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あなたに会うまで  作者: 柚希
7幕
31/36

第1話 安全な場所で

 ナヒロは陽が昇るよりも早く目が覚めた。

 今日、やるべきことを頭の中で一巡りさせて、ベッドから起き上がった。

 動きやすさを重視した短い黒のズボン、襟が丸く、柔軟性に特化した薄い水色のシャツに着替え、黒に近い色のブーツを履いた。腰に届きそうな長い髪は、解けてしまわないように後ろできつく結んだ。

 女官に支給される外套は部屋に置き、着慣れた外套を羽織った。

 カーテンを開けた小窓から、朝陽が昇っていないことを確認した。あとはアカリへ今日の入れ替わりはなしだと伝えに行くだけになる。


 ナヒロは最後となるであろう自室を出て、アカリの部屋へ向かった。

 アカリはすでに起きていた。

 陽が昇り間もない時間にナヒロが部屋を訪れ、少し驚かせてしまった。

「おはよう」

 ナヒロは朝の挨拶をいつも通りにした。

 するとアカリから何の疑いもない挨拶が返ってくる。

 アカリは今日に限ってなぜか目敏い。ナヒロの格好を訝しみながら見上げた。

「ローちゃん、何処か行くの?」

「女官ローラは、今日月一の非番の日なのです。だから入れ替わりも今日はなし。あんたは一日、勉強頑張りな?」

 片手を上げて廊下を引き返すナヒロ外套をアカリが掴んだ。

 振り返れば、外套を掴むアカリの手が震えている。

 何かを察してしまったのだろうか。

(いつもは気が付きもしないくせにね)

 なにも伝えず、どこへ行くとも言わず、ただ出稼ぎに行くと言った夜。

 情報が全く掴めず、気落ちして村へ帰った夜。

 アカリは何の疑いもなく、笑顔でナヒロを見送り、そして迎え入れた。

 今日もそうなると思っていたが。

 王子たちがアカリへ何か頼んだのだろうか。それとも、悟ったのだろうか。ナヒロが城外で夜な夜なしていることを。

 焦っているようにもとれるアカリの顔はどちらともとれなかった。

「き、今日は、お勉強お休みなの」

 見えない何かに怯える様を隠すようなひきつった笑顔をナヒロへ向け、アカリは外套を掴む手に力を入れる。

「へぇ、そうなんだ」

 ナヒロの非番に合わせるかのように、勉強が休み。なんて皮肉な。

「だからね、今日は久しぶりにローちゃんと居たいなって」

 常にナヒロにべったりなアカリが城へきてから変わった。女官の仕事が楽しいのか、朝から昼までの短い間、入れ替わる時間はとても楽しいのか、部屋を早々に出て行く。姉のナヒロを振り返ることのないその行動力は一体どこから来るものなのか。

 アカリと共にいる、ルディラス王子が女装した姿のリンスレットが原因かもしれないけれど。

 勉学の時間が休みになることは、殆どない。ナヒロがヒスメドの屋敷で、教養の時間は、余程の行事がない限り毎日続いた。

 休みになるなんてことないのだ。休みにしたのは誰の入れ知恵かは聞かずとも分かる。双子王子のどちらかであり、間違いでなければ、きっと。

 ナヒロが思いつく男は第一王子ではなく、第二王子の方だった。案外違ってはいないだろう。

「あんたは、ルディラス殿下といればいいじゃない」

 ナヒロは外套を掴むはアカリの手を強引に引き剥がした。普段から力仕事をしているナヒロの力はアカリより強い。

「ルディは、今日、忙しいの。ねえ、ローちゃん、出かけるならあたしも一緒に……」

 視線が泳ぐところを見逃さなかった。アカリは何かを隠している。


「何言ってんの、あんたはここにいな。いつもべったりしてるでしょ」

「してないよ。執務で忙しいから!」

 会えるのはいつも夕食が終わってからだと、言い張るアカリは知らない。アカリと会う時間を作ろうと、会っていない時間は(女官に化ける時間を除いて)執務に追われていると。国王が不在の今、第一王子であるルディラスは国王代行をしている。業務が滞らないように、国王権限でならかばならない事案以外の採決を、彼はこなしているのだろう。

