物を粗末に扱うような輩は、国を預かる資格なしと見る」


 家康も、容赦なく同意した。


「……大名の統治能力評価にまで使われるのか……。借りる方も命がけだな」


 *


 数日後。


 江戸城の広間に、譜代、外様、親藩の主要な諸大名が集められた。


 彼らは皆、「また新しい法度か」「また報告書類が増えるのか」と、戦々恐々と身構えていた。


 家康が、悠然と上座へ現れた。


「本日は、法度の堅苦しい文言を詰めるために呼んだのではない」


「……」


「公儀が密かに封蔵していた『奇物』の一つを、諸大名に見せるためじゃ」


 大名たちが、小さくざわついた。


「奇物……?」


「魔鏡の類でござろうか?」


「水神様の『御異物改方』が扱う、呪われた品では……」


 広間の中央に、厳重に封印札が貼られた大きな木箱が運ばれてきた。


 俺が進み出て、半兵衛が記録をつける中、これ見よがしに大げさな手続きで封印札を確認し、剥がしていく。


「箱を開けるだけで、あれほど細かく記録を取るのか……」


「公儀の奇物管理とは、あのように厳重なものなのか……」


 大名たちは、その物々しい手続きに息を呑んだ。


 俺が、ゆっくりと木箱の蓋を開ける。


 中から、真っ白な冷気が、座敷の畳を這うように溢れ出した。


 中には。


 器に張った氷。


 冷やされた瑞々しい瓜。


 保存状態の良い魚。


 そして、貴重な薬種。


 大名たちは、完全に言葉を失った。


「氷……?」


「氷室から、わざわざ運び出したものではないのか」


「今、このただの木箱の中で冷えたと……?」


「水神様の、氷室……」


 家康が、通る声で宣言した。


「これは、永冷石を用いた『氷室箱』じゃ」


「かつて公儀が封蔵した、理外の理で冷気を保ち続ける奇石。その性質を、国松が板へ移し、箱の内に強固に貼った」


 家康の目が、大名たちをねめ回す。


「公儀は、天下の奇物を、ただ恐れて蔵の奥に封じるだけではない」


「……使える形に改め、天下のために用いる」


 諸大名は、徳川の底知れぬ力に、完全に圧倒されていた。


 *


 実演が始まった。


 家康の合図で、氷室箱で冷やされた瓜が、小片に切られて大名たちへ配られる。


 一口食べた大名たちが、驚きに目を見開く。


「……冷たい」


「夏場ならば、これは……」


「ただの瓜が、まるで別物の極上の菓子のようではないか!」


「贅沢だけではない」


 竹千代が、実用性を強調する。


「病に倒れ、高熱を出した者の口にも入りやすい。熱冷ましの水を作るにも重宝する」


「熱を持った病人に、いつでも冷たい水や瓜を出せるのは、命に関わる大きな違いになります」


 俺も、医療用途の重要性を付け加える。


 次に、前日から保存した魚を見せる。


 生臭い匂いが、驚くほど少ない。


 海沿い、あるいは内陸の領主たちが、これに最も強く反応した。


「海の魚を、内陸へ……」


「江戸へ、鮮度を保ったまま運べるやもしれぬぞ!」


「熱で傷みやすい薬種や膏薬の保存にも使えるではないか!」


 天海が、その見立てを裏付ける。


「いかにも。夏場、貴重な薬種が腐るのを防ぎ、戦場や旅先での看病にも大いなる益がございましょう」


 そして。


 薄い器で作られた『氷』を見せると、大名たちのざわめきは最高潮に達した。


「氷を、作れる……」


「冬の間に雪を貯める氷室を持たぬ国でも、真夏に氷を……!」


 俺は、彼らの興奮が『万能の神の箱』へと飛躍する前に、冷や水を浴びせるように鋭く釘を刺した。


「勘違いしないでください。大量の氷を一気に作れるわけではありません! 水の量、器の形、置く時間で完全に差が出ます!」


「冷えるからといって、入れた全ての物が永遠に腐らないわけでもありません! 使い方を間違えれば、薬も食材も凍って駄目になります!」


