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セラン・ブルーと幸福の少女  作者: Annabel
第1部 再会編 ※工事中。上から順に読んでいただいて大丈夫です
27/143

7章 (5)

「…………………」


 そうして一時間ほどで例の資料をまとめ終えた後のこと。

 本を返却するために訪れた別館の出入り口で、フェルシアは立ち往生していた。


(……どうしよう……)


 目の前の光景をじっと見つめて。

 毛むくじゃらの足が踏み出すのにあわせ、こちらもじり…と後退する。



 にゃあん



(うっ)


 期待を込めて見上げる丸い双眼はきらきらと輝いて。それはそのまま彼女の気持ちを表わしていた。かわいい。


 出入口段差の前、平らな地の上でピンと真っ直ぐな尻尾が左右前後に移動する。すると、必然とフェルシアも同時に足向きを変えた。そう、猫のルナがフェルシアの入らんとしている扉の前に陣取っているために。

 これでは建物に入れない。


 可能なかぎり悪影響を避けるため、相変わらずルナに触れることはない。けれど相手がこちらの事情を知る由もなく。


 にゃー


 どうしてだか、初めて出会った日から定期的にこういった「かまってかまって」攻勢を受けることがあった。いつもはすぐに避けて通るのだが今日の陣張りは絶妙で、自分は両手に荷物を持っている状況だ。


(とってもかわいい。かわいいけど……!)


 うろうろ、ぐるぐると。

 近付いては離れ、一進一退の攻防へ手汗が滲む。

 半周回って、一人と一匹の立ち位置が入れ替わったその時。フェルシアは一瞬の隙をみて駆け出した。


 にゃっ


 成功だ。抜けた後は扉を閉めたので、屋内の廊下ではもう追いかけられることはなかった。


「…ごめんね」


 気のせいか、残念そうな鳴き声が聞こえる。本当にどうしてこんな自分に甘えてくれるのだろう…。


(私、なにか良い匂いでもするのかしら?)


 首を傾けて襟元を嗅いでみるが、やっぱり何も感じなかった。香水を付ける習慣だってない。

 その後別館を出る際。そこでも警戒したものの、どこかに興味を移したのか白黒の毛並みを見ることはなかった。



* * * * * * *



「おい!あれ…」


「え?…うわ、大丈夫かよ?」


「降りられるのか?」



 資料を返し終わって、本舎へと続く帰り道にて。やや遠くから上がった声を己の耳がぴくりと拾った。


「?」


 そのざわめきは、茂みで隔てられた向こうから聞こえる。一つ隣の道だ。


「何であんなとこにいるんだよ」


「……あー、もっと上見ろよ。あれだな」


 何事かと、近付くにつれて怪訝そうな男たちの声が大きくなる。そうして数名の隊員の背中が見えた頃、ようやくフェルシアにも事態が明らかになった。


 手前にいる複数の人影が見上げる先。その先に生えた太い大木から伸びる枝の上に。


 にゃあ…


 ルナがいた。根元から数えて節四つほどの高さにてしがみついており、どうやら樹上から降りられなくなったようだ。

 先ほど嬉々としてフェルシアに通せんぼをしていた表情は消え失せ、かわいそうに半分毛を逆立て、耳も鋭く尖らせている。


 にゃあん……、にゃー…


 打って変わって細い声は頼りなげに響き、眼下で注目している人々に主張していた。


 誰か助けてあげられるだろうか…、とつい心配になってしまう。


 猫は走りや跳躍は得意だが、あまりに高低差があるとさすがに怯んでしまう。四肢の爪だって主に狩りや争いに用いるものであって、引っかけて己の体重を支えるには強度は低い。だからこそ、彼女はバランスを崩せば真っ逆さまの、足場の不安定な場所を渡れずに鳴いているのだろう。

 そんなあからさまに悲壮感漂う中、一陣の風が吹いた。


 突風により、ザアアッ…と当の大木も枝葉を揺らして。びくんっとルナが跳ねた。


(危ない……!)


 思わず拳をぐっと握るが。

 幸いなことに、しっかりと枝の生え際に貼り付いていたため影響は最小限で済んだようだった。

 引き続き同じ場所でにゃあにゃあと鳴き始める姿に、一同ほっとする。

 あの小さい体がいつ落ちてしまうのか、見ている側もとてもひやひやする状況である。


「おい、結構高いぞ。梯子がいる」


「だなぁ。おいルナ、今行くから待ってろよー」


 そう隊員が呼びかければ、応えるように「にゃあ」とまた鳴いて。

 いつもながら、まるでこちらの言葉が分かるようだ。しかし見開いた両目は恐怖に染まっている。

 そのやりとりを見て、フェルシアはたまらず声を上げた。


「あの。私が行きます」


「は?」


「…なんだ、フェルシアじゃないか。危ないから止めておけ」


 いつの間にか自分が背後にいたことへ、場に残った二人の隊員から驚かれると同時に止められる。

 しかしそれを予期していた彼女はこう言った。


「今から梯子を持ってくるとなると十分ほどかかるかと…。今日は風が強いですし、あの子がいつ落ちてしまうか分かりません。木登りなら得意ですし、どうか任せて頂けませんか?」


