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あなたに会うまで  作者: 柚希
1幕
2/36

第2話 惨劇の跡

「お母さま、何処に行くの?」

 玄関、裏口とはまた別の屋敷の中でも、数人しか知らない地下通路の出口はまだマークされていなかった。おかげで無事に外へ出られたメリシィルとナヒロは、屋敷の塀の外で生い茂る森の中にいた。

 木々が作り出す闇に紛れるように、ナヒロを座らせた。

「まだ、お父様も中にいらっしゃる。それに、ダセスもあそこから逃がさないと。だから、ここで一人で待てるわよね? 誰かが入り込んでくる気配があったら、すぐにここを立ち去りなさい。いいわね?」

 それでも心配で、顔を歪めるナヒロに、メリシィルは頭をなでた。ナヒロを安心させてくれる暖かい手が離れていくと、思わずその手を掴む。いつも安堵を与えてくれる母の手が、ぎこちない。なぜだか余計に不安にさせられた。

「やだ、行かないで」

 離れたら会えないような錯覚に襲われて、ただをこねる。そうすれば母は引き返さないで一緒にいてくれる。

「大丈夫。また会えるわ」

 メリシィルは、額にキスをおとした。

 いつもよりも少し長い。それがナヒロを余計に不安にさせた。ナヒロを不安にさせまいと無理やり笑みを作りそこねて、引きつった笑いをする母をこれ以上止めることはできなかった。

 素直に木陰に隠れると、「いい子ね」と小さく言われ、メリシィルは元来た道へ引き返して行った。

 メリシィルが戻った屋敷から、剣戟(けんげき)の音が激しく、どこかに火が放たれ、玄関側は赤く燃えていた。

 母から渡された父の首から下げている家紋を両手で挟み、祈る。

 ――無事、みんなが笑顔で会いに来てくれますように。



 暗い暗い森の中、ナヒロはひたすら祈り続け、風で擦れる木の葉の音にビクつきながら、気配を殺して待った。

 母の声、兄たちの声、タキの声、父の声が「ナヒロ、もう大丈夫だよ」と言って、家族みんなで再び笑い会える日を――。



 朝陽が昇り、森が明るくなる。屋敷からの音は静かになり、騒ぎはなりを潜めた。

 屋敷の者たちが、賊を追い払ったのだろうか。

 賊が追い払われたのなら、母が迎えに来てくれてもおかしくない。動かないで、と言われている以上静かになった屋敷へ戻ることもできない。待っていれば、きっと来てくれる。そう信じたくても、隠れたナヒロを迎えに来てくれる気配かない。

(もう少し、あと少しで……)

 きっときてくれる。家族が、タキがナヒロの事を忘れるわけがない。

 信じて信じて信じ続けて、そのまま一日が過ぎ、そして一夜を過ごした。夜の風は屋敷で聞いている音と違って妙に恐ろしく、ナヒロは恐怖に震えた。

 ナヒロが隠れてから二度目の朝。やはりナヒロを探しに来てくれる人はいない。

 離れたくなかったが、このままここにいても誰も来てくれないなら、仕方なく自分から屋敷へ戻ることにした。

 賊はギオムの兵たちが一人残らず追い払っているのだから。

 メリシィルが使った地下通路を使い、中へと入る。ひんやりとした地下通路は、暗くてジメッとし、静かだ。

 ニ日ぶりの我が家。

 通路を抜けた部屋は、特に何の変化も見られない。違うといえば、割れやすい置物が床に散ってしまっている程度か。

 廊下に出ると、ひんやりとした空気と、血生臭い悪臭。床には兵、従者が倒れていた。床には黒いシミがいくつもついている。

 床に転がる兵士へ恐る恐る近づき揺さぶってみるも、何の反応も示さない。

 寝ているだけなら、こんなうつ伏せの寝方はよくない。五歳の非力な力で何とか横を向かせると、兵士の顔を覗いた。

「ねぇ…………っ!!」

 小さく息を呑み、後ずさる。

 兵士は目を見開いて――生き絶えていた。

 その顔は蒼白で、血の気がまったくない。

 慌ててその場を走りさっても、何処を走っても、皆、動かない。生きているものは誰一人いない。

(父さま、母さま、ダセス兄さま、キィラ兄さま! どこにいらっしゃるの?)

