87話
オネッサ村近郊の森を進む一行。村人達が動物達の狩り場としても使っている森だが、曇天の空模様も相まってやけに鬱蒼としてクーガー達を迎えていた。
「なんかジメっとして嫌な雰囲気だな」
「ええ。それに所々エイプが食べた残骸が残っていて臭いも酷い…」
視界の端では無惨に食い散らかされた動物の死骸が転がっており、蝿が集っていた。そして時々吹く風によって腐臭が辺りを駆け巡っていく。
「…大分行儀が悪いわね。残った部分が多くて腐った時の臭いが強い」
口と鼻を覆った布越しでも鼻を突く臭いにルセアは顔をしかめた。
そんな中クーガーは一人空を見ていた。
「どした?」
「まずいな…、思ったよりも早く降り始めそうだ」
クーガーの返答に本当かと問いただす間もなく疑問の答えが空から落ちてきた。
「雨…?」
ポツ、ポツと小さな滴が次第に粒を大きくして叩きつけるように降りだしてきた。
「どうする、止むまで待つか?」
「いやこの分じゃ暫く止みそうにもない。留まるよりかは村人が襲撃を受けた場所まで向かうぞ」
外套を羽織り歩みを続けるクーガーにソーマ達もそれに続いた。
「臭いはましになったが今度は視界と音かよ」
雨が腐臭を抑えるが視界は狭まり、木々や地面を叩く音が大きく声を張らねば仲間との会話も心許なくなる。
「このままの強行は厳しいのでは?」
「戻るにしても距離はある。村長の話し通りならば目的地のほうが近い」
コーラルの忠告にクーガーの返答は否。足元を気にしつつも歩く速度を早めていく。
「道なりに行けばたどり着くはずだ。これ以上雨足が強くなる前に到達するぞ」
早足は駆け足に、クーガーを先頭に森の中を駆け抜けていく。
暫く進むと村人から聞いた目印の木の元に着いたのか歩みを緩め周りを見渡す。
「ここら辺か?」
「ああ。話では獣を捕らえる罠が置いてあるはずだ。村人はそこに掛かった獲物を回収しようとした時に襲われたらしいからな」
獲物はエイプに喰われていても罠の残骸はあるはずだと周囲を見渡す一行。そんな中ソーマが一本の木の幹に意図的に付けられたような傷を見つけた。
直ぐにその木の周りを調べると、壊れた罠の残骸を見つけた。
「罠発見っと。てことは最後にエイプの姿を見たのはここで良いんだよな?」
クーガーは頷き、取り敢えず落ち着く為に全員を木の下へ集め少しでも雨を凌ぐことにした。
「罠に獲物は?」
「既に無し。血の着いた痕はあるから掛かっていたの間違いない。ま、奴らに喰われたと考えるのが順当かね」
「そもそもここまで来てそこからどうするの?エイプの住みかがこの近くにあるとか?」
「いや、エイプは日毎に寝床を移動している。定住するときは繁殖期になった時ぐらいだ。流れ着いて日が経っていない今では住みかは決まってはいないだろう」
「やけに詳しいですね」
「前にギルドに調査隊がいた時に多少の魔物の情報を聞いたからな」
魔物や動植物の生態の調査や薬等の開発についても行う調査隊。国、ギルド、教会、全ての機関から人員を集め結成された部隊であり、その活躍は直接的な戦力にならなくとも後方から支えてくれるなくてはならない存在。
その調査隊が定期的に情報の報告をしにギルドに来ていた時、偶然居合わせたクーガーは魔物の情報を聞いていた。
「そんな事してたのか」
「知識が有るのと無いのでは雲泥の差がある。それが戦闘した事のない魔物なら尚更だ」
過去に一人で魔物と戦ってきた経験から情報の有用性を身に染みて実感しているクーガーは重要な事だと言った。
「そう言えばたまにベリスさんとも話していたのを見たことあるが」
「大抵は依頼で討伐した魔物の情報だ。実際に倒した奴の言葉は重みがあるからな」
ソーマの疑問に答えたクーガーは懐から袋で何重にも包まれた物を取り出した。
それを見たルセアの疑問の視線にクーガーは答える。
