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砂漠の蝶  作者: Akka
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事の幕引き 2

久々更新です。長々と放置していて申し訳ございませんでした。

「下手人は不明…現在も捜索はしていますが、如何せん後宮での騒ぎに皆が気をとられており、全力は勿論尽くしますが……」

「…捕まらないのね?」

「努力いたしております」

皇位継承権第二位の者が殺されたというのに、城内はまったく動じることが無い。

それだけで、イルがどんな立場に置かれていたのかがわかってしまう。

ショウコはため息をつくと幾分乱暴な仕草で席を立った。

「陛下…どちらへ?」

次の報告の資料を抱えた者が困惑気味の声を掛けるが、ショウコは振り返ることなく部屋を辞した。





「……イル…」

節くれ立った手が日々の労働を偲ばせる。

こんな状況になって初めて会ったイルの家族は、イルが以前言っていたように貴族的なところなど全く無く、こんなことでもなければ城に来ることなど無かっただろう。

震える手で遺体の顔に掛けられた布取り除くと、言葉にならない悲鳴が喉から零れた。

「お気持ちお察しします」

こんな言葉をかけるときでさえ、ショウコには一段上に設えられた席から立つことも許されない。

己の行為に矛盾を感じつつもそれを表情に出さずに努力をしていると、イルの母親が冷たくなった頬に手を伸ばそうとした。

「…ご母堂」

ショウコの呼びかけも聞こえていない様子を確認して、ケンがすっと母親の手を押さえた。

「な…」

何故触れることさえ許されないのか、という非難の視線をケンは努めて平然と受け止めた。

「肉が…朽ち始めています。触っても崩れないとは、言い切れません」

一瞬呆けたような顔をして、イルの母親は棺に取りすがって慟哭した。

決して手入れが行き届いているわけではない白髪交じりの髪。

いつも声を張り上げて仕事をしているのだろう、かすれた声。

でもこれほど美しい母親の姿をショウコは見たことが無かった。

何故、どうしてと繰り返す声を聞きながら、ショウコもこの一連の出来事に疑問を投げかけた。

レイヴスが突然王城から姿を消したこと。

時期を計ってイルがやってきたこと。

そしてイルが殺されたこと。

付け加えるなら後宮での騒動。

繋げることが出来るとしたら、結論は一つ。

あまりに不快な想像に胸をむかつかせながら、ショウコは無神経と分かりきっているが必要なことを問いかけた。

「イル…殿は、皇位継承権を持っていました。その地位で他世へ旅立ったので、あなた方ご遺族には国から恩賞が与えられます。その手続を本日行っても?」

「は……?」

イルの家族が、信じられないといった瞳を向ける。

それはそうだ。

ショウコだってこんなことをこんな状況で言われれば、相手の神経を疑う。

この補償は言うまでも無く今後もその血脈を守るためのいわば軍資金だ。

それを受け取るということは、王城と血生臭い縁を持ち続けることになる。

「…いりません」

か細い声が響く。

「そんなお金、いりません。この子が死んでもらえるお金なんて…今後家族を危険に晒すお金なんて、そんなもの!」

いっそ殴ってくれ、と思う。

誰のためでもない、ショウコのために。

はじめは小さな違和感だった。

レイヴスが王城にいないせいかと思ったが、次第にそれだけではないとはっきり分かった。

だからこそ極力イルの側を離れないようにして、傲慢にも守れると思っていた。

イルに狙われていることを告げなかったのは、妙な動きを察知して相手方を刺激したくなかったから。違う。こんなものは建前で。

信頼していなかったのだ。心の底からは。

常に誰かから命を狙われていた幼少期。暗闇で襲ってきたのは友人と呼べる侍女だったことさえある。

そんな経験が尾を引いて、どこかでイルを疑っていた。

万一の可能性を捨て切れなかった。

王城の危機管理、為政者という視座であれば、間違った行いではない。

