極限報道#74 紙面化の日 「なんなんだ、この紙面は」当番編集長は悲鳴をあげた
舞台は近未来。世界で戦争、紛争が頻発し、東アジアも国家間の緊張が高まる中、日本国内では、著名人が相次いで殺されたり、不審な死を遂げたりしていた。社会部調査報道班のエース記者大神由希は、背後に政治的陰謀があり、謎の組織が暗躍しているとみて、真相究明に走り回る。
大神が中心となって書いた予定稿の紙面化を実行する日がやってきた。当番編集長は「木偶の坊補佐」と陰口を叩かれている鈴木編集局長補佐の日だった。
午後4時の編集会議。
早版の紙面予定が議論された。一面トップは日本と「南方民国」の外務大臣会議。2年ぶりの直接会談で、戦時下といっていいほど緊迫したアジア情勢の中での二国間の安全保障上の協力態勢や経済摩擦を中心に山積みされた課題についての突っ込んだやり取りが予想され、政治部が早い版から一面トップに名乗りを挙げていた。
政治面に解説と、これまでの両国間の関係についての経過表が掲載される。ほかに一面トップ候補の対抗馬はなかった。社会面トップは、社会部の橋詰が用意した「国内外で頻発のサイバー攻撃の拠点は北海道に点在 実行行為者が証言」という独自ダネが第一候補だった。
会議では、全体の紙面構成を整理部デスクが「突発的な事件や事故がない限り早い版から最終版まで構成は変えずに通しでいく」と説明した。
当番編集長の鈴木は「内容の濃い紙面構成だ。最終版に向けてそれぞれの記事で新しい情報を盛り込んでいくように」と指示を出した。
午後10時の紙面検討会議。
想定外のことが起きた。当番編集長席に秋山編集局長補佐が座っていたのだ。「木偶の坊補佐」鈴木の母親が危篤という知らせが午後7時半に入り、鈴木は実家のある静岡に帰らなければならなくなった。
急遽、たまたま社に残っていた秋山が代わりに当番編集長を務めることになった。母危篤の報に「木偶の坊補佐」のショックは大きく、しばらく休暇をとるらしい。「もう東京に戻ってこないのではないか」「いや、戻ってこない方がいい」などという陰口がデスクの間で交わされた。
西川編集局長べったりの秋山が最終版から当番編集長になることで、記事の全面変更に越えなければならない大きなハードルができた。
「外務大臣同士の交渉は、互いに批判の応酬だけで何も決まっていないし内容がないな。社会部さんよ、遅い版から一面トップを堂々と張れるような特ダネはないのか」
整理部デスクによる最終版の説明を聞いて、秋山が言った。
「今日のところは社会面トップのサイバー攻撃の記事の出稿で手一杯です。この記事も最終版に向けてよりよくしようと直し直しでてんてこ舞いです。現状、一面トップネタはありません」と田之上デスクが説明した。
「全体に紙面に張りがないな。大事件、大災害でも起きんかな」と秋山がため息交じりに言い出した。
「めったなことを言うもんじゃないですよ。問題発言はやめてください」と整理部デスクがたしなめた。
「わかった、わかった。生きのいいネタが飛び込んできたら、俺にもすぐに連絡をくれ」と秋山が言い、紙面検討会議は解散した。
大神の記事の出稿を見合わせるかどうか、田之上と井上の間で検討された。「木偶の坊補佐」の休みが長引いた場合、代わりに西川編集局長が当番編集長のローテーションに入りそうだという情報が入った。延期すればますます「クーデター」は難しくなり、計画が漏れる可能性が出てくる。
田之上と井上はこの日の決行を決めた。
午後11時20分。紙面がすべてがらりと入れ替わった。一面トップは大神による「防衛戦略研 数々の殺人事件に関与」。社会面も大神の体験談などほぼ全面取り替えになった。
事前に聞かされていなかった紙面構成を担当する整理部員たちが大騒ぎしながら紙面の割り付けに奔走している時、社会部の井上と村岸が編集局長室に入っていった。西川編集局長が1時間前に社を出たことはすでに確認済みだった。
編集局長室は、整理部からは離れた場所で、ひっそりとしている。
秋山が1人で応接机の前のソファーに座り、駒を並べた将棋盤をにらんでいた。名人戦の棋譜をたどりながら駒を動かしている。秋山はアマチュア初段で、暇さえあったらネットの将棋ゲームをしていた。当番編集長の時には、将棋盤を前にして実際の駒を動かしていることが多かった。
「秋山さん、ご相談があるのですが」と井上が声をかけた。
「なんだ、社会部から一面トップの特ダネが出稿されるのか?」
「今日の記事の話ではないんです。トラブルの相談です」
