懸さんとワンちゃん・・・・・・・対戦!?
「ふぅ……あー、吸った吸った……けどもう一服……」
外で、まるで酔っ払いのようにバイヤーが呟くと、小さくかたん、と扉が鳴った。どうやら、扉にもたれ掛っていたようで、こころなしか手を添えていた扉が軽くなったような気がした。
「よし、今よ、叶恵!」
このみちゃんが合図を送り、私は頷く代わりに思いっきりドアを開いた。
がしゃこん、とけたたましい音を立てて、ドアが一番端までスライドする。
「んあ?」
振り向いた男はちょうど薬を吸引している最中だった。ものすごく変な臭いがする。
「やああああっ!!」
その男の頭に向かって、このみちゃんがパイプ椅子を振り下ろす。叫び方も男らしくて、頼もしい。
「ぎゃぶっ!?」
パイプ椅子の背もたれのところが、男の頭頂部に直撃し、男はそのままことり、と倒れた。……死んじゃったりしてないよね? バイヤーはぴくりとも動かなかった。
「これで逃げられるわね」
このみちゃんはパイプ椅子を放り投げると、倒れたバイヤーの体を邪魔そうにまたいで廊下に出た。私もそれに続く。廊下は青白い蛍光灯で照らされていて、閉じ込められていた保健室の中よりは幾分か明るかった。
「後は逃げるだけ?」
「ええ。こいつが起き上る前にさっさとでましょ」
このみちゃんは廊下の先に階段を見つけるとその方角を指さした。
「あそこからでましょう」
窓ガラスも全部閉じられ、なおかつシャッターのようなものでふさがれているため、そこ以外に脱出路になりそうな場所は無かった。
「うん」
返事をして、二人で階段へと向かったときだった。
「わああああああああああっ!!!!」
大声と共に、ドタバタと騒がしい足音が響いて来た。
「誰っ!?」
このみちゃんと私の足が止まる。忙しない足音は絶えず私たちの方へ迫って来ていた。そして、足音の正体が姿を現した。
「わあああああああっ!!?」
驚きながら降りてきている、懸さんとワンちゃんだった。
「懸!?」
「ワンちゃん!?」
「うおっ!?」
「……!?」
懸さんとワンちゃんが私たちを目にすると立ち止まった。二人とも息を荒くしていたが、私たちの姿を見ると、ほっとしたように肩の力が抜けていた。それは私たちも同じだった。やっとワンちゃんに会えたし、なにより閉じ込められていたせいで心細かった。やっとこれで助かるんだ。もしかしたら、二人とも迷路の先で私たちが現れないから、探しに来てくれたのかも。
「お前、どうしてこんなとこに?」
「このみ! なんでこんなとこにいんだよ!?」
でも、二人は私たちを見ても、心配していた、というニュアンスよりもこの場所にいることが青天の霹靂のようであった。
「どうしてって……懸、アンタらは何してたのよ」
「何って……」
懸さんがワンちゃんの顔を伺う。
「……逃げてた」
どうやら、私たちを探していたというわけではなく、偶然私たちのいるところに来た、というだけだったらしい。
「……はぁ」
このみちゃんがため息を吐く。うん、分かるよ、その気持ち。私たちがいなくなったって言うのに、心配の一つもしていないみたいだし。ちょっと心外。
「そうだ、こんなことしてる場合じゃないよ、このみちゃん」
「あ、そうね! 大変なの、懸!」
このみちゃんが懸さんにさっきバイヤーから聞いたことを言おうとした。
「ちょっと待てやお前らあああああああ!!!!」
けれど、このみちゃんが説明しようとした言葉は突如現れた別の声にかき消された。
「誰……って、ひっ!?」
声のする方を見てみると顔だけは普通の顔なのに、首から下が解剖図のような人体模型になっている男が階段から降りて来ていた。
「何アレ、こわいっ!?」
「あいつ、追ってきやがった!」
「クソ……」
ワンちゃんと懸さんはこの人体模型さんを知っているようだった。でも、私もこの人の声を知っているような……。
