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セラン・ブルーと幸福の少女  作者: Annabel
第2部 テュリエール王国編
92/143

32.紅のドレス

 テュリエールでの三度目の週末。


 今夜は王宮にて、使節招待を記念した祝賀会が開かれる。内容は各種挨拶に始まり、軽食や舞踏、室内ゲームを交え談話をするなど。

 北国の有力貴族も多く参加する大規模な夜会。それへフェルシアも令嬢として招待されていた。

 そのため準備があり、早めに仕事から帰ったのだが……自室で彼女を出迎えたのは予想外の光景だった。


 ひとしきり、自室のティーテーブルの上を眺めてから。

 深い溜息を抑えフェルシアが口を開く。すると


「…じゃあ」


「早計でしょう」


 まだなにも言っていないのに飛んできた声。それに彼女が驚けば、隣でリリィがハッと手で口を押さえた。


「あ…、申し訳ありません。つい…」


「ううん…?」


 フェルシアは不可解だったが、きっとそれが正直な反応なのだろう。

 一年近く仕えてくれ、侍女としての経験も豊富なリリィだ。何か考えがあるなら聞きたい。

 フェルシアがそう思い見守っていると、リリィはコホンと小さな咳払いの後、微笑みを浮かべた。


「お嬢様。これは、まずは当主様へ相談すべきでございましょう」


 「当主様」とはもちろん彼女の使えるオリヴィエ家の主人、ライナスのことだ。

 また、彼は今夜フェルシアをエスコートするパートナーでもある。



* * * * * * *



 所変わって、フェルシア達使節団へあてがわれた宮殿の一棟。

 の、応接間にて。


「………………」


「………………」


「………………」


 今度はフェルシアとリリィ、それにライナスも加わった三人で室内に立っている。

 それでもなお、シン…と落ちる沈黙を、フェルシアは痛いほどに感じた。


 そろって注目するのは、人形(トルソー)にかけられた一着のドレス。


 布地の色は、恐らく紅赤。


 紅よりも明るく、高貴さを備えつつ溌剌(はつらつ)とした色彩。フェルシアの右眼の色と似ている。

 …ということは、これはどこからどうみても。



(…テュリエールの禁色(きんじき)だわ…)



 禁色。その国において王族や一部の貴族のみがまとう色。

 それがどうしたことか今、ここにある。


 これはフェルシアが不在の間に届けられた。確かにエルヴァルドからの品らしいが、なにかの手違いと言われた方がよほど信じられる。相手とそこまで親しくなった覚えはなく、贈ると言われたこともない。まったくもって意味不明だ。


 フェルシアは改めてその上から下までを眺めた。

 胸元に沿って曲線を描くデコルテや腰までピタリと沿い、広がる裾のデザインも素晴らしく、絹布けんぷの艶や縫い付けられた宝石で、ドレス全体がキラキラと輝くよう。


 見た目だけでなく、全てを最高級にあつらえた逸品だ。そしてこれを着れば周囲からどう見られるか…考えるだに恐ろしい。


 それなのに開けた箱の中、ドレスの上にはちゃんとカードが添えられていた。


「親愛なるフェルシア。今夜はこれを着て参加してくれ。エルヴァルド」…と流麗な筆跡。これも恐らく本人によるもの。

 これでは間違えようもない。明らかに、相手は祝賀会の装いにこのドレスを所望している。


(ここまでしていただいたら、着ないとまずいわ)


 ここで自分はただの外国人。自国でも没落しかけた家門の子。それも未成年だ。社交界でも高いとは言えない立場にある。

 対するは大国の王族。それも王太子と、自分など足元にも及ばない。


 この贈り物を無視すれば、此度の外交に水を差すのではないか。そう思い、フェルシアはそっと隣をうかがった。


 そこには急遽駆け付けたライナスがいる。表情は静かだが案の定、なにか考えている様子だ。そのまた向こうにはわかりやすく眉を寄せるリリィ。


 フェルシアは思い切って口火を切った。しかし。


「…あの」


「駄目だ」


 言いかけたところを、今度は低い声に遮られた。


 まただ。

 先ほどのリリィもだが、なぜ自分はなにも言わせてもらえないのだろう。

 疑問しきりの「どうしてですか?」と書いた顔で、フェルシアはライナスをじいっと見上げた。


 すると間もなく、見せつけるような溜息が落ちる。

 彼にしては珍しい態度にフェルシアはさらに戸惑った。


「…悪いが、君の顔を見れば分かる。絶対に言わないでくれ」


 そう告げられ閉口した。

 すでにフェルシアの考えは読み取られていたのだ。加えて、溜息が出るほど残念な選択らしい。

 驚く自分へそっと補足する声。リリィだ。


「…お嬢様。突然のお品は着用せずともよろしいかと。それにやはり、用意されていたものが一番お似合いですよ」


 微笑み、励ますような説明はいつも通り親切だった。

 しかし彼女も同じく悩んでいるように見えたのに…。いつの間にライナス(あちら)側に?


