ありえない
「僕と結婚してくれ!」
「ええーっ」
ルレッド伯爵家の二男で、十九歳になるライゼルが、突然放ったことばに、わたしは思わず目をむいた。まさか冗談でしょ、下働きのメイドであるわたしを嫁にしても、何の得にもならないはず。それにライゼルは、わたしの好みから外れているし。
少々太り気味だが顔は美形で、人当たりもよいので、メイドたちの中には、ファンもいるらしい。性格はのんびりして、いやのんびりし過ぎている。とくに食事はゆっくりと食べ、お代わりの皿が毎回積み重なるほどだ。
あんまり驚いたので、一瞬頭の中がスパークしたような感じになった。思考停止、すぐ、ぐるぐると回り出すわたしの脳内で、何かが光った。何だろう・・・?と思った瞬間、ものすごいフラッシュバックが続けさまに起こった。思わず声を上げて、その場を逃げ出した。
「あ、ルナーリア、待ってくれ!――」
ライゼルの声が遠くに聞こえた。
気がつくとわたしは洗濯室のいくつか置かれた大きな洗濯籠の間にしゃがみこんでいた。
そして今見た映像が、わたしの忘れていた過去の出来事だということが、はっきりとわかった。
そうだ、思い出した。二年前、わたしはこのルレッド伯爵家に来た。ちょうど緩やかな崖の間を通り抜けようとした伯爵の馬車にわたしがぶつかったのだ。といっても、崖から落ちたわたしの身体が馬車の屋根の上に落ちて、乗っかったのだ。
映像がフラッシュバックで目の前に広がる。
まるで第三者になったように、その光景を上から眺めているわたし。
御者は馬をなだめ、馬車を止めた。窓から伯爵がたずねた。
「今のは何だ? 落石か?」
「旦那様、大変でございます!人が屋根の上に倒れております!」
伯爵は馬車から降りて屋根を見た。そこには、見慣れぬ装束をつけた少女が倒れている。思慮深い伯爵は、御者とともにわたしを屋根から降ろして馬車に乗せた。何をすべきか伯爵にはわかっているようだった。わたしは屋敷で手当を受けた。
わたしは意識がもどり、元気になったが、記憶を失っているとわかった。
それでも追い出されはしなかった。わたしのあまり荒れていない手や、平民らしからぬ態度に思うところがあったのか、伯爵は、記憶が戻るまでここにいるようにと言った。
それで下働きのメイドとして暮らすことになったのだった。
まだ成人にはなっていないだろうと、みんなは言っていた。確かにそれは当たっている。しかしこの国の成人は十六歳。わたしは十六になったばかりだった。もちろん、その時は覚えていなかったけれど。わたしの生まれた国では、十八で成人として認められるのだ。
わたしの生まれた国、プレシアは――あ、まずい、大変なことになった。ビリビリした感覚が皮膚の上を走った。
わたしの記憶が戻ったことで、わたしにかけられた追跡魔法が発動したらしい。それを、すっかり忘れていた自分の魔力が感知したのだった。
そのとき、通いの洗濯女である村人のおばさんが、わたしを見つけて何か言ったけど、今はそれどころじゃなかった。
わたしはあわてて自分に割り当てられていた狭いメイド室に駆け込んだ。ベッドがギリギリ入るだけの狭い個室だが、広くて何人も詰め込まれるよりは楽かもしれない。
急いでベッドの下から木箱を取り出し、中からここへ来たとき、身につけていた装束を引っぱり出した。柔らかなそれでいて丈夫な白い生地は、革のベルトと紐で装飾されている。
長さは膝が隠れるくらいで、一見チュニック風だ。長袖だが、暑い時にはまくり上げて留められるようボタンがついている。それに革の編み上げブーツを履く。これもここへ来たとき履いていたものだ。
それらを身につけ終わったとき、身体に力が満ちるのを感じた。
そうだった、わたしは魔力――それも通常の力ではない、乙女にのみ発現し、一国を守れると言われるほどの魔力、聖なる魔力の保持者のひとりなのだ。
プレシア国の、現在の王の妃である聖魔女も、選ばれて国を支えている。その力を持つものは素性を問われない。現王妃は辺境伯の娘だったが。
聖女や聖魔女を持つ他国でも、同じような話は多いらしい。わたしの国も、そうだった。
聖なる魔力を持った乙女は二人選ばれる。一人は、王妃に何かあった時の予備として、また補佐として。最終選考で決まった聖魔女は王子との婚約が自動的に決まる。
次代の聖魔女候補はわたしを含めて五人いた。
その中から最終選考で残った三人のうちに、わたしも入っていることが分かったとき、わたしは、国から逃げ出したのだ。
すぐにわたしが逃亡したことは、知られてしまうとわかっていた。聖魔女選考を手掛けている神官長は、必ず追っ手をかけるに違いなかった。




