何があっても必ず。
第五章 兎と亀
『停止』
最後の停止は、三人で一緒に言おう。
僕は、事前に二人へお願いしていた。
三人揃って大きく息を吐き出してその場にへたり込む。
「終わったっ!」
「今まで一番、疲れた」
「完璧だったよ。二人共。後は……結果を待つだけだ」
地面に倒れ込む二人を僕は、全力で労う。
「でもさ、確かにこれならルール通りだけど」
「駄目だったらどうしてくれるワケ?」
「まあ—— 結果が出てから考えよう」
下から鋭い二つの視線が僕に突き刺さる。
背中を伝わる冷たい汗。僕は、笑って茶を濁そうとした。
勿論、そんな誤魔化しなど茉白と玄香に一切、通用しない。
「そんな甘っちょろい事が言える立場だと?」
「流石に怒るよ?」
「あははは——」
責任を取れと言われても。無論、僕の身勝手な独善で二人の面目を潰しているのは、分かっている。だが、それとこれとは話が別。彼女達の意思は確実に尊重した。
それが彼女達の願ったものと形は少し違っても。
いや、大分違うかもしれない。
だけど少なくともこれは、悲しい話にはならない。
今は、二人が怒っていても。
時間が経てば、何れ笑い話になるだろう。
「まあ、もし駄目だったら二人のお願いを一つ何でも叶えてあげるよ」
「マジで?」
「本気で言ってる?」
「勿論、本気さ」
僕は、勝ち逃げをする気が満々。
どんな無茶な願いでも賭けに勝ってしまえば、帳消しに出来るのだから。
「約束は守るよ。さあ、結果が出るまでに考えておいて」
「よしっ—— とことん困らせたる」
「どんなお願いでも……」
少し刺激の強い薬を使ってしまったかもしれない。
真剣に悩む二人を見て僕は、最悪の事態を想像してしまう。
そんな新たな火種を生んでしまった最中。
それは、唐突に僕達へ告げられた。
『合否結果—— 合格』
ドローンから流れ出す落ち着いた機械音声と簡素なファンファーレ。
確かに求めていたのだけれど。
三人共、呆気ない最後に思わず呆然としてしまう。
「えっ」
「っ!」
「よしっ!」
驚く二人の横で一足先に我に返った僕は拳を握り、喜びを噛み締める。
「待って。ほんと? ほんとにほんと?」
「しんじられない」
「これで僕のかち——」
勝利宣言をする前に。
僕は、二人から抱き着かれて最後まで言えなかった。
「賭けに負けたのは、とっても悔しいけど——」
「すんごい無茶苦茶言おうと思ってたのに……」
負け惜しみがとても恐ろしい。だが、その言葉とは裏腹に腕の締め付けが異様に強い。
『ありがとう。ネモくん』
二人から涙交じりのお礼が聞けたので。
僕は、満足している。
一頻り、達成感に三人で酔いしれた後。
「さて……此処からが問題だ。僕達は一体、どうなる?」
「さあ?」
「全く」
「だよねー」
僕にもさっぱり分からない。
そもそもこのゲームの説明だけしか、与えられていないのだ。
その先は、実際に達成した今にならないと分からなかった訳で。
「そう言えば……クリアすると。報酬が貰える筈」
「何……だと」
「いきなり唐突ね?」
「ごめん。クリアする事ばっかり考えてて。今の今まですっかり忘れてた」
報酬
—— の—— 。
それだけではない。肝心な報酬が何か分からなかったので後回しになっていた。
少なくとも再現完成するまで明らかにならないだろうと僕は、思い込んでいたんだ。
しかしながら幸か不幸か。その推測は、当たっていた。
「報酬を」
僕は、ドローンに向かって要求する。
するとドローンは、ファンファーレを止めて即座に応じてくれた。
『クリアおめでとうございます。報酬を御受取下さい』
『っ!』
流れ出す機械音声を聞いた瞬間、茉白と玄香は、目を大きく見開いた。
「大丈夫っ? 二人共っ!」
まるで感電したかの様に。二人はその場で固まり、身体が小刻みに震え出す。
「っ! 何が報酬だよっ! 二人に何をしたっ!」
挙動が可笑しくなった二人を前に僕は動揺する。
『報酬を送信中です』
「何を言って——」
感情的になった僕がドローンに向かってにじり寄り、拳を突き出す寸前で。
「安心して、ネモ君」
「ましろ達は、大丈夫だよ。ネモくん」
後ろの二人から止められる。
咄嗟に僕が振り返ると、正気を取り戻した二人の姿があった。
「ましろっ!、しずかっ!」
「珍しいね。ネモくんがそんなに熱くなるなんて」
「ちょっと—— 嬉しいかも」
「心配—— したんだ」
「ごめんね」
「あたし達も突然だったから」
「いや……二人が大丈夫ならそれで良いんだ」
僕の前で意味深長な笑みを浮かべる茉白と玄香。
今までで一番、赤と青の瞳が輝きを放っている。
くわえて二人は、凛としていて妙に落ち着き払ってもいた。