 近場の梯子がある場所を思い浮かべてそう説得する。やりとりの間にもまた新たな風が吹きつけ木を揺らせば、 細い四肢がひっしと爪を立て小さく震えている。

 時間が惜しい。

 彼女の申し出へ、共通して焦っていた彼らが頷くのに時間はかからなかった。


「………わかった。だが、慎重にしてくれ」


「落ちないようにしろ。だけど、落ちたら俺たちで受け止めるからな」


 途中足がかりになりそうな枝には、男性が乗ると折れそうなものもある。それもあって任せてくれるのだろう。


 一方隊員達は、体重の軽いフェルシアなら危なげなく到達できるかもしれない。彼女の高い身体能力はこの数週間でも明らかであり、訓練で見せた軽やかな身のこなしを以て解決してくれるかもしれない……と、期待を抱いていた。


「はい」


 フェルシアが小さく頷いて足を踏み出す。

 木から落ちた経験はほとんどない。それに落ちたとしても受け身を取れる高さだ。


 他人に注目されるのは慣れなくとも、これまでの経験から特に恐れはなかった。彼女は手始めにひらりと一つ目の枝に乗り上げて見る。

 すると、おお……と背後から感嘆のような声が聞こえた。


(あと二本超えれば…)


 素早く見上げ、次の足場に狙いを定める。早くあの子を助けてあげなければ。

 幼い頃「木登りが成功するかどうかは、登る前から決まっている」と教えられたことを思い出す。

 その人いわく登攀(とうはん)中の一瞬一瞬のセンスも大切だが、やはり最も重視すべきはそれが己の力量に見合っているかどうかだと―――。


「………ほら、おいで」


 そうこう考えている内に、彼女はぷるぷると震える白黒へと辿り着いていた。その間、数分。

 到達してみれば、ここは建物で例えるなら二階にも満たない高さだった。

 だいぶ葉が落ちて、寂しくなった枝元に腰かけて腕を伸ばす。ルナは突然の接近を恐れたのか黙り込み、まん丸な眼だけで雄弁に語りかけてきた。想像するなら「本当に助けてくれるの?」だろうか。


 思わず上がってきてしまったが、大人しく身を任せてくれるかは分からないのだった。


 「早いな…」「もうあんな所に」などとざわめく声を背に考える。

 自分は普段この子と関わらない人間だ。触れたのはライナスに促された時の、あの一度きり。

 その後時々寄って来てはくれるが…今の状況で、慣れない者ではより怯えさせてしまったかもしれない。

 そのため、無理にでも抱きかかえて降りるべきか……と迷っていたのだが。

 心配は杞憂だったようで。数拍の間をおいて、ルナは「にゃ」と鳴いて、こちらへと前足を伸ばしてきた。

 安堵する。とりあえずは頼るべき相手として認識してくれたようだ。


「うん…大丈夫。一緒に降りようね」


 自身の安定を確認して、幹に添えていた手も離す。そうして両腕を差し出す形で手を伸ばせば、ついにその上体を抱えることに成功した。慎重に持ち上げて枝から剥がしてやり、胸元へ抱えれば緊張を表わす震えが伝わってくる。やはりとても怖かったのだ。


 それを慰撫する気持ちで抱え直し、いよいよ下を見た。

 後はここから降りるだけだ。案の定さほど高所ではないので特に問題はない。


 それにしてもどうしてこんな所にいたのだろうか。

 片手と足を使って慎重に枝を移りながら。ここに至った理由についてを失念していたと思い出すが。

 地表が近くなってきたので、手の中の暖かみがうずうずとしている。それに気付いたフェルシアがそっと拘束を解いてやると、飛び出たルナはスタッと危なげなく着地した。

 それからすぐ、青い猫目がくるっとこちらを振り返る。それと同時に。


「おい、大丈夫か?」


「いつ足を踏み外すかって、結局ヒヤヒヤしたよ…本当に悪かったな。ありがとう」


「いえ、お待たせしました」


 こちらを見守っていた二人に声をかけられた。

 しかし。それに答えて足を降ろそうとしたところで、続いた言葉にまた頭上を見上げることとなった。


「ルナお前なあ…。いくらなんでも、あんなの届く訳ないだろ?」


 あんなの、と責める声は自分たちの頭上、―――ルナがいた位置よりももっと上を指しているらしい。


「何かあるのですか?」


 自分の位置からは枝が重なって何も見えないのだが。

 己も地表に戻ってきたフェルシアは誘導されるまま歩き、指し示される方角を見た。すると。


「な?見えたか?」


(あれは……)


 納得した。なるほど、(ルナ)が惹かれるはずだ。


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