「あ!! アイツ、アイツよ!!」
階段の方から迫ってくる青白い光の中に浮き出た顔を見て叫んだ。
「女たちも何で逃げ出してんだ!? くっそ、あのガキどものせいか、ゆるせん!」
「私らを監禁しといてゆるせんだなんて、良く言うわ」
怒り狂う男にこのみちゃんはつっけんどんに言い放つ。監禁、そうだ。私を迷路から連れて行ったのもあの男だ。聞き覚えがある声なのはそのせいだ。
「監禁?」
ワンちゃんが片眉を上げて私に尋ねる。
「うん、あの迷路で、あいつに変なのかがされて、眠らされてそこの部屋に監禁されてたの」
保健室の方を指さす。うつ伏せに倒れている男はまだ動く気配はなかった。その男の姿も含めて、ワンちゃんは開け放されたドアの辺りを見渡した。
「……なるほど。叶恵」
「何?」
私を見下ろすワンちゃんの顔はやっと心配そうな表情になっていた。
「体は、大丈夫か? 何もされてないか?」
「うん。連れてかれただけで、他は何もされてないよ」
すぐに答えると、ワンちゃんは安心したらしく、顔を和らげる。それから、私の頭にそっと手を置いた。
「怖い思いさせてすまない」
「ううん、ワンちゃんのせいじゃないよ」
それに、こうやって来てくれたから、私ももう安心しきっている。頭を撫でてくれている、彼の手の固さまで感じるくらいの余裕もあった。
ワンちゃんの手が離れる。顔を見上げると固い決心を秘めているような、凛々しい顔つきに戻っていた。
「カタ、つけてくる」
ワンちゃんは、階段を目指して歩く。きっと、あの男を打ちのめすんだ。
「気を付けて」
正体は分からないけど、ワンちゃんならやってくれる気がする。ううん、やってくれると信じてる。
「ああ」
ワンちゃんが自信に満ちた大股で、男へと向かって行った。
「あいつぅ!! 俺の叶恵ちゃんに……」
懸さんは拳を強く握って男に対する怒りをあらわにしていた。彼の脇を通り過ぎようとしたワンちゃんが、その拳の前ですっと手をかざした。
「俺がやる」
「お前にばっかいいとこ見せてやれるか……って」
懸さんがワンちゃんの表情を見ると、言葉を途中で噤んだ。ワンちゃんの顔は見れないけど、その表情だけで懸さんは自分の怒りをワンちゃんに託したようだった。
「……やられんなよ」
「余計なお世話だ」
わずかなやり取りを済ませて、ワンちゃんは再び歩き出した。
「俺とやるってか? お前なんかに……」
男の足は少しだけふらついていた。
「やれるさ」
ワンちゃんが男に殴りかかる。ワンちゃんのパンチを男は避けられなかった。
「あぐっ……くそ……」
男は足の踏ん張りがきかないようだった。殴られて、その反撃をしようにもふらつく足のせいでがくん、と勝手に膝が曲がってしまっていた。
「やれっ!! そこだ!!」
懸さんがワンちゃんに声援を送る。
「あ! そうだ、こんなことしてる場合じゃないわ!」
このみちゃんが何かを思い出したように言った。
「あ、あのこと言わないと。ねぇ、懸さん!」
「ん?」
今、外では大変なことになっているかもしれない。応援なんかしている場合じゃない。少なくとも懸さんに事情を話して、彼らの潔白を表明させてあげないと。
私は、懸さんに外で起こっていることを説明した。
「なに!? ンなことが……」
「まだ、本当にそんなことになっているのか分からないけど、時間の問題なの! どうにかして、彼らの潔白を証明しないと」
「ああ、早く脱出を……」
懸さんが階段側に目を向ける。ワンちゃんの攻勢で進んでいるけど、男にはまだ倒れる気配はない。懸さんはその間を縫って走り抜けるつもりで走り出した。
駆け抜ければ行ける。でも、どうやって潔白を表明すれば……。
「あ、そうだ!」
証言を聞いた私たちと、犯人のバイヤーを連れていけばいいじゃん。私は後ろを向いて、保健室の前のドアの辺りを見た。
