90話
パチパチとはぜる音とじんわりと暖かい温度を感じながらクーガーの意識はゆっくりと浮上していった。
「あ…?」
ぼやける視界、重い体。息苦しいのに呼吸が上手くいかない。
それでもゆっくり少しずつ呼吸をしていくとだんだんと視界が鮮明になり、鈍った感覚も痛みと共に甦った。
「ぐ……っ」
「――良かった。目を覚ましたのね」
横から聴こえたルセアの声。でもその声色にはいつもの快活さが感じられなかった。クーガーは首をゆっくりと横に向ける。
「お前――」
「…はは。受け身は得意だと思っていたのだけれど、なかなか上手くはいかないものね」
そこには腕や足に包帯を巻いたルセアの姿があった。傷の多さもそうだが血が滲みようを見ると傷の程度も小さくはないことが見てとれた。
「それで、どう?体の具合は」
「それはこっちの台詞だろう…っ」
痛む体を無理やり起こす。節々に痛みは出るがそれでも動かすことに支障は無かった。
「良かった。思ったより無事そうで」
にこりと微笑むルセアだが、やはりいつもの覇気が無い。
「エイプ達なら多分大丈夫よ。ここは崖下のほら穴、村の人から貰った地図にも書いてあったでしょ?もしもの時の夜営用のほら穴。幸いにも滑り落ちた場所からそう離れてなかったから運んでこれたわ」
「……すまない」
ここまでのいきさつを聞いてクーガーから出たのは謝罪の言葉。自分の窮地を救ったルセアに怪我を負わせたことから出たものだった。
伏し目になり顔を背けるクーガーの顔にルセアは手を添えた。
「悪いけどその言葉は聞き入れられないわ」
何故?そう言おうとしたクーガーにルセアは続ける。
「貴方は私達が安全に撤退出来る為に殿を勤めてくれた。そんな貴方を助けようと私は指示を無視して戻ってきた結果傷を負った、そこに貴方の落ち度はないわ」
この傷は自己責任でありクーガーが背負うものは何一つないとルセアは言った。
「残ってくれた貴方に感謝することはあれ、貴方から謝られることはないのよ」
「だが…」
「それでも何か言いたいなら別の言葉がいいわ」
別の言葉と言われて何があるかと考えるがルセアの性格を考えれば直ぐに答えが出た。
「お前のおかげで助かった。礼を言う」
「言い方が硬いッ」
脳天にチョップを食らう。
「…………ありがとう」
「どういたしまして」
言い慣れてない言葉を言ったせいで恥ずかしくなったクーガーはプイと顔を背ける。
クスクスと笑い声が聞こえ、焚き火の熱とは別の熱がクーガーの顔を伝った。
「ところでその傷、痕…残りそうか?」
「見た目は派手だけど打ち身が殆どよ。傷薬だって塗ったし問題ないわ、多分」
「多分か」
「多分よ」
そう言うルセアに悲観的な感じは見られなかった。つまりルセアにとってそこまで気に病む問題でな無かったようだ。
「それにしてもやけに心配してくれるのね」
「そうか?」
「自覚は無かった?」
少し考え、それでもピンとこないクーガーは頷く。ルセアにしてみれば意識していも無自覚でも気に掛けて貰えている事は心地よく笑みが浮かぶ。
「ふふ。本当に大丈夫よ。依頼が終わったらコーラルに診てもらうわ」
治療魔法も高いレベルで修めているコーラルならば確実に治療出来る。そう言うとクーガーはまた、そうかと一言呟いたがどうやら納得したようだった。
「外はまだ雨が降り続いているし時間も真夜中。日が昇るまでここに留まるとして、天気は回復してくれるかしら」
ほら穴の入り口から見える景色は真っ暗な中、暴風によって雨が打ち付ける音が止めどなく鳴り続けていた。
クーガーは痛む体を押して立ち上がった。キラーエイプに射たれた足の傷は包帯で確り巻かれ手当てされていた。ほら穴の内部の高さは大の大人が真っ直ぐ立つには低く、クーガーは中腰の状態で入り口へと向かう。
「ちょっと、安静にしていなさいって」
ルセアの静止に少し見てくるだけと返し、クーガーは入り口から暗闇の空を見上げた。
「この分なら明け方には止むか」
少しの間見上げていたクーガーはほら穴の奥へと戻るとそう言った。
「天気が分かるの?」
「ある程度だがな」
