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暴君忠長に転生したので、兄上のために日本列島をメンテします 〜SFチートのはずが、田んぼと水路と寺社ノードの保守係なんですが〜  作者: パラレル・ゲーマー
第六部・早く訪れた太平の世編

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第118話 水神様、北の恨みが戦を呼ぶと知る

 元和四年の末から、五年の初めにかけて。


 江戸の夜空を不気味に彩っていたあの巨大な大ほうき星は、少しずつその尾を細くし、やがて冬の闇の彼方へと消えていった。


 御異物改方の俺の机には、星見の公家や陰陽寮、各地の港から届けられた『大ほうき星見聞并観測控』の帳面が山のように積まれていた。


 これらを整理し、不吉な流言飛語を抑え込み、買い占めや偽護符の販売を取り締まる。


 その地道な作業の甲斐あって、江戸の民草の不安もようやく落ち着きを取り戻しつつあった。


「……とりあえず。天変の記録整理も、ようやく峠を越えたかな」


 俺は、筆を置いて、凝り固まった肩を回しながら大きく息を吐き出した。


 日本では、あの巨大な彗星に対応するような大地震や大飢饉は起きなかった。


 天の理と世の理は直接繋がらない。


 その事実が、少なくともこの国では証明されたのだ。


『そういうフラグをあからさまに立てるの、やめた方がいいわよ』


 視界の端に現れたKAMI様が、冷ややかな声で忠告してきた。


「やめてくださいよ。俺はただ、純粋に安堵しているだけで……」


 その時だった。


 廊下を慌ただしい足音が走り抜け、本多正純が血相を変えて部屋に飛び込んできた。


「国松様。対馬より、急ぎの報せにございます!」


 正純の声には、普段の冷静さを突き破るほどの緊張感が混じっていた。


「……朝鮮方面より。遼東の地において、大規模な不穏の動きあり、とのことにございます」


 俺の背筋に、嫌な汗が流れた。


 *


 対馬宗氏からの最初の報告は、ひどく曖昧で、混乱に満ちたものだった。


『建州のヌルハチなる者、明に対し大いなる恨みを掲げ、突如として大軍を動かしたる由』


『撫順方面にて、明の城が落ちたとの恐ろしき噂あり』


『朝鮮側にも深い不安が広がり、明より朝鮮へ軍事協力を求める動きありとの風聞も飛び交っております』


 情報は完全に断片的で、真偽のほどは定かではない。


 釜山の倭館にいる対馬の役人たちも、現地の朝鮮側の動揺ぶりから事態の深刻さを察知したものの、誰がどこまで正確な事実を把握しているのか分からない状態だった。


 さらに、長崎に滞在している明の商人たちからも、似たような悲鳴めいた報告が上がってきていた。


 遼東で女直が暴れている。


 明軍が動くぞ。


 交易の道が塞がれる。


「……また。遠いようで遠くない場所で、とんでもない火種が……」


 俺は、報告書の束を睨みつけながら呻いた。


 *


 その日の夜。


 私室で一人、地図と睨めっこをしていると、KAMI様が空中にふわりと現れた。


『まあ、これは歴史通りに起きるわよね』


「……KAMI様。今の一言、めちゃくちゃ嫌な響きでした」


『ヌルハチの七大恨よ。……後金が、明という超大国に対して、本格的に牙を剥く宣戦布告のようなものね』


「すみません」


 俺は、両手を合わせて頭を下げた。


「正直に言います。俺、日本史に直接関係ないと思っていたので、その辺りの細部が全然分かりません。解説してください……」


『あなた、前世の高校の世界史の授業で清は習ったでしょう?』


「清は覚えてます。ラストエンペラーとか、アヘン戦争とか、康熙帝とか乾隆帝とか、辮髪とか、その辺の雑な単語は。……でも、ヌルハチがいつの時代に何をしたかまでは、流石に無理です」


『でしょうね。島国視点の限界ね』


「諦めの早い納得はやめてください!」


 KAMI様は、扇子でぽんと空を叩き、空中に東アジアの簡略化された地図を展開した。


『いい? ヌルハチというのは、女真、後の満洲系の有力者よ。建州女直という勢力から伸びて、周囲の女真諸部をまとめ上げ、後金という国を建てた途方もない傑物。……この後金が、後に清へと繋がるの』


「はあ……」


『そして、七大恨というのは。そのヌルハチが、宗主国である明に対して掲げた、七つの大きな恨みよ』


 KAMI様は、淡々とその内容を読み上げた。


『祖父と父をいわれなく殺されたこと。明が敵対する部族を理不尽に贔屓したこと。領土や境界を侵したこと。約束されていた婚姻を妨害したこと。民への不当な扱い……。そういった、長年積み重なってきた部族の怒りと不満を、七つの項目に整理して、天への誓いと共に明への戦争の名分にしたの』