「トラブル?」。秋山はすぐに時間を確認した。
午後11時半。最終版の紙面の大刷りが間もなく編集局長室に配られる。
「その前に遅版の紙面構成は変わらんのか」と秋山が聞く。
「紙面は早い段階で決まっていると聞きました。今日は担当ではないのでわからないのですが、変更はないのではないですか」と井上が答えた。
「わかった、変更があれば言ってくるだろう。トラブルってなんだ。しかもこんな時間に」と秋山は迷惑そうな顔をしながら、将棋盤を脇にどけた。
井上と村岸は、応接机で秋山と向かい合って座った。
「村岸編集委員が2日前に書いた記事についてです。暴力団と関係があるフロント企業が大型の公共事業を受注していたという内容なのですが、企業の弁護士から抗議が来ました」。抗議が来たのは事実だった。
「企業側が『暴力団とは全く関係ないのに関係があるように書かれた』と主張して記事の訂正を求めてきています。『この記事のおかげで会社の信用が失墜して倒産したらどうしてくれるんだ』と強硬です。明日朝に返事をしなければなりません。どうしましょうか」。井上が説明し、村岸が書いた記事と内容証明で来た抗議文がテーブルの前に広げられた。
「どうしましょうか、って。西川局長が社会部長も兼務しているんだから、局長に連絡とって相談すればいいだろう」と面倒くさそうに言った。
「連絡がとれないので来たんです。ここは危機管理のプロ中のプロである秋山さんのご意見を伺いたいと思いました」
「しょうがねえな」と言いながら、「危機管理のプロ中のプロ」と言われて、満更でもないような顔をした秋山はその抗議文を読み始めた。
その時だった。学生のバイトが入ってきて、「大刷りです」と言って最終版の大刷り紙面を少し離れた大テーブルの上に広げて置き、そのまま局長室を出て行った。
一面、社会面とも、早版とは全く変わっている。ここで秋山が抗議文を読むのをやめて大テーブルに移動し大刷りを見れば騒ぎ出すのは明らかだった。だが、秋山は抗議文を読むことに集中していて、大刷りには目もくれなかった。最終版での記事の変更はない、と思い込んでいるようだった。
「ややこしいな、この抗議文。弁護士が書いているから専門用語が多すぎる。1回読んでも頭にはいらないな。結局のところ、この企業が暴力団と関係があるのかないのか。あるとした場合は、しっかりした証拠は揃っているのか。それだけだろう、どうなんだ」
「その点は警察で聞いて書きました。本当に関係があるのかどうかまではわかりません」と村岸が答えた。
「わからないって、村岸らしくないな。金が上納されているとか、企業の社長や役員が組員だとか、フロント企業である証拠はあるだろう」
「それが、私が裏をとったのは、暴力団担当の警部補です。フロント企業だとはっきり言ったので書きました。関係を証明する書類は手元にはありません」
「警視庁暴対の課長はどう言っているんだ。いざとなったら、暴対はうちを守ってくれるのか」
「実は暴対の課長とは最近けんかして関係が悪くなっていて、我々が交渉で追い詰められても守ってくれることはないと思います」
「へたすると一大事になるな」と秋山は暗い顔をした。当番編集長ではなく、危機管理を担当する幹部の顔になっていた。
以後、秋山が聞いては村岸が答えるというやりとりが続いた。だが、秋山はどうすべきかの決断をしない。ああでもない、こうでもないという話し合いが続き時間がどんどん過ぎていった。
それは井上の計算通りだった。降版時間が過ぎた。紙面がコンピューターで各地の印刷工場に送られた。ほぼ同時に工場の輪転機の始動ボタンが押され、高速の輪転機がうなりを上げて回り始めた。
刷り上がった新聞から次々にトラックに積み込まれ販売店に向かって走り出して行く。
井上が時間を確認して村岸に目で合図した。
「わかりました。秋山さんの言う通り、もう一度社会部内で検討します」と言った。
「そうしてくれ、回答の内容については明日朝に編集局長に必ず報告して了解を得るんだぞ」
秋山は念を押しながら、「さて、俺も帰るわ。急遽のリリーフで疲れた」と言った。井上ら2人は編集局長室を出た。
その直後だった。
「な、なんなんだー。この紙面は」
秋山が悲鳴のような大声をあげているのが聞こえた。
帰り支度をしながら、アルバイトが配った大刷りを初めて手に取って見たのだった。
(次回は、■「記事全面削除だ」。編集局長が叫んだ)
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