終
「ナヒロさま!」
子供が両手を土にまみれさせ、大きくなった野菜を見せた。
「上出来じゃないの」
ナヒロは屈んで、誇らしげに喜ぶ子供の頭を今度は両手でぐしゃぐしゃと撫でた。
「ああっ! 髪ぐしゃぐしゃにしないでー!」
子供は逃げるように坂を駆け下りていく。その後ろ姿は就任した当時、ナヒロの心をひどく痛めた、痩せた面影はもう残っていない。
国王の命により領主に就任して、まず叔父が行ってきた政策は全てなくした。真っ先に民の生活を取り戻すことから始めた。
ヒスメド地方の人々のためにと奔走している間に、時の流れは早く、気がつけば二年が経っていた。
屋敷の坂を下った先にある広場は中央に小さな噴水がある。清らかな水が勢いよく空へ高く噴出される様に、自然と笑みがこぼれ落ちた。
ナヒロが再びこの地に足を踏み入れた日、噴水の水は止まっていた。ヒーオメが必要ないと五年も前に止めてしまった。そのせいか、配水管が苔やゴミ、砂塵で詰まってしまい、使い物にならなくなっていた。
修復しようにも、住民の生活を元に戻すことよりも優先すべきことでなかった。ようやく修理に着工の予定を立てられたのが、半年前。水が噴水から出たのはつい昨日のこと。
噴出される水は、高らかに水柱をあげると、噴水の周りに集まる子供たちがはしゃぎだす。
その光景はここ十四年余りみかけなかったもので、周囲で仕事をしている大人たちは手を止め、子供の姿を暖かく見守っている。
噴水の周りではしゃぐ子供と別に、見慣れない服装をした旅人が噴水を立って眩しそうに騎馬し眺めている。
隣国からの旅行者なのだろうか。
それにしては、服装がボロくない。すらりとした滑らかな外套から、揺れる束ねた長い髪。
ナヒロの護衛として、常にそばにいるライアスが、警戒をする。
「お久しぶりです、ナヒロさん」
ラズファロウはにこりと馬上から微笑んだ。
「な、なな!」
声が声にならない。二年ぶりに会う婚約者は、二年前とどこも変わらない。
馬から降り立ち、ナヒロの前に立ったラズファロウは、さらに背が伸びたのか、ナヒロよりも背が高く、伸ばされた髪は後ろでゆわれ、毛先が背中で揺れる。
「ほ、本物?」
彼と別れてから手紙のやり取りは年に何度かする程度だった。
「触ってみますか?」
広げられた両手にナヒロはそっと手を伸ばす。暖かい掌が本物だと教えてくれた。
そのまま、ナヒロは彼の胸の中に飛び込む。
「ラズ!」
「国王の許可がようやくおりたので、迎えにきました」
二年前、国王はナヒロをヒスメドの領主へ命じた時に、こう言った。
『ラズファロウの婚約者ナヒロの頑張り次第だ』とラズファロウは言っていた。
けれど、この地に立ったナヒロはこの土地に住む人の顔に刻まれた絶望に、胸が痛んだ。そうさせてしまったのは叔父ならば。この顔を幸福な笑顔にさせるのがナヒロの仕事。
そして、笑顔を取り戻したあとは――。
「ライアス・ラビットソン」
ナヒロは一歩下がって控えるナヒロの護衛を振り返った。
「な、なんだ」
「あなたを次期領主に任命します」
「は?」
「決めてたのよ。私の仕事はラズファロウ様が迎えにきてくれるまでの間、このヒスメド地方を復興させること、とね。そのあとのことは、次の領主に任せるの」
「は? ちょっ、待ってください。認められません!! あなたにはまだ、やってもらうことが!」
「もう、私がいなくてもここは平気じゃない。偏った政策をする主が領主とならない限り、ね」
ナヒロは含みをこめて、ウインクした。
子供たちが目を輝かせて見守る中、ナヒロはラズファロウの手に手を重ねた。
「さっきの返事は――あなたと一緒にいくわ。あなたのいくところへ何処までも、一緒にね!」
気がつくと、子供や大人が皆集まってきていた。
ナヒロは新たに立てた領主に領主の証を手渡した。
戸惑いながらも、ライアスは恭しく受け取とる。
そして、ナヒロはラズファロウと共にヒスメド地方を離れた。
その後、二人は空いている領主の居城を改築し、そこへ移った。二人の子をもうけ、アルバ領主として、ヒスメド地方を見守り続けていった。
―完―




