真実への兆し
「大人ぶるなって……何のことだよ?」
いやらしい笑みを浮かべる四辻の態度が癪に障り、少し強気な口調で睨む。
しかし、彼女は怯む様子を一切見せることはない。
あくまでも面白がっているかのように、口角を上げて雅生の視線を正面から受け止めていた。
「まーちゃんは人一倍の考える力と行動力を持っている。狼奈ちゃんと鎌鼬の件も、柔軟な想像を活用して、最悪な事態になってしまう前に、鎌鼬の謀略を阻止することが出来た。うん、素晴らしいことだねぇ。だけど……それがかえってまーちゃんの純粋な気持ちを繋ぎ止めてしまっているんじゃないかしらぁ?」
「純粋な気持ち……俺の……おわッ!?」
突然背後にもう一人の四辻が出現。
覆い被るように密着すると、肩から自身の顔を覗かせてきた。
背後の四辻が耳に吐息が当たる位置で、優しげに声を発した。
「ねぇ……もっと素直に、なろうよぉ……ふぅぅ……」
そういえば、彼女が二人以上いるところは初めて見たかも知れない。何というか、少し奇妙な感じだ。
艶めかしい声色と、甘い呼吸が耳に当たる。
全身に鳥肌が立ち、思わず背中に密着する四辻を突き離した。
「おぉぉッ!?す、素直って……俺は別に自分に嘘吐いているつもりはないって!」
もう一人の彼女は残念そうに肩を落とすと、姿を消してしまった。
「故意に嘘を吐いているんじゃないよぉ?ただ、正直に生きることを忘れているだけ。この世界は、嘘にまみれている。上司や契約先の機嫌取り、仕事場の仲間との嫌悪感。自分に嘘を吐かなければやっていけない……惨めで、辛くて、途方もなく汚れた世界。まーちゃんは、それに感化されてしまった」
「汚れた世界……」
「だから、考えてしまう。世理ちゃんの言葉が何を意味しているのか。深く、深く、頭を捻って考えて、悪い方向へと結論付けてしまう……結局あいつはあんな考え方なんだろうな、ってねぇ」
「…………」
確かに、考えた。
世理がどんな思いで秘密を隠していたのか、それは自分に対するどんな想いがあったからなのか、と。
自分はその日に狼奈や鎌鼬が何を抱えて生きているのかを耳にしていた。
覚醒者が人間を恨んでいることや、その中でも憎悪と信頼の狭間で揺れていること。それは、四辻の言うとおり、この世界を取り巻く複雑で難解な問題だったのは間違いがない。
だから、あの世理もその一人として同じことを考えているのではないか……そんな枠組みが頭の中で勝手に出来上がっていたのかも知れない。
「でも、それは違うよねぇ?まーちゃんの世界は別の常識では犯されてはならない。大切なのは、まーちゃんが、本心から彼女のことをどう思っているのか。覚醒者がどうとかは関係なく、何を想って彼女と共に居るのか、でしょぅ?」
「俺が、何を思って……?」
「少なくとも、世理ちゃんと出会った時は、そんな純粋な気持ちがあったはず……まぁ、そんな過去のことは、流石にお姉さんも分からないけれどねぇ」
十年前に出会った時のこと。
当時、小学生低学年の頃、どんな気持ちを持って生きていたのか。
そんなもの、今となっては本人ですら知りようがない遠い記憶だ。
その当時の記憶を参考にしろと言われても、正直実感が湧かない。
「これ以上はもう何も言うことはないわぁ。結論を出すのはまーちゃん自身。まーちゃんが狼奈ちゃんに答えを見つけさせたように、お姉さんもまーちゃんに選択を委ねるとしましょぅ。さ、お仕事に戻りましょー?」
そう言いながら四辻は、再び受付席に座り直した。
「……俺の答え、か……」
昨夜、宇都坂が言っていたことと似ていた。
どんなことがあろうと、最後に決めるのは自分次第。
ただ、強制という訳ではなく、選択を委ねるという彼女たちの気遣いが感じて取れる。
決めなくてはならないかも知れない。だが、後悔しない選択をしろ、と言われている様だった。
