第5話 過去
ナヒロは口角を引きつらせ、どうしたらいいかと頭を悩ませる。
野菜スープをスプーンですくい、息を吹きかけるラズファロウの表情は真剣だ。気のせいでなければ、スープボウルから湯気はたっていない。スプーンからも当然のように温かそうな湯気が見えていない。
部屋にはラズファロウに新しくついた側近が、隣の部屋の入り口で佇んでいる。彼はつい先日行われた大会の準優勝者で、ラズファロウが指名したという。
新米な彼はこちらが気になるのか、チラチラと寝室へ時折視線を向けてくる。何度目かの視線が合い、ナヒロは恥ずかしさに顔を下に向けた。
「はい、どうぞ?」
ラズファロウがにこりと笑い、スプーンにすくわれた野菜スープをナヒロの口元へぐいっともってくる。
もうとう冷めてしまったスープに、ナヒロは困惑した。
ラズファロウからの結婚を受け入れたから数日間は、ベッドから起き上がることが出来なかった。身体におった傷によってもたらされた微熱に、医師は、寝て、体力を回復させることが一番だとラズファロウに伝えた。傷を冷却し、熱が下がり、徐々にお腹が空き始めた頃には、食事の許可がおりた。最初は胃をびっくりさせないために、重湯から始まり、徐々に固形のものが食べられるようになり、少しずつゆっくりと起き上がるようになった。
その名残からか毎時、仕事を抜け出し、ナヒロの食事の世話を焼く。ナヒロの世話を焼くよりも大事な仕事を優先させてほしいのだけれど、この頃、食事の時間が近づくと、ラズファロウが来てくれるのを心待ちにしている自分に気がつかされた。直接ラズファロウがするべき身体は徐々に快方へ向い、起き上がれるというのに。
昨日から、手が使えるまでに回復してきていた。
「自分で食べられるから……!」
恥ずかしさにスプーンを奪い取ろうと手を伸ばした。すると、この男は、スプーンを遠ざけると、目に見えてすねてしまった。
「僕からのは食べられないと言うのですか?」
そうじゃない。
大人しくただ、スープをもらうのを待つのが、親鳥からご飯をもらうのを待つ雛鳥のような姿を、ラズファロウ以外の人に見られているかと思うと、恥ずかしい。
垂れた耳の幻覚が見えそうな姿に、ナヒロは腹を括った。
(ああー! もう!)
「いいわよ、もらうわっ!」
真っ赤に頬を染め、ぷいとそっぽを向いた。
「それでは、どうぞ?」
ずいっと差し出されたスプーンにナヒロは視線を向ける。少し小ぶりに切られたじゃがいもがのっている。お腹がぐぅと鳴り、やけになってかぶりついた。もぐもぐを口を動かすと、満足した笑みが返ってくる。
「溢さないで下さいね」
ぺろりと口端からながれたスープを上目遣いに舐めとられ、ぼっと顔から火が出そうになる。この状況で顔を赤くしない人がいたら教えてほしい。
ここ数日、ベッドから動けないナヒロに、ラズファロウは甲斐甲斐しく世話を焼いてくるのはいいのだけれど。
部屋から一切出て行けないようにする必要はない。ナヒロはまだ、歩けない。松葉杖があれば歩けるのだけれど、支えとなる杖はラズファロウに回収されていってしまい、歩くことすら許されていない。
松葉杖なんて、移動手段を与ええしまえば、どこにでも歩いて行ってしまうと思われているのだろう。まあ、動ける手段があるのなら、その手段を使ってでも、行きたい場所へ行く。行きたい場所なんて、一つしかないのだけど。
ナヒロは順調に回復していくと、次第にアカリの怪我の具合が心配になってくる。アカリと別れたのは牢屋の中。牢屋から連れ出された後をナヒロは知らない。
アカリが連れ出され、行ったところはナヒロが執拗に受けた拷問部屋以外にない。
その部屋ですることといえば、アカリに対して行われる容赦のない拷問。
あの日、姉妹が囚われ、双子王子によって助け出された日のことは、ラズファロウは頑なに口を割ろうとしない。ただ、首謀者は教えてもらえた。ナヒロが長年追い続けているホラルダ一味の一人副頭領ヴェルナンディ。
手下らが使った場所とは別の場所で待機し、ホラルダの情報を探るナヒロの正体を知ろうとしていた。
罠と知りながらも、自ら敵の懐へ突っ込んでいったナヒロを捕らえた際に、予定外の捕縛となったアカリをどうするか、話し合っていたところで、二人の王子が部屋に突入し、捕縛した、まではかいつまんで聞いた。
けれど、アカリの怪我の具合は一切語られなかった。