 詳しくは知らないが、相当忙しいはずなのだ。

「あんたって子は」

 指を額にあてて盛大に呆れた。どうして気がつかないの。声にならない声をあげ、アカリを見下ろした。その目はとても冷めている。

「気がつきなさいよ! あんたのそばに毎日いるのは誰よ?」

 毎日常にいる人。それはルディラス。そういう答えが返ってくるかと思えば。

「ローちゃん?」

 妹から返ってきた答えは、ナヒロをイラつかせるものだった。

 村にいるときはそうだった。けれど、今は? ――ナヒロではない。

「違うでしょ!」

 ローラは地団太を踏んだ。アカリの耳朶を掴み、引っ張った。アカリが痛がる。

 近づけた耳に内緒話をするかのような近さで、ナヒロは呟いた。

「リンスレット」

 アカリは目を見開き、ぱちくりとした。それは当然でしょうと言わんばかりの顔に苛立ちが募る。

「彼女はルディラス殿下が化けた姿。いい加減、気がつきな」

「え、リンスは違うよ」

 アカリが首をかしげる。

「呆れた。どうして気がつかないの? そういうところ鈍いわね、あんたは」

 そんなこと言うつもりはなかったのだけれど、一度タガが外れた口は止まることなく思ってもいないことを言葉にしていく。これ以上アカリを傷つけたくないというのに。口は止まらない。

 予想しない答えにアカリが放心状態になったところで、ナヒロは優雅に外套を翻す。

 冷静にならなければならなかった。アカリに酷い言葉をこれ以上言わないように。

 アカリの手はあっさりと外套から離れ、支えを失ったアカリは崩れ落ち、絨毯にぺたりと座り込んだ。

「ダメ、待って!」

 ナヒロが扉を開け放ち、廊下へ出て行こうとし、はっと意識を取り戻す。

 もう一度、外套を掴もうとしたアカリの手を華麗に避けた。バランスを失い、床に転ぶ。

「もし、戻らなかったら……ごめんね?」

 ナヒロは廊下へ出た。閉まる扉の向こうからアカリがナヒロの名を呼んだ。



 朝早い時間の城下は、昨日のお祭り騒ぎの後片付けをする人や店開きの準備に追われる人、届いた野菜を厨房へ運び込む人など、様々だ。

 早く起きた子供たちは、道に落ちている平ぺったい紐を持って走り回っている。紐の先端が風に揺れ、空をゆったりと泳ぐ。

 紙切れに書かれていた時間は六時であろう。六枚目が、実行時間になるだろうと予想した。が、それに続く森が何を示しているのか判らない。

 判らなくとも、時間さえ判れば、相手が仕掛けてくる前にこちらから、攻撃なりなんなりと仕掛けられる。

 城から降りてくるナヒロを捕らえると仮定するならば、通れる道はただ一つしかない。

 その道が繋がっているのは、城下でも一番を誇る広さを持つ広場になる。ここへ知らずに現れたナヒロを捕らえる作戦だとしたら。彼らの捕縛作戦が成功すると信じ、広場で待ち受ける彼らを陰から襲撃することが可能になる。