 四人の姿を探し、ナヒロは屋敷中の廊下を走った。

 タキ、ダセス、メリシィルの三人を厨房前で、キィラール、ギオムはキィラールの執務室で。廊下に転がる兵士と同様だった。

 母を、父を、兄たちを兵士と同じように血まみれた身体をゆするが、起きない。

 手を握っても握り返してくれない。腕を、動かしてくれない。

 握った手は冷たくて、とても人間の手だとは思えないほど、硬くなっている。

「お父さま、ナヒロが帰ってきたよ。だから、ぎゅってしてよ。頭なでてよ。ナヒロ、お母さまの言うとおりずっと、隠れてたんだよ。いい子でしょ?」

 だから、お願い――私を置いていかないで。私を一人にしないで……。

 父の手を握ったままナヒロは願った。



 声をあげずに、泣き続けていたナヒロの耳に人の声が聞えてたのは、現実を受け入れられず、呆然としてまもなくのことだった。

 父の手を離し、廊下へ出る。

 玄関口はそこから、数メートル歩くと窓から見ることができる。

 窓からそっと覗くと、夕日を浴びながら、門をくぐる二つの影。

 一人はナヒロがよく知っている人。もう一人は見たことのない男の人だった。

 二人の会話は、門から玄関に近づくにつれ、二階にいるナヒロの耳にもはっきりと聞えるようになる。

「……ナヒロが見つからなかった? 俺が頼んだ依頼と違う。一家を皆殺しにしろと言ったはずだが?」

「メリシィルが逃がしたんだろう。ナヒロが何処から出て行ったのか丸っきりわかりゃしねぇ。下の奴らにも探させてもどこか検討もつかねぇ。だから、あんたに来てもらったんだ。あんたなら分かるだろ? この家の構造」

「ここの家のカラクリを任されたのはこの俺だ。知らない場所はない」

「!!」

 この声は、忘れるはずがない。紛れもない父の弟の声。

 玄関を蹴り開けると、遠慮も躊躇もなく中へと二人は消えた。

 この会話を聞いたナヒロは、恐怖で足がすくんだ。

 逃げなければ殺されることは分かっている。

 話している相手は、二日前の夜ナヒロの一家を襲った賊の頭なのだろう。

(逃げなきゃ。私が、伝えなきゃ。本当の事を、教えなきゃ)

 ナヒロが使った地下通路は暴かれているだろう。叔父が屋敷の構造を知り尽くし、メリシィルが逃した見つからない道といったら、地下通路しかない。

 その地下通路を使ってナヒロは屋敷へ戻って来てしまっている。普段使わない通路には、埃がたまり、足跡がくっきりと残っているだろう。

 早く屋敷から、父の側から離れなくてはならない。

 ナヒロは、握りしめる父の手を、そっと離して――立ち上がった。

 裏の出口は使えない。他の出入り口は玄関だ。玄関へ行くとなると、凶悪な二人に出くわすことは避けられない。隠し通路がある部屋は玄関に近い部屋に隠されているのだ。

 窓から飛び降りるにしても、骨折は免れない。よくても捻挫程度で済むかもしれないが。

 廊下にいては、すぐに見つかるのはナヒロでも分かる。近くの部屋にそっと入り込み、そっと窓から裏口を見る。

 そこには、やはり。叔父と、賊がそこにいた。見上げられたら見つかる。壁にべったりと張り付いて、身を潜める。

「足跡はない。とすると、俺が考えた地下通路を使ったか。そっちを探すぞ」

 裏口から玄関へと周りこんで行く姿をそっと窓から確認すると、窓を開けた。

 実はこの窓、立て付けが悪いのか、ちょっと動かすだけで木がきしむような音を出す。音を立てずに開けられるこつをダセスから聞いていたし、ナヒロは実際にやってみたことがある。