しかし、それは免罪符ではない。

守れなかったことは罪で、守らなかったことは悪だ。

「……もう、捨て置いてください」

イルの親族だろう、壮年の男が疲れたように呟く。

「私たち家族のことは、忘れてください。もともと皇位継承権なんて知らんかったのです。

 無くなったって、ちっとも困らん」

あぁ。

思わず目を覆いたくなるのを、義務で堪える。

受け止めなければならない。

「私たちは、皇位継承権を、放棄します」

責められない。責められるわけが無い。

ましてや翻意を促すことなど。

「……分かりました。では別室で、手続を」

聞こえるはずの無い、高笑いが聞こえた。

してやられた。

完敗だ。

ぐっと拳を握る。

爪が食い込む痛みが、なんとか表情が歪むのを押しとどめた。







国葬さえ断られ、今後一切接触を持ってくれるなと念を押された。

影で国の威信がと囁く声には冷たい視線を投げつけるに留めておく。

国民の命を守れない国に、威信も何もあったものか。

「ショウコちゃん」

ぐったりと椅子に身を沈めるショウコに気遣うような声が掛けられる。

額を手で押さえたまま視線をめぐらせると、悔しげな表情を滲ませたロイが立っていた。

「…ごめん、今回は負けたね」

「……そう、ね」

「責任は僕にある。いや、僕たち、かな」

「責めは私に。ショウコ様は皇后としてなすべきことをなさいました」

控えていたケンの言葉に偽りは無いのだろう。

しかしショウコはそれに頷くことは出来なかった。

「違う。分かっているでしょう?……責めは私と…陛下にある」

あの時、後宮の騒ぎを鎮めに走ったことは間違っていはいなかった。

ショウコを補佐し守ることが仕事のロイとケンが、後についてきたのも当然だ。

イルのことを誰にも指示しなかった。それは明らかにショウコの落ち度だ。

くしゃりと額にかかる髪を握りこむ。

「陛下の不在を知られる危険と、イルの命。私は前者を無意識に優先したのよ」

それはショウコの中では紛れも無い真実だ。


「悲劇を演じるのも、そのくらいにしていただけますか?」


異様なほど事務的な声が場を貫く。

嘲りの表情とは裏腹に、シンレットは優美な仕草でショウコの前に腰を折り、手を差し出した。

「臨時閣議のお時間です。皇后陛下」

差し出された手を一瞥し、ショウコは辺りに憚ることなく顔を歪めた。

「私には、親しい友人の喪に服する僅かな時間さえ与えられないの?」

「その死を無駄にしないための閣議ですよ」

「そんな台詞はね、大臣。自分に帰責性が無いときにしか使えないわ」

「それは失礼しました。では陛下も、そんな我侭・・は国に対する責任が無くなってから口にしていただけますか?」

痺れを切らしたシンレットがショウコの腕を掴み立ち上がらせた。

文官とはいえ男の力だ。一掴みにされた二の腕が痛む。

あまりの暴挙に駆け寄ろうとしたケンを制して、ショウコは慣れた動きで肩を回した。

勢いよく振り回された肘が顔の前をかすめ、思わずシンレットは手を離した。

「……お体の調子は良いようですね。何よりです」

「心と身体は連動しているから、最悪よ。それでもどうにかなる相手でよかったわ」

引きずり回したり抗議を無視して連れまわすの暴君を相手にしていると、こんなことが躊躇無くできるようになってしまう。

とんだ弊害だ。

「それに、私にこの国に対する責任なんてあるのかしら?この国は専制君主制に変わったものとばかり思っていたのだけれど?」

「なっ!?」

国の体制に対するあまりの言葉にシンレットは喉を詰まらせる。

他のどの国よりもシンレットは自国の政治体制が優れていると自身を持っている。

ショウコの言葉はそれに対する侮辱以外の何者でもない。

流石にこの言葉にはロイも驚いた様子で目を見張っている。

「今のお言葉は取り消していただけますか。皇后陛下」

「取り消したいのはやまやまだけれど?」

これ以上争うつもりは無いとでも言うように、ショウコは扉に向かって歩き出した。

「国の大事な問題を放置して姿をくらまして。挙句散々な状況の後片付けにも参加せずにすぐに閣議?

