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あなたに会うまで  作者: 柚希
6幕
29/36

第8話 武闘大会 -当日- 2

 後ろへ引っ張られた勢いで左足を軸にして、身体が半回転した。肩を強かに壁へ打ち付ける。

(しまっ!)

 紙に書かれた内容に気を取られ、警戒を疎かにしてしまった。

「――っ!」

 痛みに耐えている隙に、容赦なく両肩を片腕で押さえつけられた。

 首元になにかを当てられているような感覚がする。冷たさを感じない。刃物、ではなさそうだ。

 刃物でなくとも、危険なことに変わりはない。ただ、斬りつけられる心配がないだけ。

 押さえつけられる強い力に屈しまいと、両手で、一番近い相手の外套を引っ掴んだ。

 滑らかな外套は、触り心地がいい。滑りの良さに、破落戸ではないと直感した。

 破落戸ならば、生地の荒い安い外套を好んで使う。ホラルダ一家でもない、が。ナヒロを押さえつけた相手が誰だとしても、行く手を阻むと言うのなら、手段は選んでなんかいられない。

 痛さに閉じてしまった両眼の片方、左眼を半分開ける。

 王城で働く者が着る外套が見えた。掴んだ外套の隙間から見えたスカートの色やデザインは……城の女官のもの?

 やはり、ホラルダではなさそうだ。一息つくも、まだ相手が誰か判っていない。相手の警戒心を解くために女官のスカートを履いているだけかもしれない。安心するにはまだ早い。

 華奢そうな見た目は、男性というより女性に近い。上背はあるが……。

(この人、腕が鍛えられている)

 華奢にしては、腕が筋肉質で、女性にしては押さえつける力が強い。少し呼吸が苦しくなってきた。

 ゆっくりとスカートから上へ視線を移していくと、フードの影に長い髪が見えた。

 ナヒロが城から出てきた時間、非番の人はもう殆ど残っていなかった。ナヒロが直接門番に聞いたから間違いない。

 城の皆は、城下へ遊びに行っている。

「……くっ」

 相手は衣服の乱れがないのに対し、ナヒロは被っていたフードが押さえつけられた反動でとれてしまい、顔を晒してしまっていた。身元を知られたくないナヒロにとって、あまりいい状況でない。