「村の人に作ってもらった肉だ」
「肉?」
首を傾げるルセアの前で包みを開けると雨の中でも香ばしい匂いが辺りに漂った。
「猪の肉に香辛料を塗り込んだモノだ」
「コレをエサに誘き寄せると?」
「エイプもわりかし鼻の利く魔物だ。それに嗅ぎ慣れない匂いがあっても確認しようと近づく傾向がある。過去に夜営で飯ごうしていた冒険者や騎士団が襲われた話しもあったからな」
本来ならこの肉も焼こうと考えていたがこの雨だ。効果は多少薄くなるがそれでもとクーガーは肉を少しだけ開けた地面へと投げた。
「ソーマは警戒を。ルセアとコーラルはいつでも動けるように構えておけ」
木を中心としてソーマに警戒の殆どを、その背中をクーガーが担当した。
「本当に来るの?」
「これが一番確率が高いらしい。何時来るかまでは断言出来んがな」
この後すぐ来るかもしれないし長くかかるかもしれない。だからこそ瞬時に動けるように構えておく必要がある。
雨足は弱まる事なく降り続けクーガー達の体温を奪っていく。指先の冷えを暖めるようにルセアがはぁ、と息を吐く声が聞こえた。
まだかまだかとじっと待ち続けていると、ソーマの耳が違和感のある音を捉えた。
「右から音がした!」
直ぐ様クーガー達は武器を構え息を殺した。音の発生源はクーガー達から地面に投げた肉を挟んで向こう側、身を隠せていれば向こうからコチラの姿を視認するのは難しいはず。対してこっちは肉を取りに木から降りてくるエイプの姿を確認するには絶好の場所にいるといえた。
「何体いるか正確には分からん。二三体出てきても少し様子を見るぞ」
小さな声で呟いたがきちんと聞こえたらしくルセア達は頷いて了承を伝えた。
がさがさと木々の枝を揺らした音の主が飛び出して来た。その姿はクーガー達の予想通りエイプだった。
大型の猿のような体躯をしながら全体的に盛り上がった筋肉を纏った姿を見て分類をビーストエイプと判断した。
「また来たぞ」
最初の一体に続いて二体、三体とビーストエイプが現れた。地面に無造作に置かれた肉に疑問を持ちつつも、香辛料の強い香りに涎が滴り落ちていく。
「どうやら効果覿面みたいね」
視線は肉に釘付けで後は誰が食べるか互いに牽制しているビーストエイプ。それを見てクーガーは準備をするように手で合図を出す。
互いににらみ合い唸り声を上げて完全に注意が逸れていると感じたクーガーは短く号令を出した。
「今ッ!」
それを切っ掛けにして弾き出されるように飛び出していく。地の有利を失くした上での奇襲。それを十全に生かす為に先陣を切るのはルセアとソーマの速さがある二人。
二人は既にフィジカルエンチャントを施してあり瞬く間にビーストエイプとの距離を詰めていく。
「ギィっ!?」
奇襲に気が付き声を上げるが迎撃させる時間は与えない。
先ずは確実に数を減らすとルセアとソーマは手前の一体に狙いを定めた。
「ハアアッ!」
防御しようとしたビーストエイプの腕をルセアが弾き飛ばす。あらぬ方向にひしゃげた腕に苦悶するビーストエイプ、がら空きになった喉にソーマは短剣を突き刺す。
「シッ!」
水平に突き刺した短剣を真横に振り抜く。勢いよく鮮血が吹き出しビーストエイプは倒れた。
仲間が倒された事によって態勢を立て直すべく退こうとする残りのビーストエイプ。一刻も早く木に登ろうと背を向けるがその眼前に土の壁が突如立ちはだかった。
「!?」
「逃がす訳が無いだろう…ッ!」
土壁を作り上げたクーガーは地面に両手を当ててビーストエイプを睨み付ける。その額には滝のように汗が浮かんでおり相当の集中力と精神力を一気に使ったのがうかがい知れた。
逃げ道を塞がれ足を止めたビーストエイプに追撃を掛けるはコーラル、標的に向けられた杖の先端には魔力で作り上げた光球が。
