捨てる
「あァ、どうすっかなァ」
フラレスの町から少し離れたところにあるエルネの家を覆う森にて、木の枝の上から逆さまにぶら下がり、灰色の長髪を垂らしている男がいた。
彼の名はアーヴァンス。メルトとの戦闘に敗れた彼は、一足先に宿を出ると、この先いったいどうするかと、ぼーっとどこを見ているのかわからない目していた。
「ユミアがうるさかったしなァ、ボスにもなんて言えばいいんだァ……」
自身がフラレスに来る前のことを思い出しながら、彼はまた揺れた。
◇
それは、アーヴァンスがトレビオでユミアと再会した時のことだった。
「それで、次はどこに行くの?」
ボスが一足先に立ち去った廃墟にて、ユミアがアーヴァンスに背を向けながら問いかける。
その目線はアーヴァンスが暴行した不良に向けられ、簡単な応急処置をしているようだった。
「おおう、そいつぁもちろんフラレスだぜェ」
アーヴァンスは一切思考する間もなく反射で答えた。
にやけた彼の顔を見ることなく、ユミアはため息をつく。
「はぁ……なにがもちろんなんですか? そこに吸血鬼がいると? 根拠は?」
「勘に決まってるだろォ」
「………………はぁ」
ユミアは不良全員の治療を終えると、アーヴァンスに振り返り、コツコツと音を鳴らしながら近づく。
「勘で決めてどうするんですか」
「じゃあよォ、お前はなんか根拠があってここにきたのかァ? 次どこに向かうのか思いついたんかァ?」
アーヴァンスが背をかがめて顔を近づけると、ユミアは少したじろぎ、後ろに退く。
「たしかに、トレビオに来たのもアーカスに近かったからですけど! でも、もう少し考えたほうがいいでしょう!」
声を張り上げるユミアを見て、アーヴァンスは鼻で笑った。
「なんですか今の!」
「いやァ、自信がねぇのによく俺につっかかってきたなってなァ」
アーヴァンスは自身の性格が受け入れられるものでもないことを理解していた。
その過去に何があろうが、行動の悪は覆らないからだ。
「はー? 私は確かに自信もないし、チビだし、おどおどして弱そうですよ!」
「そこまで言ってねぇよォ」
「それでも!」
ユミアは先ほどまでボスのいたところをちらりと見てからアーヴァンスを見つめる。目元には強い意志が感じられた。
「私は恩を返すために、ここにいるんです。そのために頑張るんです!」
組織のグレーさに似合わない明るさに、アーヴァンスはまた笑う。
「そうかァ、頑張れよォ。俺はもうフラレスに行くからなァ」
「なんか雑にあしらってません? ……まあいいです。ちゃんと報告はしてくださいね。すごい魔道具があるんですから」
ユミアが懐からブローチを取り出す。
すると、アーヴァンスもポケットから小さなロケットを取り出した。
「わぁってるよォ。にしても、お前のはでけぇなァ。コンパクトにしろォ」
「何を言いますか! これはボスからの大切な贈り物なんです! あなたのは違うんですか?」
ユミアに問われ、ロケットを見つめる。中を開くと、幼い子供とそれを抱える母親らしき人の写真が入っている。
その子供は自分だった。その手には母親と自分を描いた風景画があった。
「……俺のは形見だ。お袋のな」
「あ、す、すいません。なんか言いづらいことだったですか」
ユミアが途端にしおれて大人しくなるのを見ると、アーヴァンスはその頭にポンと手を置いた。
「気にすんなよォ。ユミア、昔のことだァ」
「ちょ、髪が崩れるのでやめてください!」
「あァ、わりぃなァ」
もう戻れない。戻りたいとも思わない。そんな過去なんかのために、優しい女の子がその心を痛める必要はないのだ。
ユミアの頭から手を離すと、アーヴァンスは背を向け歩き始める。
「今度こそ、行くからなァ。報告はするから刹那的に待ってろォ」
「だから刹那的の意味が違うと前から言ってるじゃないですか! もう! いってらっしゃい!」
後ろから聞こえる声に頬を緩めながら、アーヴァンスはいち早くフラレスに向かうための馬車を探しに行くのだった。
◆
「――報告しねぇとなァ」
会話を思い出したところで、報告義務がなくなったわけでもない。ここで初めて、アーヴァンスは自分が珍しく迷っていることに気が付いた。
「ルノの坊主が余計なこと言いやがったからかァ」
『なんでころすことがアーヴァンスさんにとっていいことなの』
『アーヴァンスさんについては教えてくれないの?』
あの、悪意を知らない純粋な瞳に見つめられてから、ずっとおかしいのだ。
うすうす気づいていた自分の行動と心の違和感を、引きずり出され、白日の下にさらされたのだ。
肯定したくなかった自己矛盾をその胸に叩きつけられた。
「仕方ねェ。すぐに終わらせるかァ」
自分について考えるのは後回しにして、アーヴァンスは目の前の報告を終わらせることにした。
そして、外付けの仕組みによって通信魔道具となったロケットに向けて話しかける。
「あー、聞こえるかぁって、声は録音できんだったかァ」
「フラレスに吸血鬼はいねェ。それと、俺はここをやめる。ボスと、あとユミアとか、じゃあなァ」
そう言って、ロケットから魔道具部分を外して踏みつぶした。
メルトの能力によって口外できなかったとはいえ、不思議とそれを隠すことに苦しさを感じなかった。
ボスとユミアに関してだけ少し心残りだったが、もう捨てたことだ。
アーヴァンスはそう考えたときに、ふと思った。
「俺は結局、あそこが居場所じゃなかったのかァ?」
自分を助けてくれたボス、そしてボスが与えてくれた吸血鬼狩りという居場所すら、自分は捨てた。
普通の生き方を知らないのにこの先どうしていくのか。未来を考えてはいない。
「生きる目的、なァ」
それを探してみるのがいいのかもしれない。アーヴァンスは脳裏に焼き付いたルノの言葉にひとまず便乗することにした。
そして、木から降りようとしたときだった。
「何をしているんだ。あなたは」
「あァ?」
木の下に女が立っている。金色の長い髪先が青く染まっており、その服についたカラフルな模様は絵具のたぐいだとすぐに分かった。
「なにって、そりゃ、木に登って考えてんだよォ」
「そうか、よくわからないが、面白い」
女は関心を持ったようで、木にぶらさがるアーヴァンスをじっと観察している。
その様子に呆れつつ、アーヴァンスは今度こそ木から降りた。
「それよりも、暇人だろうし少し頼まれてくれないか? どうも今描いている作品が素晴らしくてね。発表する予定だが、見てもらいたい欲が収まらないんだ」
「まだ友人二人にしか見せていないんだが、どうかな」
変人だ。アーヴァンスはそんな感想を持ちつつ、大した目標もないので、そのままついていくことにした。
「いいぞォ。だが不用心なやつだなァ? こんな怪しいやつに声かけるかァ?」
「ん? 何を言っている。君、マールおばさんの宿に泊まっていた人だろう? いつも絵画をじっと見ている人がいると聞いたぞ」
「絵が好きな人なら問題はない。行くぞ」
泊まっていた宿、ルノたちと鉢合わせたあの宿のことだ。アーヴァンスは、その宿のおばあさんと知り合いだという女の強引さに、ユミアに似たところを感じた。
「おおう、強引な奴だなァ……。仕方ねぇから見てやるよォ」
アーヴァンスは、まず一歩、進んでみようとそのお願いを聞き届けた。
ユンデネ編はまだ時間がかかります。




