5.兄のよう
バサリと白い翼が舞う。
飛んだそれは一気に遠ざかり、数拍すればもう木の上の点にしか見えなくなった。
「まあ…上手に飛ぶわね」
「はい。最近やっとコツを掴んだようです」
隣にいるステラを横目に、左腕を出せば今度はこちらへと滑空してくる。
ピィー…
「…おかえり」
高い鳴き声を上げフェルシアのもとへ戻ってきたのは中型の鳥。今日も元気そうだ。鋭くも黒い瞳でこちらを見つめ、首を傾げている。
可愛い。
「すごいわ。この子はとても賢いのね」
話すうちにもぴょんぴょんと移動し、鳥はもうフェルシアの肩上にいた。
「真っ白で綺麗。保護した時はもっと小さかったのでしょう?」
「はい。始めはまだまだ小さな雛でした」
ステラに答えれば、このキラキラとつぶらな瞳との出会いが思い返される。もう会えないだろうと思ったのに、再会できてどれだけ嬉しかったか。
「…ライナス様には本当に感謝しております。こんなに立派になって…。この子も喜んでいるようです」
フェルシアが拾ってから半年間、この子はライナスの邸でずっと保護されていた。今やほとんど成鳥である。
「そろそろ戻しましょう」
フェルシアがそう言い、二人と一匹で獣舎へと向かう。ステラといて偶然この鳥の話題になり、「ぜひ見てみたいわ」と言われたので放って見せていたのだが、もう充分だろう。
そろって向かった先には専用の小屋があった。小屋に着いて網扉を開けるとやはり、鳥は軽く羽ばたき、自ら中へ入って行く。まるで「帰る家」のように。
この白い鳥は逃がそうとしてもなぜか帰ってきてしまう。
そのため飼い続けているのだが、本当に不思議だ。自由になりたくはないのだろうか。
(…あなたはそれでいいの?ここは外よりとっても狭いのに)
確かにここになら雨風をしのげるし食糧の心配もない。けれど鳥とは囲いを嫌うものだと思っていた。
施錠を確認するフェルシアの背にステラが呟く。
「あの子。フェルシアのことが大好きなのね」
この午前中でずいぶん打ち解けた声。
「え…?」
「そうでしょう?だからここに留まるのだわ。きっと」
ね、と微笑む様は堂々としていて美しい。朝から一緒にいるが、本当にどんな表情も画になる女性だ。優しいのに力強い響きも、その通りだったらいいのに、と思わせてくれる。
「…ありがとうございます。そうだと、嬉しいのですが」
「ふふ。ほら、ずっとあなたのことしか見ていないものね?」
振り返れば、確かに二つの瞳がまたジッとこちらを見ていた。
(ここにいる理由が、私?)
裏付けるように真っ直ぐな視線。
確かに保護のきっかけは自分だが、育ての親ではない。懐く相手なら別にいるような…。
「ねえ、行きましょう。今度は庭を見に行かない?そろそろ咲く花があるのよ」
その軽やかな誘いに、つい考え込んでいたフェルシアもスカートを翻した。
* * * * * * *
「―――ねえ。フェルシアはどのような殿方がお好き?」
その問いにフェルシアは目を丸くした。
今はステラと二人で木陰のベンチに腰かけたところだ。
「今までに好きになった方はいて?もちろん例の婚約予定だった者は除いて、よ」
「それは……いなかったかと思いますが」
並んで座るステラ。彼女のサラサラと流れる黒髪の下、青い芝生には帽子を被った二つの影が落ちている。
晴天にゆるやかな風が吹き、広く美しいオリヴィエ邸の敷地内は今日も平穏だった。
しかしフェルシアは相次ぐ質問に困惑する。
「では、お兄様のことはどう思っていて?」
(どうしてここでライナス様?)