「なるほど……そう言う事だったの」
「随分と回りくどい事をしおる」
「報酬は—— 貰えたかい?」
「うん、ばっちし」
「結構、肝心なものだった。でも貰ったって言うよりも——」
「正確には返して貰った。だね」
「うん。そう。それ」
目に見えて変化があったのは、茉白と玄香の二人だけ。ログインボーナスの様に形のある何かでは無く、報酬は目に見えないものが与えられたのだろう。
「何だったの?」
「それはね——」
「あたし達の——」
二人が言葉にしようとした瞬間。僕の視界が突然、歪んだ。
変化は、それだけではない。
それまで広がっていた世界そのものが白い粒子となって端から少しずつ崩れて行く。
「何だ? これは?」
酷い眩暈に襲われながら僕は、二人の手を掴もうとするのだけど。
手が思う様に動かない。
「返して貰った瞬間、これか……」
「ほんとに考えた黒幕って—— 性根が悪いわ」
「二人共、何を言って——」
朦朧とする意識。よろめきながら僕は、辛うじて二人の姿を視界に捉えるも。
異変は、世界だけではなかった。
茉白と玄香も足元から輝く金色の粒子となって消え始めている。
「でも完全じゃないよ?」
「抜けが沢山ある。肝心な名前とかが特に—— ね」
「こりゃあ、まだまだ続きそうですなあ」
「当分の間、暇はしない」
消えかかっているにも関わらず、二人は今しがた得た何かの話題で盛り上がっている。
「ましろ……しずか……」
眩暈でふらつく足。額に手を当てながら僕は、必死に二人の名を呼ぶ。
「ネモ君。少しの間、お別れみたい」
「そんな事って——」
息も絶え絶えでボロボロな僕とは違い。二人の意識は、はっきりしている。
「でも、大丈夫。また、きっと会える」
「さよならは、言わないよ?」
「っ!」
寂しげに笑う二人を見て胸が締め付けられる。
そんな顔をさせる為に。
僕は、これまで頑張ったんじゃない。
「でも困るね。中途半端に色んな断片だからさあ——」
「言わないで……唯でさえ、頭と心が追い付いてないんだから。割と我慢してるのよ? ほんとに厄介ね……心の方が先走って暴走してる」
「分かる。だって手伸ばして掴みたいもん。もう、伸ばす手が無いけど」
肩を竦め、自嘲する茉白と眉間に皺を寄せながら唸る玄香。
周囲の景色もほぼ消え去り。残るは、足元の草原のみ。
消えた世界の代わりに現れたのは、何処までも続く深淵。
「必ず……必ず、二人を助ける」
「うん。待ってるよ」
「見つけてね? 必ずよ? だっていっぱい話したい事があるのだもの」
「っ!」
そんな最後の言葉を残して。金の粒子となり、消えた茉白と玄香。
残されたのは、僕だけ。
足元の草も遂に消えて何も見えない。
立っているのか、それとも寝ているのか。
五感の全てを奪われて僕は、自分すらも認識が出来ない。
「っ!」
こんな事になるなら最後にもっと話をしておくべきだった。
もっと二人の姿を目に焼き付けておくべきだった。
止めどない後悔が僕を襲う。
数少ない与えられた猶予をぞんざいに扱ったさっきの自分を。
思い切り罵ってやりたい。
けれども既に零れてしまった水は。もう如何にも出来ない。
時の流れと言う不可逆的なシステムは、本当に残酷だ。
「それでもっ!」
僕は、必死に二人の顔を思い浮かべる。
忘れたくない。忘れてはならない。
空っぽな僕に唯一与えられたこの五日間の記憶。
色とりどりの表情を。声を。温もりを。
誰からも奪われぬよう僕は、抗い続けた。
「次も絶対に——」
二人と再会する為に。
そんな闇の中。僕の前に何かが姿を現す。
それは、この五日間で何度も目にしたもの。
全ての元凶だ。
「何で……此処に」
『兎と亀』
確か絵本だけは、宿に置いて来た筈。
持って来たのは、胸ポケットに仕舞ってある写真と手紙だけ。
忌々しい絵本は、何をする訳でもなく。僕をあざ笑うかの様に虚空を漂っていた。
そんな絵本の隣に新たな一冊の本が何処からともなく浮かび上がって来る。
「なるほど……次か」
それが何を意味するかは、直ぐに分かった。
表紙もタイトルも分からない。
全てが謎に包まれた本へ僕は、ゆっくりと手を伸ばす。
その先に一体何が待ち受けているのだろうか。
でも未知の恐怖に恐れ戦いている暇は。
僕に無い。
それにどんな困難が待ち受けていようとも。
僕は、それらに立ち向かう勇気を二人から貰ったのだ。
前へ進む事に少しも迷いは無い。
本に僕の手が触れた瞬間、胸ポケットから白い光が漏れ出して辺りを染めて行く。
真っ白な光に駆逐されて行く暗闇を。
見届けた後。
僕の意識は完全に途絶えてしまった。
つづく




