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 オドの町に着いたのは朝と昼の境目。丁度人々が仕事をし始める頃だった。だがオドの町は妙な空気に包まれており、思わず足を止め、傍にいた町の人に尋ねた。

「何かあったのですか?」

 すると町の人は深刻そうな顔で答えた。

「ファントムが出たんだよ。危ないからさっさと町を離れるんだね」

 スピカは短く声を漏らして納得した。

 ファントムというモンスターがいる。黒いもやの体に赤くつりあがった目が浮いていて、闇の眷属という種類のモンスターだ。とても厄介なモンスターで、こいつは人の集まる村や町に出没する。体が黒いもやという実体を持たないモンスターで、物理攻撃が一切効かず、魔法で攻撃するしかない。しかもその魔法も弱点である光属性なら効果は抜群だが、他の属性なら攻撃は効いても威力が半減してしまうのだ。

 今回スピカはどうしようもない。

 町の人の言う通り、さっさと町を離れよう。

 スピカは教えてくれた町の人にお礼を言うと、そのまま町を突っ切って王都を目指すことにした。

 幸い、アイテムボックスの中は様々なアイテムで一杯だ。この町で必ずやらなければならないこともない。

 せめてこの町に光魔法が使える神官でもいればいいのにな、と思った。ただ、ファントムの恐ろしいのは現れたときや倒すときではない。倒されてからだ。


 スピカが目の前にマップを広げながら町を縦断していたときだ。

 町の人々の歓喜の声が耳に届いた。

「神官様がいらしたぞ!」

 人々の頭の向こうに神官の天辺がとんがった帽子がのぞく。これだけの規模の町なら神殿ぐらいあるだろう。だから常駐の神官も五、六人いてもおかしくない。きっとその誰かだろうな。スピカはそう思った。

 そしてちらりと見えたその神官はとても若い。スピカより少し年上ぐらいだった。それぐらいの年ならまだ見習いでもおかしくないのだが、彼はしっかりと神官の帽子を被っていた。だからきっと新米の神官なんだろう。

「この中で腕の立つ方はおられませんか! ぜひ力を貸して頂きたい!」

 神官が集った人々に声をかける。

 しかし、町の人々は互いに顔を見合わせ、俯いた。歓喜の声が満ちていた広場はしんと静まり返ってしまった。

 それもそうだ。彼らはただの町人。戦いにおいては素人。王都へといたるこの町も王国騎士団の詰所があるので、彼らは彼らの仕事に従事できるというわけで。そして、その期待の王国騎士はというと先ほどから姿を見せない。詰所で引きこもっているのか、それとも出払っているのか。

 まさかスピカも昨日の幽霊騒ぎが絡んでいるとは思いもしなかった。

 そして、誰も神官の前に名乗り出るものはいなかった。

 人々と神官の間に気まずい空気が漂う。

「私がやるわ」

 見ていられない。

 ファントムを倒すには光属性の魔法が必要で、その魔法攻撃をするには詠唱が必須。神官一人でファントムに対抗するのはあまりに無謀。前衛という壁が必要なのだ。

 スピカは神官の前に進み出ていた。

 人々は見たこともない、よそ者の少女にポカンとしている。

「えっ、あなたですか……?」

 神官も戸惑っていた。

「心配は要らないわ。こっちは剣の扱いに慣れているし、田舎からここまで一人で来たの。回復魔法だって使えるし、そうね。なんなら軽く手合わせでもいたしましょうか?」

 こちとらレベルは72。負けるはずがない。

 神官は首を振った。

「いえ、その必要はありません。失礼します」

 と、神官は魔法を使う。神官魔法の“真なる目”。対象のステータスを調べる効果がある。

 神官はスピカのステータスを確認してか、目を見張る。

「どうかしら?」

「文句のつけようがありませんよ。私はアースレイと申します。巡礼の旅の途中で、所属はホーリーセレスの大神殿です」

 ホーリーセレスは王都の北西にある教会の総本山、教会都市とも聖都とも呼ばれている。大神殿となると教会の中で最も位の高い。そして巡礼とは将来有望の神官が必ず行う出世のための修行。なるほど、彼は若いだけじゃない、とんでもない人物のようだ。