ならば、その気遣いに応えなくてはならないだろう。
世理との関わり方について。
人間として……いや、一人の男として。
「おっと、そこの綺麗な店員さん、お昼休憩かしらぁ?ちょっとだけお姉さんとお話していかないぃ?」
「白昼堂々ナンパですか……?」
気付けば、店内から外へ受付前を横切ろうとした女性店員に、四辻が小さく手を振りながら声を掛けていた。
「四辻さん!いつもご苦労様です!少しの間ならば構いませんよ?」
予想に反して親しげに近寄ってくる店員。
どうやらウォッグと一般店員の信頼関係は、着々と築き上げているようだ。
「それじゃぁさぁ……ここ最近カットエッジで変わったこととかぁ、奇妙な噂とか聞いたことないかしらぁ?」
さり気なく露骨な問い掛けを口にし始めた。
どうやら四辻は昨夜問題となった情報収集を始めたようだ。
対して女性店員は、一度周りの様子を窺うように見渡すと、前のめりに顔を近づけて、こう言った。
「……これ、密かに噂になっているのですけれどね?あ、内緒の話ですよ?」
「はいはぁい、お姉さんの口は鉄より硬いから心配しないでねぇ」
「実はカットエッジに勤務している設備さんが、半月くらい前から唐突に姿を見せなくなってしまったみたいなんです。連絡も取れないし、姿を見た人もいない……完全に消息不明になってしまったって話ですよ。それからと言うものの、取締役の六角さんでしたっけ?彼の人の扱い方が粗暴になったらしいです」
思った以上に深刻そうな話に、雅生と四辻は目を丸くする。
「そうなのか?」
「……おかしいわねぇ。そんな話、見たことも聞いたことも……従業員の入出管理を欠かせたことはないから、半月前だったら、来なくなれば直ぐに分かる筈なんだけれどぉ……」
店員の誰が出入りしたのかは、一人一人が持つIDカードをコンピュータが、入場ゲート通過時に自動的でチェックしてくれる。それを四辻が開店前、閉店後に毎度チェックしている為、出勤していない人や退勤していない人がいれば直ぐに分かるのだ。
そんな彼女が知らないと口にするのはおかしい、としか言いようがなかった。
「『神隠し』、と囁かれています」
「……!」
「カットエッジで働いていると神隠しに遭う……あまり公になっていない、店員の中だけの噂なんですよ。あ、私が言ったとは言わないで下さいよ?一応、確信もない都市伝説みたいなものですし、お客さんに広まったりしたら、大変なことですから。一応、安易に口外しないように言われているんです」
そんな話、聞いたことがない。
噂ならばまだしも、箝口令がしかれる程に浸透した都市伝説なんて、カットエッジの警備員ならば知らない方が逆に有り得ない筈だ。
「そうだったのかッ!?」
「……何でウォッグには知らされていないのかしら……」
そう、問題はそこだ。
何故ウォッグの面々が知らない不可解な話があるのか。
警備員とはいえ、彼女達は異能に対応する力と権限を併せ持つ、スペシャリストである。本来ならば、真っ先に彼女達に知らせた上で、迅速な解決を臨むのが普通の流れであろう。
だが、カットエッジはそれをしない。
まるで、ウォッグにはあえてひた隠しているかのように。
「ところで、その神隠しにあった人と取締役の関係について、何か知らない?」
「これも内緒の話ですよ?実はですね……相当に熱烈な肉体関係を持っていたって噂が……ん?」
その時、突然何かのメロディーが鳴り響く。
店員がポケットから携帯電話を取り出し、画面を見ているところ、どうやらメールが着信したようだ。
「あ!店からメール……あらら、今店がかなり忙しいみたいです。すみません、私、ちょっとヘルプに行って来ますね」
「あらぁ。シルバーウィーク真っ只中だから、ある程度予測はしていたけれど、大変ねぇ。あまり根を詰めすぎないように、お仕事頑張ってねぇ?」
