92話
「覚悟しやがれ――」
ベルトーガの懐に入ったクーガーは短槍を構え姿勢を落とし、力を溜める。狙うは胸の中心、この距離ならば外す事はない絶好の箇所。
「ベルトーガあああッ!!」
力を解放し突貫する。右手を振り抜いていて姿勢を崩しているベルトーガはまともに動けずその胸に短槍が突き刺さる。
「ギッ、イイッ!」
短槍の刃先が入るがそれ以上は進まない。オーガという種族の特徴である肉体の強さのせいもあるが、何より幼いクーガーでは単純に力不足だった。
「刺されよォッ!」
今一度足に力を込めて踏み込むクーガー。しかしそれだけの猶予があればベルトーガが行動に移るには充分だった。
「調子に乗るなァ!くそ餓鬼ぃッ!!」
左の腕を振るいクーガーを弾き飛ばす。硬い拳が顔に当たり口内が傷つき血が溢れる。
地面に叩きつけられたクーガーは直ぐに立ち上がろうとするも視界が眩み立ち上がれない。
「クソが!殺したソイツといいテメェといい一丁前に足掻いてんじゃねぇぞォッ!!」
吐き捨てるベルトーガ。クーガーは口に溜まった血を吐き捨てると短槍を支えにして立ち上がった。
「ああ、苛つくぜ。勝ち目もねぇのに必死こいて向かってくるなんざ面白くねぇ。お前ら人間は無様に喚いて踏み潰されてりゃいいんだよ!!」
「黙れよ」
絞り出た一言は小さいながらもベルトーガの耳に鮮明に届いた。
「テメェの理屈も感情も、どうでもいいんだよ…。そもそも魔物風情が一丁前に語ってんじゃねぇよ!」
荒く呼吸しながらもベルトーガを睨む視線は鋭い。
「俺がテメェを殺すんだ。テメェが吐いていいのは懺悔の言葉と断末魔だけなんだよ!」
「吠えんじゃねぇぞクソ餓鬼。不意を突いた一撃を当てた位で俺を殺すなんざ夢見てんじゃねぇよ!」
ベルトーガは激昂しクーガーに突撃する。
不意の一撃を貰った事は勿論、人間の餓鬼にあそこまでの啖呵を切られてはオーガとしての矜持は傷つけられ、怒りの感情が沸き上がる。
「死ねやァッ!!」
渾身の力を込めて右拳を振り抜く。相手は立っているのがやっと、今度こそ何も出来やしない。
この期に及んでベルトーガにはそんな驕りがあった。
だからこそまだ自分には付け入る隙が残されている。そう確信しているクーガーは倒れ込むように体勢を倒してベルトーガの拳を皮一枚で避ける。
「こ、の餓鬼ぃっ…、またッ!」
またしても躱わされた事にベルトーガの怒りは天井知らずに上がっていく。それでもその続きは許さないと不恰好ながらも左手を胸へと持っていく。
――この一撃で仕留められなかったがこれで仕舞いにしてやる。
きっとそう考えているだろうと読んだクーガーは沈む体を支える為に足に力を込めた。
短槍を握り、狙いを定める。だけど視線は俯いて直前まで悟られないように。
――馬鹿め、とベルトーガは心の中で蔑む。
――阿保が、とクーガーは心の中で吐き捨てる。
餓鬼だから単純な事しか出来ないと甘く見たベルトーガに、ただ力があるからその先を考えない奴と幼いながらに戦闘を介して把握したクーガーの一撃が迫る。
互いの位置は先ほどと殆ど一緒。ならどの角度で飛び込めば目当ての箇所に向かうかをクーガーは理解する。
「っ!穂先の向きが違う!?」
短槍の穂先が自分の胸ではないと気付いたベルトーガだったがもう遅い。
心臓を狙った一撃はその強固な肉体に阻まれた。なら別の急所を狙うしかない。生物のほぼ全ての弱点である頭部、そこがクーガーが狙いを定めた箇所だった。
「だが無意味だ!貫ける訳がねぇ!」
己の肉体に絶対の自身があるベルトーガは叫ぶ。確かに胸は貫けなかったからといって頭は違うかと言えば否だ。
クーガーは顔を上げ目標を睨む。ぶれないように、ただ一点を目掛けて短槍を突き出す。
強固な肉体だがその全てが頑丈である訳はない。幼いクーガーでも確実に傷をつけられる箇所は確かにある。
「とっておきの一撃だ!眼ン玉ひん剥いて見やがれ!」
クーガーの言葉に乗せられるようにベルトーガは眼を見開いた。徒労に終わるであろうこの一撃の行方を目に焼き付ける為に。
ソレがクーガーの狙いであると気付かぬまま。
「ああ、それでいい。それならいけるッ!!」
攻撃の成功を確信したクーガーの口角は上がり、瞳孔は鋭く
、表情は獰猛な顔になる。
短槍の穂先がベルトーガへと迫る。首より上、額より下、顔の中心より少し斜め上に向けてなお迫る。
穂先が急激に大きくなり、背筋に冷たいナニかが走ったその時、ベルトーガの左の視界が無くなり、激痛が襲う。
「ア、?ア、アアアアア――――ッッ!?!?」
短槍はベルトーガの左眼を穿ち突き刺さる。
刃先が半ば程入り鮮血が槍を伝う。
「こん、のッ!」
それでもクーガーの表情は苦い。仕留めるはずの一撃なのに貫くどころか刃先が半分しか入っていない。
(後一歩、いや半歩でいい。踏み込み、押し込めればそれで決着が着く!)
