外へ
身寄りのない少年ルノと、謎の吸血鬼メルト、二人の強烈な出会いは運命の旅の始まりを予感させていた……のだが、現在洞窟で迷子中である。
「ちょっとー、どうなってるの! さっきもここ通ったよね! この洞窟おかしいよ!」
「もしかしてメルトさんって方向音痴なの」
「何を言う! うちは冒険気質なだけだよ!」
メルトは何かを誤魔化すように大きく手を振った。
ルノは早くも先行きが不安になってきた。
聞けば、彼女がこの洞窟に居たのは日光を避けるためだという。普段身につけているフード付きの服、それを野宿している際に狼か何かに持っていかれたらしく、途方に暮れていたのだ。そんな中、日を避けて入った洞窟内が思ったよりも複雑だったのだ。
フードが必要なのは、その髪や牙、白すぎる肌が目立ってしまうからである。
「疲れたし、血吸っていい?」
「さっき吸ったでしょ」
「むむむ、分かった……この道、今度こそ合ってると思うんだよね! こっちだ! 行くぞルノくん!」
「そっちはさっき行ったよ」
「うそ!」
ルノは近くに落ちていた石を広い、地面を削り始めた。
みるみるうちに、洞窟内の地図のようなものができあがる。
「すごーい! こんなこと出来たの?」
「……ちょっとだけ得意だから」
「いいじゃんいいじゃん! ここが今の位置ってことは……こっちか!」
「メルトさん、逆」
ルノはこの時、微かに自分がしっかりしないといけないのではと、思うようになった。
◆
「でたでた! やっとでた! 魔物いないのにどっと疲れた!」
「メルトさんがずっと迷うからじゃない?」
「ルノくん結構言うね!」
「…………リーダーたちは大丈夫かな」
気づけば外は夜を迎えていた。
ルノたちが出たのは鉱山夫たちが入ったのとは全くの別方面の出口だった。
案外洞窟が広く、事故現場からの熱波が控えめになったことも幸運の一つだが、洞窟を出た瞬間、炎が迫ってきていた光景を鮮明に思い出した。
自分を抱えていたテンタ、赤い宝石――メルトが言うには魔石、を見に行ったリーダー、他の仕事仲間たち、自分が死ぬことはどうだって構わなかったが、彼らには家族がいる。そんな人たちが死んではならない。リーダーなんて、ルノと同じくらいの娘がいると言っていたのだ。
「あの魔石の爆発具合じゃ無理だね。話を聞く限り、テンタとかいうのと、それより前に逃げられた人ならギリギリ生きてるかも」
メルトは淡々と言い放った。その顔に感情は見えず、さも当たり前で、なにも気にする事はないといった様子だ。
「うちが魔法で食止めたのもあるけど、洞窟が広くて助かったね、こっち側の出口なら町からも遠いし、一石二鳥!」
ルノはこの吸血鬼は根本が違うと、ハッキリ自覚した。死が身近にあるような思考だと感じた。
顔を伏せているルノに対し、メルトは顔を覗き込むと、少し考えるように顎に手を当てる素振りを見せた。
そして、何かを思いついたのか、ルノの肩をトントンと叩く。
ルノが振り向くと、メルトは微笑んでいた。
「そうか、きみは自分についてはまるで興味がないようだけど、他人の人生に敏感なんだね」
「他人の人生に?」
「そう! なかなかないよー、自分は死んでもいいって言っても、ちょーっと仕事を一緒にした程度の人の事でそこまで泣きそうになるの」
ルノは言われて初めて気づいた。その瞳には涙をいっぱいに溜め込み、今にも決壊しそうだったのだ。
確かに、あの鉱山で働き始めたのは二週間ほど前だとメルトには話した。子供であるため、ろくに働き口が見つからず、途方に暮れていたルノをたまたま見つけてくれたのが、あのリーダーだったのだ。
そんな人が死んでしまって、死にたいと思っている自分が生き残る。それがどれ程の理不尽か、そう考えた時、涙が溢れ出た。
「リーダー……なんでぼくじゃないの…………なんで」
「ルノくん……」