急にどうしたのかと、フェルシアも疑問いっぱいだ。
「あのお方は私を救ってくださった唯一無二の方にございます。…ステラ様、どうかなさいましたか?」
さすがに怪訝となったが、傍らの笑顔は柔和なだけでその内は読み取れない。
「いいえ。ただ、あなたがどう思っているか気になったの。ここに来てしばらく経つでしょう?」
そう言われてやっとフェルシアは理解した。
なるほど。彼女の兄は上流階級の頂点に立つ人間だ。…自分は今、分不相応にも嫁入りを狙う女ではないか?と警戒されているらしい。
だがそれは全くの杞憂だった。
自分とライナスの間にそれらしい会話や雰囲気が流れたことなど、ただの一度もない。少なくともフェルシアはそう認識している。
さてどう言ったものか…と考えるフェルシアへ、ステラが憂うように続けた。
「…お兄様はまだ婚約者すらお持ちでないし、困ったものだわ。誰か良いご令嬢はいらっしゃらないかしら」
「それは私にはなんとも…。ですが、お付き合いされている方などは」
「今はいないわ。安心なさって」
即答だ。それにどうも不可解な言葉もつけ足される。
(誤解が広まらないように教えてくださっているのね)
だがフェルシアはちゃんと憶えていようと頷くばかりだった。
「あなたはどう?またお相手を探そうとは思わないのかしら?」
微笑んだステラが長髪をさらりと梳く。そんな彼女とへとフェルシアは思い切って告げた。
「ステラ様。私、きっと結婚はしないでしょう。色々とありまして、そちらに割く時間がないのです」
言い切れば、こちらを見つめる瞳が丸くなる。だがここはハッキリさせておかねば、ステラも不安だろう。
しかし。
「まあ…そうなの?あなたのような娘がうちに来てくれれば、安心だと思ったのだけど」
今度は予想外に寄せられた期待へフェルシアは唖然とした。
これは更なる包囲網?とことん尋ねて本心を暴こうとしている?
彼女のような完璧な貴婦人の言葉だ。何やら裏があるのでは。そう気付いたフェルシアがなにかいい返し方はないか、と悩み始めると。
「お忙しいのでしょうけど、一度くらい考えてみてはいかが?愛する人がいればずっと幸せに生きられるわ」
ね?とこちらを見つめる慈愛にあふれた笑み。
フェルシアは目を瞬かせた。そうは言っても今、自分は幸せだ。
姉以外の家族を喪い、苦境にあったところをライナスに救ってもらった。加えてこんな豪勢な邸に住まわせてもらい、一人立ちの手助けまでもらっている。
これ以上満たされるなんて想像できない。
「…ねえ。本当にお兄様のこと何とも思っていないの?」
つい黙れば、ステラがもう一度問う。しかしフェルシアの答えだってすぐには変わらない。
(今の奇跡を与えてくださった方に、感謝こそすれ…そんな想いを抱くなんて、ありえないわ)
だが言われてみれば、未婚の男女の同居は憶測を呼びやすい。事情があるとはいえ、ステラがここまで強く疑うのも無理はないかもしれない。
そんな新たな視点を発見しつつ、フェルシアは首を振った。
「まさか…。ライナス様は兄のように頼もしいお方と思うばかりです。私よりももっと相応しい方がいらっしゃいましょう」
「兄のよう…?……ねえ、まさかなのだけど。それをお兄様へ言ったことがある?」
すると突然ステラがピクリと肩を強張らせ、フェルシアは首を傾げる。
「言ったこと…?あ、一度ありますが…」
そういえばそんなこともあった。
これも去年の秋、静かな雨夜に、大泣きする己をライナスが慰めてくれた。その姿が懐かしい面影と重なり、思わず言ってしまったのだ。
『ライナス様は似ていますね。…私の兄様に』
たしか、あの時彼は「ありがとう。光栄だよ」と笑ってくれて…。
一瞬の回想を終え、フェルシアがふと隣へ視線を戻せば。
…いつの間にかステラがこちらを凝視している。その視線は痛いくらいだが、気のせいだろうか。
「ステラ様?」
「…いいえ。大丈夫よ。ただ…」
ただ?とフェルシアが瞳を瞬かせると。
「あなたとお兄様の関係がとってもよく分かったわ……」
鮮やかな青空の下、愛らしく着飾った二人の間へそれは深い溜息が落ちた。