「スピカよ。悪いけど、見させてもらうわ」

 片手でステータスを調べるインスペクトレンズをチラつかせる。アースレイは構わないと、頷いた。

 本人の了承を得たので、堂々と彼のステータスを確認した。

 彼のレベルは38。おそらく成人前後だから、このレベルはかなり高い。なるほど、彼が大神殿所属ってのも納得だ。スピカに両親がいたように、彼にも鬼……いや悪魔教官がいたのかもしれない。

 そもそも庶民はレベルがあっても大人になっても20いけばいいほうで、戦いを生業とするならもっと上がる。だがそれでも40まで近づけば強い部類だ。この世界において、レベルが上がるというのは一つの才能。そしてこの世界においての才能とは努力ではどうしようもないもので、すべて女神の匙加減なのだ。

 庶民において大事なのはレベルではなく、製造レベルの方だ。

 これも今のスピカレベルの者は滅多にいないだろうけど。

 そう考えるとスピカは女神に愛されすぎている気がする。恐ろしくもあるけれど、もらえるものはもらっておく精神で気にしていなかった。

「いかがですか?」

「十分よ。さ、さっさと片付けちゃいましょう」

「ああ、待ってください」

 アースレイはスピカをひきとめ、町の人々を振り返った。

「これからファントムと戦うことになります。皆さんに危害が加わるといけないので、町の神殿に避難していただけますか?」

 人々は神官であるアースレイの言葉に素直に従い、広場、町から徐々に人が神殿に引き上げていった。

「神殿に入りきれるかしら?」

「神殿の傍にいるだけでも違いますよ」

 光の力、女神の威光は人々の信仰心による。だから人々が女神の威光を信じれば、そこに女神の威光が現れるのだ。

 避難が終わった頃、二人は作戦を話し合った。

「では簡単に説明します。ファントムは私の魔法で仕留めるので、スピカさんは囮になってください」

 そうだろうな。

 スピカは頷いた。

 ファントムは人の精気を吸い取る。この場合は体力のことで、レベルが上がる人は体力も上がってゆくが、上がらない人は低いまま。レベルの高い二人がこの町に居合わせたのは幸運だった。

 町の人のような体力の低い人はあっという間にファントムに精気を吸い尽くされてしまう。そして吸い尽くされれば戦闘不能ではすまない。

 現在のスピカの体力は7072。セイサガでの体力の上限は9999で、体力自慢のキャラクターならレベルが最高に至る前にカンストする。だが魔術士など打たれ弱いキャラは体力が最大にいたることはない。スピカは、このままいけば体力がカンストするかもしれない。いや、ゲームだったら、ということで、実際には1万越えするだろう。スピカの両親がそうだったから。

 ファントムを相手にするには十分で、これならアースレイの詠唱の間、しっかりとファントムをひきつけられることだろう。

「あ、そうだ」

 スピカは両手を叩いて、装飾品を取り出した。

 それは製作で作ったまま放り込んであった指輪だ。アースレイに手渡した。

「これは?」

「これ、私が作ったやつ。詠唱が速くなるスキルが付いてるわ」

 スキルはそれだけじゃないけど、一番大きな効果はそれだった。

 見た目はただの鉄の指輪。鉄ってあまりスキルが付かないんだよね。これは鉄の限界に挑戦しようとして作ったものの一つ。結局は、もっとスキルと相性がいい素材に乗り換えたほうがいいと分かった。

「では借りておきましょう」

 アースレイはそのまま指にはめ、スピカとアースレイはその場でパーティを組んだ。

 アースレイは神官だったが魔術士タイプだった。物理より魔法攻撃が高いし、体力も低い。魔法防御は高いけど物理防御は弱い。覚えている魔法は光魔法を中心とした神官魔法に少しの無属性魔法。回復術はなかった。

