生きるために生きる日々
少年は、気づいた時にはこんな生活をしていた。
身寄りもなく、その日に食べて宿に泊まるための金を稼ぐ日々、どうして生きているのか、分からない。
彼は生きるために働き、働くために生きていたのだ。
彼の名前はルノ。幼い頃に両親を亡くした子供。学もなく、生きるには目の前の何かにしがみつくしかない哀れな子。
幸せで満ちるはずの幼少の記憶を覗いても、ひび割れ、淀んだガラス玉のような記憶では、美しい模様を見ることは少ししか叶わない。
町を歩けば無邪気な同年代の子供が、未来への不安など微塵もない笑顔で走り回る。彼はその輪に入ることはなかった。
代わり映えのない日々、今日はある洞窟の内部で鉱石を掘り続けている。子供には荷が重く、道具を持つだけで息が上がるほどである。
しかし、生きなくてはと、意味の無い本能が語りかける。
それに動かされ、彼は今日も働く。
◆
「ルノ……おい、ルノ!」
「…………はいっ」
「あんまし無茶すんなよ、そこはもう掘らんでいい。あっちの表面が出てきてる方に行け」
ルノは、長く黒い前髪を掻き分け、言われた通りに移動する。指示をだしていたリーダーはため息をついた。
「……うちのと同じくらいだってのに、あんな死に体で働いてるなんて、世も末だな」
「リーダー! あっちの方になんだか赤い宝石みたいなんがあるぜ……ってどうしたんです? あぁ、ルノか、娘さんと同い年くらいなんでしたっけ?」
「多分、な。あいつ、歳を聞いても分からないの一点張りでな。幼い頃に親を亡くしてからその日暮らしだってんだから、可哀想なやつだよ」
また、ため息が出る。しかし、彼はこの仕事現場のリーダーだ。沈んだ気持ちを切り替えて、赤い宝石とやらに意識を向け、見に行くことにした。
ルノはと言えば、言われた通りの持ち場へと移動し、無心で岩を掘っている。なにも考えずに身体を動かしている。
岩を掘っていると、ルノはふと、なにか異変のようなものを感じとる。なんなのかは分からないし、普段は周りを強く意識することも無い。
そんな彼でも気づく異変――洞窟内が熱い。
この洞窟は深層まで辿り着いたものこそいないが、ルノたちのいる鉱石場付近は、目立った魔法生物もおらず、安全に作業できる地帯だ。そのため、意識することなく、無心で働いていた。
「みんな逃げろ! 爆発だ!」
「……え」
先程リーダーに報告に来た男だ。
彼の走ってきた方角を見ると、洞窟の奥が真っ赤に明るい。
「くそ、リーダー……! おい! ルノ、何してる! 逃げんだよ!」
「あ……」
男がルノを抱え、走り出す。他の鉱山夫も道具を投げ棄てて走り出している。しかし、火の勢いは強く、遅れたものは黒い灰色のモノへと変わり果てていく。
「くそ、くそ!」
熱い、少し息苦しい……ルノが感じたのはそれだけだった。死への恐怖はない。むしろ、ここで終わりが見えたことが希望のようにも思えている。
「ぼくのことはおいていって、テンタさん」
「はぁ!? 何言ってんだ……っておい!」
ルノは全力で身を捻り、無理やり腕から落ちた。男は止まることができず、慌てて戻ろうとするも、その瞬間に天井が崩れ、退路は断たれてしまう。
「おい! ルノ! くそ……! すまねぇ、助けてやりたかった……!」
男は唇を噛み走り出す。ルノはそれを見て、これでいいと思った。これで終わることが出来る。炎が着々と近づいている。そして、ルノを飲み込む……ことはなかった。
突如ルノの足元に大きな穴が空く、崩れる岩と共に、意識を失ったルノは落ちていった。
◆
「…………おい、起きろー、起きろってー、あーどうしよ」
声が聞こえる。ルノは耳に届いた透き通る様な声に覚えがない。ゆっくりと目を開き、辺りを見回した。するとすぐに、自分を見下ろす女の人が見えた。
「だれ……?」
「あ、起きた」