「…しかし、殿下からいただいたものです。無下にしては問題が…」


「フェルシア。全く気にしなくていい。急に贈ってくる方が無礼なのだから。…そうだな?」


「仰せの通りにございます。こちらについては一旦お忘れになられてよろしいかと」


 目の前で交わされる主従の息もピッタリなやりとり。

 なるほど。リリィも始めから反対派だったらしい。己と違い、悩んでいたのはきっとこのドレスをどう遠ざけるか、だ。

 それを察してなお、フェルシアは懸念する。


「ですが、今後の国交に関わるやもしれません。儀礼的にも着用すべき…ではないでしょうか?」


 言うなとは頼まれたが、まだ「着る」とは言っていないので許してもらいたい。


 繰り返すが己と贈り主の身分差は著しい。礼を失したとして、関係者のライナスや使節団に影響するのではないかと、心配になる。


「言っただろう?これを着るかどうかは完全に君次第なんだ」


 だから今すぐ箱に仕舞おう。処分については手配しておくよ。と。

 フェルシアは瞠目どうもくした。ライナスは少し困ったような表情だが、口調に迷いはない。

 それに段々、彼はこの紅色を睨んでいるようにも見えてきた。これではまるで…。


(公園でエルヴァルド様とお話した時みたい…?)


 あの時の態度を髣髴ほうふつとさせる。形式上はいまだ敵国であるからか、フェルシアの目には、公園でのやりとりはあまり友好的に見えなかった。


(確かにライナス様が反対なら、私は後をお任せするしかないのだけど…)


 公爵家の世話する自分がエルヴァルドと関わることへの懸念。そんな保護者としての決定ならば仕方ない。

 だが…やはり後々迷惑をかけるのではと、フェルシアは躊躇ためらう。


「あの、…ライナス様?本当に大丈夫でしょうか、テュリエールとの関係で、私になにか後押しできることがあれば…」


 すると突然、彼がハッと顔色を変えた。


「フェルシア。君はもしかして……これを着たいのか……?」


「い、いえ。そういうわけでは…!」


 なぜそうなる…?急に話が変わった。

 自分はただ案じているだけだ。このことで、ライナスへの悪影響は避けたいと…。


「やめておけ。気があると誤解され求婚でもされたらどうする?」


「えっ?」


 さらに摩訶不思議な単語が飛び出る。


(求婚?)


 するとなぜか右手を握ってくるライナスにフェルシアは慌てた。


「あの…?私は所詮しょせん外国人です。まさかそのような話になるとは思えませんが」


「君は男というものを分かっていない。気になる女性に一度期待させられれば、追いたくなるというものだ」


 そういうもの?と疑問に思っていると、その背後でリリィがうんうんと頷いている。

 しかし次いだ台詞へフェルシアは目をまたたかせた。


「気持ちを誤解され、妙な展開になったらどうするんだ。男がこのようにドレスを贈る意味を考えたことは?」


 男がドレスを贈る意味、それは……。


 フェルシアは少しムッとした。目の前の二人は、きっとフェルシアにはわからないのだろう、という顔をしている。

 それが悔しくて…彼女は思い切って口を開いた。自分だって少しぐらい知識はあると、示したくて。



「…知っています。『脱がせるため』ですよね」

 


 はっきりと答えれば、こちらを凝視する二対の瞳。リリィが「え……?」と零している。


 それに逆にフェルシアは慄いた。


 これは一般的な知識のはず。そんなに驚くようなことを言っただろうか?

 彼女は不思議に思いつつも語り続ける。


「後は、『身に着けるものの贈呈は下心の明示、それを纏うは気持ちを受け入れたと同等』」


 こちらは淑女教育の教科書に載っていた内容だ。間違ってはいまい。


 そう述べ、フェルシアはふと自分の体を見下ろした。

 

「しかし、あの…私にそれは該当しないかと。確かに髪色などは少し目立ちますが、男性が脱がせて楽しいようなものは特に持ち合わせておりません。ですから殿下が御心を傾けるほどでは…」


 説明しながら、フェルシアは己について再確認した。


 戯れに弄ぶ価値もなさそうな、薄っぺらい上半身。

 平均的なのは身長くらいか。


 そういえば、過去自分に辛辣だった家庭教師に「あなたは男性にとってつまらないわよ」と言われた。傷付きはしなくとも、まったくその通りだと、腑に落ちたものだ。


 エルヴェリーナのような肉感的な肢体を持たず、男性を惹きつける話術や蠱惑的な態度もとれない。

 例の遊び人の婚約者候補も興味を示さなかった。最後には目つきが気に入らないと言って首を絞められかけたし、自分は女性的魅力が乏しいのだろう。


(でも我ながら、悪いところばかりではないわ。…多分)


 長所といえば勉強と武術。学院での成績が証明だ。


 だが、そもそも選びたい放題の王太子が、そんな魅力のない女にわざわざ目を向けるだろうか?

