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セラン・ブルーと幸福の少女  作者: Annabel
第2部 テュリエール王国編
93/143

33.とばっちり?

(わあ………)



 視界いっぱいの光景にフェルシアは瞠目どうもくした。


 豪奢な扉を抜けた先の大広間ボールルーム

 輝くシャンデリアや、眼下でざわめく着飾った人々に目を奪われていると、隣からライナスの声がした。


「…足元に気をつけて」


「はい。ありがとうございます」


 低音の囁きにドキッとしつつ、彼女は慎重に前へ進んだ。ここでつまずくわけにはいかない。

 一歩一歩確かめるように。隣のライナスと共に、彼女は流れるように段差を降りた。

 シュルシュル…と裾を引きずる感覚も新鮮で、そういえば階段をリードされるのは初めてであったと、彼女は気付いた。


 間もなく会場に立てば、ちらちらとこちらをうかがう視線がいくつもある。自分もライナスも目立つとわかっていたが、いざ注目を集めると少し怯む。


(しっかりしなくちゃ。ライナス様に恥をかかせるわけにいかないわ)


 フェルシアは公式な場にパートナーを伴って参加するのは初めてだ。この間の晩餐会と違い、自分が失敗すれば直接相手へ迷惑をかけてしまう。

 最後まで注意しよう。フェルシアが気を引き締め、格式高い貴賓の顔ぶれを見渡していると、スッと目前へグラスが差し出される。


「どうぞ?麗しのご令嬢殿」


「ありがとうございます」


 驚いて受け取るフェルシアにライナスが微笑む。


「心からそう思っているんだよ。初めて出会った時から天使もかくやという愛らしさだが、今の君は女神のように輝かんばかりだ。改めて、今夜はエスコートの栄誉を与えてくれてありがとう」


「そのように過分なお言葉、感謝申し上げます。私こそあなた様の隣に立てて光栄にございます」


 フェルシアがなんとか定型文を返すも、ライナスの口は止まらなかった。


「それに、やはり君にはこの青が一番似合うな。張り切って準備した甲斐があった。美しい瞳や髪も引き立って夢のようだ。現実だとわかるように、こうしてずっと俺を離さずにいてくれないか?」


「……あの、日々多様なご支援をありがとうございます。おかげさまで本日の参列も叶いました」


 見下ろす紺藍に映る華やかなセラン・ブルーの装い。これも今日のためにあつらえてもらったドレスだ。


 デコルテを露わにしつつ、清楚に魅せるデタッチドスリーブのデザイン。柔らかなリボンやシフォン、スカートの裾が波のように開き白地がのぞくデザインも美しい。随所にあしらわれた銀刺繍も見事だ。

 また、背でひらりとなびく白い薄布が羽のようで、彼が「女神」と言ったのはこの例えだろう。


 アップに結った髪には、他の飾りと例のサファイヤのピンも付け、右袖にはライナスの瞳に似た紺色のリボンを結び、全て計画通りだ。


 改めてこのドレスを着られて本当によかった。

 ライナスの目に映る自分の姿に、フェルシアが嬉しくなっていると。


「礼など。それが俺のしたいことだし、君が日々健やかに過ごしてくれれば本望だ。毎日君がいてくれるだけでどんなに心洗われるか…。これも知らなかっただろう?」


「あ…あら……?…ライナス様、決して私にそのような効果は…」


「大いにあるよ。…ああ、そうやって戸惑う姿も清純せいじゅんな小薔薇のごとく愛らしい…。だがどうか顔を上げて、その美しい瞳に俺を映してくれないか?それとも今ここで跪いて覗き込むべきかな」