 申し訳ないけれど、ついていけないわ。それが今しなければならないことなのか、一度冷静になって考えてみてはいかがかしら?」


ぱたんと静かに扉が閉じられ、足音が遠くなったのを確認してからシンレットは大音声で叫んだ。

「何だ今の!何の癇癪だ!?」

先程までショウコがかけていた椅子を指差し、同意を求めるようにロイとケンを見る。

「閣議!仕事!それを拒否か!?」

ロイはニヤニヤと笑い、ケンはすっと目を逸らした。

「笑うな筆頭執務官!ロイの責任でもあるだろう!?」

お前が甘やかすからだと妙な難癖をつけ始めたシンレットは相当混乱している。

シンレットにしてみれば、冷静沈着合理主義を地でいくショウコの気が触れたとしか思えない事態だろう。

「まぁ少し落ち着つけ。あんまり怒るとお前の評判に関わる」

「知ったことか、そんなもの。本当に閣議欠席するのか?それこそ皇后陛下の信用に関わる……」

「……むしろ、平気な顔をして出席するほうが人間としての信用に関わると思いますが」

嘲るでもなく宥めるでもない。

淡々とした声と顔でケンは小さく呟いた。

「……どういう、意味?」

「皇帝陛下はいいでしょう。故人と全くといっていいほど親交が無かったのですから。ですがショウコ様は違います。陛下がいらっしゃらない間、多くの時間をともに過ごされ、友人として接していらした。

 傷ついていない、と本気でお思いですか?ショウコ様が悲劇に浸っているだけだと?」

責めるわけではない、ただ尋ねるだけの声に逆にたじろぐ。

それはロイも同じらしく、訝しげな視線をケンに送る。

「…シンだってそこまで言ってない。でも、僕もショウコちゃんらしくないとは思うね」

「私もそう思います。ショウコ様らしい態度ではない。

 いわば職務放棄など、私が仮に死んだとしてもショウコ様は絶対しないでしょう。それはあなた方でも陛下でも同じだ」

「おい…待ってくれ」

シンレットの焦った声にケンは笑う。

「違います。何もショウコ様と故人が深い関係だったからというのではありません」

皇后が皇帝以外の男性と、例え気持ちだけにしても男女の関係があったなど冗談ではない。

ましてや複雑な立場を理解しているショウコがそんな愚を起こすはずが無い。

「単に、ショウコ様と故人は友人だった、というだけです。我々は故人である前に公人です。それについて回る責任も危険も理解して、その上でその立場にある」

そこまで口にすればシンレットもロイも察したらしく黙りこんだ。

内実を知らずにただ皇位継承権者となったイルは、ショウコに皇后としての振る舞いを何一つ期待しなかった。見よう見まねでそれらしく振舞っていたこともあったが、基本的にイルは私人であった。

おそらくどんなにくつろいだ場にいても、ケンたちがショウコを完全な私人として見ることは無い。

どこかにこの国の皇后だという意識があり、それを元に関係が成り立っている。

いくら幼い頃から共にいるケンだって、仮に命令だとしてもショウコの壁は越えられない。

公人として接してこなかった相手に、どうしてその死後公人として割り切った対応が出来るだろう。

それでも一見淡々と遺族との面会を行い、涙の一滴も見せていない。

気丈、というよりは痛々しい。


少しの間沈黙が降り、気まずさを誤魔化すようにシンレットが乱雑に頭を掻いた。

「だからって話も聞かずに出て行くっていうのは如何なものかな。陛下だってレイがただ仕事を放棄していただけじゃないことはご存知だろうに」

「それをあなたが説明しに来たのが間違いでは?」

「へ?」

「それをショウコ様に伝えるのは、陛下のお役目ではありませんか?」



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