第12話
狂乱と熱気に満ちた、あのお祭り騒ぎから一夜が明けた。
国境付近の大広場には、まだうっすらと朝靄が立ち込めている。昨晩の酒や肉脂の匂いと、朝露に濡れた草木の冷たい匂いが混ざり合う中、約六千の荒くれ者たちがまだ眠気の残る体を揺らしながら整列していた。
もしかしたら自分にも何か劇的なことが起こるかもしれない。
このままこの国の軍人になれるのかもしない。
昨晩の一幕は、彼らにそんな期待を持たせるのに十分な出来事だった。
居並ぶ荒くれ者の前に立つのは、黒髪の青年、ラザール・ロートシルト。
その影には、月光を宿したような銀髪の美少女、シナ・キャシアス。
嫌でも目を引くのは、ラザールから授かったばかりの『三つ刃の戦斧』を誇らしげに背負った金髪の女傑、レティシア・レノの姿だった。
さらに、クライブとバザルとその配下の者も合流し、ラザールの後ろに控えている。
一同の視線が注がれる中、ラザールは一切の無駄を省くように冷徹な声で部隊編成を告げた。
「これより部隊を編成する。所属を希望する者は前に出ろ」
ラザールの言葉に一同が注目する。
「まず、身体が軽い者、千五百名の『巨鳥部隊』。クライブとバザルが率いよ。次に馬術の心得がある千名の『騎馬隊』。私とシナが率いる。残りの者はレティシアが率いる『戦士隊』だ。 ──各員、即座に希望の配置につけ」
その淡々とした、しかし有無を言わせぬ宣告に、誰もが息を呑んだ。
まずは馬術の心得がある者が動く。戦場で馬に乗れるのはそれだけで有利だ。馬の数が決まっているので我先にと申し出る。
次に身体が小さい者たちが動く。なんだかよく分からない部隊だが、他の者より不利な体格の彼らはこれを選んだ。クライブは数を数えつつ、手早く体格を確認しながら声をかけていく。
「ジェイシス帝国の軍勢一万二千が、この地へと到達するまであと三日。各々の任務を全うせよ」
こうして、ライラの運命を決める、三日間が始まった。
◇ ◇ ◇
──練兵初日。
レティシア・レノが率いる主力隊、約三千五百名が詰め込まれた東側の調練場は、最悪の空気に包まれていた。
始まったばかりの訓練は、まともに成立すらしていなかった。
それもそのはず、この部隊は「金で動く高慢な傭兵」と「貧民街に閉じ込められていた飢えた剣奴」という混成部隊だったからだ。
「おいおい、なんで俺たちがこんな薄汚れた奴隷どもと肩を並べて走らなきゃならねぇんだ?」
「あぁ? 薄っぺらな革鎧着て調子に乗ってんじゃねぇぞ、金に魂売った犬め。俺たちの足引っ張ったら、その首叩き切ってやるからな」
露骨に剣奴を見下す傭兵たちと、それに激しく反発する有力な剣奴たち。小競り合いはいたる所で発生し、今にも武器を抜き合って身内揉めを始めそうな一触即発の緊張感が漂っている。
レティシアはそんな両者の間で、最初は頭をガリガリと掻きながら、「まあまあ、そう熱くなりなさんな。同じ飯を食った仲だろ?」と穏便に受け流していた。
大人の女戦士としての余裕であり、これまではこれで大抵の修羅場をいなしてきた。
だが、一人の大柄な傭兵が、足元にいた剣奴を突き飛ばし、唾を吐き捨てた瞬間、レティシアの内で、何かがブチ切れた。
ズドォォンッ!!