「いっ、いいえ…!」


 フェルシアは速やかに顔を上げブンブンと首を振った。


 冗談がすぎる。こんな目立つ場所で男性を、それも最上位貴族のライナスを跪かせるなどと。

 彼自身の品位はもちろん、自分は「あのオリヴィエ公爵を跪かせた令嬢」として奇異の目で見られよう。


「あの…ライナス様?もうおやめに……」


 フェルシアはまたライナスを見上げた。すると深い夜空色へ映る己に、彼の思惑通りと気付く。


「何かおかしかったかな?ただ君の魅力的だという話をしているだけだが…」


 そう言って首を傾げられ、彼女は内心頭を抱えた。ライナスは開場前に合流してからずっとこの調子だ。



『…ああ、見違えたな。あまりの美しさに夢でも見ているのかと思った。ではご令嬢、お手をどうぞ?』



 …といつかのような台詞。あの時、すでに例の「いくらでも言う」は始まっていた。


 それからフェルシアは怒涛の賞賛の嵐と、はっきりそうとわかる甘い態度を浴びせられていた。

 その多くは「淑女が紳士から称えられた際の答弁(マナー)」を参考に返せた。だが。


(心洗われる?跪く?これは……何て返すのが正解なの……?)


 しばしば織り交ぜられる想定外の文句。まったく油断できない。わけもからず全てに礼を言えば、それはそれで大変なことになりそうだ。


「あの。…私などよりも、ライナス様の方が…とても素敵でいらっしゃいます」


 フェルシアはとりあえず褒め返してみた。だが本心だ。本気で目の前の彼こそ素晴らしいと思う。


「今日の装いも、その瞳に似て大変お似合いでございます」


 廊下にこの姿を見つけた時、見惚れたのはもはや言うまでもない。


 ブルーグレーのシャツに薄水色のクラバットを合わせ、瞳の色に似たジャケット。両耳の一粒ピアスはセラン・ブルーで、フェルシアに合わせたのだろう。

 その隙のない美青年ぶりは、さっきから会場中の目を攫っていた。


「ありがとう。君の目を楽しませたのなら嬉しいよ。だが見てごらん、今だって君を見る視線ばかりで…」


 瞬く間に論点を戻され、フェルシアは再び慌てた。


「あ、あの…!…もう充分ですから……!」


「そうかな?君は信じていなさそうだし、俺はまだまだ言い足りないよ」


 フェルシアはその悪戯っぽい笑みに確信する。


「……ライナス様……?」


「ふ…、その上目遣いも魅力的で困るな」


 どこまでやるのかと、おそるおそる投げかければ余計にライナスは笑った。


 一度彼の目になって自分を見てみたい。万が一、保護者として欲目になっているのもあり得る。

 そんな疑いが芽生え、ああもうどうしようと、フェルシアがふと周囲を見渡した時であった。赤青の瞳でとある人物を捉えたのは。


 ライナスも気付き、さざめき笑い合う人々の向こうへ二人は踏み出した。ちょうど他者と別れた姿にそろって声をかける。


「これはウォルフ中佐。今晩は」


「ご機嫌うるわしゅう、閣下」


 並んで挨拶をすれば、もはや儀礼のように眉をひそめられる。


「ああ。…お前ら相変わらず目にもうるせえな。べたべたべたべたしやがって」


 はっきりと聞こえた迷惑そうな声にフェルシアは安心した。己のパートナーと違ってこの上官はいつも通りだ。しかし。


「見ていらしたのですか?ええ、そうなのです。今宵の彼女があまりにも素晴らしいので、感動のあまり口が止まらず…。もちろん普段より非の打ちどころなどありませんが」


 フェルシアはぎょっとした。

 まさかウォルフの前でもその態度を続けるつもりかと、背に冷や汗が滲む。


「…ら、ライナス様…?あの」


「どうしたんだ?そういった表情も愛らしいが、なにか心配事でもあったかな」


 「もうお止めください」という言葉が喉まで出かかる。


「それは、えっと…あの。先ほどからのことで…」


 さも不思議そうな紺藍の瞳。いつもの倍以上優しげでもその思惑は明らかだ。