 ダセスが昔教えてくれたことがあった。

 両親も長兄キィラールさえ知らない二人だけの秘密の逃げ道。屋敷の外へ出る、通常では考えられない道だ。

 時間はかかったが、何とか窓を開けると、狭い隙間から外へ這い出た。子供の身体であれば、大人よりも狭い幅で外へ出られる。

 外壁の少し出っ張っているところに足を半分かけ、一息つく。窓枠を両手で掴んだ。

 窓のすぐ傍に、屋敷の中で特に大きな木が生えている。そこにナヒロは意を決して飛び移った。

 足で強く壁を蹴り、手を伸ばし、木の枝につかまる。

 ガサリ、ミシッと木の葉と枝がなき、ひやりとする。この飛び移り練習をしたのが五歳になった次の日のこと。あの時は、春先だった。枝が新しく、折れそうな音はしなかったのに。

 枝が折れる前に動かねば、地面へ落ちてしまうかもしれない。そうしている間に、叔父が戻ってくることも考え、屋敷の気配にも気を配りながら手を交互に動かした。太い幹まで体を辿り着かせ、腕の力と足の左右に揺れる勢いで別の枝に移る。

 ここまでのやり方は、全部ダセス仕込だ。悪知恵は全てダセスから教わったナヒロに怖いものはない。

 幹に足をかけ、木を上る。所々の枝を使い、落ちないように必死で登った。この木登りもダセスから教えられた。

 ダセスに教わって毎日木登りをした成果がここで発揮されている。兄に感謝しながら、頂上につくと、目の前には屋敷を囲う塀の天辺があらわれた。

 その塀は、木の頂上よりも下にあり、ここから飛び越すことができる。

 下を見て、誰も裏に出てきていないことを確認すると、躊躇う事無く塀の上に飛び降りた。

 無事着地できると、すぐに屋敷とは反対側にぶら下がる。そうしなければ、二階からナヒロの姿が見えてしまうのだ。

 塀にぶら下がると、息を吸い込み、手を離した。落ちる先は、裏手にある大きな湖の中である。

 普通の屋敷なら、これほど塀を頑丈にしなくてもいいのだが、ナヒロの家は、湖に隣接して建っていることもあり、水が増水したときのために、塀はブロック塀で高く作られている。

 湖に落ちると、身体が、湖面に強く叩きつけられ、全身が、痛い。重力で底へと一旦深く沈み、ゆっくり浮上した。

 息を吐き出して、もう一度吸い込み、すぐ近くにある桟橋へ向かって泳ぎだした。 桟橋にはボートが一隻ある。

 桟橋につくと、そこにあるはずのボートがない。桟橋の柱にしがみついて休憩をした。振り返ると、ほんの数メートル泳いだだけ。たったこれだけの距離で体力を消費するなんて思いもしなかった。湖に入る前のあの樹に登って飛び移ることで相当体力を使ってしまったようだ。

 音を立てないように注意しながら桟橋によじ登る。

 服に含まれた水をできるだけ絞り出し、服を軽くする。スカートが邪魔にならないように結ぶと、逃げるために走り出した。

 桟橋は屋敷の外にある。屋敷から直接行けるようになっているが、外からでもボートが使えるようになっていた。屋敷の塀沿いに走る。靴は木によじ登るのに邪魔で屋敷に脱ぎ捨てて来た。

 裸足で地を蹴り、叔父に気がつかれる前に屋敷から遠ざからなければならない。

 叔父が逃げ去るナヒロに気付き、賊と共に追いかけてきても、今のナヒロでは気付く余裕がない。屋敷から、自分の住んでいた場所から、離れたい一心でひたすら走った。

 水に入った寒さも、服が湿っていてうまく走れないことも何も気にしている場合じゃない。

 息が上がって、喉が渇き、熱くなり、痛くなってきても、走ることをやめるわけにはいかない。

 馬車で追いかけられたら……賊の仲間に追いかけられたら……捕らえられた後の事を思うと、こんなことぐらいで足を止めることはできなかった。

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