調練場の石畳が爆ぜるような、凄まじい衝撃音が響き渡った。
全員の視線が、一瞬でレティシアへと向く。
彼女の手元には、深く石畳を砕いて突き立てられた、あの『三つ刃の戦斧』があった。
「この能無しどもがぁッ!!」
レティシアの口から放たれた怒声は、地響きとなって三千五百の兵を震え上がらせた。野生の獅子が咆哮したかのような圧倒的な威圧感に、さっきまでいがみ合っていた荒くれ者たちが一瞬でビクッと硬直する。
「いつまでもギャーギャー、盛りのついた野良犬みたいに騒いでんじゃねえっ! 何倍もの敵を前にして、隣の仲間に背中を預けられなくてどうすんだっ! そんなに死にたいなら、今すぐあたしがここで全員細切れにしてやえろうか?」
水を打ったように静まり返る訓練場。
レティシアは戦斧の柄を握り直すと、ふっと息を吐り、今度は鋭く、しかし胸の奥を揺さぶるような静かな声で語り始めた。
「……あのさぁ。お前たちも昨夜あの場にいただろう? あの男の宣言を耳にして何も感じなかったのか? おまえらそんな玉無し野郎なのかよ」
彼女の脳裏に、数千の軍勢を指一本触れずに平伏させた、ラザールの黒い瞳がよみがえる。
「あの時──あたしたちは確かに、歴史の中にいたんだよ」
レティシアは髪を荒々しくかき上げ、どこか遠く、輝かしい未来を見つめるような瞳で語りだした。
「その日暮らしの傭兵。貧困街で意味もなく生き続けるだけの奴隷。救いようのないクズのあたしたちが、あの時、歴史のうねりの、その最先端に触れたんだ」
彼女は一度、言葉を切り、数千の荒くれ者どもを見回した。
「感じなかったかい? これからこの大陸が大きく変わっていくんだって」
彼女の言葉はなおも続く。
誰一人口を挟まず、一同は耳を傾ける。
「あの男は、ジェイシス帝国なんていう大国をひっくり返そうとしてる。その一歩目を、あたしたちに委ねたんだ。 ──それなのに、身内揉めなんてしょーもない真似しやがって。恥ずかしいと思わないのかい?」
なんの飾り気もなく、率直に自分の気持ちを語ったその言葉は、鋭い刃となって荒くれ者たちの胸へと突き刺さった。
ただ金を稼ぐため、あるいはただ生き延びるためだけに剣を振るってきた彼らの人生に、初めて『誇り』という名の火が灯った瞬間だった。
「確かにな」
「……チッ。そこまで言われちゃ、やるしかねぇな」
「帝国をひっくり返す、か。悪くねぇ」
有力な剣奴たちが頭を掻きながら前を向き、傭兵たちもまた、気まずそうに剣を収めた。彼らの目が、ただの荒くれ者から、徐々に「軍隊」のそれへと変わっていく。
それを見たレティシアは、八重歯を覗かせてニカッと笑った。
「よし、いい子たちだ。 ──じゃあ、死ぬ気で走りな! 今日中に陣形の一つでも覚えなきゃ、晩飯抜きだからねっ!」
初日にして、前衛戦士隊の魂は、確かに一つへとまとまり始めていた。
◇ ◇ ◇
──練兵二日目。
西側の開けた荒れ地では、クライブとバザルが率いる巨鳥部隊の訓練が行われていた。
隠れ里の者たちによる巨鳥グーの手配がようやく全頭分完了し、千五百名全員が同時に騎乗しての本格的な訓練がスタートしたのだ。
グィィィーッ!!