「ライナス様がおっしゃっていることです。おわかりいただけるはずですが……?」


「残念ながらわからないな…。だが君がそうやって懸命に見つめると勘違いする男が出てしまう。だから俺意外にそんな顔をしてはいけないよ。いいかい?」


「………はい。わかりました」


 そんな顔ってどんなのだろう。しらを切られ、フェルシアは脱力した。

 もう恥ずかしすぎる。後はウォルフが呆れて去るのを待つばかりだ。

 すると。


「…おい。さっきからなんの遊びだ?」


「え………?」


 正面から鋭く放たれた問い。それにフェルシアは期待した。この上官なら様子のおかしい彼を諫めてくれるのではないかと。

 だが、自分が呆けている隙にライナスが嘘八百を答えてしまう。


「いえ。彼女が自分の魅力について知りたいそうなので、そのまま伝えているだけですよ」


「ああ?なんだそれは……」


 ウォルフの怪訝な反応にフェルシアも同感だった。

 自分は「あるとは思わない」と表現しただけだ。本人を前に堂々と誤翻訳なんて、ひどい。


「…いえ、あの。閣下…今宵ライナス様からは過分なお気遣いをいただいております」


「は?気遣い…?」


「本当にお気になさらないでくださいませ。私では役不足で…」


 フェルシアはたどたどしく言葉を重ねる。だが予想と違い、なぜかウォルフの目は「お前がなにを言ってるんだ」という風にも見えた。


「ああフェルシア、言っているじゃないか。社交辞令などではないと。…まさか俺が嘘をついていると?」


「いえ。決してそのようなことは…!」


 彼女は隣を振り仰ぐ。向けられる瞳は真摯だが、向けられる熱っぽい視線も、あまりに手放し過ぎる賛美も、慣れなくて痛いくらいだ。さすがにそろそろ顔が熱い。


 困惑したフェルシアは、藁にも縋る思いで向かいのウォルフを見た。すると目が合い、今度は大仰な溜息が落ちる。



「…チッ。あまり外国(そと)で恥を晒すなよ。もういい、行け。いちゃつくなら俺の見えんところでやれ。…おい、お前もたいがいにしろ」



 本心からの呆れ声。しかもウォルフはシッシッと手を振り、フェルシアを一睨みした。


「ええ。ではまた後で」


「は、はい。…では失礼いたします」


(……どうして私まで怒られたの……?)


 さっきからおかしいのはライナスなのに。謎すぎる。


 行け、と命じられるまま進んだ壁際にて。フェルシアはパッと顔を上げた。


「…あの、ライナス様…!」


「どうした?」


 その姿は実に爽やかな貴公子然とし、さっきから自分を弄んでいるようには見えなかった。

 けれど、もう誤魔化されない。


「僭越ながら。…先ほどから、あまりにもお言葉が過ぎるかと…!これでは周りの方々に勘違いされてしまいます」


 もう限界だと、フェルシアは小声で抗議した。

 基本的に異性へかける賛美は形式的なもので、一、二回やりとりすれば充分だ。それなのにライナスは何度も何度も…。


「少しやり過ぎかと。あの…どうかお控えくださいませ」


 周りから「挙式前の婚約者か?」などと勘違いされても困る。もっと慎みをもって振る舞うべきだと、フェルシアは訴えた。

 己がライナスに説教とは、人生分からないものである。だが。


「…………ライナス様?」


「ああ、ごめん。怒った顔も可愛いなと思って」


 一瞬黙ったかと思えば愛しげに目を細める彼に、フェルシアは唖然とした。これは全く響いていない。


 落ちかけた右手をとられ、しっかりと彼の腕をホールドするよう添え直される。薄い手袋越し、大きな手の温かさにフェルシアの心臓がどきりと跳ねた。


「事実だから問題ないよ。しかしそんなに気になるなら、君が一言『その通り』と言えば検討しようかな」


「…?それはあの、まさか……」


 ライナスの褒め言葉に同意しろと?


(ええ……?)