「あっ!?」
しかし、見れば、そこで気を失っていたはずのバイヤーの姿が無くなっていた。
「逃げられた!?」
このみちゃんも男のいたところを見る。
「まずいわね、逃げられたらどうやって説明すれば……」
このみちゃんが当たりを見渡しながらつぶやいた。そして、私の方を見た時に目を見開いた。
「叶恵! 後ろっ!!」
「えっ?」
後ろを向くと、バイヤーの男が、パイプ椅子を振り上げて立っていた。
「よくも、やってくれたなあああ!!」
「きゃああああああああっ!!」
私の頭上にパイプ椅子が振り下ろされる。
「危ないっ!!」
もうすぐで打たれる。そう思ったとき、背後に強い衝撃が走った。私は突き飛ばされるように横倒しになった。
その直後にがつん! と物々しい音が響いた。倒れた体を捻って音のした方を見上げると、バイヤーがパイプ椅子を空中で止め、その下でがくん、と膝を付いたこのみちゃんがいた。このみちゃんの頭からはうっすらと血が流れていた。
「このみちゃん!!!」
やっと私は、このみちゃんが私を突き飛ばしてかばってくれたことに気が付いた。
私の声に、懸さんもワンちゃんも立ち止まってこちらを見ていた。
「このみっ!!!!」
懸さんが戻ってくる。その間に、私はこのみちゃんに駆け寄った。
「このみちゃん、大丈夫!?」
彼女の肩に手を置くと、彼女の荒い呼吸で激しく上下していた。
「バカ、折角助けてあげたんだから……逃げなさいよ」
「そんな……なんで……」
私の代わりにこのみちゃんが打たれることなんてなかったのに……。
「けっ! 言うとおりに逃げとけよってのっ!!!」
さらにバイヤーは追撃をかけようとまたパイプ椅子を振りかぶる。私はこのみちゃんをかばうように背を向けた。
「このやろおおおおおおっ!!!」
ドタバタとした足音ともに懸さんの声がした。がつん、とさらに大きな音がする。見ると、懸さんがバイヤーを殴りつけていた。バイヤーはパイプ椅子を投げ出して、倒れ込んだ。
「大丈夫か!?」
「私は大丈夫、でも、このみちゃんが」
懸さんがしゃがんでこのみちゃんに寄り添う。
「このみっ!」
「懸……私は大丈夫だから……それよりも、早く……あの男を捕まえて……あいつを、捕まえれば……なんとか、なるはず」
「分かった。……任せてくれ。お前はゆっくり休んでろ」
懸さんが私に目配せをした。
「うん。このみちゃんのことは任せて」
求められている返事をすると、懸さんは頷いて立ち上がった。
「俺を捕まえても、もうどうにもなんねぇよ!! お前らの言葉なんて誰も信じやしないんだっての!!」
バイヤーが立ち上がりざまに叫んだ。
「ンなこと、知ったこっちゃねぇよ……。テメェさえ突きだせば、いくらでも言い逃れはできる。それにこっちには証人がいる」
対抗するように懸さんも叫び返した。
「へっ、お前らの言うことなんか誰が信用する? テメェ等みたいな不良の言うことに、耳を傾ける奴はいないだろうがよ!! 無駄なんだよ!」
「信用させるさ。それに、無駄なことがあるもんか。あいつらが、俺の仲間たちが外で待っている。俺は奴らのためにもテメェを連れて行かなくっちゃならねぇんだよ!!」
懸さんが、バイヤーに向かって行った。
「ガキが、喰らえっ!!」
バイヤーは懐から、懸さんに向かって、紙包みを投げつける。それは途中で広がって、白い粉をまき散らした。
「がっ!?」
それが目に入ったのか、懸さんが立ち止った。
「ぐ、卑怯……」
「卑怯も糞もないっつの!! 生き残るためには当然だ!!」
バイヤーはそのまま、懸さんにパンチを放った。視界を失った懸さんに、その攻撃は避けられるはずはない。
懸さんの顔面に、バイヤーのパンチが直撃した。
しかし、懸さんはふらつきもせずに、その場で直立していた。