執務のある中毎日部屋を訪れるラズファロウ以外にアカリのことを聞く相手がおらず、聞くとはぐらかされ、わからずじまいになっている。
昼食を食べ終え一息つくと、ラズファロウはナヒロに松葉杖を差し出した。
王宮専属医師がナヒロのために置いていった唯一の歩く手段だ。歩き回らないようにと、回収されたものを差し出された。
ナヒロが勝手をしないために回収していったものを、ナヒロに渡してくるということは、どちらだろうか。
ナヒロを連れて行きたいところがあるか、それとも、単純にもう歩いき回ってもいいというのか。
「なに、歩いてもいいの」
判断をしかねて、差し出された松葉杖を訝しむ。
「違いますよ。来てほしいところがあります」
連れて行きたいところと聞いて思い浮かぶのはただ一人。アカリのことだった。
「僕が抱っこしましょうか?」
「結構です!」
ラズファロウの差し出された手をぺちりと叩いた。
アカリの部屋へ行くだけだとしても、ナヒロは自分の足で行きたい。
ベッドから立ち上がり、返された松葉杖に身体を預ける。まだ少し、左足の動きが悪い。
しかし、松葉杖があればなにも問題はない。
「ついてきてくださいね」
「ええ、わかったわ」
ラズファロウが連れてきたところは、王宮にある地下牢だった。入り口でナヒロの足が止まる。
ここに捕まっているのは、山賊か、それとも……。
「山賊は別の場所にいますよ。ここには貴女の叔父さんがいます。国王の命により捕われた元領主です。処罰がくだる前に会われませんか?」
ナヒロはひどく動揺した。
怪我を治し、ヒスメド地方へ自らの足でかの地へ行き、正統なやり方でヒーオメをこの手で捕らえると決めていた。
その時にはラズファロウか、ルディラスを共に、この行為は王家の許可のもと行なっている、と示して。
そうしなくても、もうあの男はここにいるという。
とても、慎重な男だと聞く。
自分の敵だと判断したその瞬間から、領地へ入れることをしない。
ラズファロウはナヒロの驚きと動揺をわかっているのか、ナヒロを引き寄せ、抱きしめた。
耳から届く自分と違う、少し早まる鼓動に身を任せ、心を落ち着ける。
「ヒーオメを捕らえるのは大変でした」
「は?」
突然の告白に頓狂な声が出た。
「閉鎖された門を通ったはいいのですが、屋敷の玄関を開けてもらえなくて。そのあとは……」
つらつらとその時の大変さを止めどなく話していく。
話は一向に終わる気配はなく。
やっと話が終わる頃、ラズファロウは、ナヒロをより引き寄せ、顎を掴む。
「ナヒロ」
ヒーオメ捕縛の話をしていたのが、おかしい。なぜ。どうして。
上向かされたら、されることは一つ。拒絶する前に、唇は塞がれて、軽いものから徐々に深くなっていく。開いた口から押し込まれたものに、胸を叩いて抗議する。腰を支える腕がきつくなり、口づけは深くなり、ナヒロはなにも考えられなくなっていった。ナヒロは立っていられるのもやっとで、ラズファロウが支えてくれていなければ、立っていられない。ようやく離れた頃に、顔を真っ赤にして、ラズファロウの胸を押していた。
震える足は支えがなければ、ぺたりと座り込んでしまうだろう。
彼の濡れそぼった唇が妖艶に微笑む。
負けたような気がして、悔しい。
「もう、結構よ!」
真っ赤になって、ラズファロウの腕を叩いた。
「いつものナヒロに戻りましたね」
むっとなりながらも、その通りだった。緊張がほぐれている。
「悔しいけど、感謝するわ」
ナヒロは覚悟を決めた。
「殿下、会います。連れてって下さい」
牢から吹いてくる空気は、ひどく淀んでいた。
緊張をといてもらっても、対峙する相手は叔父。
ナヒロを長年苦しめてきた相手。
すぐにでも引き返したくなる足を叱咤して、先を行くラズファロウの背を追いかけるようにして、ひたすら前へ進んだ。
牢屋の一角で、ラズファロウは足を止める。
そこに囚われている一人の男の顔をみるなり、ナヒロは息を呑んだ。右手首に頑丈な手枷が嵌められ、手枷はがっちりと壁から伸びる鎖によって拘束されている。
足音に、男が顔をあげる。
木の幹を思わせる茶色の髪のあいだから覗く瞳からは生力を感じられなかった。
無精髭が生え出した顔は少しやつれている。
鋭い視線に身体がどうしてもすくむ。足が後ろへ下がってしまう。背中が誰かに当たった。振り向けば、前を見据えるラズファロウが、ナヒロの腰を掴み立っている。
肩をひと叩きされ、ナヒロは安堵した。