辺り一面を埋め尽くす巨鳥たちと、その不気味な鳴き声、動物の匂い。
普段見慣れた動物ではあるが、これだけ群れをなしていると少なからず恐怖を感じる。ましてやこれからこれに乗ろうというのだ。
漆黒の荒々しい羽毛に包まれた巨大な体躯に筋肉質で太い足、大きく鋭い爪。
だが、その巨体に反して、頭部は異様に小さい。
頭頂部には硬い骨のような鶏冠が突出している。
翼を持たないその姿は、鳥というより獰猛な肉食獣を思わせた。
当然、通常の馬具など通用しない。口元にハミはなく、代わりに厳めしい金属装飾が施された革面が顔を覆い、その視界を適度に遮ることで同属との縄張り争いを抑え込んでいる。手綱は、その太い胸骨をがっちりと固定する頑丈な胸帯へと繋がれていた。
「本当にこれに乗るのかよ!?」
「ヤバい! 馬より揺れるぞ」
「怖がるな! もっとグーに身体を預けろ! 落ちたくなかったら、しっかり綱を引いてがみつけ!」
そう怒声を飛ばしたのは、誰あろうクライブだった。
彼は泥塗れになりながらも、わずか一日でこの怪鳥を完全に御していた。
颯爽と怪鳥を乗りこなす彼の指導を信じ、隊員たちも必死にしがみつく。
「こらそこっ! 鐙から足離すんじゃねぇ!」
クライブは周りを隈無く観察し、上達が遅い者を集めて集中的に指導しながら、乗れている者は横一列の隊列を組み、緩急をつけながら走り回るよう指示を出した。
(兵を率いるってのはこんな感じなのか。なかなか面白いじゃないか)
少しずつ自分の周りを離れ、隊列を組む者が増えていく。クライブはなんとも言えない充実感を得ていた。
バザルを筆頭とした隠れ里の志願兵たちは、すでにグーの騎乗訓練を終え、岩肌に腰掛け、黙々と指先を動かしている。
彼らが手際よく組み立てているのは、ラザールが『黒薬』と呼んだ未知の粉末を紙で出来た丈夫な筒に詰めた『破筒』であった。
里の者たちの指先は驚くほど繊細で、迷いがない。
淡々と、それを大量生産していく。
さらに完成した破筒を長い導火線で一本、また一本と手際よく繋ぎ合わせていくのだ。
一見、女たちが縫い物でもしているかのような、あるいは無害な玩具を組み立てているかのような長閑な光景。
しかし、その筒の一つ一つに凝縮されているのは、のちにジェイシス帝国軍の誇る重装騎兵を、一瞬で瓦解させる「悪魔の兵器」そのものだった。
「バザル、そっちが終わったら水やりがてら遠駆けしようぜ」
「ふん。気楽なもんだ。こっちは繊細な作業をしているんだ。邪魔をするな」
クライブはニヤリと口元を歪めながら遠く街道の先に目を向ける。
もう時間がない。
だが、こいつらならやれる、そう確信を得るのだった。
◇ ◇ ◇
──練兵三日目、夕刻。
地平線まで続く広大な荒野を、千頭の馬が狂ったように疾走していた。
ドッドッドッ……と大地を鳴らす地響き。巻き上がる巨大な土煙。
その先頭を走るのは、およそ戦場には似合わない、しかし誰よりも早く風を切り裂く銀髪の美少女──シナであった。
ラザールは手綱を緩やかに握ったまま、少し離れた小高い丘の上から、その猛特訓の様子をじっと見つめていた。まるで、盤面を見下ろすかのように。
訓練を終え、荒い息を吐く馬と、汗だくの傭兵たちの前に、ラザールが静かに進み出た。そして彼らの走る速度、そして馬の限界を見極め、部隊を二つに分断した。
ラザールは全員を見渡しながら、よく通る声で短い作戦を告げた。
「これより戦い方を指示する。まず、速度の速い第一分隊がシナと共に突撃せよ。敵の多列陣形に深く入る必要はない。半円を描くように横撫でして戻れ」
一撃離脱。敵の前衛を横から削り取る戦術だ。
「第二分隊は、第一分隊が通り過ぎた後、敵の陣形に生じた隙を見つけて深く穿て。──シナ、あとは分かるな?」
主の言葉に、シナは表情一つ変えず、ただ短く「もちろん」とだけ答えた。主が何を求め、自分がどう動けば敵が瓦解するかを、彼女は言葉を交わさずとも完全に理解していた。
即席の部隊では、高度な連携など本来不可能だ。それを理解しているからこそ、ラザールは最後に、全騎兵に向けてもっとも簡素な命令を下した。
