4. 赤子はかいふくした!
「女を待たせるものじゃないわ。昨日のうちにたどり着くと思って、ミッチーと一緒にいたのに」
雑誌プレイボーイのモデルも裸足で逃げ出すグラマラスなボディラインに、颯爽とまとった白衣。きらきら輝くオレンジブラウンのロングヘア。パーツの鮮やかなお顔はまるでマリリン・モンロー、ほくろの位置まで同じ。
聖ウェズリーの理系授業を担当なさってるひわ先生は、朝の科学準備室で待ち構えてらした。背負った朝陽が後光のごとく放射状に拡散し、さながら女郎蜘蛛の巣の様相。ラスボスはブキミにほほえんでいる。
勇者くんは警備員さんに発見されると捕獲されちゃうので、お留守番です。残念がってましたが、MPが無限そうなラスボスですから、来なくて正解だったんじゃないでしょうか。
「遅くなって申し訳ありません。礼拝堂の侵入者を捕まえろと大牙に連絡したのは茶々さんでなく、茶々さんの声色を使ったひわ先生だったんですね」
「茶々の番号でかかってきたぞ!」
「ご友人ですから、茶々さんの生活指導室で電話を拝借しても不審がられません。以前のサファイア泥棒事件で思いついたんですね。目的はエステルくんと僕らを引き合わせることですか?」
まあね、とハリウッドばりに豪華に微笑む唇は、細い葉巻をエレガントにくゆらせてます。ラスボスはどくのいきをはいた!
「だっていくら暗号バカでもあの子だけじゃ、石板の暗号が解けると思えなかったから。でもね、そもそも遺伝子っていう生物の話題が出た時点で、裏で糸引いてる人物を察するべきよ。がっかりだわ衛藤くん、減点しとくわよ」
「俺か! 律ちゃんは免除か、生きたミステリーだからか、ひいきだ!」
大牙さんはどくにおかされた!
オーパーツ収集がご趣味でミステリー研究会の顧問をなさってるひわ先生は、リッキーさんに電極繋いで実験したいと日頃から狙ってらっしゃる。
でも対リッキーさん限定スーパーえこひいき・大牙さんに、差別を訴える資格などございませんっ。
「再考してあげてもいいわよ。衛藤くんの筋繊維で興奮伝導の限界閾値を測らせてくれるなら。うふふ、オーバーシュートさせたらステキな顔をしてくれそう」
「現実世界でバシルーラが使えたらどんなにいいか……」
ラスボスにはきかなかった!
受諾したら人の形をして戻って来られなさそうな取引に、大牙さんは歯ぎしりしながら引き下がる。うーむ、敵は怪しげな薬品アイテムを豊富に所持していそうです。
「さ、暗号を解いたなら話は早いわ。『赤子』が自称勇者エステルの関係者、恐らく弟か妹だって推察はできるわね? 遺伝子コードCLC7の遺伝子変異による骨大理石病は悪性で重篤よ、自称勇者エステルのように歩き回ったりできないもの」
六歳まで生存する確率は三分の一だとか。
「骨髄移植しか根本治療の手はないの。骨髄移植はドナーと患者の白血球型が一致する必要があることくらい常識ね。でも自称勇者エステルの親戚家族と患者の型は一致しなかった。骨髄バンクに照会の依頼が来て、一件だけ合致するドナーがいたけど、移植は不可能だと判明したの」
「どうしてですか?」
白い煙が、ぽてりつやりとなまめかしい唇から、ふーうと気だるげに放たれる。瞬きの度にバラのエッセンスがこぼれそうな密なまつ毛、その陰からハッとするほどまっすぐな視線がリッキーさんを捕まえた。
「ドナーが神宮寺律音だからよ」
「え……」
おおっ、ここのところ立て続けに律音さん情報が! ついに消息判明でしょうかーっ?