「……恨みを、わざわざ七項目に整理して、文書化して宣戦布告にしたんですか」


『そう。ただの感情的な怒りを、明確に文書化して、政治的な名分に昇華させたのよ』


「……怖いですね」


 俺は、素直に震えた。


『ただ怒って暴れているだけなら、それは局地的な反乱よ。でも。……理路整然と恨みを整理し、それを天に掲げれば、それは国家の兵を動かす巨大な旗になるわ』


「それ……。ある意味で、帳面の、一番最悪な使い方じゃないですか」


『その通りよ。記録や文書というものは、人を救い、争いを収めるためにも使えるけれど。……人を殺し、戦争に向かわせるためにも、完璧に機能するの』


 俺は、自分のやっている帳面作りの持つ両刃の剣の恐ろしさに、深く沈黙した。


『この七大恨の後、ヌルハチは撫順を攻め落とす。翌年、明は鎮圧のために大軍を出すけれど……サルフの戦いで、後金が明と朝鮮などの連合軍を木っ端微塵に打ち破るの。……そこから、明の遼東支配が大きく崩れ始めるわ』


「サルフの戦い……」


『後金はさらに伸び、次のホンタイジの時代に国号を清へ変える。やがて明が倒れ、清が中国大陸を支配する。……朝鮮は凄まじい圧力を受けるし、この明清交替の激動は、長崎、台湾の鄭氏政権、オランダ、琉球、薩摩、対馬……日本の海域情報にも、全部どろどろに絡み合ってくるわ』


「ほえ────……」


 俺の口から、間抜けな声が漏れた。


『雑な反応ね』


「いや、スケールがでかすぎて。……欧州では三十年戦争の地獄が始まって、東アジアでは明清交替の血みどろの入口が開くってことですよね」


『そう。あなたが今必死に生きているこの元和四年から五年という時期は。……世界中で、後の歴史の形を決定的に変える巨大な火種が、同時に一斉に点火している時期なのよ』


「……胃が痛い」


『そして、これは現代の東アジアの国境、民族、歴史認識にまで、深い影を残すことになるわ』


「七大恨から、そんな未来まで行くんですか」


『歴史は、一本の綺麗な糸じゃないわ。複雑に絡み合った重い縄よ。……ここで一本の糸を強く引けば、ずっと何百年も先の結び目まで、確実に動くの』


 俺は、ぐうの音も出なかった。


 これほどまでの東アジア史の超重要イベントが、すぐ海の向こうで始まっている。


 だが、俺はそれを、この後、清が明を倒しますよ、などと人前で口にするわけにはいかない。


 知っていることと、言えることは違う。


 未来知識の秘匿運用。


 そのもどかしさが、またしても俺の胸を締め付けた。


 *


 翌日。


 江戸城の小評定の間。


 家康、秀忠、家光、俺、正純、土井利勝、そして公武の橋として奥向きから孝子殿も同席し、届いたばかりの報告書の分析が行われていた。


 対馬宗氏からの報告。


 長崎の明商人からの悲鳴。


 琉球・薩摩ルートからの情報はまだ遅いが、すでに照会をかけている。


 家康は、それらの断片的な報告を聞き終えると、深く、長く息を吐き出した。


「……大ほうき星は、日ノ本の地を直接は焼かなんだ。……だが、人間の恨みは、ちゃんと地を焼くか」


 俺は、その言葉に内心で深く刺された。


 家康は、七大恨の概要を聞くと、戦国武将としての血肉の感覚で、即座に事の本質を理解した。


「……恨みを数え上げ、天に掲げ、それを名分として兵を挙げる。……我らの戦国にも、ようあった理屈じゃ」


 家康の目は、冷徹だった。


「恨みというものは、放っておけば時間と共に消えるような甘いものではない。……強固な名分を得れば、それは兵を動かすための極上の飯になる」


 秀忠が、現将軍として実務的な視点から切り込む。


「問題は、それが日ノ本へどう届くかです」


 そこで、家光がふと、純粋な疑問を口にした。


「国松。……恨みを文にして掲げると。なぜ、大軍の兵が動くのだ?」


 俺は、少し考えてから答えた。


「……人は。戦うための理由が欲しいからです」


「理由?」


「はい。戦う者にも、人を殺す者にも、そして戦場で死ぬ者にも。……自分たちの行いが正しいと思える、絶対の理由が要るのです。ただ己の欲のために戦えと言われるより……積年の恨みを晴らすため、正義のため、先祖のためだと言われた方が。人は、狂ったように前へ進めてしまうからです」