「はい!ウォッグの皆さんも、警備の方をよろしくお願いします。それでは、失礼しますね!」
意気揚々と手を振りながら、再び店内へと駆け足で入っていく。
残された雅生と四辻は予想に反した思わぬ収穫に、不穏な空気を感じずにはいられない。二人して複雑そうな表情で、去っていく店員の後ろ姿を眺めていた。
「行方不明者と取締役が、肉体関係……それに神隠しって……これってまさか……」
「間違いなく何らかの秘密があるわねぇ。まぁ、普通なら神隠しなんて現実味がないし?確かに噂程度で誰も本気には思わないでしょうねぇ。だけど、お姉さん達は既に普通ではない世界の中にいる。例えば……」
「例えば?」
四辻はいつになく真剣な眼差しを向けながら、ハッキリとした口調でこう言った。
「────覚醒者の仕業とか、ねぇ?」
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「それでは、毎回恒例の定例会議を始めます」
働かせろと言う狼奈をベッドに縛り付け、雅生と四辻の分身体で手分けして閉店作業を済ませた後の夜のこと。
モニタールームで世理の一声と共に、定例会議が始まった。
「早速、私の方から一つ。瑠羽さん、先程の映像をお願いします」
「了解です」
頷いた瑠羽がキーボードを叩くと、真ん中四つのモニターの表示が一斉に変わる。
どうやら過去に録画した、監視カメラの映像のようだ。
中央広場で多数の客が、右へ左へ散策している姿が見て取れる。しかし、その数秒後、広場の真ん中にフードを被った人物が出現し、客は野次馬として騒ぎ立て始めた。
四つの画面全てが同じように、映像が流れていく。
「これは……」
「分かりますか?これは全て、あの鎌鼬が来襲した日の映像。この後に狼奈さんが迎撃することで鎌鼬は退散し、一先ず事態は収束する流れです。しかし、どうやらこの映像────“それだけではなかった”ようです」
「何か、あったのぉ?」
不穏な雰囲気を察したのか、四辻が低い口調で言うと世理は小さく頷いた。
「はい。正確にはあった、ではなく、居た、です。鎌鼬と同等……いえ、それ以上に不気味な何者かが。見えますか?映像の右上、柱の陰、です」
世理が真っ直ぐに、指をさす。
その問題の何者かを見つけるのは、そんなに難しくはなかった。
何故ならそこに居たのは……彼女の言うとおりに不気味な外見をした何者かだったからだ。
「……え?何だ、あれ……?」
第一に印象付けられたのは、不気味なくらい綺麗に丸く真っ黒な輪郭をした、目と口だ。
いかにも場違い感を醸し出す謎の人物が、全てのモニターの中で、辺りの様子を窺うように姿を現していたのである。
「あれ、仮面だよな?」
「あんな顔をした人間がいたら、最早世紀末よ。人間でもない私が言うことじゃないけど」
吐き捨てるように言う狼奈の後に、世理がモニターを睨みながら続けた。
「現在、カットエッジを狙う何者かの存在が示唆されています。それは、なんらかの形で鎌鼬と繋がっている剥離者だと予想される人物です。そして、鎌鼬が来襲した時に合わせるように現れる仮面の人物……これは、十分に怪しいと言えるでしょう」
「なるほど、ねぇ……」
きっとこの場に居る誰もが感じている筈だ。
これ以上に、容疑が強い存在が他に居るのだろうか、と。
現に狼奈や四辻は、画面上にいる仮面の人物へ、敵意剥き出しな眼光を向けていた。
「こいつに関して何よりも気に入らないのは、さっきこれを見るまで存在にすら気付かなかった、ってこと。鎌鼬に続いて、この仮面野郎もコソコソと……ったく、本当に腹が立つわ!」
「……ん?」
その時、突然脳裏で妙な感覚を覚え、思わず狼奈を見つめながら硬直してしまった。
それを受けた狼奈は、苛立った顔で睨み返してくる。
「なによ、私の発言に何か気に掛かることでも?」