骨髄バンクにドナー登録するには、未成年なら両親の合意が必要。だから律音さんが失踪した後、ドナー登録を知っていたご両親は登録取消の申請をしたはず。なのにどう事務処理が間違ったのか、律音さんのデータは残ったままになってたらしい。
ひわ先生は骨髄バンクで患者とドナーを結ぶコーディネーターをしていて、勇者くん家族の担当になってた。合致するドナーはいたものの、それは失踪宣告されてる律音さん。ひわ先生は合致するドナーはいなかった、と伝えるしかなかったそう。
「でもね、白血球の型が一致する確率は家族間で数分の一。つまり……自称勇者エステルの家族が必要とする型、すなわち神宮寺律音と合致する型を持つ者が、神宮寺家に存在する確率が数分の一残されているのよ」
救える可能性に、ひわ先生は賭けることにした。コーディネーターとしては絶対に絶対にしてはならないことだけれど、可能性があることをどうにか知らせたかった。
「だから自称勇者エステルに匿名で石板を送りつけたの、調べたら暗号バカらしくてちょうど良かったわ。石板の重要性や意味を感じ取って暗号を解く根性があるなら、神宮寺くんに引き合わせてもいいと思ったのよ」
自称勇者とか暗号バカとか、冷たい呼び方。でも、ひわ先生は本当はとても優しい方なんですね。
ひわ先生のなさったことは完全な規則違反。倫理とトラブル防止のために規則はある。けれど規則が障害となって救えなくなる命があるんだとしたら、規則って何なのでしょう。印刷された規則より、ひわ先生はご自分の信念に従われたんでしょう。
違反が発覚すれば、受ける社会的制裁は相当なもの。それでも意思を貫く勇気を誰もが持ち合わせてるとは思えません。莉子にしたって、そう。大牙さんが冷たいって理由で愛する骨に知らんぷりしたりして、情けないです……。
「神宮寺くんとしても聞いて損な話じゃないはずよ。……悪いけど、事情は探らせてもらったわ」
「はい。姉さんがドナー登録するほど生命を重んじていたなら……心中する可能性などない、どこかで生きてくれてると信じられます。ありがとうございます」
ああ、だからなんですね。律音さんの名が出てから、リッキーさんが春の朝霧を含んだような、優しい瞳をなさってたのは。
「石板に導かれて自称勇者が聖ウェズリー礼拝堂まで来れば、茶々ちゃんの電話借りて衛藤くんへ出動要請するだけ。哀れ漂う子をほっとけないおせっかい衛藤くんは、まんまと釣れてくれちゃって。思惑通り神宮寺くんと自称勇者を引き合わせてくれたわけね、うふふふ、簡単な子」
「ヴァチカンの異端審問官はまだかーっ!」
大牙さんはなかまをよんだ! しかし、たすけはこなかった!
同じ魔性ながら、魔王大牙さんは魔女先生に勝てないようす。
「自称勇者はあなたたちに家族の窮状を話して同情に訴え、手っ取り早く協力してもらうことも出来たはずよ。でも匿名を通して事情を秘めて、禁を犯したコーディネーターの顔を立ててくれたわ。敬意を表して、あの子を自称じゃない勇者と認めてあげたい。だから」
灰皿代わりのシャーレに葉巻を押し潰した手は、白衣の胸元から注射器を取り出した。豊満ボディのなせる業! わたしの胸じゃ、そのまま足元まで重力の法則適用でしょうに。
「採血するわよ、腕出して。あん、ミスター・ボディダウジングの血はどんな甘さかしら……」
骨髄バンク登録って善意のはずなのですが、有無を言わせぬ命令口調。リッキーさんってば素直にハイと腕をまくってます。
でも当然の流れ。ただ単に話を聞いただけでもリッキーさんなら協力するのに、勇者くんに情が芽生えた状態で断れるわけがありません。ひわ先生の戦略勝ち。
「華奢に見えて鍛えられた筋肉ね、ほら針が喜んでるわ……髄液まで抜きたいって鳴いてるわ……」
「だめだ律ちゃん、抜いた血を飲まれるぞ、実験材料にされるぞーっ」
大牙さんはおびえている!
