おまけ:俺様王子様と晴天の霹靂
王太子と将来の婚約者との出会いの場は最悪だった。
「俺はレオナルだ。お前と仲良くしてや……」
「――俺様王子様なんて嫌ァァァァ!」
何しろ、お前の婚約者となる娘だと言われて引き合わされた五歳の幼女が、顔を合わせるなり全力で身体を震わせて叫んだのだ。
これが最悪でないならどう言えばいいというのか。
まだまだ先のことを、なぜ今決める必要があるのか。少々ふてくされていた御年七つの王太子レオナルは、差し出した手をそのままに呆然と目を見開く。
「どうせ政略だからどうでもいいとか言って、わたくしのことなんか散々適当に扱って邪険にするつもりなのよ!」
自分の心を見透かされたようで、心臓が跳ね上がった。
何をしたところでどうせ結婚しなきゃいけない相手なのだ。だったら、どうしたって構わない……たしかにそんなことを考えていた。
レオナルの唇がきゅっと引き結ばれる。
「将来はわたくしの言うことなんてひとつも信じないで捨てるのよ! 自分が浮気するくせに! 俺様浮気男なんて最悪なの、絶対いやァァァァ!」
「こ、こら、トーニャ!」
ようやく我に返った公爵が、慌てて娘を抱きかかえた。
しかし、娘はまるで釣り上げられた魚のように暴れて暴れて泣き続け――とうとう泡を吹いて気を失ってしまった。
正直、ショックだった。
これまで自分に対してそれ程の拒絶を見せる相手などいなかったのだから。
同年代の娘もその親である貴族も、皆、自分に対しては常ににこやかに、どうにか機嫌を取ろうと媚びへつらってくる者ばかりだったのだ。
娘をどうにか取り押さえようと奮闘した結果、公爵と公爵夫人は髪も衣服もすっかり乱れていた。
「此度の件については、後ほど改めて釈明を」と退出を求めるふたりに、自分同様唖然としていた国王と王妃が条件反射のようにこくこくと頷いた。落ち着いているように見えて、公爵夫妻の目はどちらも虚だった。
蒼白な顔で娘を抱えたまま、ふらふらと退出していく公爵夫妻の背中を見送って、レオナルは「じい」と傍らの侍従を呼んだ。
「殿下、なんでございましょう」
「俺は何かしたのだろうか」
「私めには、何もなさってはおられぬように見えましたが」
そうだ。何もしていない。まずは、とあいさつを述べただけだった。
レオナルはキリキリと唇を噛んで、俯いてしまう。
「どうして俺はいきなり嫌われたのだろう。俺の顔は怖いのだろうか」
「それは、私にもわかりません」
「俺のことを浮気男とも言った。俺があの子のことを信じないとも」
「何か、行き違いか思い違いでもあったのでございましょう」
「どうしてだ、じい」
「――お尋ねしてみてはいかがでしょうか。エルトゥーニア嬢はまだ幼くいらっしゃいますから、前夜に何か恐ろしい夢でも見てのことかもしれません」
「そうか……夢が悪かったのか。そうだといいな」
ところが、夢なんて全然関係なかった。
数日置いて公爵に約束を取り付け、改めてエルトゥーニアを訪れたら、やっぱり号泣されたのだ。「オレサマでエルトゥーニアの言うことなんか全然耳を貸さないくせに」とまであげつらわれての号泣だ。
どれもこれも、レオナルには言いがかりとしか思えないのに。
レオナルも、だんだん意地になってきた。
ひとの話を聞かないのはエルトゥーニアだってそうじゃないか、そういう不満にも後押しされた。
こうなったら、なんとしてもエルトゥーニアに自分を認めさせるしかない。
レオナルは、まずエルトゥーニアが何かと口に出す「オレサマ」というものが何かを調べることにした。
エルトゥーニアが「レオナルはオレサマだから嫌だ」と泣くからだ。
「じい、“オレサマ”とはどういう意味だと思う?」
「そうでございますね。私には、自信過剰で独善的な男性を指して、そう呼称しておられるように存じます」
「――自信過剰で、独善。俺はそんな人間なのだろうか」
「確かに殿下は少々我儘でいらっしゃいますし、王妃陛下も国王陛下も殿下には少々甘いかと存じます」
「そうか……」
レオナルは小さく息を吐く。
もしかしたら、エルトゥーニアはレオナルのそういう部分を敏感に嗅ぎ取って拒絶したのかもしれない。
「しかし、自信過剰で独善的かは別でございましょう。
殿下には将来国王として国を導くお役目がございます。自信のないものには臣も民もついてはくれないものでしょう」
「だが、それでも過剰はよくないということだろう?」
侍従の言葉に、レオナルは顔を上げる。
「それに……独善的とやらにならないためにはどうすればいい?」
「臣や民の意見をよくお聞きになり、ご自分でよくお考えになることです」
「――ではまず、エルトゥーニアの意見をしっかりと聞いてみる」
「そうなさいませ」
レオナルはさらにエルトゥーニアのところへと通った。