ナヒロは一人じゃない。
もう一度、男を見据える。
睨み付けてくる目に、逃げ出したくなる。ナヒロは息を大きく吐き出すことで、恐怖を打ち消した。
両拳に力を入れて、負けじと睨み返す。
「……っ」
この人は、ナヒロの家族を奪い、幸せな暮らしを壊した元凶。ナヒロがこの手であの男を牢にぶち込みたかった。
山賊を共謀して、行った悪事は片手では数えきれない。両手があってもまだ足りない。
税金倍額。
隣国へつながる門の通行料、倍額。
土地の使用権、割増。
にもかかわらず、通行路の整備はしない。
天候により、橋が落ちてしまっても、直さない。
彼の悪行をあげたらキリが無い。
ここまでの悪事にもかかわらず領民が反旗を翻せなかった理由がある。食糧は一家族一人分にまで減らされ、農地で作物の栽培を禁止され、心身ともに疲弊してしまい、反旗を翻せる状態ではなかった。
隣国から攻め入られた日のことは全く考えていない。自分本意の領地経営は只々領民を苦しめるだけのものだった。
こみ上げる怒りを押し殺そうと、かわりに松葉杖を強く握りしめた。
「少しだけ外してもらえますか?」
ナヒロの肩をラズファロウがひと叩きした。
もう一度叩かれ、怒りに今にも震え出しそうな身体から力を抜いた。
ここで、怒りを露わにしてしまえば、まともに会話ができない。
「はっ」
看守は敬礼をし、素早くその場を立ち去る。牢の二つ向こうへ移動した。その姿を追いながら、ナヒロは大きく呼吸をひとつした。イラつきがおさまる。
この人はもう、牢に入っている。
これ以上徴収した金を自由に使うことはできない。地方領主としての仕事も。
ナヒロは叔父を見据えた。
「お久しぶりです、叔父さま」
怒りを必死に堪えて毅然と声をかけた。
「やはり生きてたか」
ヒーオメはぎょろりと前髪から覗く父に似た茶色の目をナヒロに向けた。
「ええ」
「お前の叔父に慈悲はないのか」
「私の家族を奪っておいて、慈悲なんでないわ。聞きたいことがあります。なぜあの日、屋敷を襲ったのですか」
「くくっ、分からんか? はっ、そんなの、恨みがあるからに決まってるだろう? それ以外になにがある」
はっきりと言われて、苦しくなる。
この苦しさはナヒロだけじゃない。ヒスメド地方に住う全ての人の心にあるものだと思い、ヒーオメを睨んだ。
「あんたのことはもう叔父と思っていない。ヒーオメ、あんたのしたことは、領主の弟としてはやっていいことではなかった。なぜ、父と母を手にかけた? 兄様たちや、乳母を奪い、理不尽なやり方で領地の民を苦しめた理由は!?」
「そんなことも分からないか? そんな簡単な理由が。あの土地はな……もともと俺のものだからだ!!」
ナヒロの問いかけを最後まで聞く前に、ヒーオメは声を荒げた。ガシャリと鉄腕に繋がれた鎖がピンとまっすぐに伸びる。鎖はヒーオメが牢の部屋の中央より前へいける長さがなく、身体が前のめりになった。
ヒーオメの目はギラギラと輝いている。
あの土地は、ナヒロの父のもの。叔父のものでない。
「どうしてそう思えるのか教えてほしいわ」
ヒーオメはナヒロに「お前はやはり頭が悪いな」そう言い放つ。
「親切な叔父が教えてやろう。そのひよこ頭に叩き込んでおけ! ――いいか? お前が住んでいた土地は元々俺の屋敷が建つ予定だった。それをお前の父親は、その場所に自分の屋敷を建て、家族を作った。俺の嫁となるはずだった女とな!」
一瞬耳を疑った。ナヒロが幼い頃、母から聞いていたこととまったく違っていた。
「そんなはずない。お母さまは惹かれあって婚約したと言っていたわ」
「何を言う。兄は他に決まっている女性がいた。それが、半年、屋敷を離れている間に、メリッサとの婚約は破棄され、兄の嫁となっていた」
当時の出来事を思い出し、歯を噛みしめた。
ナヒロはヒーオメが言った名前に覚えがなかった。その疑問をそのままに投げかける。
「メリッサ? 私の母の名はメリシィルよ」
「メリシィル、だと? 嘘を言うな!!」
「こんな時に嘘を言うわけない!」
怒りの牙をナヒロへ向け、今にも噛み付かんばかりの勢いのヒーオメと、先ほどより冷静になったナヒロの間に冷静な声が割って入った。
「なるほど。貴方はとんだ勘違いをしているようです」
ラズファロウはナヒロを背にし、ヒーオメと向き合った。
「なんだと?」
ヒーオメは勘違いと指摘されたことが気に入らないのか、今度は、ラズファロウを睨んだ。