 家光は、その人間の業の深さに、重く口を閉ざした。


 そこに、孝子殿が静かに、だが鋭く言葉を継いだ。


「……恨みを七つに整え、天に掲げる。……それは、ただ野蛮に怒りを叫ぶだけではございません。……自らの怒りを、公の形に整えることにございますね」


 俺ははっとした。


 京の公家社会で、文言一つで家が傾く恐ろしさを知っている孝子殿だからこその、鋭い指摘だった。


「言葉は、公武を繋ぐ橋にもなります。……けれど。時に、恐るべき兵を渡らせる戦の橋にもなるのですね」


 正純が、氷のような顔で頷いた。


「……帳面とは、使い手次第でございます。我ら公儀の帳面は、争いを未然に防ぎ、裁くために作ります。……しかし。相手の罪を数え上げる恨みの帳面は、争いを正当に始めるためにも使えるのです」


 家光が、はっとして俺を見た。


「……帳面が、戦を始めることもあるのか」


「はい」


 俺は重く頷いた。


 先日の大彗星の観測記録は、人々の不安を鎮めるための帳面だった。


 だが、海を越えた北の地では、怒りの帳面が戦争の引き金になっている。


 記録主義の危うさが、そこにあった。


 *


「だからこそ。家中の揉め事も、早いうちに公儀の場へ出させることが肝要なのです」


 土井利勝が、人間関係の調整役として補足した。


「内々に恨みを溜め込み、派閥ごとに相手を非難する裏の帳面を作り、互いに討つ名分を整え始めれば……家の中は必ず割れます」


 なるほど。


 俺は、この世界線で、肥後加藤家などの史実では大きな御家騒動になったはずの火種が、なぜ早期に鎮火しているのかを理解した。


 徳川の秩序が強固であり、揉め事を内側で名分化して燃やす前に、公儀へ報告して裁定を仰ぐという圧力が機能しているからだ。


 恨みが兵を集める前に、公儀という聞く場所がある。


 でも、後金と明には、それを裁定してくれる上位の公儀が存在しない。


 だから、全面戦争になるしかないんだ。


 *


 秀忠が、再び現実的な日本への影響を整理し始めた。


「……遼東の地が乱れれば。まず、長崎の明商人が激しく動揺する」


「生糸、薬種、書籍、陶磁器。そして我が国の銀と銭の流れに、必ず多大な影響が出る」


「朝鮮が明から兵を求められれば、対馬経由の情報の道も乱れる。……後金側が、日ノ本に交易や物資を求めてくる可能性すらある」


「軍需品の需要も跳ね上がりましょう」


 正純が帳面を捲る。


「火薬、硝石、鉛、鉄。……これらの値が激しく動き、利を求める武器商人が暗躍します。さらに、戦火を逃れて海を渡る密航者や難民が、港へ流れ着くやもしれませぬ」


 俺は、頭を抱えた。


「……また、港別登録制度の確認項目が増える……」


「必要にございます」


 正純が即答する。


「分かってますけど! これ以上、港の役人を過労死させたくないんですよ!」


 家康が、ぱんと手を打って議論を締めた。


「よいか。日ノ本は、軽々しく明にも後金にも肩入れはせぬ」


「朝鮮への軍事介入など、もってのほかじゃ。あの秀吉の朝鮮出兵が残した深い傷を、我らは決して忘れてはならぬ」


 大御所の絶対の方針が下った。


「だが。……情報は、徹底して集めよ」


「対馬、長崎、平戸、博多、薩摩、琉球。……全ての港の帳面に、遼東の欄を新たに立てよ。明商人の噂、朝鮮の動き、女直の動向、軍需品の買付、逃げてくる者の身元。……一切合切を記せ」


 家康の目が、鷹のように鋭く光った。


「……戦に加わらぬためには。誰よりも、その戦を知らねばならぬのじゃ」


 不介入とは、無知のまま目を塞ぐことではない。


 世界の全てを知り尽くした上で、あえて動かないという高度な政治的決断なのだ。


 *


 会議が終わり、俺は新たな帳面作りのために自室へ戻る途中、縁側で一息ついた。


 冬の枯れた庭を眺めていると、お里が音もなく隣にやってきた。


「……空の星は、ただ勝手に流れていくだけだったろう?」


「はい」


「でも、人間の恨みはねえ。……誰かがそれを拾い上げて、綺麗に磨いて、旗にして掲げると、途端に血の流れる戦になるんだよ」


 お里の言葉は、長く生きてきた者特有の、諦念のような響きがあった。


「恨みなんてのは、ただ胸の中にあるうちは、ただの重い石っころだけどね。……文にして、人前に高く掲げて、皆でわーっと担ぎ始めると、立派な神輿になる。……神輿になった恨みは、人をどこまでも狂わせて歩かせるんだよ」