溢れ出した涙が止まらない。これまでは生きることに精一杯で、自分の感情と向き合うことがなかった。
しかし、メルトに出会った時から少しだけ、変化があったのだ。そして今、彼は他人を思いやることができると、初めて気づくことが出来た。
メルトは泣きじゃくるルノを抱きしめ、頭を撫でる。ルノはその抱擁にどこか懐かしさを感じた。
ルノが泣き止むまでの間、メルトはずっと彼に寄り添い続けた。
◆
「もうすっきりした?」
「……うん」
「そっか! よしじゃあ、旅に出る前に、はいこれ」
「なにこれ」
メルトが手渡したのは日記帳だった。まだまっさらで、新しく買ったばかりなのがわかる。
「これは日記帳です。これで、うちらの人生の旅路を書き記すように……って、字、かける?」
「かけない」
「じゃあ、最初はうちが教えてあげる! こう見えて読み書きができるのです!」
得意げに鼻を鳴らすメルトだが、方向音痴の件であまり信用できない。
ルノがあからさまに疑っているのを察したようで、メルトは頬を膨らませる。
「ちょっとー、うち、読み書きはできるよー」
「ほんと?」
「ほんと」
そう言うと、メルトは日記帳の端にサラサラと何かを書く。ルノにはそれが固有のなにかであろうことしか分からない。
「これがうちの名前、メルト。んでー、こっちがー……」
隣には別の何かを書く。ルノは何となくこれが自分の名前だとわかった。
「……ルノ?」
「そう! まずは名前かけなきゃねー」
自分の名前、その形を覚えると、ルノは空を見上げた。
そして、すぐさま、メルトの方へ向く。
「それで、旅ってどこに行くの」
「そうだねー……」
メルトは小さな鞄から地図を取り出す。そしてしばらく見つめながら唸ると、ルノに指をさして見せた。
「ここいこう! アーカス! 色々買い足したいし、ちょっと栄えてるからもってこいだね!」
「わかった。でもその前に」
「ん?」
「テンタさんが生きてるか確認したい」
◆
洞窟での爆発、それから逃げ切ることが出来たのは、テンタを始め数名しかいなかった。
リーダー含め、のべ20人ほどが洞窟に取り残された。生存は絶望的である。
「リーダー、ルノまで……」
赤い宝石は、それまでなんの反応もなかったにも関わらず、リーダーが触れた瞬間に、点滅しはじめた。
おそらく魔石だ。触っているうちに人の魔力が蓄積されて、爆発を引き起こしたのだろう。
爆発の寸前、リーダーが叫んだ声が耳に残っている。
『うちの家族とルノ! お前に頼んだ!』
どこまでもお人好しな人だった。
口を開けば家族の自慢話。少し前にルノを拾ってからは、常に彼を気にかけていた。そんなリーダーがルノを頼むと、そう言ったのに、自分はその少年を救うことが出来なかった。
「……ちくしょう」
もっと自分が慎重でいれば、早く判断出来れば良かった。
もしもの思考が頭を埋めつくした。
町の自警団を呼び、崩落していく洞窟を見ながら、テンタはただ立ち尽くしていた。
ふと、なにか気配を感じた。後ろを振り向くも、誰もいない。しかし、足元に何か紙が落ちている。
そこには酷く拙い文字で、こう書かれていた。
『テンたさん、ぼクはだいじょうブです。ごめんなさい、たびにデることになったから、しごトをやめます。るの』
旅に出ることになったから仕事をやめる?
ルノという名前で締められたその文章は、疑問と同時にテンタに安心を与えた。
「どういうことだよ……生きてるのか? 字なんて書けたのか?」
生きているとして、旅に出るというのが引っかかったが、目頭が熱くなり、鼻をすすった。
「無事なら戻ってこいよ……ちくしょう、生きてるんならよ……!」
寂しさや少しの憤りでぐちゃぐちゃになりそうな顔をひきしめ、テンタは上を向く。
「……いつか帰ってこいよ、墓参り、絶対行くからな」
その声が風に乗って少年に届くことを願って。