握る槍を地面に押し付けるように力を込めてベルトーガの顔が上がるのを防ぐ。
ベルトーガの動きが止まった瞬間を捉え、クーガーは全力で踏み込んだ。
しかし槍は進まない。柄の先の部分をベルトーガが掴んだからだった。
「オオオオアアッッ!」
叫びを上げ握る拳によって柄からひしゃげ槍が破壊される。
体勢を崩したクーガーにベルトーガは力任せに蹴り飛ばした。
「ゴっ……は!」
勢いよく飛ばされたクーガーは地面を二度三度跳ねて転がっていく。蹴りの衝撃で吐き出された空気を戻そうと呼吸をするが、痛みのせいで上手く出来ず地面に伏したまま立ち上がれない。
それでも何とか顔だけは上げてベルトーガを見る。
そのベルトーガは左目に刺さった槍を掴むとソレを引き抜く。抜いた箇所からは血が溢れ涙のように滴り落ちる。
痛みに息を荒げ残った右眼でクーガーを睨むベルトーガ。
「テメェ…、テメェ!!ただじゃ死なせてやらねえ!ぐちゃぐちゃに殴り潰してミンチにしてやるッ!!」
憤怒の表情でクーガーに近づくベルトーガ。対するクーガーは未だに立ち上がることすら出来ていない。
動け、動けと、もがくが体は言うことを聞いてくれない。
「こんな…んで、終われるか…よ……!」
兄の仇を前にしてこんな結末など認められるはずもない。その思い、執念が通じたのか震えながらも手足が動く。
なれどそれでも立ち上がるには遅く、ベルトーガは近づく。
「クソ…ッ!クソオオッ!」
迫る敵に何も出来ない不甲斐なさに叫ぶ。
己を殺す敵が一歩、また一歩と近寄り、死の間合いが直ぐそこになった時、村の入り口から叫ぶ声が聴こえてきた。
「やった!巡回していた騎士団がきてくれたのか!」
遠巻きに見ていた村人が叫ぶ。どうやら定期的に辺りを巡回している騎士団が村から昇る煙を見て何事かと駆け付けてくれたらしい。
「いたぞ!子供が襲われている!」
ベルトーガの背後から聞こえた声は次に魔法を唱えた。
「放てえ!」
号令を合図に複数の魔法がベルトーガに殺到する。
急な襲撃に対応が遅れたベルトーガはその身に攻撃を受けた。
「ぐっ、おおおっ!?」
魔法が当たり爆発が起こり爆煙が舞い上がる。
煙の中からベルトーガの声が聞こえる間絶え間なく魔法が撃ち込まれていった。
「止め!」
合図と共に攻撃が止み、辺りが一斉に静かになる。聞こえてくるのは魔法を放ち続けた者達の息が切れる声だけ。
煙がゆっくり晴れていくとその中から現れたのは両腕を交差させ全面で盾にして立っているベルトーガ。
「―――――ハッ……、ハッ……!」
「まだ生きているのか…!?」
全身に重傷を負いながらもベルトーガは生きていた。その生命力に驚きの声が上がる。
「クソ…、クソ…!どいつもこいつも寸での所で邪魔しやがって、何で気持ちよく殺させてくれねぇ!」
「相手は手負いだ!一気に仕留めるぞ!」
騎士団は剣を抜き、とどめを刺すべくベルトーガへと向かう。
「ああ…、アアアアアッ!気に入らねえッ!鬱陶しく足掻くテメェらも!それを殺せねぇオレ自身にも!」
ベルトーガは己の不利を悟り騎士団に背を向けて逃走を図ろうとする。
「おい…?待てよ、何処にいくんだよ…!」
「命拾いしやがってクソ餓鬼。その面覚えたからな、今度こそぐちゃぐちゃにしてやる!」
そう言い放ち駆け出したベルトーガ。
その背中に手を伸ばしクーガーは待てと叫び続けた。
兄の仇が去っていく。ふざけるな、戻ってこい、殺してやる。
だがいくら叫んでもベルトーガは戻ってくるはずはない。
「…しょう!ちくしょう!!」
命からがら生き延びたクーガーは、兄の仇を逃してしまった己の無力さに地面を叩く。
這いつくばりながら少し離れた所で横たわる兄に近づき冷たくなった体に触れる。
ごめん、ごめん、ごめんなさい。
兄の言うことを守らなかったこと、兄の助けになれなかったこと、兄の仇を討てなかったこと。
いくら懺悔の言葉を溢しても兄の命は戻ってこない。
こうしてクーガーはたった一人遺された肉親を失った。




