P29
「入院した時」
「うん?」
「あ、伊月がじゃなくて、僕が前に、学校で倒れて。
お父さんと話す前の日の夜、すごく怖かった。
大事な物も、いてもいい場所も、好きな人たちもみんな、
なんにもなくなっちゃうって思って。
あの時、伊月が、離れていても一人じゃないって言ってくれたよね」
覚えている。僕が帰る少し前に意識を戻した修と話した。
「怖かったら、電話してって言ってくれたけれど、
なんだか、電話するのは悪いなって思っちゃって。
でも、すごく怖くて。
そうしたらね、声が聞こえた気がしたんだ」
「声?」
「うん。聞こえたっていうか、浮かんだっていうか。
ちゃんとした言葉って感じじゃなくて、うまく説明できないけれど。
いてくれるからって。
それより大事なものが、他にあるのかって。
急に心に力が湧いてくる気がして、
なんで僕は、怖いって思っていたんだろうって考えたんだ。
父さんとも、おばあちゃんともゆいとも、
もう一緒に暮らせないかもしれない。
学校も辞めないといけないかも。
でも、もう中学は卒業しているんだし、
最初だけでも支援とかしてもらえれば、
最悪でも餓死するような事にはならない。
それで遠くの街に行って、一人で働いて、夜間学校に行って卒業して、
頑張って勉強して、お金もためて、
そうしたら奨学金で大学にも行けるかも。
贅沢なんていらない。
CDも本も、どうしても欲しかったら借りる事だってできる。
離れたって、伊月が思っていてくれる。
きっと、湊や、早瀬君だって。
それさえあれば、他に何もいらない。それ以上に大事なものなんてない。
何もかも全部をなくしてしまうわけじゃない。
今、地球のどこかは昼間で、誰かが誰かを思っている。
離れていても一人じゃない。
そう思ったら、怖くなくなった。
今でも、どんなに辛いと思っても、その声が頭の中にずっとあるんだよ。
変だって笑われちゃうかもしれないけれど、
きっとね、かみさまの声だと思ったんだ」
その声は、僕も知っている。いってやれ、と言われた。お前が、と。僕に立ち上がる力を与えてくれた。それで、僕が修を救うと誓った。修はそれを、かみさまの声だという。僕は何をやっているんだろう。なんでこんなに大切な事も、幸せな出来事も全部忘れちゃうんだろう。本当に、とんだバカだ。
「修は、お正月に僕がUNOしようって言った時、
いいよって言ってくれたね」
「え、それは、もういいよ」
「だめ、聞きたい」
笑って言うと、慌ててコーヒーを一口飲んでカップを置き、真っ赤になって俯く。
「藤森さんから、少しだけ聞いた。
修、一生僕のそばにいてもいいって、思ってくれたの?」
「だから、それは僕の勘違いで」
「修。今は勘違いでも、その時は?」
うるんだ目で僕を見て、視線を逸らす。
「でも、伊月は、離れた方が、
何もなかったことにした方がいいと思っているんでしょう?」
「ごめん、思っていた。けど、無理だった。
どんなに忘れようとしても、思い出にしようと思っても、できなかった。
修を思うたび苦しくて、ずっと」
「待って、だめだよ、伊月。それ以上は」
遮られても、止まらない。勝手なのはわかっている。けれど。