「私にその素質はないのですよ」

 アースレイが言った。

 神官なら回復魔法が扱えるという認識があった。

 この世界では素質、才能は最重要だった。あるかないかで天地ほど差がある。

「大丈夫よ。私が使えるから」

「そうですね。すばらしいですね、その年でこれほどまで上位魔法を扱えるなんて……」

「昔、治療院の手伝いをしていたことがあるのよ」

「そうだったのですか」

 その辺で雑談を終えて、いよいよファントム狩りを始めることにした。

「で、ファントムをどうやって探すの?」

「大丈夫ですよ。すぐに見つかります。あなたがいますから」

「どういうこと?」

 アースレイはスピカに魔法をかけた。全体ステータスを上げる“聖なる加護”という神官魔法だ。戦闘の準備だろうか。首を傾げるスピカはアースレイの説明に閉口した。

「ファントムは生命力が強いものに寄ってくるんです。特にうら若き女性は大好物なんですよ。魔法で増強すればふらふら出てきますよ」

 そりゃ囮になるといったが、囮というより餌になった気分だ。

 アースレイはその策に自信があるのか胸を張る始末。ファントムを倒すまでだ。文句はのみ込もう。

 そして、彼の言う通りふらふらと黒いもやがどこからともなく現れた。

「それでは、しっかり引きつけてくださいね!」

 アースレイはスピカから距離を取って杖を構えた。

 こうやって誰かを背にして戦うのは初めてだった。パーティを組んだことがあるのは父と母のみ。その二人は化け物で、気を遣うことなく戦える。自分よりレベルの低い人とパーティを組むのも初めてだった。

 ファントムは黒いもやのようなモンスター。実体のない相手をどうやってひきつけるかなんて、簡単だ。

「任せたわよ、アースレイ」

 スピカはそのままファントムに突っ込んだ。脂と旨みののったご馳走が自ら口に飛び込んでくる。ファントムにとって、とんでもない幸運だろう。生憎スピカは大人しく食らわれてやる気はない。剣を抜いて振り回した。黒いもやを拡散させようと動いた。無駄かもしれないが、これでファントムの気を引けるはずだ。

 ファントムは噴出すように体のもやを広げ、スピカの全身を覆いつくした。スピカの視界はまるで黒煙にまかれたかのようだった。

 そして徐々に体力が奪われ始めた。

 息苦しさの中、アースレイを見ると足元に白い魔法陣が広がっている。すでに詠唱に入っているようだ。そして彼の周りに魔法帯が展開した。下級魔法は魔法陣だけ。中級魔法は魔法陣が下級より広がったり、魔法帯が一本だけ体の回りに展開する。

 今のアースレイの足元には大きな魔法陣が広がっており、体の回りには五本の魔法帯が展開されてる。

 あれ、上級魔法でもここまで高度な魔法あったっけ?

 きっと高威力の魔法で片付けるつもりなのだろう。チマチマと戦うよりいいだろう。

 ファントムの体力はこれまで吸い取った精気だ。つまり多く吸い取っていればそれだけ多いということ。

 発生して間もないとは考えにくい。息苦しい中、インスペクトレンズをファントムに使った。すると、信じられない数値にスピカは目を疑った。

 ファントムは10万の体力があったのだ。

 どういうことだ。すでにどこか村か町でも壊滅させていたのだろうか? そうでないとこれだけの体力はありえない。ともかく、ここでスピカとアースレイに遭遇したのは運の尽きというわけだ。

 チラリとアースレイを伺うと、まだ詠唱を続けていた。

 ちょっと待ってよ。いくらなんでも詠唱遅くない? どんだけ長い詠唱をしているの?