 家康が、面白そうに笑った。


「聞いたか。水神様は、奇跡の箱を見せながら、まず最初に『失敗の話』をする」


「失敗の記録が、実務においては一番大事なんです!」


 *


 家康が、いよいよ本題へと入る。


「この永冷石氷室箱は、あくまで公儀の所有物である」


「だが。……これを一部、諸大名へ貸し出す」


 大名たちが、驚愕に顔を見合わせた。


「貸し出し……?」


「このような恐るべき秘宝を、我らに?」


 秀忠が、将軍としての威厳を持って厳しく言う。


「勘違いしてはならぬ。与えるのではない。『預ける』のだ」


「公儀の貴重な奇物を預かるという、その責任の重みを決して忘れるな」


 竹千代が、俺が作った貸与規定を容赦なく突きつける。


「破損、紛失、売買、隠匿、無断分解、又貸し。これらは全て厳罰とする」


「ただし、恐れて蔵の奥にしまい込むだけでは意味がない。薬、食、病人の看護、献上品の保存。各自、必ず有効に使い、そして……必ず『記録』を出せ」


「使用用途、入れた日数、箱の開け閉めの回数、冷えすぎて傷んだ物の失敗例、氷を作った時の器の形、破損の有無。……それらを全て帳面に記して、公儀へ提出してください」


 俺が、山のような報告義務を説明すると、大名たちが震え上がった。


「使うだけでなく……あの細かい帳面を書かねばならぬのか……」


「当然じゃ」


 家康が、にべもなく言い捨てる。


「奇物は、使って終わりではない。……使い方を、天下の『知恵』にせねばならぬ」


「大御所様が、完全にシステムの運用管理者の顔になってる……」


 *


 大名たちの反応は、見事に分かれた。


 譜代大名たちは、公儀への忠誠アピールとして積極的に手を挙げる。


「我が領でも、薬種の保存に困っておりまする!」


「水害の多い地域ゆえ、病人の看護にぜひとも使いたい!」


 彼らは、「奇物を正しく管理できる有能な大名」として公儀に評価されたいのだ。


 外様大名たちは、警戒しつつも、実利の魅力には勝てなかった。


「公儀の秘宝を預かれば、それは大いなる恩であり、同時に重い鎖でもある……」


「だが、これを断れば、公儀の信を得る機会を自ら手放すことになる」


 そして。


 案の定、伊達政宗が、独眼をギラギラと輝かせて身を乗り出してきた。


「大御所様。夏に氷、冷えた瓜、傷まぬ薬種……。これは、ただの武家の贅沢ではござらぬな」


「ほう。政宗、どう見る」


「江戸へ物を運ぶ『道』が、根底から変わりまする」


 政宗は、すでに流通の未来を見ていた。


「この箱があれば、我が仙台の豊かな海の幸を、より良い形で江戸へ運べるやもしれぬ。……伊達の花火とあわせ、大いなる名物になりましょう!」


(筆まめで、花火好きで、流通にも敏い。やっぱり政宗公、この時代においてキャラが濃すぎるんだよな……)


 *


 家康は、諸大名を見渡し、本当の狙いを明らかにした。


「諸大名よ。よく聞け」


「……」


「この永冷石のように、世の理から外れた品は、まだ日ノ本のどこかに眠っておる」


 大広間が、シーンと静まり返る。


「寺の奥に眠る石。社に伝わる鏡。古き家に伝わる箱。効き目はあるが理屈の分からぬ道具。熱を出す石。冷を保つ石。光を曲げる玉。妙な文字が浮かぶ板」


「それらを、ただ恐れて隠すな」


「ただありがたがって、神棚に祀るだけでも足らぬ」


「……江戸へ届け出よ」


 大名たちが、ざわめく。


「公儀は、諸国の宝を全て奪うために集めるのではない」


「危うき物は、封じる」


「守るべき物は、守る」


「そして、世のために使える物は……この永冷石箱のように、使える形へ『改める』」


「持ち込んだ者の功は、正しく記録し、報いる」


 俺は、その言葉を聞きながら、絶望の淵に立っていた。


(御異物改方の仕事が、今この瞬間に、全国規模で爆増した音がする……!)