 フェルシアは一歩引きそうになった。同時に右手を引こうとすれば、案の定重なった掌に抑えられる。

 頭上には、どうした?と言わんばかりの美しい微笑み。


 二人の間で静かな攻防が発生する。



「…………」


「…………」



 見上げるは、思惑を孕む星空の藍。冗談じみた口調とは裏腹にじっと見つめられ、フェルシアは呼吸が浅くなった。


 そうして見つめ合っていると、フェルシアの耳がギィ…と遠い響きを拾う。

 広間の大扉が閉じる音だ。ということは。


「…始まるな。前に出よう」


「あ…はい」


 祝杯の時が近付き、フェルシアはライナスのリードで舞台前へ進んだ。


 …結局、彼は一歩も引いてくれなかった。まったく、思いもしなかった展開だ。果たして自分は今日を無事に終えられるのか?

 そう一抹の不安を覚えつつ。離れぬようにと、フェルシアは温かな腕をきゅっと握った。


 その後、グラスが行き渡って皆で祝杯を掲げてから。しばらく経つと音楽隊の演奏が始まった。これは舞踏の前奏曲だ。


「フェルシア。こちらへ」


 使節として壇上にいたライナスがフェルシアの隣へ戻ってくる。差し伸べられた手は彼女をホールの中央へ誘った。

 王夫妻のファーストダンスがつつがなく終わり、あっというまにフェルシア達の番がやってくる。


「よろしくお願いいたします」


 彼女がふわりと青い裾を広げお辞儀をすれば。


「そんなに緊張しなくて良い。もしも足を踏まれたって気にしないから、気楽にやろう」


「さ、さすがにそれはありません…!」


 礼を返しつつの軽口に緊張が緩む。彼らしい気遣いだった。


「ふ…、どうかな?ほら」


 フェルシアが上げた手を彼の指先に攫われ、まずは一回。導かれるままくるりとターンすれば、足元の青い裾が満開の花のように膨らむ。


(わ……、やっぱりこの方は凄いわ…)


 彼女はその完璧なリードに感嘆した。自ら動いたつもりが、まるで操られているよう。


「やっぱり上手だな。こうしていると今度は軽やかな妖精だ」


「またそのような…。ライナス様がお上手なのです」


 出国前、フェルシアは彼にダンスの練習相手をしてもらった。

 あの時「俺も練習しておきたかった」と言っていたが、正直不要だっただろう。なぜならライナスは一曲目から完璧だった。

 テュリエールのダンスは複雑なのにと、あのときも感心したものだ。


(…私、一生この方に勝るものはないわ。きっと)


 フェルシアは想像する。もしライナスが同級生であったらと。だが、それでも勉強にしろ武芸にしろ、結局は完敗する己しか描けなかった。


「…ライナス様は、練習が必要には見受けられませんでした」


「意外と忘れていなかっただけさ。君だって経験がなかったなんて信じられないな」


「それは…動くだけなら、本の通りですから」


 どちらかといえばダンスは得意だ。決められた通りに体を動かせばいい。

 だからこそ、負けた気分で密かに落ち込んだなんて言えやしない。すると、聞こえた声にフェルシアは目をまたたかせた。



「それに必要がなくても君と一緒にいたいじゃないか」



「え……?」



 どういう意味かと、尋ねようとしてフェルシアは口を噤む。

 この時、演奏がジャンッと大きく鳴り、振り付けが複雑になっていったからだ。周囲にて、ぽつぽつと会話をしていた他のペアも黙り始める。


 そうしてフェルシアは問うタイミングを失い、その後もあまり喋ることないまま。二人して二曲目までを踊り切った。


 ゆったりとした間奏の中、互いにピタリと最後の姿勢を決めて礼をする。


「ありがとう。楽しかった」


「…私の方がお礼を申し上げるべきです。よくしていただきました」


 ライナスの笑みにフェルシアも口元を緩ませる。安心して身を任せられるパートナーを得て、初めての舞踏披露として最高の機会をもらえた。


 微笑み合い、二人はそろって人の輪へ戻る。すると再び本演奏が始まる中、背後から声がかかった。

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