 一人の女に対して何人の男が用意されているか判らないが、広場で男たちとナヒロが暴れれば、事態鎮静のため警邏隊が現れる。警邏隊が彼らを捕縛してくれる、と信じて。

 ナヒロは城と城下を繋ぐ道からちょうど対となる場にある店の前に積み上げられた樽の影に身を潜めた。

 陽が地平線から顔を出してからもうずいぶん経つ。

 朝靄が広場を薄らと覆っているけれど、ナヒロにはなんの影響もない。

 待つこと数分。

 裏通りへ繋がる道から四人の男たちが気怠げに歩いてきた。

 伸ばした髭の奥に、笑みを溢し広場に入ってくる。服は清楚といえるようなものではなく、ぼろい。外套で上の顔半分を隠した彼らは、広場から除く城の尖塔を見上げた。

「おい、予定通りに」

「わかってる」

 先頭に立つ男が、にたりと粘着質な笑みをした。

 残りの三人がそれに続き、城へ繋がる道へ足を向けた。門から中へ、怪しい男は入れない。門前払いをされるのがおちなのに、なんだ、あの自信に満ちた笑みは。

 城へ入り込む策があるというのだろうか。

 そんなもの――。

 ないと思いかけて、ナヒロは首を振り、心の中で舌打ちした。ナヒロが見つけ、毎夜のように使う抜け穴。もし、それを彼らが知り、侵入させる自信に繋がっているとしたら。

(アカリが危ない!)

 強固な防御を誇る城だとしても、一つ抜け道が有れば、そこは強固な守りの場ではなくなる。

 アカリを安全な城の中に置いてくるために打った、心苦しい芝居が意味をなくす。

 何のためにアカリを城の守りの中に置いてきたのだ。

 ナヒロは樽の影から飛び出していた。その勢いのままに、地面を蹴り飛ばし、最後尾を歩く男の背中に飛び蹴りを喰らわせる。

 油断した男は前のめりに、体勢を崩すも、その場でタタラを踏む程度だった。

 勢いが全然足りない。

 女の力ではいくら助走をつけたとしても、男を倒れ込ませる威力はなかった。

 もう少し飛び蹴りの練習でもと後悔してももう遅い。

「いきなりなにしやがる!!」

 突然の後ろからの攻撃に、怒りを露わにした男が振り向いた。振り向きざまに、何かがきらりと光る。

 昇った陽の光を弾くそれは――剣身。今日のためにか、よく磨かれている。

 あれに対抗する術はナヒロにない。

「ん? お前、だれだぁ?」

 ナヒロはフードから出た口元を歪めた。

「わたしはハーネット・マイヤンス」

 近頃使っている偽名を名乗ると男たちが歓喜に色めき立つ。探していた人物がわざわざ出向かなくとも現れた。と、暗に語っているかのように。

「お前か。俺たちを嗅ぎ回っている女は」

 剣身をナヒロに向けたままに男は挑発してきた。

「嗅ぎ回るなんて心外ね。調べさせてもらっただけよ」

 ナヒロの目の前に立つ男は、頬に一本の古傷があった。他はフードに隠れ見えない。それはナヒロも同様だ。フードに顔を隠し、顔を見せていない。

 騒ぎに睡眠を邪魔され起き出した町の人は、外の光景に息を呑んだ。関わってはならない。と、自身に言い聞かせ、窓の外でこれから起きようとしている事態に家の中で息を潜め、静観していた。

 ナヒロたちの周りには、家の中で、事態を見守る人以外に、数人の町人が集まる。関わりのない町人が巻き込まれないように、囲いがつくられていた。

 そこでナヒロは、やられたと呟いた。忘れていた。この町では危害が及ぶ前に、揉め事の周りを囲うだけの職業があることを。その場面をナヒロは何度となく見てきた。

 それなのに、すっかり頭から離れてしまっていた。騒ぎを起こす場を選び間違えた。後悔してももう遅い。ナヒロの逃るルートがなくなってしまった。

 男たちは、この瞬間、ナヒロより優位となったことを悟った。表情が悦びに変わる。

 いや、これはもしかしたら。

(やられた!)