「爆増ではない。公儀の正式な職分として広がったのだ」


 竹千代が小声で言う。


「言い方を変えても、私の仕事が増えた事実は全く変わりません!」


 *


「今は、大名のみへの貸与とする」


 秀忠が、将来の展望を補足する。


「だが、後々には、公儀の信を得た商人にも、許可をもって貸し出すことを考えておる」


 大名たちがさらにざわつく。商人に貸せば、流通が根本から変わるからだ。


「魚問屋、薬種問屋、菓子商、献上品を扱う商人など、用途を厳密に限定すれば、その効果は計り知れません」


 俺は説明を引き継いだ。


「ただし、最初から商人に渡すと、独占、横流し、偽物、盗難が必ず起きます。だから、まずは大名家で試験運用し、記録を取り、安全な運用方法が固まった後に、公儀の許可制で広げるのが最も良いのです」


「米も道も冷たき箱も、天下の利になるなら使えばよい」


 家康が重々しく言う。


「だが。利というものは、放っておけば必ず乱れる。ゆえに、公儀が管理する」


 大名の一人が、顔を青ざめさせて小さく呟いた。


「公儀は……米だけでなく、道も、そして『冷たさ』まで支配するというのか……」


(その言い方、本気でディストピア帝国みたいで怖いからやめてください!)


 *


 お披露目の後。


 俺は御異物改方に戻り、新しく作られた『永冷石箱貸与台帳』を見つめていた。


 そこには、すでに恐ろしい数の項目が並んでいる。


『永冷石箱貸与先』


『管理責任者』


『使用目的』


『使用記録』


『破損記録』


『冷却性能低下の有無』


『紛失時対応』


『報告周期』


『返却時検分』


『使用禁忌事項』


『神格化・流言記録』


『偽物発生報告欄』


「……冷たい箱一つで、なんでこんなに書類が増えるんだよ」


『奇物を社会実装するって、そういうことよ』


「社会実装とか言わないでください。頭が痛くなる」


『でも、これで御異物改方の役目がはっきりしたわね』


「……え?」


『奇物を見つける。封じる。調べる。増やせるなら増やす。使える形に落とし込む。貸し出す。記録を取る。失敗を集める。……完全に、この国のアーティファクト(遺物)管理局じゃない』


「……また、新しい部署が増えた気がする……」


 *


 以前封じた、あの冷たき石は。


 ただの『奇跡』として蔵の奥で眠ることをやめた。


 それは薄く削られ、木箱の内側へ強固に貼られ、『氷室箱』となった。


 夏でも水を冷やし、薬を守り、魚を長く保たせ、病人の熱を冷ます。


 ただし、永遠に腐敗を止める魔法ではない。使い方を誤れば、薬も食材も駄目になる。盗まれれば争いの種になり、独占されれば新たな利権になる。


 だからこそ、公儀はそれをただの「秘宝」として与えなかった。


 厳格な規定で貸し出し。


 細かい記録をつけさせ。


 失敗までも書かせた。


 奇物とは。


 神棚に置けば、ただの奇跡で終わる。


 蔵にしまえば、ただの宝で終わる。


 だが。世の中で使えば……それは『制度』になる。


 そして、奇物が制度になった瞬間、俺の机にはまた新しい台帳が増えるのだ。


『永冷石氷室箱・公儀貸与台帳』


『永冷石箱・使用失敗事例集』


『永冷石箱・偽物対策覚』


『永冷石箱・商人貸与将来検討案』


「……冷蔵庫を作ったんじゃない。俺は、冷蔵庫を管理する『役所』を作ってしまったんだ……」


 KAMI様が、どこか楽しそうに笑った。


『おめでとう。水神様、ついに『冷たさ』までメンテ対象にしたわね』


「したくてしたんじゃないんですよ!」


 だが、分かっている。


 米を増やしても、腐れば意味がない。


 薬を集めても、傷めば意味がない。


 珍しい品を運べても、道中で駄目になれば意味がない。


 保存とは、地味だ。


 ただ冷やすだけの箱は、空に咲く花火や、天下を分ける法のような、派手な力には見えない。


 だが、泰平の世を長く、そして静かに支え続けるものは、こういう地味な仕組みなのだろう。


 田んぼの水。


 蔵の米。


 道の普請。


 法の文言。


 そして、箱の中の冷たい空気。


 どれも、放っておけば濁り、腐り、壊れていく。


 だから、誰かが見て、管理し続けなければならないのだ。


「……日本列島のメンテって、冷蔵箱の点検まで含むのかよ……」


 俺の疲れた呟きは、永冷石箱の隙間から漏れる白い冷気の中へ、静かに溶けていった。



最後までお付き合いいただき感謝します。


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