「生命を導く聖なる光よ、その閃光で敵を貫け――『ホーリーレイ』!!」
光球から光の線が放たれる。四本もの光線が連続で放たれ一体のビーストエイプの体を貫いていく。
その内の一本が心臓を捉え、息の根を止めた。
「後はアンタだけね」
残る一体を逃がさないように包囲しながら隊列を整えていく。
そんな中ソーマは肩で息を切らすクーガーに近づき声を掛ける。
「大分息が上がってるがいけるか?」
「無論だ…」
そう返す言葉にいつもの鋭さは感じられない。魔法が本職ではないクーガーがあれだけ高度なことをやってのけたのを考えればこの疲労も当然だった。
「俺とルセアが仕掛ける。お前さんは後詰め、コーラルは援護。今回はそれでいいよな?」
流石にこの状態のクーガーに先陣を切らす訳にはいかないとソーマは作戦を提案をする。
普段は指示を受けるであるソーマの言葉にクーガーは驚くが、反対出来る理由も無いため小さく頷いた。
「任せるのはいいが、その短剣で大丈夫か?」
ソーマの短剣を見ると刃先が刃こぼれしていた。オネッサ村を出る前に装備は確認したはず、なのにこの有り様ということはどれだけビーストエイプの肉質が硬いのか、それともソーマの腕がまだまだ未熟なのか、もしくはその両方か。
「いくら武器にエンチャントを掛けてないからってたった一回でこれかよ」
ソーマは直ぐ様手持ちの短剣を懐にしまうと替えの短剣を取り出し逆手に構えた。
「捨てないのか」
「買い換えるより修理に出したほうが安いんだよ。こっちはお前のハンマーのように一級品じゃないんだ」
「なら今回の取り分を少し多めにしてやるよ」
「その言葉、忘れんなよ」
軽口を済ませソーマは素早く場所を移動する。
その間ビーストエイプは威嚇の咆哮を上げて逃げる機会を狙うがルセアとコーラルが牽制しそれを許さない。
雨足は更に強くなり滝のように打ち付けてくる。
ジリジリと包囲を狭めていくなか意を決してソーマが叫ぶ。
「今ッ!」
ビーストエイプを挟むようにルセアとソーマが挟撃を仕掛ける。今回はフィジカルエンチャントではなく武器に施すエンチャント。
手甲と短剣が魔力を纏いビーストエイプへと迫る。
少し離れてクーガーがいつでも駆け出せるように構えて、ビーストエイプの動きに直ぐ対処できるようにコーラルが警戒する。
「―――っ?」
そんな中駆けるルセアの首筋に鋭い悪寒が走る。
一体なんだと足を止めずにビーストエイプを注視すると、自分達に囲まれ絶対絶命のはずなのに何故かその立ち姿に余裕が感じられた。
(もしかして――)
先程上げた咆哮が威嚇ではなかったら?直感にしたがって浮かんだ疑問に思考が加速する。
意識が逸れ、僅かに遅れるルセアに気付いたクーガーは何かあったと瞬時に察し駆け出す。
「ったく!何やってんだっつーのッ!」
ルセアの遅れにより同時に仕掛ける事が叶わなくなったソーマは悪態をつきながらも短剣を順手に持ち直しビーストエイプへと突き刺す。
ビーストエイプはそれを腕で防いだ。短剣は根元まで刺さったが命を取るまでには至らない。
ソーマは歯を食い縛りながらも両手で更に押し込み、ビーストエイプの動きを押さえ込もうと力を込めた。
「あと少し押さえろソーマ!すぐに仕留めるッ!」
叫ぶクーガーが更に勢いを上げてビーストエイプに迫る。なのにビーストエイプは力ずくでソーマを押し返すどころか逃げる素振りも見せない。
(諦めた?違う。だったらソーマの攻撃を防がないはず。なのに躱す素振りも見せないなんてまるで―――)
こちらを誘っているみたいと結論が出た瞬間、ルセアは急いで口を開いた。
「二人共離れてッ!!誘いこまれた!!」
ルセアの言葉にハッとする二人の頭上に突然影が現れた。
「―――キキッ!」
獰猛な笑みで武器を構えて襲い掛かるエイプ。キラーエイプがそこにはいた。