「なに、か……御用?」

 言葉を出すのが、苦しい。相手を知るための探りを入れる。声を聞ければ性別ぐらいは判かりそうだ。

「……何処へ、行くつもりですか?」

 発せられた声は、少し低く、女性のようにも聞こえるが、青年のようにもとれる。どちらだ。

「あなたに関係ある?」

 動揺したのか、腕が緩み、空気が肺に入ってくる。外套を掴む手に力を入れた。

 ナヒロの問いにフードの中で相手が冷淡に笑った。

 ナヒロの首に当てられた腕が下され、フードの端に手がいく。

「関係? 大ありですよ」

 ばさりと下されたフードの中の顔は、ナヒロが久しく会っていない女性。ケヴィンの助手、レイカ。

 声質から、男性だと思ったナヒロの予想は違っていた。

 突然のことに反応が遅れる。

「――っ!」

 見知った顔は腰に手を置き、ナヒロを見下ろした。

「レ、レイカ!?」

 ナヒロの記憶よりも、大人びた女性に成長していたレイカは、両肩を押さえつけている腕を離し、ナヒロを解放したように見せかけただけだった。

 フードを払った手がナヒロの左側の壁に手をつく。ナヒロが逃げていかないように、だろうけど再び押さえつけられいる腕がもがいても、ビクともしない。

「お久しぶりです」

 瞳を細め、友好そうに見せかけて、その実、そうではない。相手を油断させる為だけの笑顔に、誰が頭をかすめていった。こんな風に笑う人を性別は違えどナヒロは知っている。

 双子王子の弟。

 まさか、彼がここにいるわけでもあるまいし。

 大会の主催は王家だ。大会ぎ終わるまで観戦しているはずなのだから、彼ではない。

 大会は終了の合図がまだ鳴っていない。早くしなければ、ナヒロの兄の名を騙る人物を見逃してしまう。

「は、はなして」

「何処へ行くつもりですか?」

「関係ないでしょ? ケヴィンに頼まれた?」

 ナヒロは昨日ケヴィンを訪ねている。ナヒロが去った後、彼から話を聞いて、止めに来てもおかしくない。

「ええ、そうです」

 即答に、やはりな、と思った。

「それじゃあ、もう知っているでしょ? 出場者のリストに」

「貴女の兄の名前がありますね」

 レイカは冷静にナヒロの言葉を続けた。

「誰が兄の名を騙っているか、知ろうとしてなにが悪いの!」

「なにも悪くありませんが……あれは罠です」

 知っている。

 その名に覚えのある人は、そういない。

 罠だと知っていても、それでも許せない。危険と知りながらも、余計に誰か知らなくてはと思う気持ちの方が上だった。

「判ってるから、止めないでよ!」

 兄の名で大会にエントリーしていることが、どう言うことか判っている。

 その名前を見た妹が、大会に姿を現してくる。なにも知らないところを捕らえようとしていることぐらい、ナヒロにだって判っている。

 だから、ワザと捕まりに行くのだ。

 捕まれば、叔父の元へ連れて行ってもらえる。叔父の前に突き出されたとき、その場で言うのだ。

 領民の生活を鑑みない貴方はもう、領主じゃない、と。

 身体がボロボロになってもいい。

 口が動きさえすれば、言葉は伝えられる。

 ナヒロを離すまいと、レイカの腕の力が強まった。苦しさが増す。

「危険です。行かせません」

 冷静なレイカにナヒロの怒りに火がついた。

 知っている。

 なにもかも判っていて、危険に飛び込むくらいなんでもない。

 もう、待つのはイヤ。

 ナヒロは十八になった。

 領地が自分のものだと主張できる歳なのだ。

「離して!!」

 レイカから離れようと、もがき、そのはずみでレイカの髪を引っ張った。女性の髪を引っ張ることは良くないと知っている。髪が抜けるのはとても痛い。

 けれど、レイカの髪を掴んで引っ張った。掴んだ髪は、抵抗することなく、ずるりと、髪が頭から滑り落ちた。髪の中から出てきたのは、金色に光る、珍しい色。太陽光が高く聳え立つ建物で届かなくても、綺麗な髪は輝きを失わない。後ろで結ばれていた髪が解けると、肩にかかりそうな長さがある。


 ――ラズファロウ。


 震える唇でそう紡いでいた。

 ナヒロは掴んでいる長い髪を親指で無意識に触る。人の髪の毛のように触り心地が滑らか、でも。

 明らかに人のものとは違った。

 これを被っていた人物は、にこりと笑いながらもその瞳の奥に、なにかを飼っているような獰猛な目をナヒロに向けてきた。

 助けを呼びたかったのか、この状況を変えたかったのか。どちらか判らないが、ナヒロは咄嗟に叫ぶ。

「キ、ッ―――!」

 叫び声をあげる前にラズファロウに口を塞がれた。ふにゅりと、あてたれた唇は柔らかい。

 長い口づけは、慣れないナヒロの呼吸を止めた。合間に空気を求めて開いた唇に、再び口づけが降りてくる。

「!!」

 口の中に侵入してきものに驚いてラズファロウの胸を叩いた。けれど、両手を壁に押し付けられ、抵抗する力を奪われる。

 それからも、慣れない口づけは続き、ナヒロの抵抗力を奪うと、唇が離れた。と同時に手が解放される。力の抜けた身体はずるりと壁を伝って地面に座り込んでしまった。

 足に力が全く入らない。

 挑戦的な目で見上げるナヒロの顔は真っ赤に染まっていた。

 この人の思うようになってたまるかと、唇をこすりながらも睨みつけると、ラズファロウが睫毛を伏せた。心なしか、口角が落ち、笑みをたたえた顔は少し翳り、残念そうに見えるが。

