第12話 開発された「業務フロー」
翌日、俺は夜明けと共に目を覚ました。泊まっているのは、ギルドから紹介された安宿の一室だ。硬いベッドと粗末な毛布だけの殺風景な部屋だが、オフィスでの仮眠に比べれば天国のような寝心地だった。
俺はベッドから起き上がると、軽く体を伸ばした。レベルアップのおかげか、昨日森を歩き回った疲労はほとんど残っていない。むしろ、体は軽く、頭は冴え渡っていた。
「さて、と。本日のプロジェクトを開始するか」
俺は誰に言うでもなく呟き、身支度を整えた。
今日のタスクは明確だ。
『プロジェクト名:ゴブリン巣窟掃討プロジェクト・フェーズ1』
『目標:西の森のゴブリン生息数を30%削減し、安定的な収益モデルの有効性を実証する』
『KPI:リスク発生率0%、時間対収益の最大化』
まずは、武具屋で追加の装備を調達する。昨日購入したショートソードは、あくまで護身用だ。俺の計画では、ゴブリンと刃を交えるような危険な状況は万に一つも発生しない。俺が必要としているのは、もっと安価で、使い捨てできる「ツール」だ。
武具屋の親父に声をかけ、店の隅に積まれていた安物の投げ槍を数本、購入した。一本銅貨3枚。穂先は粗悪な鉄で、バランスも悪い。普通の冒険者なら見向きもしない代物だろう。
「兄ちゃん、そんな安物で大丈夫かい? ゴブリン相手でも、懐に入られたらおしまいだぜ。もう少し金を出せば、まともな剣が買えるが」
心配する店主に、俺は不敵に笑ってみせた。
「親父、心配は無用だ。俺のやり方では、ゴブリンに指一本触れさせるつもりはないんでね」
怪訝な顔をする店主を後にし、俺は再び西の森へと向かった。
森の入り口で、俺は昨日一日かけて収集したデータを基に、頭の中のマップに今日の行動計画をプロットしていく。
「よし。まずは、ワークフローの構築からだ」
俺は、昨日特定したゴブリンの巡回ルートの一つに狙いを定めた。そこは、数匹の小規模な群れが、決まった時間に餌を探しに通る獣道だ。
俺は、そのルート上に、簡単な罠をいくつか仕掛けることにした。といっても、大掛かりなものではない。地面に浅い落とし穴を掘り、枯れ葉でカモフラージュするだけだ。シャベルなど持っていないが、頑丈な木の枝と素手で、30分もかからずに複数の罠を設置できた。レベルアップによる身体能力の向上が、地味に効いている。
次に、罠から少し離れた、身を隠せる茂みへと移動する。ここが俺の「オペレーション・ルーム」だ。
「フェーズ1、準備完了。フェーズ2、実行に移る」
俺は息を潜め、ゴブリンの群れがやってくるのを待った。
しばらくすると、案の定、昨日【分析】した通りの時間に、3匹のゴブリンが姿を現した。先頭を歩く1匹は、少し体格がいい。おそらく、この小さな群れのリーダー格だろう。
『対象:ゴブリン・リーダー(仮)』
『レベル:3』
『行動パターン:警戒心がやや強い。異常を察知すると、仲間を置いて逃走する可能性あり』
(ふむ。リーダーから狙うのは得策じゃないな。まずは、末端の兵卒から確実に処理していくのがセオリーだ)
俺は、ゴブリンたちが罠の近くまで来たのを見計らい、拾っておいた石を、彼らの進行方向とは逆の茂みへと力いっぱい投げ込んだ。ガサッ、と大きな音が立つ。
「ギッ!?」
「ギャ!?」
ゴブリンたちは、典型的な下級モンスターの反応を示した。音に驚き、一斉にそちらを向く。注意が完全に逸れた。
その隙に、俺はもう一つの石を、今度は彼らの足元、落とし穴のすぐそばへと投げつける。
驚いたゴブリンの一匹が、慌てて後ろに飛び退いた。そして、見事に俺が掘った落とし穴へと足を踏み外す。
「ギギィッ!?」
情けない悲鳴を上げて、ゴブリンが穴にはまる。浅い穴なので、すぐに這い上がってこようとするが、その一瞬の隙があれば十分だ。
俺は茂みから飛び出すと、手にした安物の投げ槍を、躊躇なくゴブリンの脳天めがけて突き刺した。
ブスリ、という鈍い音。ゴブリンは悲鳴を上げる間もなく、ぐったりと動かなくなった。
「ギ、ギャアアアアッ!」
仲間が目の前で殺されたのを見て、残りの2匹は完全にパニックに陥った。武器を構えるでもなく、ただわめきながら、てんでんばらばらの方向へと逃げ出そうとする。
「やれやれ、統率が取れていないチームというのは、かくも脆いものか」
俺は冷静に、逃げ惑うゴブリンの背中に、次々と投げ槍を突き立てていく。安全な距離から、確実に。一体、また一体と、緑色の小鬼たちが地面に沈んでいった。
数分後。そこには、3体のゴブリンの死体だけが転がっていた。
俺の体には、返り血一つ浴びていない。息も上がっていない。
派手さもなければ、英雄的な戦いでもない。
ただの、几帳面(methodical)で、退屈(boring)で、そして信じられないほど安全(incredibly safe)な作業だ。
「ワークフロー定義、完了。これを繰り返す」
俺は、この一連の作業を「ゴブリン処理標準業務手順書(SOP)」として頭の中で定義し、淡々と繰り返していった。
罠を仕掛ける。
音を立てて注意を引く。
罠にはまったところを、安全な距離から仕留める。
まるで、工場のライン作業のようだ。あるいは、前職で延々とやらされた、デバッグ作業に近いかもしれない。バグ(ゴブリン)を特定し、再現手順(罠)を確立し、修正パッチ(槍)を当てる。
(前職の作業に比べれば、よほど精神的に楽だな。少なくとも、理不尽な仕様変更や、上司からの横槍は入らない)
俺は、死体から証拠品である右耳をナイフで切り取り、【収納】スキルの中へと放り込んでいく。血の匂いや、死体の感触は気分の良いものではないが、これも業務の一環だ。感情を挟む余地はない。
半日も経たないうちに、俺の【収納】スペースには、おびただしい数のゴブリンの耳が溜まっていった。
俺は、森の一角で休憩を取りながら、今日の成果を確認する。
「討伐数、47体。リスク発生率、0%。上出来だ」
だが、俺はまだ満足していなかった。
この手作業による狩りですら、まだ非効率な部分が多い。罠を掘る手間、槍を投げる手間。これら全てが、時間というコストを消費している。
「やれやれ。このプロセスも、いずれは完全に『自動化』したいものだな……」
俺は、そんなことを呟きながら、空を見上げた。
木々の隙間から見える空は、どこまでも青く澄み渡っている。
俺は立ち上がると、大量のゴブリンの耳が詰まった(ように見えるが実際は空っぽの)【収納】スペースを抱え、ギルドへと向かって歩き始めた。
今日の報告をすれば、ギルドはまた少し騒がしくなるだろう。
だが、それも計画のうちだ。俺の「事業」が市場に与えるインパクトを、そろそろ彼らにも認識してもらう必要がある。
全ては、俺の完璧な早期リタイア計画のために。