 俺は、ぞっとして腕をさすった。


 人間の感情の運用を間違えると、国が滅ぶ。


 その事実を、お里はこれまでに何度も何度も、歴史の中で見てきたのだろう。


 *


 自室に戻った俺の机には、二冊の重い帳面が並んでいた。


『欧州宗教戦乱・関連監視控』


 そして、今日新たに作ることになった。


『遼東後金明戦乱・関連監視控』


 西では、三十年戦争。


 北東では、後金と明の戦争。


 どちらも、宗教や王権、部族の誇り、国境、そして深く積もった恨みが絡み合っている。


 どちらも、日本から見れば遠い対岸の火事だ。


 だが、貿易、銀、船、宣教師、朝鮮、琉球を通じて、その煙は必ずこの国へ流れ込んでくる。


 日本列島の内側だけを必死にメンテしていれば、平和になると思っていたのに。


 外の火事の熱が、どんどん壁越しに伝わってくる。


『当たり前でしょ。完全に閉じたシステムなんて、この世界には存在しないわ。……外部との依存関係、つまりインターフェースがある限り、障害は必ず波及して流入してくるのよ』


「……グローバル規模の障害対応とか、俺の手に余るんですけど」


 *


 その後。


 一度に全てではなく、数日おき、あるいは何週間かおきに、断片的な情報が江戸へ届くようになった。


 撫順が完全に落ちたらしい。


 その報せに、長崎の明商人たちが青ざめて取引を保留した。


 明が、女直討伐のために数十万の大軍を集めている。


 秀忠が、軍需品価格の高騰を示す帳面を見て、険しい顔をした。


 朝鮮にも、明から兵を出すよう要請が来ているらしい。


 家康が顔をしかめた。


「朝鮮の民は、また他国の戦に巻き込まれるのか」


 後金の兵は、騎馬と弓に尋常ならざる長け方をし、動きが恐ろしく速い。


 家光が、武将としてその軍事情報に強い興味を示した。


 俺は、これ以上の兵器チートの追求へ走らないよう、必死に自制を促した。


 明側は、女直を野蛮な少数部族だと侮っている節がある。


『完全に負けフラグね』


「KAMI様、やめてください。胃が痛いです」


 *


 冬の夜。


 俺は、真新しい『遼東後金明戦乱・関連監視控』の帳面を開き、項目を書き連ねていた。


 後金。


 建州女直。


 ヌルハチ。


 七大恨。


 明軍動向。


 朝鮮動向。


 対馬宗氏報告。


 長崎明商人情報。


 琉球・薩摩照会。


 軍需品価格。


 難民・密航者の有無。


 未確認情報欄。


 俺は、筆を置いて、深く息を吐き出した。


「……大ほうき星は。ただ空を、静かに流れていっただけだった」


「でも。……人間の恨みは、本当に、地上を焼くんだな」


『七大恨は。東アジアの地殻変動を起こす、巨大な障害ログの始まりよ』


「障害ログで済むような、生易しい規模じゃないでしょう……」


『だからこそ、あなたは記録するのよ。……止められなくても、自分たちが無知のまま巻き込まれて破滅しないためにね』


 縁側の外では、冬の夜空が澄み切っていた。


 あの恐ろしかった大ほうき星の光は、すでに完全に消え去っている。


 俺は、北東の冷たい夜空を見上げた。


 江戸から、遠い遼東の空など見えるはずもない。


 だが、その見えない北の分厚い雲の下で、人間の恨みが旗になり、神輿になり、大軍という名の暴力となって、大地を血で染め始めている。


「……また。徹夜で書く帳面が、増える」


『おめでとう。世界史連動型メンテナンスの、本格的な幕開けね』


「……全然、おめでたくないです」


 冬の夜空は、どこまでも静かだった。


 しかし、北の地では。


 人間の作り出した恨みが、消えるどころか、これから何十年にもわたって東アジア全土を燃やし続ける地獄の火となって、静かに、しかし確実に、立ち上がっていたのである。


最後までお付き合いいただき感謝します。


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国松君に何事も無ければ、明の滅亡と清との交渉までやらされるだろうしねえ・・・。
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