ご自分はさんざん『舐めときゃ治る』で誘って、リッキーさんにテイスティングさせてるくせにー。
「検査センターに送ってたら結果待ちに二週間はかかるのよ、骨髄移植は時間との勝負なの。あらご心配なく、HLADNAタイピング機器ならここにあるわ、製造元の社長からポーカーのツケに届けさせたばかりの最新型よ。うふふ、賢い子は好きよ……」
上質なシャンパンに酔ったみたいにうっとりと、最新の精密機械をなでまわすひわ先生。どんな抗議も無駄のよう。腕利きの異端審問官も、この魔女だけは狩れない気がする。
結局はリッキーさんのお兄さん、律詩さんの型が一致。職務中に呼び出され、挨拶より先に採血された律詩さんは驚いていましたが、経緯を知って骨髄提供に同意して下さった。
「俺がお役に立てるなら。律ちゃんの意思を大事にしてあげたいしね。はは、律ちゃんと会えた時の話題がまた一つ増えたな」
律詩さんがなかまにくわわった!
患者さん側の準備が整い次第、骨髄移植という運びになりそうです。一段落してほっと一息、授業に出るべく立ち上がったその時、地面がグラリと揺れました。
「あ、地震ですよじし……ん……」
「莉子ちゃん!」
「こんにちは、保健の先生。莉子ちゃんの様子を見に来たんですが」
「おっ、神宮寺くん……に、神宮寺くんに引きずられた衛藤くん」
どこかで誰かの声がする……。
「彼女ならまだ寝てるよー、へーきへーき単なる寝不足だって言ったでしょ。難しい本を調べてて半徹だったみたいよ。あ、お弁当ならここで食べてけば? ついでに留守番しててもらえたら、あたしも外食しに行けるしさっ、アハハ」
「はい、ではお言葉に甘えて。行ってらっしゃいませ」
清潔なシーツの匂い。厳密には清潔な匂いって無臭のはずだけど、どうしてだか清潔な匂いって存在する。ああそっか、ここは保健室……。
そうでした、科学準備室で起きたのは地震じゃなくてめまいだったのでした。めまいがしたのは寝不足のせいなんでした。もうお昼休みなんですね。でもまだまだ眠くて動けません……莉子はねむっている……。
よろしくねー、と学生に保健室を任せてランチに行ってしまった先生の足音が遠ざかる。そして訪れたしんとした気配からすると、保健室には探偵社の三人しかいないっぽい……。
「起こすなよ。面倒だからな」
「そういう言い訳しないの。いただきまーす」
先輩方はお弁当を食べながら、勇者エステルくんの話をなさってる。はるばる九州から“ひっちはいく”してて、ご両親から捜索願が出てたんだって。律詩さんが警察に保護して下さり、ご両親と無事に連絡がついたとか。
ウェズリーに立ち寄っての別れ際、勇者くんは大牙さんの学ランの裾を名残惜しげに引っ張りつつ、ボクのこと忘れない? って聞いたそう。
「大牙ってば優しいよね、『この世界は教会じゃなくてもセーブできんだよ』なんて」
「ほっとけ」
わたしは大牙さんのセーブデータから部分的にデリートしたいです、骨とか骨とか骨とか……。
「そうだ律ちゃん、帰ったら闇フォンデュのリベンジマッチするぞ。チーズはもういいからチョコフォンデュだ。今日こそ泣かしてやる」
「あ。気に入ったの? ふふっ、莉子ちゃんに教えてあげなきゃ」
「……何を」
「闇鍋しましょうって立案したの、莉子ちゃんなの。湯気ムンムンで、そこに顔を近づけなきゃならない料理を、どーしても大牙に食べさせたかったんだって」
あーリッキーさんってば。ダメですよ話しちゃー……。
「んあ? 何でだよ」