 ライナスのような賢い人でも間違うことがあるのだなと、フェルシアは感心した。


「それにお話を楽しんでいただけるとも考え辛いでしょう。それどころか不愉快にさせる危険性の方が高く……、……あの……?」


 ふと、フェルシアは言葉を止める。

 いつしか目前の二人は完全に黙り込んでいた。



* * * * * * *



 当主様の視線が痛い。

 リリィは顔の左半分を手で守りたくなった。


 珍しくライナスから、「どういうことだ?」という疑問の視線を投げかけられている。


 「下心うんぬん」はまだ令嬢としておかしくない知識だ。

 しかし男性の前で「脱がせるために服を贈る」などと、俗な知識を披露するのはどうしたことか。…つまるところ、そう質されている。


 リリィだって同じ思いだ。だが、原因はわかっている。

 これはおそらくフェルシアがロドグリッド出立まで読んでいた本の影響だろう。


 ステラの紹介で始まった、フェルシアの日々の読書。リリィも微笑ましく見守っていたが…まさか、それがここで影響するとは思わなかった。恋愛小説もあるのはわかっていたが、いくつかあからさまな文言の載った本があったのかもしれない。


 だがその新たな知識は、堂々と異性の前で言うものではなかった。


 しかしここで内情を説くこともできず、リリィは渾身の「またの機会にご説明いたします」という視線をもってライナスへの返答に替えた。

 今この瞬間、彼としても率先して言うべきことがあろう。



* * * * * * *



 視点は戻り、フェルシアより。


(…?何だか二人の視線が痛…というか、…信じられないものでも見るような…?)


 目の前で視線を往復させる主従。その後、再びフェルシアへ刺さる注目にたじろいでいると。


「フェルシア」


「はい」


 ライナスは一つ目をまたたかせたかと思えば、突然、悲痛な表情になった。気迫の乗ったそれにフェルシアはゴクリと息を飲む。


「…本当にすまない。俺の言葉が足りないばかりにそのような気持ちでいさせてしまった」


「……はい……?」


 彼女は思わず生返事をした。


「これからはもっと伝える努力をさせてくれ。まず、君は非常に魅力的で優秀な女性だ。そこは自信を持ってほしい。そして、自分を卑下するようなことは言わないでくれ」


 切々と語りかけられ、やっと気付く。どうやら自分は彼の憐れみを誘ったらしい。

 ライナスは常時言動のスマートな紳士だ。目の前で女性が「自分に魅力はありません」と言えば、否定せずにはいられないだろう。それがありのままの事実だとしても。


 その背後で真剣に頷くリリィを見てフェルシアは確信する。


「あ、あの。……ライナス様が謝るようなことは何もございません。…ですが、ありがとうございます」


 慌てて言い募るが、ライナスはまだまだ悲しげだ。


「信じられないならこれからいくらでも言うよ。俺としても正直に言っていいなら助かる。…だが、今はとりあえずこのドレスの話を続けようか。時間がないだろう?」


「は、はい」


 促され、ああそうだったと気付く。こうする間にも刻一刻と開場は迫っている。しかし。

 今「いくらでも言う」と聞こえたのは、一体なんのことだろう。


(……まさか……)


 当然か本能か、フェルシアは嫌な予感がした。…今初めて、有言実行という彼の性格を憂えて。


「……とにかくだ、下心に気付いていながら着るのは尚更危険だ。今夜はうちで用意したものを着るように。なにか問われても、準備が間に合わなかったと言って終わりだ」


 ライナスのがらりと変わった雰囲気、そしてついに真剣な面持ちで下された言葉。

 フェルシアはハッとし、改めて姿勢を正した。


「殿下にはできる限り俺が対応するが、もし彼とその話になって納得されなければ、我が国と公爵家(うち)に正式に抗議するよう伝えなさい。…できるな?」


「…はい。わかりました」


 フェルシアはおずおずと頷く。


 ライナスは本気だ。本気でこの件について検討し、フェルシアが禁色のドレスとこれ以上関わるべきでないと結論を出した。

 確かに彼の懸念、「求婚でも…」も天地がひっくり返ればありえなくもない。彼女が躊躇いつつ、厳しい顔をじっと見上げていると。


「…フェルシア。悪いがここは譲れないよ。だがもしこの色や形が気に入ったのなら、帰ってからいくらでも仕立てよう。だからどうか今回は諦めてくれないか?」


「い、いえ。大丈夫です。そういうわけではありませんから…!」


 取りなすように言われたのはこれまた恐ろしい提案だった。フェルシアは反射的にサッと一歩引き、ついでに右手も取り戻した。


 どうしてかわかる。

 かすかにでも頷けば、帰国した途端ライナスは実行すると。


 日常のデイドレスはともかく、高額なナイトドレスを(いたずら)に仕立てるなどと…。今度は呼びつけた仕立て屋の前で冷や汗を流すことなりそうだ。


「そうか?」


「はい」


 フェルシアが大きく首を振ればライナスは残念そうにした。冗談でもそんな顔はしないでほしい。


 彼が時折見せる過分な気遣い。そのたびフェルシアは綱渡りをする気分になった。加えて、憂う表情にうっかり流されないよう必死だ。


 そうして話がまとまると、フェルシアはライナスと別れて自室に戻り、支度を再開した。

 予定の衣装を纏い、「今日も危なかったわ…」と溜息を抑えながら。

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