相変わらず嫌だと絶叫し、号泣して部屋に閉じこもるエルトゥーニアを、公爵の許しを得たうえで部屋から引きずり出す。
エルトゥーニアは、最初こそ断固拒否を貫こうと暴れ続けていた。
しかし、そのうちどう足掻いてもレオナルが決して諦めないことを悟ったらしい。一度部屋から引っ張り出しさえすれば、おとなしく従うようになったのだ。
ついでに、公爵や兄であるエストリオにも、公爵家の使用人たちにもそれとなく探りを入れて、エルトゥーニアが何故か強い妄想に囚われていることも知った。
ならば、次は、レオナルが彼女の思い込む人物像とは違うことを示すのだ。
会うたびにエルトゥーニアが絶叫と共に吐き出す言葉を拾い、その逆の人間になることを目指す。
ああ見えてエルトゥーニアは意外に鋭い。
ごまかしなどでは即気取られてしまうからと、レオナルは本気でわがままや癇癪を抑え、王太子に相応しい人物となれるように心がけた。
もちろん、エルトゥーニアの好きなものを探ることも忘れない。
甘くてきれいな菓子やかわいらしい小物を折々に持参し、部屋に籠もる彼女を引きずり出しては機嫌を取る。
泣き顔は酷いくせに、時折零れる笑顔は思いのほかかわいかった。
引きこもりかたも、心なしか形ばかりのものに変わってきたように感じられた。
まるで、怯えてすぐに物陰に逃げ込んでしまう臆病な野良猫を手懐けるように、レオナルは注意深く時間を掛けてエルトゥーニアを慣らしていく。
そう。顔立ちは父親である公爵に似て少々きついけれど、性格はとても臆病だ。けれど、時折油断して緩む表情はとても愛らしい。
警戒心の強い猫という例えは我ながらなかなか的を射ているのではないかと、レオナルは考えている。
変化があったのは、レオナルが十三、エルトゥーニアが十一の時だった。
公爵が、ずいぶん昔に出奔した弟の行方をとうとう見つけたといって、その息子を引き取ったのだ。
正直、おもしろくなかった。
そのエルトゥーニアの従弟、ヴェルナスは、引き取られてすぐに、エルトゥーニアに受け入れられたのだから。
自分はようやく少しだけ信用してもらえるようになったところなのに、ヴェルナスは一年も経たないうちにエルトゥーニアと馴染んでいた。
何より、ヴェルナスのおかげでエルトゥーニアの号泣や引きこもりの頻度が減ったというのだ。必死に何年もかけて慣らしてきたレオナルの立場がない。
「おもしろくない」
ぼそりと呟くレオナルに、侍従が「いかがしましたか?」と首を傾げた。
「なぜ、俺ではだめなのに、従弟ならいいのだ」
「血縁であるがゆえの気安さでございましょう」
「俺だって、もう……六年も構ってきたんだぞ。どうしてエルトゥーニアは未だに泣くんだ」
悔しさに眉が寄る。心なしか、目尻も赤くなっているようだ。
侍従が、ふ、と笑った。
「殿下。エルトゥーニア様はちゃんと殿下を受け入れておられますよ。あれは甘え泣きでございます」
「甘え泣き?」
「泣いても殿下が甘やかしてくださるかを、確かめているのでございましょう」
「そういう泣き方があるのか?」
「素直に甘えるだけでよいところを甘えたくて泣くというのは、それをうまく表せない幼い子供に多いことだと聞いております」
レオナルはぱちくりと目を瞬かせる。
「甘えたい、のか。俺に。エルトゥーニアが」
「殿下のご訪問時、エルトゥーニア様は部屋に籠もられますけれど、逃げ出したり隠れたりはなさりませんでしょう?
それに、エルトゥーニア様があのように泣くのは、殿下がお相手の時のみでございますよ」
「――そうか!」
本当は甘えたいのか。
俺に甘えたいから、あんなに泣くのか。
ならば存分に甘やかさなければ。
レオナルの気分はたちまち上向いた。
すぐに次の訪問に備え、持参する贈り物を選定しよう。
エルトゥーニアは、ああ見えて、宝飾品のような高価なものよりも、まるで市井の者たちが好むような安価でかわいらしいものを好む。
そこも、エルトゥーニアのあの見た目や公爵令嬢という肩書らしからぬかわいらしいところで、レオナルは、ついつい甘やかさずにいられないのだ。
「ああ……そういえば、母上の侍女が、最近市井で流行っている菓子の話をしていたな。次はそれを贈ろうか。あとは、北のガラス細工が良いという話もだったか――じい、商人の選定を頼む。品は俺自身が選ぶ」
「はい」
次の訪問で、エルトゥーニアはまた笑ってくれるだろうか。
最近、エルトゥーニアが笑顔を見せる頻度が上がっているような気がするが……きっと、それは気のせいではないはずだ。触れても嫌がらないし、長椅子で隣に座っても逃げ出そうとしなくなった。
あの従弟とやらも早めに片付けたほうが良いだろう。
誰か適当な相手をあてがって、エルトゥーニアの側から引き離さないと。
――あてがうなら、誰が良いだろうか?
レオナルは次の訪問に想いを馳せつつも、これからの計画を立てようと考えた。