「実はですね、メリシィルには容姿のよく似た妹がいたそうです」
それがなんだと言わんばかりの目に、ラズファロウは楽しそうに目を細めた。
「よく調べれば分かることです。ナヒロさんの母親の名はメリシィル・レベッサ」
ナヒロは初めて聞く母の名に、目を見開く。
レベッサといえば、有名なのがレベッサ商会。品物を町から町へ運ぶ仕事を担っている。それは国は関係なく、頼まれたらどこへでも運んで行く。主要都市には必ずと言っていいほどに商会の支部がある。ナヒロは裏の仕事でその商会に何度か世話になっていた。
「妹の名はメリリンダ・レベッサ。商会の人間は昔からメリッサと呼んでいるそうです。姉と区別するために。ちなみに、お姉さんはシィねぇと呼ばれていたそうですよ」
ヒーオメが驚きに、言葉を失う。聞いたことがあるのかもしれない。
「その人、知っている。商会の会長だった人」
ナヒロも世話になった時に、一度見かけた。直接話はしていないけれど、母に似ているな、と思っていた。母の妹だと言われ、納得しかない。しかし、その人は。
「たしか、数年前に……」
「ええ、病で亡くなられました。実は彼女、長年病と闘っていたそうです」
「なん、だと。そんなこと、は、知らない。俺は知らない! メリッサは……、メリッサは――!」
鉄腕がガンガンと繋がれた鎖とぶつかる。看守が注意をしてきた。あまり感情的にさせるな、と。
「その当時ことは詳しく知りません。ただ、昔、レベッサ商会が商会の存続危機に立たされた時、ジェバリア家のものに助けられ、持ち堪えた、その感謝としてメリリンダさんがジェバリア家の嫁入りを言ったと商会の方から聞いています。しかし、婚約成立後に、病を発病。嫁入りが出来なくなったために、それが姉に変わり、姉は貴方のお兄さまに惚れたのではないでしょうか」
ラズファロウの説明に、ヒーオメの怒り消沈し、脱力した。
ピンと貼った鎖が力なく床にだらりと落ちる。
「俺はなにも知らない」
「いえ、ご両親は貴方に伝えていたと思います。婚約破棄となった経緯と、メリリンダさんの姉が兄のお嫁さんとなったことを。ただ、その手法が悪く、貴方にきちんと伝わっていなかったのではないでしょうか」
「そう、だったのかもしれないな」
ヒーオメは遥か昔、まだ若かりし頃に思いを馳せ、当時を思い出そうとする。
「あの時、俺が」
屋敷を離れていた頃、なにがあったのか。その頃を知るのは叔父のみ。
ヒーオメは項垂れ、
「叔父さま」
ナヒロの呼びかけに一切応えてはくれなかった。
「まさか、そんな理由でわたしの家族を奪ったとは言わないわよね?」
「そのまさかだが? 大切な、大切にしようと誓った女性を奪われた気持ちはお前にわかるまい」
その思いは当人しかわからない。
「私の家族を、一夜で奪われたこの怒りは叔父さまにはわからないわ」
「ああ、そうだな」
叔父の思い込みによって理不尽に大切な家族を奪われた、何処にもぶつけられないこの気持ちは。
怒りのままにナヒロは手にした松葉杖で、牢の鉄を殴っていた。
がぁぁん! と鉄と木がぶつかる不協和音がした。
この人もまた、大切な人を奪われた一人。だけれど、彼の独りよがりで犯したことは許せることではない。
音に驚いたのは、看守だけだった。ギロリと睨まれるが、関係ない。
「叔父さま」
今度はぴくりと反応が返ってくる。
「どんな理由があろうとも、私の家族を奪っていい理由にならない。領民を苦しめ、多額のお金をとり、使う理由にもね!」
「ああ、そうだな」
覇気のなくなった叔父は、ナヒロの言葉にただ、肯くだけだ。
他にもまだ、言いたいことはたくさんあった。だけれどこの状態の叔父に何を言っても、無駄なようだ。
「さようなら。もう会うことはないでしょうけれど、お元気で」
ナヒロは叔父がなにかを呟いたが、振り返ることなく牢を後にした。
こんな結末を望んだわけではないのに。
ナヒロはヒーオメからなにがして欲しかったのだろうか。家族を奪ったことを謝って欲しかった?
ただ、素直に屋敷を明け渡して? いや、そんな簡単なことで、長年ヒーオメを捕らえるためだけに、動き回っていたわけじゃない。
ならば、なにをして欲しかったのだろうか。
自身に問いかけるが答えはみつからず、胸がもやもやとするだけだった。
――それから数日後。ナヒロはヒスメド地方の領主となった。