「あ、いや……何か、妙な違和感を感じたっていうか……」
「はっはぁーん……ハァ?私の顔に違和感?喧嘩売ってんの?」
「いやいや!喧嘩は昨日のやつでもうお腹一杯だって!そうじゃなくて、この状況そのものに変な感覚が……んん?何だろう、喉辺りまで来ているんだけど……」
発言した手前、何に違和感を持ったのか自分でも分からず、言葉が詰まる。
そこへ瑠羽が軽く手を挙げて、本題へ軌道修正を図った。
「付け足しです、この仮面の人物ですが、どうやら本日も現れていたようです」
「えっ……!?今日も!?」
驚愕し、疑問が瞬時に上塗りされる。
すると、世理が暗い顔をしながら髪を手でなぞった。
「はい。映像の見直しをしている最中、監視カメラ映像に映っているのを発見して、現場に直行したのですが……着いた頃には既に姿を眩ましていました。面目ない、です」
「まぁ、そんな簡単に捕まるのならば、ここまで対処に苦労することはないわよねぇ……うぅむ……捕まることが、ねぇ……」
四辻にしては珍しく、深刻そうな顔をしながら、腕を組んで小さく呻っている。
だが、目下の問題よりも、別のことが頭にあるのか、会議に積極性がないようにも見えた。
そんな彼女は放っておいて、世理は机に両手を叩き付けてから、全員の視線を集める。
「とにかく、二日前の鎌鼬の来襲に続き、今回の暗躍となると、明日も同じ様にやって来る可能性は限りなく高いでしょう。今までの記録を全て洗い出し、仮面の人物の行動パターンを推測し、姿を現したところを拘束。そこで……完全に決着を着けます」
その言葉に、狼奈は拳を手に叩きつけ、気合いに満ちた声を挙げた。
「上等よ。ウォッグを相手にしたことを後悔させてやるわ」
「断定です、姫々島狼奈はあと一日以上は安静にすべきです。治りが早いとはいえ、今回ばかりは傷が深いです。動けば筋繊維が死にますよ。後悔させるどころか、一生ものの後悔を刻むことになるでしょうから」
「……こいつの脅し文句は久方ぶりだわ……」
問題は抱えているものの、やる気だけは充分にあるウォッグの面々。
そんな彼女達を見た世理は満足げに頷くと、迫り来る最終決戦へ向けて、お決まりの宣言を言い放った。
「では、改めて宣言しましょう……これより仮面の人物を《剥離者》と認識!最後のX号警備執行を許可するッ!!」
だがその直後、突然四辻が立ち上がり、意外な提案を口にする。
「あぁ、お姉さん今夜はちょっと用事が出来ちゃったから、誰か受付を代わりにやっておいてねぇ。それじゃぁ、また明日ぁ」
「ちょっ、四辻さん!?何を勝手なことを……!?」
世理の制止も聞かずに、四辻は挨拶をしつつそのまま防災センターから出て行ってしまった。
何を考えているのかは知らないが、出て行ったものは仕方がない。世理は諦めたように溜め息を吐くと、残ったメンバーに指示を出し始める。
「ハァ、仕方がありません。今夜は狼奈さんに受付をやっていただいて、私が単独で夜間巡回に入ります。芦那さん、は……え、と……明日からは仮面の人物に対する警戒態勢を敷くことになるでしょうから、今日は、これで解散してください」
それは困る。
気付けば、雅生は反射的に立ち上がっていた。
「ちょっと待ってくれ。俺、お前とちょっと話したいことが……!」
「あ、あの、ごめんなさい……今は、辞めて、下さい……本当に、ごめんなさい……!」
「あ、ちょ、ちょっと……!」
そう言って早足で防災センターから出て行ってしまった。
普段はきびきびとした性格をしているからか、あんな動揺した様子を見ると、どうしても罪悪感が沸き上がり言葉を濁してしまう。
自分の情けなさに呆れ果てて肩を落とすと、狼奈が肩に手を置き、ありがた迷惑な言葉を投げ掛けてくれた。
「精々気張りなさいよ、この人泣かせ野郎」
「……幸先が恐いッス、姫々島さん……」