「直接聞いたわけじゃないけど。莉子ちゃんがやけにもじもじしてたから、すぐ分かっちゃった。大牙のサングラスを曇らせて、外させるため。サプライズパーティーしてから大牙、ずーっとサングラスで目線隠して、しかも沈んでたでしょ」
「…………」
あああ見抜かれてたのですね……第十二ラウンドの大義名分を。
わたしが闇鍋提案しても却下されちゃうに違いないから、リッキーさんから頼んで下さいってお願いした。でもさすがに、闇鍋開催の目的までは言えずにいたのに。
「闇鍋は大牙に通用しないから、闇フォンデュだねってことになって。鍋に比べたら湯気が少なくて、サングラス外させよう作戦はうまくいかなかったの。だけど、大牙を元気付けるって点では大成功したみたいだね」
「……言いだしたクセに律ちゃんが闇鍋の趣旨を理解してなかったのは、そういうわけか。あのなー、闇鍋ってのは食材の意外にうまい組み合わせを探す会じゃないんだぜ。ミスマッチでいかに相手の味覚を攻撃できるかを競うんだ」
「えーっ、そうなの? 良かったのに、チーズ桜餅」
今までリッキーさんが莉子の料理を、おいしいって食べてくれてたのは一体……。
「僕ね、闇フォンデュしながら思い返してた言葉があんの」
清潔な匂いが存在しないように、人を温める声というのもありえない。だけど生地越しに伝わるお母さんの体温か、大気に和らげられて届くお日様みたいに。肌をすり抜けて胸をじんわり包んでくるリッキーさんの声には温度が含まれてる。
「イギリスの哲学者、ジョン・ロックいわく――『美味とは食物そのものにあるのではなく、味わう舌にあるものである』。この場合の食物は骨だよね、でも莉子ちゃんと骨っていうのは、おいしい組み合わせだって思わなかった?」
ぴきゅーんと脳が覚醒! わわ、これは返事が聞き逃せない!
「美味と珍味はイコールじゃない」
ぐはーッ。やっぱりデリート希望。
ま……“まだまだ莉子がんばれ莉子”、第十二ラウンドの隠し技は効いたはず。闇鍋で大牙さんに楽しんでもらうという攻撃、必ずやチャンピオンリッキーのHPにガツンとかいしんのいちげきを……。
「ったくしょうがねーな……サービス問題入れてやるか、傘の骨はどうだ」
「鍋に入るかな?」
いえそうじゃないでしょうリッキーさん。あんな単純直線構造物、骨にカウントしないで頂きたい!
「あれ? わー、はっけーん、携帯バナナが袋はいてるー。それにしても」
ふふふって一段と華やいだ含み笑いがした。
「大牙が深夜にベッド抜け出すからどうしたのかと思ってたら。勇者エステルくんのために調べ物してあげてたんだ、暗号とかローマ数字とか」
「な……いいだろ別に」
キャーぶっきらぼうにあしらう振りなんかしちゃって大牙さん、照れてる! ううっ、お二人のタッグで見事なつうこんのいちげき……ちょっと待ったーリッキーさん! それってそれって昨夜、大牙さんのベッドでご一緒に、ね、寝たということでは……っ。
莉子はからだがしびれ、うごけない! リッキーさんは莉子のいきのねをとめた!
どなたか……どなたか莉子を教会へ! 教会でなら復活でき……ああダメです、連れてってくれるはずの勇者エステルくんはもう、別の大陸に行ってしまったのでした。
キンコンカンコーン。
「始業のベル鳴っちゃった。お見舞いはまた出直そっか」
始業のベル? いいえあれは莉子葬送の鐘……。次ラウンドはHP増やして出直します。効きめ薄でも唱えておきます、“ファイト莉子”……。
カタカナの呪文はスクウェア・エニックス『ドラゴンクエストシリーズ』より