 スピカの心中お構い無しにアースレイは女神を称える言葉を紡いでいた。

 一切ダメージを与えられないからか、スピカの体力はあっという間に2000も吸われていた。まだ余裕はある。だがその分だけファントムの体力が増えたというわけで。ファントムに覆われているのでこちらは詠唱ができず、回復魔法が使えない。アイテムを使えるが、使ったらその分吸われるだけ。もうしばらく様子を見よう。

 スピカの体力を吸い取って調子が上がってきたのか、ファントムも詠唱を始めた。

 ファントムの足元(スピカの足元でもある)に紫の魔法陣が広がる。スピカが剣を振り回しても攻撃が効かないために詠唱を中断させることができない。

 ファントムの周りに紫の魔法帯が3本展開した。こっちも上級魔法か。攻撃魔法じゃなきゃいいな。

 そう思っていると、ファントムの魔法詠唱が終わった。

 ファントムの魔法はスピカにかけられた。痛くない。ひんやりと冷たい感触が胸元に広がった。

「な、っ、れ!」

 うまく喋れない。ステータスを見ても下がったステータスはない。状態異常でもないようだ。一体何なのか分からなかった。

 アースレイが杖を掲げる。ようやく詠唱を終えたようだ。

「降り注げ、“聖なる断罪”」

 ファントムとスピカの上空に白い魔法陣が広がり、無数の閃光が降り注ぐ。

 パーティの仲間であるかぎり、仲間に攻撃を当てるか無効化するか選ぶことができる。アースレイは当然無効化を選んだらしく、白い閃光はファントムだけを貫いた。

 そして本当にその魔法だけでファントムは倒れてしまった。

「すごい、体力10万もあったのに……」

「無事に終わりましたね」

 アースレイは爽やかな笑顔を浮かべて、前髪を払った。

「それにしても詠唱長かったわね。指輪、使えなかった?」

「そんなことありませんよ。あれは私が知る中で最高の光魔法なんです。一度でいいから使ってみたかったんです」

 と、満足げにアースレイは言った。

 なるほど、通常時はとても使えないから馬鹿みたいに体力があるスピカがひきつけている間にやってみようというわけか。こっちは2000も体力吸い取られたんだけどな。

「あ、そ」

 スピカは素っ気無く返す。せめて「大丈夫ですか?」の一言でもあれば違ったかもしれない。回復アイテムを差し出すわけでもないし、スピカは自分で自分を癒した。

「あ、そういえばさっきのファントムの魔法なんでしたか?」

「さぁ? ステータスにも状態にも変化はないわ」

「あー、もしかしたら呪いかもしれません」

「呪い?」

「はい。そうですね、発生中の効果を確認してください」

 言われるまま見てみると、確かに一つマイナス効果が発生している。

「嫌だ。何これ!」

 それは確かに呪いだった。それも石化の呪いという恐ろしいものだった。

「石化の呪いですか……」

 アースレイも表情を硬くした。

「何、どういうこと? 知っているの?」

「残念ですが、スピカさん。あなたはあと100日の命です」

「はぁ!?」

「今日から100日後、その呪いがあなたを石にしてしまいます。それが石化の呪いなんです」

「冗談でしょう!? だいたいあのときあなたがあいつの詠唱を止めてくれればこんなことにはならなかったのよ!?」

「す、すいません……」

 スピカは掴みかからんばかりの勢いでアースレイに詰め寄った。アースレイはおずおずと続ける。

「でも解けない呪いではありませんよ」

「え、そうなの?」

「はい。ホーリーセレスには解呪士がいます。彼らなら石化の呪いぐらい解けるでしょう」

「嘘じゃないでしょうね?」

「嘘をついてどうするんですか。私はすでにあなたに所属も名前も告げているんですよ? そんなことすればせっかく巡礼したのも駄目になってしまいます」

「それもそうね」

 それにしても聖都ホーリーセレスか。目的地が王都よりさらに遠くなってしまった。そして期限が100日。三ヵ月とちょっとか。余裕のある距離だ。

「なんなら私から解呪士に口利きいたしましょう。その方が話が早いはずです」

 アースレイは自分にも責任があると思ったのか、そう提案した。

「ホーリーセレスに着いたら巡礼も終わっちゃうんじゃないの?」

「構いませんよ。それぐらいに戻るつもりでしたから」

「分かったわ。それなら一緒にホーリーセレスに行きましょう」

「ええ、よろしくお願いします」

 こうして、スピカに旅の仲間ができた。


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