「行かせません。貴女は、僕の大切な人なんですから」

 戦慄くナヒロに、ラズファロウは、勝ち誇った笑みで見下ろしてきた。

 ものすごく、むかむかする。

「迎えを越させますから、大人しくしていてくださいね?」

「誰か、大人しくなんて!」

「もう一度、してほしいんですね?」

 ラズファロウは屈みこんで、ナヒロの顎を掴んだ。

 至近距離に、胸が異常なぐらい高鳴った。かっと頬が赤くなる。

 近づくラズファロウの顔に、ナヒロは、両手で抵抗した。彼の顎に両手で、首がぐきりといいそうな勢いで、抵抗した。

「大人しくしていますから!」

「……残念です」

 心底残念そうに嘆息して、髪を縛り直す。鬘を被り、動けないナヒロに覆いかぶさるようにして、両腕を壁について、再び覆いかぶさってくる。

 さっさと行ってほしいのに、彼はナヒロの前から動かない。

 動かないと約束をしたのに、まだなにがあるのかと、彼の動きに、警戒した。ナヒロの腰に手を置き、くるりと二人の体制が変わる。

 今度は膝立ちになったナヒロの足は未だうまく力が入らず、ラズファロウにもたれかかるのを、彼の腕に両手で掴まったことで逃れた。

 すがりつくよりいい。

 腰の手がナヒロをラズファロウに引き寄せ、彼の手によってフードを被させられた。

 周囲の景色が、一気に狭まる。

「ちょっと!」

 抗議の声をあげると、唇に手を当てられた。

「静かに」

 腰を引き寄せられる。バランスを崩して、ラズファロウの腕に縋りつく。

 二人が来た道から数人の足音が聞こえてくる。

 先程の男たちが戻ってきたのだろうか。ラズファロウには強気で危険なんか怖くないと強がったものの、やはり、怖い。腕を掴んだ手に、自然と力が入っていた。それを感じ取ってか、ラズファロウに顎を掴まれ、引き寄せられると唇が重なった。今度はさっさと違い、乱暴さはないのだが。

 フードの後ろに手を回され、腰をさらに引き寄せられ、身体がぴったりとラズファロウにくっつく。

「おい、そこの……」

 男の声が背後からする。ぴくりと反応したナヒロに、ラズファロウの口づけが深くなった。

 少し鼻につく声が出てしまう。

 ナヒロの声に、熱中していると勘違いした別の男が、仲間を止めた。

 壁際に背を預け、スカートを履く女性が、華奢な腰を離さないとばかりに引き寄せている。相手は、フードを被っているも明らかに女性にしか見えない。女性同士のいちゃつく姿は、男たちの目から、なにやらいけないものを見たような気にさせてしまったらしい。

「やめておけ」

「悪い。ねぇちゃんたち、邪魔した」

 男らは謝罪したのち、大慌てで大通りへ向かった。

「んー! んんー!」

 ナヒロが抗議して、口づけはあっさりと終わった。空気が吸えてほっとしたナヒロと対照に、ラズファロウは走り去った男らの去った先を睨み、ナヒロを抱き寄せる。

「貴女が巻き込まれる前でよかったです」

 小さく呟かれた安堵の一言に、ナヒロは脱力した。

 自分だけが犠牲になり、領地が取り戻せるのなら、それでいい。周りを巻き込みたくないと思っていた。

 けれど、この人、ナヒロを案じてくれている。

「ナヒロ。一人で危険に飛び込んでいくのは、勇気ある行動と思う人はいません。あと少し、僕に時間をくれませんか? もう少しで、貴女の叔父は領主でなくなる。それまで、城で待っていてくれませんか?」