そう言えばオネッサ村からこの森へくる前にもクーガーが空模様を気にしていたのを思い出したルセア。
「この雨ならエイプ達の視界も相当悪い筈だ。それにアイツらは夜行性じゃないから、夜の襲撃は恐らく心配はないだろう」
可能性はゼロではないが限りなく低い。つまりそれだけ体を休め、少しでも傷の治療に集中出来るということ。
「休むぞ。万が一の為に火はもう消しておく。それと冷えるからコレを使え、無いよりかはマシだ」
自分に掛けられていたボロボロになった外套をルセアに渡す。
「貴方は?」
「外で寝るのは慣れてる。それに穴の中なら風もそんなに入ってこないからな」
そう言いながらクーガーはさっさと火を消して横になる。地面は冷たいが自分の経験からこの程度なら問題ないと知っていた。
「ありがとう」
「……ああ」
その会話を最後に沈黙が訪れ、風と雨の音だけが響き続けた。
それから幾らか時間が過ぎたのか曖昧な感覚のなか、ルセアはポツリと言葉を発した。
「ねぇ…、まだ起きてる?」
「どうかしたのか?」
聞いておいて起こしてしまったかと思ったルセアだが、クーガーはまだ寝付けてないだけと返して要件を尋ねた。
「うん…。私もまだ寝付けなくて、良かったら少しお話しでもしないかなって」
「かまわないが一体なにを」
そう言われてルセアは少し考える。話したい事、というより聞きたい事があるのだが、それを今聞くべきか悩んだ。だが他に話題は思い付かず、良かったらなんだけどと前置きをして続けた。
「私、貴方の事あまり知らないって思って。ほら、ギルドに来る前のことなんて何一つ知らないし、よかったら話せる範囲でいいから教えて貰えたらなって」
「俺の事を?」
そう、と頷くルセアにどうしたものかと悩むクーガー。
「もしかして、話しづらいかしら?」
やはり不躾が過ぎたかと申し訳なさそうにするルセアにクーガーは首を横に振った。
「別に言いたくないような後ろめたさを持ったつもりはない。ただ、少し聞かせづらいと思っただけだ」
話しづらいではなく聞かせづらい。つまりクーガーではなく聞き手であるルセアに配慮したということ。
そう言われ、一体何がとルセアは考えたが直ぐに合点がいった。つまりクーガーが語る内容は。
「あまりいい内容ではないぞ。それでもいいなら構わないが…」
互いの表情が見えないのにルセアは何となくクーガーが今どんな顔をしているか分かった。
歯切れが悪く気づかいの台詞を言うときは困ったように伺う表情をしていたのを思い出したからだ。
「――お願い」
どうしたものかと少し悩んだが、本人が構わないと言っていたし何より会ってからの人となりしか知らないルセアに引くという選択肢は無かった。
「そうか」
クーガーは一つ息を吐くとどう話したものかと考えた。
先程ルセアに言った通り聞かせづらいことはあっても話せないことは殆ど無い。幼い時から今までの道程もほぼほぼ記憶にある。だが隠さずに話せば直ぐ様この世界との差異は明らかになるし、最後に転生という突拍子もない部分が出てくる。
この世界に来てから限られた者達にしか話していない秘密を隠して語る技量を持ち合わせていないクーガーはその部分で悩んだ。
「喋る前に一ついいか?」
「?…ええ。なにかしら」
話し始めると構えていたルセアはちょっと肩透かしになった気分になったが直ぐに持ち直した。
「大分荒唐無稽な事を言うが、とりあえず聞いていてくれ」
悩んだクーガーが出した結論は包み隠さず言うことだった。この場に二人を覗いて誰もおらず、聞いた相手がルセアだから大丈夫だろうと考えたのだ。
「え?……ええ、分かったわ」
クーガーの口から荒唐無稽な話しなど出るのかと疑うが本人がそう言う以上そうなのだろうし、その上で聞いて欲しいと言われれば聞きたいと尋ねた自分としては了承以外の返事はないとルセアは頷いた。
「それじゃあ話すか。先ずは―――」
そう言ってクーガーは話し始めた。これまでの自分が歩んだ道のりを。
読了ありがとうございます。
次回の更新ですが、リアルで体調が悪化したため暫く空きます。
意欲はあるので気長にお待ちいただけたら幸いです。