女はルノが起きているのを確認すると、顔を上げ、顔にかかった純白の髪をはらった。少しの汚れもない綺麗な白だ。
そして、スカートが地面につかないように手で抑えながらしゃがみこむ。目線がルノと合う。その瞳は、遠く淡い記憶――母親のつけていた真紅のピアスを思わせ、鮮烈に心に刻まれた。
「キミ、どうしてこんな洞窟の奥深くにいるの?」
「お姉さんこそ……」
「む、確かに!」
手をポンと叩く女、こんな場所に女一人と子供一人でいると言うのに、まるで緊張感がない。ルノは目を細め、疑うように女を見つめた。
「まぁ、うちのことはいいよ。それよりキミ、上から落ちてきたようだけど、もしかしてここら辺の鉱山を掘ってる人間?」
「……うん」
「あー、じゃあ魔石掘り当てちゃって爆発したとかかな……可哀想に」
「でも、キミ働くにしても幼くない? たまに見るけど、まさか戦争孤児とか?」
女の質問にルノは首を横に振る。ルノの両親が死んだのは魔法生物に襲われたためだ。人同士の戦争とはまるで関係ない。
ルノのその動作を見ると、女はまぁいいかと立ち上がり、服のホコリを払う。
「じゃあ、今特に行くあてもなしってことでいい? 家とかは?」
「宿に泊まってる」
「おー、ちょうどいい。じゃあさ、お願いあるんだけど」
女の雰囲気がガラリと変わる。捕食者のようにギラギラとして冷たいオーラだ。そして、口を開く。何やら人間にしては尖った歯が見えた。
「血、吸わせてくれない?」
「血って……あなたは吸血鬼……?」
「お、知ってるの?」
ルノの数少ない幸せな記憶、母親の語るおとぎ話。
この世界にいるという吸血鬼、人と同じ姿ながらも、血を吸うという性質をもつ彼らはひっそり暮らしていたが、次第にそれを恐れた人間に狩られて数を減らした。
魔法も扱うため、たかだか一般人では歯が立たないのだが、そんな存在が今、ルノの目の前にいる。
そして、ルノはあることを思いついた。
「……じゃあぼくの血を吸ってもいいよ」
「ほんと! 助かるー!」
「それで、そのまま殺して」
女の口が開いたまま固まる。
次第に口を閉じ、真剣な目でルノを見つめた。
「なんで?」
「……いきている意味が分からない」
「死にたくないとは思わないの?」
「もう、同じことばかり続けたくない」
ポツリポツリと呟く言葉には重みを感じる。女は真剣にその様子を観察しながら話を聞いている。『同じことばかり続けたくない』という言葉を聞くと、女はルノの頬をムニムニとつまみ始めた。
「……なにするの」
「あのねぇ、きみは人間でしょ? やれることだらけじゃん?」
「目的は今なくてもいい、それを探すことをしたの?」
「してない」
「じゃあ、うちみたいに討伐される危険もないのに、ただ何も考えずに生きてきたんだ」
「……」
「じゃあ、人間として生まれた意味がないね」
ルノは強い言葉に驚くも、反論しようがない。ルノは言葉をひねりだすことが出来ず、黙りこくってしまう。
「はぁ……じゃあさ、うちと一緒に旅しない?」
「旅?」
「そ、うちってば吸血鬼じゃん? 血を飲むのが栄養とるのに最適だし、きみはそのための血液袋ってわけ」
「目的とかないんでしょ? じゃあついてきてよ。旅してたらなんかやりたい事見つかるかもよ?」
旅……ルノは考える。
ここで終わってもいいと考えていたが、彼にとって、人――吸血鬼に求められた事は初めてだった。
それに、旅をして生きる目的を見つける……それには少し興味が湧いた。
「……わかった。ついてく」
「お! じゃあ決まり!」
ルノの返事を聞くと、女はルノの手を引き立ち上げる。
そして、まっすぐと、ルノの目を見て言った。
「うちは、メルト。吸血鬼。きみは?」
「ぼくは、ルノ……人間」
こうして、少年ルノと吸血鬼メルトの旅の幕は上がった。
少年と吸血鬼が旅をするお話です。長くなる予定ではないですが、話数などは未定です。
追記 長くなるかもしれません。