その20 監視
国王から解放されて厩に回ると、会いたくない人物がいた。
黒髪の王太子。
陰気な青年だ。そもそもそんなに好きでもなかったが、タニアを取られたと思うから、余計に嫌いだ。顔を見ると怒りが腹の底から湧いてくる。
しかしまぁ、俺で上書きしてやったからな。ザマミロ。
一応、軍人として礼をして、通り過ぎるのを待つ。
しかし王太子はまっすぐにエシルに向かって来た。
「貴様は、タニアの居場所を知っているな?」
一瞬バレたかと思ったが、顔には出さない。どうせ当てずっぽうだ。
「知りません。」
「嘘つけ。ではあの荷物は何だ。」
ここまで引いて来た馬は、荷物を乗せたまま放って置かれて、不貞腐れていた。
「ああ。あれは」
エシルは、今朝一生懸命積んだ荷物を、全て捨てる決心をする。
「南の国境辺りをウロウロしていたら、熊に襲われたのです。そこに運よく狩人が通りかかって助けてもらったので、その礼です。」
「そんな都合のいい話を誰が信じる。」
翡翠の君という名前の元になった緑の瞳で、エシルを睨みつける。
誰が恐れ入ったりするものか。
エシルは鼻で笑いそうになる。
「信じなくても結構です。」
絶対に教えない。
並みの身長の王太子は、少なくとも頭一つは背の高いエシルに見下ろされて、やや怯む。
「証明しろ。」
「何をですか?」
「この荷物がタニアの物ではないということをだ。」
「いいですよ。」
エシルがあっさり言ったので、王太子はぐっと言葉に詰まった。そして
「いつ届けに行くんだ。今からか。」
「もう今日は無理ですから。明日、出直します。」
あの爺さんに、たっぷり贈り物をしてやる。さぞ喜ぶだろう。
「本当に、タニアじゃないんだな?」
「違います。」
エシルは言い切った後、小声で付け足した。
「他人んちの侍女を見初めて強引に連れて行ったくせに、二年そこそこで追い出すなんて、どうなってるんすかね。そのくせ、いまだにご執心とは。」
いつも顔色の悪い王太子の顔に、カッと血の色が昇る。
「私を侮辱するのか。」
「なんか聞こえましたか。空耳では?」
うそぶくエシルに、王太子は秀麗な顔をゆがめて舌打ちした。
「貴様には監視をつけるからな。」
それはちょっとやばい。
エシルの顔色がわずかに変わったのを、翡翠の君は見やった。
「なんだ、まずいことでもあるのか。」
「いいえ。面倒くせぇと思っただけで。」
でもまずい。
本当に監視をつけられては、タニアのところに行くことができない。
ちょっと煽りすぎたか。しかし言いたい事はまだまだある。相手が王太子でなけりゃ、胸ぐら掴んでぶっ飛ばしたいぐらいだ。
もう一度王太子が舌打ちして、去っていくと、エシルは不満そうな馬を、なだめながら引き起こした。
さて、どうするか。
翌朝、もう少し荷物を減らして、別の馬に積み込む。爺さんはどうせ一人暮らしだし、干し肉は売るほどある。
監視がつくとか言っていたが、それは本気のようだった。
屋敷を出たら、後ろからついてくる気配がある。
今日は荷物も少ないし、夜明け前に出立して、夜明けには城門を抜けた。
ああ。昨日あんなに欲張らなければ、今頃すんなりタニアの所に行けていたのに。
馬を速歩で走らせ、途中四泊して見覚えのある村に辿り着く。
その間、監視の者もつかず離れずついてくる。鬱陶しい。
懐かしいボロ小屋を訪ねると、今まさに老狩人が、井戸端で鹿の毛皮を剥いでいる所だった。
「爺さん。」
老狩人は驚いて立ち上がる。
「おお。お前さんか。」
「ちょっと助けてくれ。何も言わずにこれを貰ってくれ。」
馬の荷を指し示す。
老人は不思議そうな顔をしたが、すぐ頷いた。
「使っちまってもいいんだな?」
「無論だ。」
「ありがたく貰っとくよ。」
二度と来ないつもりだった小屋の中に、荷物を運び込む。
チーズや塩、マントなどの古着。鉈と砥石。弓弦と鏃。
鞍袋からガサガサと出して、老人に示した。
「しばらく周りを人がウロウロするかもしれないが、放っておけばいなくなるから。ちっと我慢してくれ。」
「なんかやったのか。」
「何もしてねぇよ。人を匿ってると疑われているだけだ。」
老人は戸口から顔を出して、少し離れた所に馬を立てている二人連れを見つけた。
「儂は普通にしていていいんだな?」
「頼む。」
「ちぃとあいつらをからかってやってもいいぞ。」
「好きにしてくれ。」
エシルが帰った後、監視は二手に分かれ、一人は老狩人をしばらく見張っていたが、山のような荷物を持った老人が山の中を徘徊するのを、死にものぐるいで追いかける羽目になった。
もう少しで遭難する所を、当の老狩人に助けられたということである。