「き、効いてなっ……!?」
目を丸くしたバイヤーの胸ぐらへ懸さんの手が伸びて、掴んだ。
「生き残りたいなら逃げればよかったのにな……ラリって判断間違えたなあっ!!」
そのまま、懸さんはヘッドバットをバイヤーの頭に食らわせた。
「うがあああああ!!」
バイヤーはぐでんと顔を上に向ける。鼻血が垂れて、地面にぽたぽたと落ちていた。どうやらさっきので、鼻の骨が折れたらしい。いたそー。腕も力が抜けたようにほっぽりだされていて、完全に気絶してしまっているようだった。
「やった! やったよ、このみちゃん」
目を瞑って私の腕に寄りかかっているこのみちゃんに言うと、彼女は嬉しそうに顔を歪ませた。
「なっ!?」
ワンちゃんと殴り合っている男が、バイヤーが気絶したことに気が付いた。
「よそ見すんなっ!」
ワンちゃんのパンチが来るが、それを男は避けた。もうすっかりふらついてはいなかった。
「くそっ……これじゃ、作戦は失敗だな……逃げるっ!」
男はワンちゃんに背を向けて走り出した。
「おい! まてっ!!!」
それを追いかけようとしたワンちゃんへ、懸さんが声を掛けた。
「ワン公! もう追わなくていいっ!」
ワンちゃんが納得いかないような顔で振り向いた。
「それよりも、いち早くここから出ないといけない。ほら、お前はあのおっさんを担いでってくれ。俺は……」
懸さんは、私の腕からこのみちゃんを受け取って抱きかかえる。お姫様抱っこだ。
「こいつを連れてく」
「ちっ、分かった」
ワンちゃんは不承不承、バイヤーの体を軽々とひょいっと持ち上げた。
「じゃ、早くいこ」
私の一声で、三人は歩き始めた。
走るとこのみちゃんの体を酷くゆすっちゃいそうだからと、私たちは早歩きで入り口まで引き返していた。
「ねぇ、叶恵」
その道中で、このみちゃんが口を利いた。
「なに?」
このみちゃんも随分と落ち着いて来ているようだった。私の持っていたハンカチで頭の傷を押さえて、血は止めているけど、歩かせるのはまだ危険かもしれないと、懸さんに抱かれたままだ。
「その……私、アンタに酷いコトしたの……まだ謝ってない」
酷い事? あ、この前の変態紳士たちのことか。
「ううん。もう気にしてないよ。あの時はワンちゃんたちが助けてくれたし。
それに、このみちゃんに今日は助けられちゃったし」
「ありがと、叶恵」
「うん」
こうやって落ち着いた言葉を交わしていると、なんだか、やっと私たちが友達に慣れたような気がした。
「そんなことはもう気にしないで、今はその状況を満喫しなよ、このみちゃん」
「ちょ、何言ってるのよもう!」
懸さんにお姫様だっこされてるこのみちゃんは、少しだけ顔を赤らめたようだった。
「おいおい、怪我してる状態なんて、どうやって楽しむんだ? さすがに青春でも無理じゃないの?」
素っ頓狂に言ったのは、懸さんだった。
「うーん、このみちゃん、ちょっと前途多難?」
私が言うと、このみちゃんはため息を吐いた。きっと、同意の意味だろう。
「おい、出口だ」
ワンちゃんが言うと、前方に私たちが入って来た入り口が見えてきた。
「よーし、後はアイツらの無実を証明してやらないとな。はぁ、そう言うことをやるより、殴り合ってる方が俺には合ってると思うんだけどなぁ」
「頑張りなさいよ。私も手伝うから」
「ダメだ! このみは病院に行くんだ。検査してもらわないと……俺にとっても大事な体だ」
「……ちぇ、こーいうときだけ……」
なんだか、甘酸っぱい雰囲気。ふふ、やっぱりこのみちゃんの方が意外と早くうまくいくかも?
「仲間として、大事に思ってるからな!」
ぐっ、と笑って言う懸さん。
……やっぱり、このみちゃんの道は険しそうだ。
ども、作者です。ずっと三話が今日で最終回だと思っていました。ま、まだ四話を作る余裕が……