「全員、馬の足が止まったら周りの敵を薙ぎつつ──ただ、シナの後を追え」
傭兵たちは顔を見合わせ、簡潔すぎるその命令に不敵な笑みを浮かべた。
「なるほどな、そいつは分かりやすい」
「あの銀髪の化け物の後ろを死に物狂いで追いかければ、勝手に敵が崩れるってわけか」
ラザールがただ魔法を使う怪しげな怪物などではなく、数千の軍勢を指先一つで操る集団戦の天才であることを、彼らは理解し、安堵した。
おとぎ話で何度も聞かされた「血塗られた魔王」の知略は本当だったのだ。
順調に訓練が進む中、遠方から一騎の馬が猛烈な勢いでこちらへと駆けてくるのが見えた。ラザールがあらかじめ放っておいた斥候だ。
斥候はラザールの前で落馬するようにして膝を突き、息も絶え絶えに叫んだ。
「ほ、報告! ジェイシス帝国軍一万二千、国境間の緩衝地帯に進入しました! あと半日で、この大広場を望む平原へと到達します!」
その場にいた全員に緊張が走る。
ついに、敵が来たのだ。数の差は二倍以上。
しかし、ラザールの表情は微塵も動かなかった。ただ冷ややかに、予定通りだと頷くだけだ。彼はすぐにクライブ、バザル、レティシアを呼び寄せると、有無を言わせぬ威厳に満ちた声で命じた。
「各隊、即座に指定の配置につけ。配置が終わり次第──兵たちに腹一杯の食事と十分な休息を与えろ」
「承知した!」
「御方のお指示通りに」
「あいよ!」
将たちは力強く応じ、それぞれの部隊へと散っていった。
◇ ◇ ◇
ライラ国軍の阵地から遥か遠く、国境の緩衝地帯。
そこには、一万二千のジェイシス帝国軍が、整然と巨大な陣営を構えていた。
無数に焚かれた篝火が、彼らの誇る重装歩兵の鉄甲冑を鈍く照らしている。
陣営からは、余裕に満ちた笑い声や酒の匂いが漂っていた。
彼らはライラ国内で急造の軍勢が立ち上がったことなど露ほども知らない。知っていたとしても、「どうせ小汚い傭兵が数千集まっただけの烏合の衆だ」と完全に舐めきって、油断しきった野営を始めていた。
一方、ラザールたちの本陣。
遠くに見える帝国の篝火を、静かに見つめる男の影があった。クライブだ。
その顔には、いつものヘラヘラした余裕はなく、緊張とも気合ともつかぬ精悍な表情が宿っている。彼はラザールの元へ歩み寄ると、声を潜めて進言した。
「ラザール。敵は完全に油断して野営の準備を始めてる……どうだ。夜襲をかけるか? グーなら野営地に入り込めるぜ?」
それは、三日間で戦術を理解したクライブなりの提案だった。
だが、ラザールは帝国の篝火からクライブに視線を移し、首を横に振った。
「いや、必要ない」
「えっ? だが、不意を突くなら今が絶好の──」
「これは我が軍の初陣だ。夜襲などせず全兵士一丸となって切り崩す。出来るだろう? クライブ」
二倍以上の兵力で布陣するジェイシス帝国軍を眼前に捉えながら、ラザールは何の迷いもなく言い切った。
その黒い瞳の奥に宿る底知れない漆黒の闇に、クライブの息が止まる。
「……ハハ。すげぇ自信だな。信じてるぜぇ? じゃ、また明日な」
クライブはいつもの調子を取り戻し、己の隊へと戻っていった。
(……舞台は用意した。自由を求めていた男は、自由に暴れるといい)
夜が深まっていく。
静まり返るレティシアの陣営では、彼女が三つ刃の戦斧を静かに磨いていた。周囲の剣奴たちに「明日はあたしが一番前を走る。死にたくなきゃ、しっかりついてきな」と不敵に笑いかける。
グー部隊の陣営では、バザルが巨鳥の首筋を優しく撫で、明日を見つめていた。
そして、ラザールの本陣。
満天の星々の下、ラザールの隣には月光を浴びて銀色の髪をきらめかせるシナが影のように寄り添っていた。
夜風に吹かれながら、静かに目を閉じる。
(こうして戦場にいるとラズはやっぱりラズだわ。ガルシアなんかじゃない。昔と同じ。私のラズ)
百年の時を経て、再び世界が、歴史が動き出そうとしていた。
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