 ナヒロはハイ、と答えられなかった。

 あと少しとはどれくらいの期間のことなのか。

 もう待ちたくないのに、不思議とこの人が言うなら待ってみようかと思ってしまう。

「おい、ラズ……っと、レイカ」

「やあ、ルディ」

 ナヒロの腰を抱いたまま、ラズファロウは現れた別の女性に手を振る。アカリの指導者、リンスレットだ。

 けれど、よく見れば、女装をしたラズファロウと瓜二つに見える。ラズファロウは彼女のことを、“ルディ”と呼んだ。

「な、な!」

 リンスレットはルディラスが女装した姿だった。



 ナヒロは、ラズファロウに連れられ一旦ケヴィンが潜む宿屋へ強制的に連れて行かれた。

 ラズファロウはナヒロを部屋へ押し込むと大会を閉めてくると言って、出て行った。

 ケヴィンはナヒロが持ち込んだ紙の束に目を通している。時折感心しながら、紙の束を閉じた頃合いを見計らい、ナヒロは彼に近づいた。

 ナヒロは、ケヴィンが吸殻を押しつけたテーブルを思い切り叩いた。灰皿が飛び上がって、吸殻が周りにこぼれ落ちる。

「ねえ、ケヴィン?」

 音に飛び上がり、半ば硬直しながらナヒロを見上げたケヴィンを覗き込む。

 怒りを露わにしたナヒロの笑顔に、顔を引きつらせた。

「貴方……レイカがラズファロウ王子だと、はじめから知っていたでしょう?」

 そのことかと、入った力を抜き、当然だとばかりににたついた笑みを向けてきた。

「知らないわけがないだろう。俺はあいつら専属だ」

 あいつらということは、ルディラスも含められているらしい。ということは王家もしくは王子へ情報を与える情報屋。王家からお金がそれなりに入る。だから、一つのフロアを全て借りられるのだ。なぜそんなことが出来るのか不思議に思っていたが、なるほど。出どころは国のお金か。

 知らなかったのは、ナヒロだけなのだろう。

「しっかし……やっと言ったか、あの男は」

 ケヴィンはからかいを含んだ笑みを向け、葉巻を灰皿に押しつけ、火を消す。頬杖をつき、ナヒロをぴっと指す。

「まぁ、感のいいお前をいつまでも騙し切れると思っていないからな。ようやっと俺の肩の荷が降りるわ。お前に聞かれるたびに冷や冷やしたぞ」

 ナヒロは尋ねるごとにレイカがいないことをついていた。ケヴィンの助手と名乗っておきながら、側にいて、手助けをしていないのはおかしい。何回かに一回会えないならまだしも、毎回会えないとなると、どうしているのか気になり、問うてしまうのも仕方あるまい。

 情報屋は会話から情報を盗んでいく。この短い会話でもケヴィンは何かをとったかもしれないが、会話よりもケヴィンが紙束から手を離さないその紙にこそ、隠れた情報があるのかもしれない。

「それって“一つ”って、事かしら?」

 ナヒロから情報を取られてばかりじゃ、気に入らない。

 だから、今回ばかりは、とってやる。

「まさか。お前を騙している事以外に俺の肩の荷を重くしているものはないさ」

 目が一瞬、きょろりと動いた。

 まだ、他に何かある。

 なんだろう。探りを入れなくては。

「ほんっと貴方って、情報屋に向いてるんだか、向いてないのだか」

「どういう意味だそれ!」

 テーブルに両手をつき身を乗り出してきたケヴィンに対して、ナヒロは呆れるそぶりをしながら行儀悪くテーブルに半分座る。

「誤魔化さないで」

 ナヒロはケヴィンの両眼を片手の人差し指と中指で指し示し、動いた方向へ振った。

「目が少し動いたわよ」

 指摘すると、ケヴィンが苦虫を噛み潰したような顔をして、前髪をぐしゃりとかき揚げると、椅子に座り直した。

「ち、お前、よく見てるな」

「なめないで。何年通ってると思ってるのよ。他に何を掴んでいるか、吐いてもらいましょうか? 二人が戻ってくる前に」

 ケヴィンがナヒロへ心底嫌そうな顔をした。

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