 男たちはナヒロを囲う男たちを買収していたのだ。

 でなければ、騒ぎとも騒動とも言えない、この状況で、関われることはない。どちらかが手出しをしない限り、町の人を守る名目で現れる彼らは動かない。

 ナヒロを引っ掛ける罠は二重にかけられていたことを悟った。彼らはホラルダの部下。

 用意だけは周到に。実行は確実に。

 そういう山賊だ。

 買収されていただなんて。焦るナヒロに、もはや逃げ場はなかった。

 彼らが優位となったことでナヒロは、内心焦る。顔に出してしまえば、男たちの思う壺。必死に表情を取り繕が、うまくできない。

「ふん、大人しくきてもらおうか? 威勢のいいお嬢さん?」

「お断り、したら?」

 冷や汗がこめかみを伝い、頬を濡らす。

 策が。

 策が、思いつかない。

 こちらに優位になる方法が、焦った脳内ではなにも。

「力尽くでも来てもらおう!!」

 その言葉を合図に、周りを他の男たちが固めた。二重の囲い。これで逃走する道が完全に絶たれた。けれど、負けない。抜け道はある、はず。

 けれど、ナヒロの思惑はあっさりと砕かれた。正面から剣が振り下ろされ、なんとか左へかわした。けれど、他の男たちに囲われたこの状況で、避けるだけでは駄目だった。

 地面に左手をつき、顔を上げた。

「!!」

 再び剣先が向けられ、太腿に隠し持った短刀を右手で引き抜き、それを受け止める。しかし、力の差は歴然。押される力に負けまいと、左手を使おうとした瞬間。

「――っぅ!」

 左手は別の男の足に強く踏まれた。かかとで甲を踏んづけられ、痛みに、片目が閉じた。

「やれ!」

 両手が塞がったナヒロの背中から、別の男が、首に紐を巻き付けた。

 ぎゅうと引き絞られ、呼吸を奪われる。

 手から短刀がほろりと離れた。

 苦しい。

 空気を求め、もがく。

 それすらも男たちを歓喜させ、地面へ叩きつけられる。背中をやつらへ向ける格好になってしまった。

「――!」

 右手で締められる紐を、左手は地面に縛りつけられ、身動きの取れないナヒロの身体は、男たちの足によって踏みつけられた。

「俺たちを怒らせたこと、じっくりと後悔させてやるよ」

 動く力を奪った後、これで最後とばかりに背中へ向けて、足が振りあげられた。

 一人のげびた嗤いは朦朧とする意識の中で、何重にも聞こえる。降りてくる打撃に耐えようと、覚悟を決めたとき。

「……ロー、ちゃん!」

 ローラを庇うように、覆いかぶさってくる温かいものがあった。勢いよく出された足は突然の乱入者に止められない。

 乱入者の背中へ足が踏みつけられた。その衝撃は庇われたナヒロにも響いてくる。

「……っ」

 ナヒロを庇った人――アカリは痛みに耐える。ナヒロの外套を強く掴んだ。

「誰だおめぇは!」

 蹴り上げた男が、突然の乱入者に不愉快な声を上げた。ナヒロにもたれるアカリを引き剥がしにかかるがら引き剝がされまいと、ナヒロにへばりつく。

 男が、アカリを引き離そうとすれば、ナヒロの外套離すまいと抵抗する。

「ア、カリ? どうしてっ」

 巻き込みたくなくて、城へ置いてきた妹が何故ここに。

「ローちゃんを、一人になんてしないよ」

 普段なら嬉しくて、喜んでしまうところなのだけど、今は嬉しくない。

 ナヒロの前に立ち、見守っていた男が動いた。


 逃げて。


 ナヒロが庇おうと動かない身体を叱咤し、腕一本がゆっくりと動く。けれど覆いかぶさるアカリがナヒロの動きを封じてしまう。

 男は離すまいと握りしめたアカリの手を、あっさりと外套から引き剥がしてしまうと、アカリを見下ろした。怯えた顔に笑みを浮かべ、外套に手をかける。派手さを抑えたドレスが男の前に露わになった。

「そこの女を逃すなよ」

 ナヒロを囲う男三人が返事を返した。ナヒロを後ろ手に縛り上げ、立たせる。力の出ないナヒロは膝立ちから立ち上がれない。

 自分の身よりも大切なアカリが心配で、そちらへ目を向ければ、呻き声すらも封じられ、力なくくずおれたアカリの姿だった。男は軽い荷物のように、難なく肩に担ぎ上げてしまう。

「やめて!!」

 悲痛な叫びへ男たちを喜ばせるだけだった。

「そっちも連れてこい」

 アカリ同様に、鳩尾に強烈な拳を入れられたナヒロは、意識をなくした。

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